人間牧場

〇畑へ還元した木灰

 「♭かきねのかきねのまがりかど たきびだたきびだおちばたき あたろうかあたろうよ きたかぜぴいぷうふいている。さざんかさざんかさいたみち♯~」。この童謡唱歌を唄うと何とも長閑な田舎の風景を思い出します。私たちが子どもの頃はこのたき火に焼き芋が加わり、少し下品な話ながらおならも加わって冬の風物詩でした。

たき火で出た木灰は一輪車に積んで畑に還元しました
ドラム缶を半分に切った畑の隅の簡易な焼却場

 しかし最近は火事の原因となったり、煙が環境に良くない理由からたき火は基本的にできないようになりました。それでも田舎ではゴミではない果樹園で出る剪定枝葉を処分に困り、人に迷惑の掛からない範囲で許可を得て焼却処分しているようです。わが家の家庭菜園の隅にもドラム缶を半分に切った簡易な焼却器具を置いていて、時々剪定枝木を無風の時に注意しながら処分しています。

 昨日は一年間にたまった木灰を一輪車に積んで果樹園に植えている甘夏柑の根元や畑に肥料として施しました。いわゆる自然のリサイクルで、牛糞豚糞とともに有機栽培の大事な役割を担ってくれています。一番困るのはこうした有機物にミミズが発生し、そのミミズを食べにモグラがやって来て、地中戦を繰り広げて農作物に被害を与えるのです。まあこれもたき火から始まった自然に優しい営みだと思うので目をつぶって我慢をしています。焚火の恋しいこの頃です。

「懐かしい たき火思い出 歌のみぞ 芋焼きおなら 語る人なし」

「畑隅 ドラム半分 置いている 剪定枝木 時々燃やす」

「木灰や 牛糞豚糞 有機質 ミミズ発生 モグラ出没」

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人間牧場

〇お年玉付き年賀状3等賞

 毎年のことなので余り期待はしていませんが、それでも人間は不思議なもので、「もしや一等が当たっているかも?」何て淡い期待を抱くものです。私はこれまで買ったことがないので分かりませんが、前後賞合わせて10億円のジャンボ宝くじを毎年のように買って、「もしや?」の夢をず~と見続けている妻の心境はもっともっと高いに違いありません。

 内孫希心の手助けを得て、約500枚の届いたお年玉付き年賀状を丹念に調べましたが、下4桁まで合っているような番号に出会うと、気持ちが一瞬高まりましたが、残念ながら今年も下二桁の番号で当たる3等賞の年賀状が13枚見つかりました。「副賞の切手シートはお金では買えない非売品だから貴重だ」と慰めの言葉を言っていますが、まま新年早々ちょっとした夢でした。

 昨日は早速当たった年賀状を持って近くの郵便局へ出かけ、窓口で景品の切手シートを13枚いただきました。郵便局員さんが「沢山当たっておめでとうございます」と言葉をかけてくれましたが、昨年と同じように切手収集ブックに入れて書棚の中にしまいました。3等のお年玉切手シートながら当選番号の年賀状をいただいた13人の方々に、近況をしたためハガキを出しました。もちろんいただいた切手シートの切手は勿体ないので使いませんでした。

「3等の 当選番号 見つけると 欲張り心 闘争火をつけ」

「3等の 切手シート 13枚 それでも局員 おめでとう言う」

「今年の 切手シートは 面白い 大入り書いた シール埋め込み」

「今年も 若しやの期待 またはずれ バカボンのよう これでいいのだ」

 

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〇庭の梅の花が咲き始めました

 年末年始は厳しい寒波に見舞われ、加えて新型コロナの影響で街中は自粛ムードが漂い、寒々とした空気が流れていますが、季節は確実に春に向かって進んでいるようです。昨日人間牧場の梅林に梅の苗木の補植に出かけましたが、掘り返した土の中では雑草の根が早くも動き出していました。

庭に咲き始めた梅の花

 毎日何がなく過ごしていて気がつきませんでしたが、この2~3日の上向いた気温で、庭の隅に植えている梅の花がかなり咲き始めていました。時折綺麗なメジロが2~3羽花蜜を吸いにやって来て、花札に描かれた梅に鶯ならぬ梅にメジロの愛くるしい姿を見せていました。

 開花した梅の花に鼻を近づけると、何とも言えない芳しい香りが漂酔って来ました。昨日通りかかかった閏住の菜の花畑も、黄色い菜の花が咲き始めていて、気の早い花見客が菜の花を愛でていました。また下浜の水仙畑も見学者が多く訪れているようです。双海の海岸線もいよいよ春本番です。

「気がつけば 庭の梅の木 花が咲き メジロチョロチョロ 蜜を啄む」

「土の下 早くも雑草 根を伸ばし 春は間近と 知らせるように」

「水仙や 菜の花咲いて 海岸線 新型コロナ 邪魔だドケドケ」

 

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人間牧場

〇週めくり二宮金次郎語録(その5)

 財能く人を富し また能く人を貧す
 何ぞや也
 分度に大小 あり
 小と大のとに処しめ
 経理の術を知る者
 貧窮の憂い有るなし
             (二宮先生語録巻二より)
 勤勉なものは財を得て富むが、財のために貧乏になることもある。お金は使い方次第なのである。分度の大小に応じて使うことができる者は貧窮する憂いはない。

 私が執筆し発刊した「今やれる青春」という本に、「米百俵ならぬ百万円の小切手(P91~)」という小見出しの記事を、2ページにわたって書いています。仔細は読めばわかりますが、恩人藤原茂さんの紹介で関印刷の関会長さんから私が代表を務める21世紀えひえニューフロンティアグループに100万円の小切手をいただきました。その折関会長さんが「百万円を儲けることは大変ですが、百万円を使うことはもっと大変です」と言われ、さすが実業家の言うことは違うと、幕末越後長岡藩の小林寅三郎になぞらえ、米百俵の蓄えにして「今やれる青春」という本を出版し、いささかなりの恩返しをすることができました。

 40万円の給料を35万円使うと5万円残ります。50万円のお金を55万円使うと5万円足らなくなります。これを1年間続けると前者は+5万円×12ヶ月=+60万円の蓄財が生まれます。後者は-5万円×12ヶ月=-60万の赤字となります。これは誰にでも分かることですが、給料40万円という分度とに「給料が安い」と文句ばかりを言って、この計算ができないで浪費し経済破綻する人は後を絶ちません。「親難儀 子げど 孫ほいと」や「家が三代続くのは難しい」という言葉の意味が、「財能く人を富し また能く人を貧す」の言葉に秘められています。拳々服膺お金の大切さを身近な家庭で、教えたいものです。

「金がある だから幸せ 限らない 使い方です 拳々服膺」

「給料が 安いからとて 気にするな 貯めれば増えて 使えば無くなる」

「儲けるは 大変だけれど 使うのは もっと大変 重い言葉だ」

「経済は 単純明快 +か- 分度わきまえ しっかり生きる」

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人間牧場

〇半人前なのに一人前のような顔をして・・・

 昨日は午後から、地域教育実践中予ブロック集会のリハーサル、夜は第4回目となる地域教育スピンオフと、かなり長い時間自宅の書斎にこもり、オンライン会議に参加しました。昨年の12月に行われたオンラインによる交流集会の準備と、その後のスピンオフに、ネットワークえひめの代表をしている責任上、時間を割いて参加していますが、パソコンに一種のアレルギーを示している私としては、正直なところ最初から少し重荷のような感じがしていました。

中予ブロック集会リハーサル

 しかし「悩むより慣れろ」とはよく言ったもので、2回~3回と回を重ねるごとに少しずつアレルギー反応も消え始め、今だに半人前にも満たないのにまるで一人前のような顔をして、メンバーの輪の中に入ってお茶を濁しているのです。最初はZoomのノウハウが飲み込めず息子や中尾さん、平岡さんにおんぶに抱っこでしたが、とりあえずパソコン機能にトラブルさえ起きなければ、1月30日の5回スピンオフ、2月14日の中予ブロック集会を何とかクリアできそうです。

大畑さんの発表

 昨日のスピンオフは、島根県益田市の級友大畑さんがオンライン発表者でした。20年前派遣社会教育主事だった大畑さんと、講演に出かけた折島根県松江で出会い、その後幾度も出会いを重ね現在に至っていますが、今では日本でも指折りの指導者に成長していて、昨日の発表もお見事でした。スピンオフの前後でミュートを外し、旧交を温める懐かしい私的なお話をさせてもらいましたが、一番最初大畑さんに出会った時私が大畑さんに、「あなたの夢は何ですか?」と尋ねたそうです。大畑さんは「47都道府県全てを回りたい」と答えたそうですが、私はその後も全国行脚を続け、講演で47都道府県全てをいち早く回りました。遠い20年も前の昔のよき出逢いであり思い出です。

「半人前 なのに今では 一人前? そんな顔して オンライン会議」

「悩むより 特効薬は 慣れること 心の氷 少しずつ解け」

「パソコンに トラブルなくば あと2回 何とか役目 果たされそうだ」

「20年 前に出会った 教員が こんなに大きく 成長嬉しい」

 

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〇42年前に書いた原稿(その2)

 今年の年末、私は例年のように400枚の年賀状を出しました。私の年賀状はその年に起こった自分自身の出来事の中から、特徴あることを10項目選んで10大ニュース風に、小さな文字で書いています。虫メガネがないと読めないほどですが、町内に住むかつて私が公民館主事として青年団を指導した当時の団長Sさんさんから、新年早々電話がかかってきました。Sさんが私の年賀状で見つけたのは「6月12日 6月に向こう脛を梁4針縫う怪我をし、11月には帯状疱疹を発症しました。後期高齢者となり病院代は1割で助かりましたが、健康が一番を実感しました」という記事でした。聞けば彼も2年前少し重度の帯状疱疹を発症し、苦しい目に遭ったとのことでしたが、Sさんはかつての青年団活動に明け暮れていたことを懐かしみ、かなり長い時間の楽しい通話となりました。

48年前社会教育えひめに書いた記事

 私は42年前の昭和53年8月20日付け県教委社会教育課発行の「社会教育えひめ」という雑誌に、「私の提言・千金の重み千五百三十二円 ー公民館事業は心をつかめー」とう記事を投稿していますが、その中に「◎ある若者との出会い」という中身出しでSさんのことを書いています。「それは、エレキバンドの華やかなりし頃だった。『性差のない社会』を象徴するように、その若者も髪をたらし、赤いシャツを着て、強烈なライトの光を浴びながら、ある田舎のスナックでエレキを弾いていた。公民館主事二年生の私が、なんでそのスナックに立寄ったかは、七~~八年も前のことなのではっきり覚えてないが、その若者との出会いはここから始まるのである。その青年は私との出会いを、青年団の機関紙「双海の若人」に、『追憶』と題しこう書いている。」~後略~

 余談ですが文中の「◎ある出来ごと」では昭和の咸臨丸と銘打った青年の船で建国200年のアメリカへ行く時、公民館で出会ったおばあちゃんが「海の向こうのアメリカは水が悪いだろうから梅干しを」と届けてくれたこと、子ども会指導をしていた子どもたちが「貯金箱を割って持ち寄った小銭1532円を、選別にと公民館まで持って来てくれたこと」の感動の場面が書いてあり、「◎私の思うこと」でまとめられています。いやはや懐かしい思い出です。編集後記には★白石知事は、教育の基本について、教育とは、子どもたちが持っているさまざまな知的な能力や肉体的な能力を引き出し、伸ばし、はぐくみ教え、世の中を生き抜くたくましい力を教え学ばせることだと強調された」と書かれています。私にとっては懐かしい雑誌のスクラップ記事でした。

「年賀状 帯状疱疹 文章見て Sさん電話 楽しいお喋り」

「そう言えば Sさんのこと 書いた記事 あったあったと 見つけてスキャナー」

「公民館 主事をしていた 若い頃 出会い重ねた 故に今ある」

「私には 金や財産 ないけれど 心の引き出し いっぱい詰まって」

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〇日曜大工で棚を手作りしました

 私たちのダイニング板壁に吊るしてあった時計が故障して、新しい時計を買ったのを機に見やすい前面に架け替えました。習慣とは不思議なもので20年を超えてダイニングで時計を見る癖がついていて、何気なく「今何時?」と元時計をかけていた方向を見てしまうのです。そんなこともあってダイニングの食器棚の横がポカンと開いてしまったので、何とかして欲しいと妻に頼まれました。

書棚の隅の空間を利用した小さな手作り棚

 不器用自認の私ゆえ、さてどうするか考えた挙句、倉庫の2階に使わなくなり分解してしまっていた組み立て式の棚を思い出し、早速採寸したり棚板を電動鋸で切断したりして準備を始めました。他の高さは妻の使いやすいように聞き取りして6段にしました。夕方全ての材料が揃ったので早速組み立てにかかり、1時間ほどで立派な棚が完成しました。電動ドライバーや金槌を使って作業をしたため、学校から帰った中学一年生の孫希心も興味津々覗きに来ました。

 明くる日は雨の天気予報だったので、何としても片付けたいと頑張ったお陰で午後5時30分に片付き、テレビで見たい大相撲も見ることができました。「おじいちゃん器用だね」と妻と孫に褒められ面目躍如といったところですが、思った通りの棚ができてやれやれです。早速妻は食事の後色々なものを移動させていたようです。この歳になると見栄えより便利が一番です。

「空間に 棚が欲しいと わが妻に 頼まれ端材 使って手作り」

「設計図 なども書かずに 棚作る 不器用私 それなり出来栄え」

「見栄えより 便利重視と 妻私 二人で納得 これから先も」

「ちょっとした 工夫ひとつで 日々暮らし 豊かさ実感 味わいながら」 

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〇東屋収納場のの整理整頓

 海の資料館「海舟館」に入りきらない増え過ぎた民俗資料をどこへ収納するか?、悩ましい解決策として東屋の東側に親父が存命中、小さな収納場所を造っていますが、忙しさにかまけて整理整頓もままならず、何とかしたいと思っていた矢先、友人が大きな水瓶を不要になっていらないからと、一昨日何の前触れもなくわが家へ持って来てくれました。「骨董的価値もないようなので不要なら割るか捨てる」というので、後先も考えず貰い受けました。

友人から貰った大きな水瓶
倉庫の隅に保存されていた50年前の結婚式に使った酒樽

板壁も修理しそれらしくなりました

 焼き物ゆえ雨ざらし日ざらしでも別に劣化することはありませんが、さてどうするか考えた挙句、これを機会に東屋の収納場所を少し片づけ、展示風にしたいと思い、この2日間大掃除をしながら私一人で重い道具類を片付けたり、移動すたりしました。私が50年前に250人もの来客を招いて結婚した折、酒樽割りをした時使った大きな木樽も倉庫の隅で見つかり、懐かしさ一入でしたが、余韻に浸る暇もなく部屋と民俗資料の掃除に力を入れました。

 夕方4時過ぎ収納室の板壁修理を含めた粗方の作業を一旦終え、冊子窓の内外を雑巾で拭きましたが、思ったよりも大変だったものの思ったよりも早く片付きました。あとは収納品の手入れを暇を見つけて行い、展示風に工夫を凝らしたいと思っています。海舟館の第1,第2展示場、煙会所に続き東屋はさしずめ第4展示場と言ったところです。少し余裕ができたので全ての展示品の目録を造っておきたいと思いますがいつのことやらです。

「あれやこれ 人から見れば 不燃物 ゴミのようだが 私にゃお宝」

「いただいた 水瓶などを 重いのに 歩かせ移動 意外と楽しい」

「さあこれで 物語また 一つ増え ワクワクします ガラクタ整理」

「こんな物 人から見れば 変わり者 いいじゃあないの 幸せならば」

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地域教育スピンオフ企画

 12月5日に230人が参加してオンラインで開かれた第13回地域教育実践交流会は、自分でパソコンを操作しなくても、本部となった八幡浜のコダテルに居座り、中尾さんや平岡さんにおんぶに抱っこでそれなりの役目を終えましたが、自分自身はパソコン操作にまだまだ自信がないので、この際人に頼らず自宅のパソコンを使って慣れてみようと、恐る恐るスピンオフ企画に参加して、20人程の人の輪の端くれにお荷物になりながら加わえてもらっています。

 12月26日(土)は外せない所用があって都合がつかなかったものの、の1月9日(土)と1月16日(土)の両日は、何とかオンラインでつながることができ、新型コロナの影響でまた違った地域教育手法を学び、少しずつですがそれなりに前に向かって進みつつあるようなので、残された1月23日(土)と1月30日(土)は島根県益田の大畑さんや愛南の猪野さんが発表されるので、何はさておいても参加したいと思っています。

 1月16日のスピンオフ企画には八幡浜あすもあの木下さん(地域のカタリ場、タマリ場、アソビ場そしてイコイの場に)松山サイボウズの久保さん(組織の枠組みを超えたプロジェクト松山テイクアウト部宅タク便)の発表を聞きました。どちらも楽しいお話でした。新型コロナの感染が広まる中、人を集めることや人が集まることが困難となりました。社会教育の現場ではむしろコロナをやらないことの理由にして、何もしない風潮があるようですが、やれないのとやらないのとは違います。コロナ下でもできる社会教育に果敢に挑戦したいものです。

「オンライン パソコン苦手な 私には 中々理解 出来ずに苦労」

「自宅にて パソコン使い zoom会議 汗をかきつつ 馴れを狙って」

「最近は コロナ理由に あれやこれ 中止が多く 前へ進まず」

「コロナ禍も 知恵さえ出せば 面白い ポジティブやろう 悔いのないよう」

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〇水仙の咲く頃

 双海町は東西ほぼ一直線に海岸線が16キロ、伊予灘に向かって胸を広げるように伸びています。そうした北向きの風土が育てるように、ツワブキと水仙それに薮椿が至る所に自生しています。ツワブキは秋に黄色い花を咲かせ、水仙と薮椿は冬花を咲かせます。春や夏の花と違い秋から冬にかけては花の少ない季節なので、人為的に植えた菜の花とともに双海町のもう一つの顔として、今では知られるようになってきました。

愛媛新聞で紹介された下浜金山さんの水仙畑

 水仙や菜の花は桜とともに元々はまちづくり事業の一環として、花咲くまちづくりを目指し行政が主導し始めたものですが、今は金山さんの水仙や閏住地区の菜の花として定着し、すっかり有名となり、新聞やテレビなどマスコミも冬の話題の少ないこの時期なので、地域の風物として紹介されていて、一昨日も愛媛新聞の7面総合欄に取り上げられたため、土日は結構多くの人が下灘界隈をそぞろ歩いていたようで、私の知人友人も何人か水仙見学に訪れたついでにわが家へも立ち寄って、マスクを着けた控え目な交流となりました。

 私が「港の見える丘」と呼んでいる下灘下浜駄馬は、2年前から伐採や伐根をして、クヌギ林にしようと里山運動に取り組み始めていますが、伐採伐根した場所の地面に日が当たるようになったため、これまで気がつきませんでしたが水仙が沢山はびこり、今年は結構花が咲いて楽しめるほどになっています。怪我の功名でしょうが、クヌギの木を植えると木が大きくなるまで何年かは下刈りをしなければなりませんが、嬉しいことに当分の間はささやかながら自前で水仙を楽しむことができるようです。ちなみに双海の海岸線に咲く水仙は金冠のある日本水仙が中心で、少し奥に入ると金冠のない八重咲き水仙が自生しているようです。

「今年も 地元新聞 載りました 土日は沢山 花見客あり」

「水仙を 見に来たついで わが家にも 立ち寄りマスク 静かに交流」

「放任園 伐採伐根 したお陰 水仙増えて 自前の花見」

「この季節 花の少ない 季節ゆえ 馥郁として 心安らぐ」

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