人間牧場

〇人間行脚の小さな旅(その2-野村町の井上登さん)

 滑床渓谷入り口にある松野町目黒の「あざみ野」という民宿に親友芝さんを訪ねたあと、私と浜田さんは鬼北町日吉や西予市城川を経由して、2人目の訪問者野村町釜川の井上登さん宅を訪ねました。井上さんと出会ったのはもう20年近くも前、えひめ地域政策研究センターが主催する地域づくり人養成講座でした。講師だった私と受講生だった井上さんが夜の交流会で意気投合したのは蜜蜂飼育についてでした。

蜜蜂の師匠井上登さんと同行した浜田さん

 井上さんは趣味で養蜂をやっていて、養蜂をやりたかった私は早速井上さんに師匠になってください」と懇願しました。井上さんは私の求めに応じ、当時は珍しかった蜜蜂の誘因に使う日本ランキンリョウヘンの切り花を人間牧場へ沢山持って来てくれ、一年目1升、二年目2升~五年目5升という私の目標をしっかりとサポートして、6年目には何と21升もの蜂蜜を収穫したのですから驚きです。そのことがご縁で私が塾長を務める年輪塾にも主力メンバーとして参加して、活躍をしてもらいました。

 井上さんは東京農大出身で都会に住んでいましたが、退職を機に野村町釜川に帰郷し、地域づくりグループ山奥組の会長などを務め、公民館んで子どもたちに論語教室を開き教えたりするなど大活躍でした。最近奥さんが体調を崩し介護が忙しく、出会いが遠のいていました。この日は自宅横のビニールハウス内で色々な話をしましたが、養蜂も中々手が回らず、どうしたものかと思案中でした。帰りにキンリョウヘンを5鉢もいただき持ち帰りました。

 私には吉川英治の言葉を借りれば「人皆わが師」であり、その中には師匠と呼ぶ人も沢山います。井上登さんは蜜蜂の師匠ですが、よく蜜蜂に刺される私を見て、「蜜蜂は愛情があれば刺されない。刺されるということはまだ愛情が足りない。これは人間社会にも通じる」と諭されました。蜜蜂一匹が集める蜂蜜は小さじ一杯にもなりません。自然の恵みに感謝して暮らすことの大切さを教えてくれた人です。あいにく奥さんはディサービスに出かけて留守でしたが、また訪ねて行きたい心境でした。

「峠道 幾つも越えて 野村町 蜜蜂師匠 久方出会い」

「頼み込み 師匠と弟子の 関係を 続けて10年 あっという間に」

「蜜蜂を 通じて 人の生き方を 教えてもらった 師匠は恩人」

「キンリョウヘン 5鉢も貰い ありがたや 早速ハウス 来年準備」

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人間牧場

〇腐葉土集め

 昨日から急に寒くなり、外は北西の季節風が吹き荒れています。こんな日はコタツに入りテレビを見たり読書をしたりすればいいのでしょうが、自称根っからの働き者なので、毎日いつものように朝4時に目を覚ましてブログを書き、朝5時になると1万歩を目指してひたすら1時間ほど歩きます。日ごろは1時間も歩くと汗ばみますが、昨日今日の寒さは真冬並みで、日本海側では積雪が1mにも達する所があるというから驚きです。

裏山で腐葉土集め

 昨日は息子に頼まれた梅の小枝を180本も調達して帰り、バケツに水を張って浸けましたが、その余勢を借り軽四トラックに先日ホームセンターで息子が買った、大きなポリ植木鉢を積んで裏山へ腐葉土を取りに出かけました。コンクリート舗装をしているとは言いながら、周囲のみかん園地がことごとく廃園となり、車が通ることも殆どないため、腐葉土が堆積して通ることも困難なので注意をしながら進み、お目当ての場所で腐葉土を集め植木鉢に入れて持ち帰りました。

 植木鉢がかなり大きいため、腐葉土を満杯に入れるとかなり重たく、荷台に乗せるのにかなり苦労しましたが、何とか無事ゲットして持ち帰り、一輪車に積んで庭の隅に置きました。庭には同じサイズの植木鉢が5個ありますが、クヌギの苗木をディスプレイ用に10本植えているものの大きくなり過ぎたため、年明け早々に海の見える丘に移植し、その空き鉢に新しいクヌギ苗を植える予定です。持ち帰った腐葉土を入れた鉢には息子がリンゴやプラムを植えて楽しむようです。

「植木鉢 トラック積んで 裏山に 腐葉土集め 小まめな作業」

「植木鉢 クヌギの苗木 植えてるが 大きくなり過ぎ 移植 代替え」

「植木鉢 リンゴやプラム 苗木植え 花は蜜蜂 果実は食用」

「植木鉢 庭が広いを 良いことに 次々増やし 園芸楽しむ」

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人間牧場

〇人間行脚の小さな旅(その1ー松野町目黒の芝さん)

 16年前人間牧場を造った時、まだ年輪塾も構想段階で開塾していないころ、関西汽船の営業課長だった浜田さんが、突然「人間牧場で年輪塾を開く折には是非入塾させてください」と文書願書を突き付けられました。以来浜田さんも私も人間牧場年輪塾生第1号を暗黙裡に標榜し、今日まで離れずの人間関係を保ちながら、様々な活動に参加しています。

私と浜田さん二人が「修行」と呼んでいる人間牧場の中心施設水平線の家の板間を、一年に2回掃除をしてワックスをかける作業ももう16年目となりました。お陰様で少し劣化の進む人間牧場も、水平線の家は訪れた人が驚くほど綺麗に保たれていて、これも浜田さんのお陰でもあり感謝に耐えません。

 そんなこんなで浜田さんとは折につけ他愛のない話をしながら過ごしていますが、間もなく70歳になる浜田さんと76歳の私の一致した意見として、かつての級友を訪ねる「人間行脚の旅」なるものを企画しました。その1番目に選んだのは松野町目黒の芝さんでした。昨日はわが家まで迎えに来てくれた浜田さん運転の車で、長浜~大洲~西予~宇和島三間を経由して目黒まで行きました

 目黒は滑床渓谷の入り口にある、高知県境西土佐に接る奥まった所にあります。松野町職員として森の国ホテルの開業に立ち会い、その後教育長を最後に役場職員を退職した後、奥さんと2人で古民家自宅を開放し、「あざみ野」という民宿を開業し営業していますが、昨年病気になり、加えて農作業中に耕運機に巻き込まれドクターヘリで宇和島市内の病院まで搬送され一命をとりとめ、今は多少不自由でも何とか一人で歩けるまでに回復しているようです。

 役場職員時代から数えるともう40年以上も付き合っている親しい関係なのに、驚くなかれ芝さんのお宅へはまだ一度も伺ったことがなく、今回も近所の人に道を訪ねつつ歩を進めましたが、ご夫婦ともども仲良く暮らしている姿を見て、大いに安心をしました。ちなみに民宿あざみ野は西田敏行・菊池桃子のナレーションでお馴染みの「人生の楽園」でも放映されました。

「40年 以上の級友 なのに何故 まだ訪問 してない不思議」

「あざみ野と 言う名の民宿 営んで 二人仲良く 人生楽園」

「病気怪我 あれこれあった 人生も 今となっては 笑い話に」

「景勝地 滑床渓谷 入り口に 高知西土佐 行く手看板」

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人間牧場

〇海の幸「サワラとハマチ」が届きました

 「天気予報によると来週は大時化になって漁に出れなくなるかも知れない」と言いながら、息子の同級生の漁師さんがサワラ2匹とハマチ1匹、それにでかいホウボウを1匹持って来てくれました。

 粗調理するのは通称「お魚じいちゃん」と呼ばれている私の仕事なので、早速出刃包丁を研いで粗調理に取り掛かりました。サワラは実の柔らかい魚なのでどういうことはありませんが、ハマチとホウボウは頭の骨が固く、特にハマチの頭を半分に割るのは相当力がいるので、いつも難儀をしています。

 サワラは息子家族が1本、私たち夫婦が一本、ハマチは大きかったので半分ずつ、ホウボウは貰った息子家族にそれぞれ3枚におろして渡しました。息子家族も私も魚大好き人間なので、これから2~3日の夕食は美食を味わえそうでホクホクです。

 最近は骨や匂いが嫌で魚を食べない子どもが増えているそうです。勿論その子どもたちは肉食派だそうです。最近焼き肉店では大豆を主原料にした代替肉を出す店が増えているとも聞きました。カロリーや脂肪が少なく、タンパク質は肉の2倍で見た目には動物肉と変わらない、大豆由来の代替肉が将来は主流を占めるとの予測もあるそうですが、私はそんな代替肉よりはるかに健康に良い魚を食べたいと思っています。

息子の同級生漁師さんが届けてくれた魚

「海時化る 予報を察知 その前に 獲れた魚を 届けてくれる」

「粗調理 私の担当 出刃包丁 砥石で研いで 3枚おろす」

「最近は 匂いや骨が ある魚 食べない子ども 増えているよう」

「最近は 焼き肉店で 出る肉に 大豆由来の 代替肉が」

 

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人間牧場

〇大洲市田処を訪ねる

 昨日の朝、息子から大洲市田処の亀本さん宅へ一緒に行こうと誘われました。私と亀本さんとは古い付き合いの親友なので出かけることにしました。息子は昨年大洲市田処の地域活性化センターで、亀本さんと映画二宮金次郎を上映する準備を進めていましたが、チラシや入場券まで準備をしていたのに、直前になって新型コロナの影響で中止とりましたが、コロナ問題が解決したら上映会を再開したいようです。

 大洲市田処へは中山経由で行く方法もありますが、朝が峠経由で向かいました。ところが朝が峠を下って2~3㎞降りると、県道の真ん中に通行止めの看板とゲートがあり、先へ進めなくなりました。仕方なく引き返し少し遠回りにはなりましたが、内子町石畳経由の道を選び、大洲市新谷から矢落川沿いの道を進み、田処の活性化センター付近から、亀本さん宅へ通じる道を走りました。亀本さん宅へは何度か行ったことがあるので、記憶を頼りに迷うことなく到着しました。

 亀本さんは酪農家で、10頭余りの乳牛を自宅横の牛舎で飼っています。そこで悲しい知らせを聞きました。毎年初夏の頃息子がカブトムシの幼虫をいただいている、養豚業を営んでいた石岡さんが前日心筋梗塞らしいのですが急逝したというのです。石岡さんは県無形文化財藤縄神楽のリーダとして活躍もされていました。68才で亡くなったそうですが、奥さんもよく知っているだけにやり切れない気持ちでいっぱいでした。息子は亀本さんに二宮金次郎のカレンダーを差し上げましたが、亀本さんからもまるで物々交換のような形で色々な物をいただきました。

 帰りはオズメッセで苗木用の大きいポリ植木鉢を購入し長浜経由で帰宅しました。息子の運転する車の中で行き帰り、日ごろ同居をしているといいながらお互い忙しくて話す機会はそんなに多くないので、親子で色々なことを話すことができいい半日となりました。

「久方に 朝が峠を 越えたけど 通行止めで 迂回の道を」

「親友の 牛舎を訪ね あれこれと 立ち話する 山里の秋」

「友人が 心筋梗塞 急逝の 訃報に接し 寂しかりけり」

「車中にて 親子で話す あれやこれ 同居と言いつつ 機会少なく」

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人間牧場

〇冬なのか?秋なのか?

 このところ四国愛媛県・伊予市・双海町では師走特有の季節風も吹かない好天が続き、すこぶる快適な日々を過ごしています。今朝などは少し薄着でウォーキングに出かけましたが、1時間も歩くと汗ばむほどの外気温でした。

満開の桜

 温暖化を実感するように、翠小学校から少し上流の唐子橋付近の県道沿いには、冬桜ながら何と桜の花が満開で、道行く人も足を止め、車を止めて見入っていました。勿論私も偶然通りかかり手持ちのタブレットで一枚写真を撮りました。

黄葉に染まった秋葉山

 そのついでに逆方向の秋葉山に目をやると、紅葉ならぬ黄葉に染まった何とも美しい山村の風景を見ました。

裏庭のヤマモミジの黄葉

 自宅に帰り庭を見ると、私が山取りして20年も大事に育てているヤマモミジが目の覚めるように黄葉していました。例年だと季節風が吹いて葉っぱを吹き飛ばせるのですが、今年はそれもなく見事な美しさです。

ブルーベリーの紅葉

 家庭菜園の隅に植えているブルーベリーも綺麗に紅葉しています。

黄葉に染まった夕暮れ時の本尊山

 わが家から見える、町のシンボル本尊山も綺麗に黄葉しています。秋なのか?冬なのか?、戸惑いながら季節の移ろいを楽しんでいる師走です。

「秋なのか? 冬なのだろうか? 近頃は 好天続き 周りの季節」

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人間牧場

〇「ぴえん」という言葉

 私は毎年、年賀状の裏面は馴染みの印刷屋さんで印刷をしてもらうため、原稿をメール便で前もって送り、校正が上がって来たので、昨日松山の印刷屋へ年賀状を届けに行きました。師走といってもまだ暮れも押し迫っていないので、これから宛先を筆王ソフトを使って手を入れようと思っていますが、400枚に限定しているので中々です。

 行き帰りカーラジオをつけて聞いていると、「ぴえん」という言葉が最近よく使われるようになったという話題が紹介されていました。「ぴえん」とはインターネット上で使われている書き言葉で、嬉しい悲しいに関わらず泣いている様子を表現した若者言葉のようです。「びえん」と聞いた親が「鼻炎」と勘違いしたという話もあるようです。「チョー」「むずい」など、今ではすっかり馴染みの言葉になりましたが、最初聞いた時に違和感を覚えたように、「びえん」も「どういう意味だろう?」思いました。

 泣いている様子を表現する言葉で、普段の会話ではあまり聞かない言葉なので、知人友人に聞いても「それ何?」という人が殆どでした。インタネットをやっている人であれば、「ぴえん」を表現した絵文字を一度や二度は見たことがあるかも知れませんが、若者言葉は中々分かりません。それだけ自分が年を取ったという証拠かも・・・

「若者の 使う言葉は 分からない 聞きたいけれど 少々気後れ」

「『ピエン』とは ラジオで聞いて なるほどと 納得したが 友人知らない」

「流行語 次々登場 するけれど 老いた私にゃ チンプンカンプン」

 

 

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人間牧場

〇ギノー味噌の即席みそ汁をオンラインで紹介しました

 毎年この時期になると、12年間も続いた大洲集会での出会いが思い出されます。私はその度にギノー味噌の田中社長さんにお願いして、お味噌や即席みそ汁を人数分頂き、皆さんにお裾分けをしてきました。ゆえに私のことは覚えていなくても、ギノー味噌のことは覚えていると、笑い話のような話をしてくれています。

オンラインで宣伝させてもらいました

 今年もそのつもりで田中社長さんにお願いしようと思っていましたが、今年は残念ながらオンライン会議だったので、即席のお味噌汁を皆さんに差し上げることができませんでした。唯一本部となった八幡浜市向灘のコダテルに集まった人には、私が各地の集会用に頂いている「南予のお味噌汁」を宣伝用に差し上げ喜ばれました。

 本部に集まった皆さんと休憩中に、ギノー味噌の話になり、南予の味噌汁をオンラインで流してもらいました。嬉しい出来事で早速社長さんに報告しようと思っています。私は自分の名刺の裏にギノー味噌のCMを乗せていて、日本一と自認する双海町の夕日とともに、あちらことらで宣伝をしています。この名刺もすっかり有名となりました。

「集会の 度に貰った ギノー味噌 みんなその味 覚えて感謝」

「今年は オンラインゆえ ギノー味噌 手渡しできず 誠に残念」

「オンライン みんなの配慮 コマーシャル 流してもらい 面目保つ」

 

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人間牧場

〇倒木の片付けと持ち帰り

 人間牧場のシンボルとなっている樹齢不詳のヤマモモの木が、何の前触れもなく真っ二つに割れ、倒木したのが見つかったのは8月30日でした。その後9月4日に枝を切り落として粗方片付けていましたが、その小枝も一昨日焼却処分してやれやれといったところです。その倒木はチェンソーの刃が届きにくいほど大きいので、さてどうするか考えました。

倒木したヤマモモ(8月30日)
1mほどに切って持ち帰りました
残った倒木

 とりあえず輪切りにして何かに使おうと、一昨日小枝を焼却処分した後に、チェンソーを使って切り始めましたが、これが中々の重労働で、これまでの苦い経験から、チェンソーの刃が食い込まないよう慎重に作業を進めました。どうにか根元と1mほどの部分を切り落としました。さてどうするか考えましたが、私一人ではどうにもならないほどの重さながら知恵を出し、トラックを横付けして歩み板をかけ、一寸刻みで何とか荷台に積み込みました。

 自宅に持ち帰りましたが、荷台から下ろして東屋まで運ぶのもまた一苦労で、慎重に一輪車に積み込み、やっとの思いで東屋へ運び込みました。さて再びどうするかです。私の考えでは暇を見つけてチェンソーで半分に割り、神木であることから粗末にしないため、天狗面にでもして一つはわが海舟館へ、もう一つは人間牧場の水平線の家にでも飾ろうと思っていますが、不器用ゆえ上手くいくかどうか?心配しています。まあ2~3年かけて気長に彫ろうと思っています。

「シンボルの 神木倒木 片付けを たった一人で 難儀しながら」

「チェンソー 届かぬほどの 大きさの ヤマモモの木 使って能面」

「一人では 動かすことも 出来ぬほど 大きいけれど テコの原理で」

「次々と 新たな知恵が 生まれるが 不器用ゆえに 多少心配」

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人間牧場

〇倒木ヤマモモの小枝焼却

 これまでは、大きな大会が終わっても、並行して次の集会やイベントの準備などがあったため、立ち止まって考える余裕などありませんでしたが、新型コロナのお陰でタヌキが石を投げるような適当な間隔や、不用不急の外出を避けているため、有難いことに多少余裕があって、昨日は久しぶりに人間牧場へ農作業に出かけました。

倒木したヤマモモ(8月30日)
小切りして柿畑に積み上げられたヤマモモの枝
昨日の焼却処分

 昨日の農作業は、8月30日に前触れもなく突然、人間牧場のシンボルと思っている樹齢150年のヤマモモの木が、半分根元が裂けて倒れたのを、9月4日に枝を小切りして片付けていましたが、その枝が3ヶ月ほど経って枯れたため、焼却処分するという私一人では持て余し気味の重労働でした。

 柿畑に行儀よく積んだ枝をひこずりながら 駐車場広場まで何度も運び火をつけました。空気が乾燥した秋の頃なので、バケツに水を汲んだりして傍に置き、類焼火事にならぬよう注意して野焼きをしました。幸い無風だったし枝木もよく乾燥していたので、作業は思ったほど時間はかからず、昼までに粗方片付きました。

「8月に 突然倒れた ヤマモモの 小枝9月に 小切り片付け」

「柿畑 積んで枯らした ヤマモモの 小枝運んで 焼却処分」

「水汲んで 火の用心に 心がけ 焼却処分 万事順調」

「気になって いた片付けも 無事終わり これで何とか 年を越せそう」

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