人間牧場

〇週めくり金次郎語録

 夫れ小を積めば  
 即ち大と為る
 万石の粟は、則ち一粒の積
 万町の田は、則ち一耒の積
 万里の道は、則ち一歩の積
 九仞の山は、則ち一蓑の積なり
 故に小事を務めて怠らざれば
 即ち大事必ず成る 
               (二宮先生語録巻四より)

 小を積めば、やがては大となる。万石の米は一粒を積んだもの。万町の田は一鋤を積み重ねたもの。万里の道は一歩の積み重ね。高い山は一杯の土を積み上げたもの。つまり小事を務めて怠らなければ、必ず大事は成就するということである。

積小偉大の味わい深い言葉です。

「始まりは ゼロから一・二の 積み重ね やがて大きな 成果となりぬ」

「一や二を 疎かせずに 努力せよ 積小偉大 しっかりわきまえ」

「十年で 一千万円 貯め造る 人間牧場 ささやか成果」

「凡人が 故に大きな 望みなど 叶わぬけれど 積小誰でも」 

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人間牧場

〇粗食と美食

 私は戦後の貧しい時代、そして貧しい家庭で育ちました。一番の楽しみは風邪を引いた時で、風邪を引いて寝込むと学校が休め、日ごろは殆ど口にすることのなかったバナナを買って優しくして貰うので、「風邪を引きたい」なんて馬鹿なことを願ったりしたものですが、元来丈夫に産み育ててくれた両親のお陰で、少々青鼻を垂らしていても、風邪など殆ど引かなかったのです。

 そんな少年時代の影響でしょうか、麦ご飯やサツマイモなど今では考えられないような粗食に耐えたお陰で、今でも嗜好が野菜中心の粗食型故なるか、太ることもなく健康な体形を維持しています。今思えば「ご飯とパンはどちらがいいか?」とか、「野菜と肉はどちらがいいか?」など悩む必要はなく、「何を食べるか」よりも「何が食べられるか」が問題だったのです。

 今日本人はなんだかんだと言いながら平和な世の中を反映して、美食の中で過ごしています。デパートやスーパーの食品売り場へ行けば、買って持ち帰り食卓に並べさえすればすぐに食べれる総菜が幾らでも手に入り、町の中には外食を楽しむお店が沢山あって、滅多に口にすることのなかった握り鮨でさえ、目の前をグルグル回ってお金さえ出せば、好きなものを好きなだけ食べることができるのですから、まるで夢の中の世界に生きているようです。

 しかし脂分・糖分・塩分過多で味付けされた美食には落とし穴もあって、知らず知らずのうちに体内に変化が起こり、運動不足も重なって健康を害した人もかなり増えているようです。昔はお金持ちの代名詞のように言われていた糖尿病などは、美食だけが原因ではないものの、国民病ともいわれるほど広がっています。何故粗食が体に良いのか、何の疑いもなく食べていた健康の源である食事の在り方を今一度見直してみたいものです。

「粗食しか 食べられなかった 幼少期 お陰で丈夫 長持ち体質」

「近頃は 金さえ出せば 欲しい物 何でも揃う 便利な世の中」

「粗食から 美食なる程 増えて行く 病気の原因 何故か?考え」

「今朝何を? 食べたか忘れる お粗末さ もっと食事に 思いを寄せて」

 

 

 

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人間牧場

〇偶然にも四季禄に壱円札の話が・・・・

 昨日の朝、息子から貰った昔の「壹円」札について、自身のfacebook「shin-1さんの日記」に記事を書きました。書き終わっていつものように新聞受けから新聞を取り出し、書斎で読み始めました。愛媛新聞13面文化ページの四季禄に、宗雪孝夫さん(絵画セラピー研究センター主宰)が、「母(上)」という文章を書いて投稿しているのを見て、私と全く同じような「壹円」札の話題を同じ日に書いたことを大いに驚きました。

昨日の朝刊四季禄

 ~(前略)「屋敷には屋根裏があり、煤茶けた梁の下に幾つもの行李が積まれていた。母の通知表や卒業証書と共に壱円札が挟まっていた。アルミン一円玉が主流だったが田舎では東京オリンピックの頃でも壱円札は普通に使えた。壱円札には恰幅のよい老人が描かれていた。その老人が毎朝校門横で出迎えてくれた二宮金次郎と同一人物だったことを、学芸員となって古い紙幣の寄贈を受けたときに初めて知った。金次郎像は薪を背負いながら本を読んでいる。「負薪読書像」で評される。読んでいる本は『大学』で、開いているページには『一家仁一國興仁、一家譲一國興譲、一人貪戻一國作乱、其機如比』と書かれている。貪戻とは貪って人の道に背くこと。上に立つものが一人利を貪って道理に悖ることをすると国が乱れる。思いやりの仁も謙譲の美徳も、為政者に誠の心がなければ人々の心には届かない。金次郎は労働に勤しみながらその精神を『大学』から会得し生涯に渡って実践した。」(後略)~

 今度お札の肖像画に取り上げられる渋沢栄一は、その精神を継承し、経済と道徳、政治と道徳が権衡し、義と利が合一せねば真正なる文明も富貴も期し難いと語って「経済道徳合一説」を説いています。何気なく日々の暮らしで使っているお札の肖像にも深い意味があることを、私たち国民はもっと知るべきであると、息子から貰った古い「壹円」札から教えられました。

 それにしても小学校2年生の時、「二宮金次郎さんは何の本を読んでいるのだろう」と子どもらしい素朴な疑問を持ち、無謀にも下灘小学校の校庭隅に建っていた二宮金次郎像の台座によじ登ったことが、今になって思えば私の人生を大きく変える一歩であったことは紛れもない事実なのです。

「息子から 貰った古い 壱円札 ブログに書いた その日偶然」

「四季禄に 書いた記事読み 札肖像 二宮尊徳 納得手合い」

「次肖像 渋沢栄一 経済と 道徳融合 尊徳同じ」

「勤労や 至誠分度 推譲の 四つの教え 不変な教え」

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〇閏住の菜の花

 今年は宇宙の神秘と暦の悪戯で、124年ぶりに3日の節分が2日となり、昨日は春の始まりを告げる立春でした。今年の冬は特に北日本で積雪が多く、千台を超える車が高速道路で立ち往生し、その処理に自衛隊に派遣要請が出たり、除雪作業中に亡くなった人も沢山いるようで心が痛みました。

昨日の愛媛新聞に紹介された閏住の菜の花

 歳をとると寒さは苦手で、特に新型コロナの影響で日本全体に漂う暗い雰囲気がより一層寒さを感じさせています。それでも季節は巡り、昨日の愛媛新聞にはこの時期すっかりお馴染みとなった、閏住の菜の花の話題が取り上げられ、facebookには沢山の書き込みコメントが載っていました。

 先月下浜の水仙が新聞で紹介された時もそうでしたが、長年双海町の花づくりに関わっていることを知っている仲間や友人から、相変わらず花見のついでに煙会所や人間牧場へ立ち寄りたいというリクエストが届き、嬉しいことながら多少戸惑いも感じつつ出会いを重ねています。

 昨日は少し遠い宇和島から、5人の熟女たちが菜の花を見て松山へ行くついでに、私の顔を見たいので立ち寄りたいと、立ち寄った妹の経営する「くじら」というお店から電話が入りました。運よく在宅だったものの、家が分かりにくいので迎えに出て欲しいとか、庭に干している切り干し大根が欲しいとか、また家庭菜園のブロッコリーや大根が欲しいとかねだられ、楽しいひと時を過ごしました。春は出会いの季節でもあります。

「地元紙に 閏住菜の花 載りました 早速あれこれ 話題沸騰」

「閏住の 菜の花畑 近くある 妹の店 まるで取次」

「ついでだと 理由をつけて やって来る おばちゃん連中 土産ねだられ」

「待ち遠しい 節分立春 やって来た 黄色菜の花 何かワクワク」

 

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〇こそ丸という薬の裏話

 刑務所に服役している人も私たちと同じように風邪を引いたり、お腹が痛くなったりします。その都度刑務官に申し出てお薬を貰って飲むそうですが、その薬代は全て国費で賄われるため仮病を使う怠慢な服役者もいて、病気かどうか外見上は見分けがつかず、薬代が運営費を圧迫するので、飲んでも害にならない小麦粉をオブラートに包んで偽薬を作り飲ませたところ、薬だと信じて飲んだ80%の服役者に薬が効いたそうです。

こそ丸の容器

 これはある創作落語「小麦粉も信じて飲めばお薬に」の一節ですが、私の愛用し持ち歩いている「木になるかばん」の中に、「こそ丸」という薬入れのプラスチック容器が入っています。ラッパのマークの胃薬「正露丸」を思わせる「こそ丸」というこの薬は、数年前友人から貰った物です。新聞の片隅に「夕方のテレビニュースでこそ丸のことが紹介されると、申し込みが殺到し売り切れた」という話でしたがその数日後、広島に住む親しい友人が一個送ってくれました。

こそ丸の効能書き

 届いたこそ丸のキャップを取るとお薬らしきものは入っておらず、A4の効能書きが出てきました。薬品名の由来「親がおればこそ、子がおればこそ、主人がおればこそ、妻がおればこそ、友だちがおればこそ、写真がおればこそ、社長がおればこその『こそ』です。」の横に、「錠剤が見える人と見えないひとがいます」と書かれていました。なるほどと納得して効能書の成分(愛情、謙虚、感謝、元気、但し配合・割合については企業秘密)、薬の効果、服用の仕方、副作用、お値段(105円)、追記、製造(財団法人操風会岡山旭東病院)と書かれた文章を読みました。

 最後の「特許」森岡まさ子(広島府中市上下町MGユースホステル創始者・平和の伝道師)を読んで納得しました。森岡さんは既に他界していますが晩年上下町で出会い、「会う人も会う人も福の神」と書いたハガキをいただきました。以後私はこの言葉が好きで、自分の出版した「昇る夕日でまちづくり」や「今やれる青春」という本にサインを請われるとよく書き、毎日3枚書いているハガキにもこの言葉を好んで書いています。人は目に見えるものを見ながら生きていますが、目に見えない心情も大事で、目に見えない優しさや想いを持つと人生は豊かな心で生きられるのです。

 2日前、西条市中央公民館で開かれた地域教育東予ブロック集会開会式でいきなりあいさつするよう指名され、思いつくまま木になるかばんから「こそ丸」の容器を取り出し、「コロナ禍における今こそ目に見えない大切な忘れ物に気づこう」とアドリブながら話しました。取るに足らない私の話でしたが、どうしてどうして参加して私の話を聞いた高校生など多くの参加者から、「目に目にない大切なものに気づかされた」と10指に余る心温まるメールをいただきました。こそ丸という薬の裏話でした。

「わが愛用 木になるかばん 入れている こそ丸薬 これがおもろい」

「友人に 貰ったこそ丸 容器には 効能書きのみ 薬が見えぬ」

「集会の 開会式で こそ丸の 話をしたら 沢山反応」

「本当は 見えるものより 見えぬもの 大事と教え 納得しつつ」 

 

 

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〇外反母趾の手術予約

 昨日は地元の整形外科で書いてもらった紹介状と、レントゲン写真データーを持って、予約済みの愛大附属病院へ行きました。予約ながら月曜日ということもあって、病院ロビーには沢山の患者さんで混雑気味でした。予約時間12時30分の30分前に受け付けを済ませるよう指示を受けていたので少し余裕を持ち、自宅を10時過ぎに出て東温市の病院には少し早めに到着しました。

愛大附属病院の整形外科受付

 初めて受診する病院なので診察券を作ったり問診をするのに少し時間がかかりましたが、いつものことながら予約済みとは言えど、診察したりCTやレントゲン検査などつなぎの待ち時間が長く、診察を終えたのは午後3時過ぎを回っていましたが、これから主治医となるであろうお医者さんと、今後のスケジュールを打ち合わせを終えホッと一息といったところです。

 診察の合間の待ち時間に、手持ちのタブレットで自画像を撮り、「止まった時間」と題して心情を吐露しfacebookにアップしたところ、多くの人から心温まるお見舞いや心配の書き込みをいただき、予想以上の人騒がせに恐縮してしまいました。先生の話によると私の左足の外反母趾は手術しか回復の見込みがなく、8月6日に手術の日が設定されました。他の人の手術が立て込んでいて、私の順番はまだ半年も先のようです。

 手術は約1時間半全身麻酔で行うとのこと、ギブスをはめて2週間入院し、その後地元の他の病院へ転院して2週間過ごし、完治するのには退院して1ヶ月間くらいかかるとのこと、気の長い治療です。自分ではまだ若いと自負していても後期高齢者のレッテルはぬぐえず、回復に時間がかかることも覚悟しなければなりません。8月といえば猛暑の夏、「避暑旅行と思ってゆっくり治そう」とは妻の言葉でした。

「紹介状 持って病院 訪ねたり 診察待たされ 意気も消沈」

「半年後 手術の予約 入れました 今年の夏は 覚悟の日々に」

「冷房の 効いた病院 避暑旅行 そういう考え あると思えば」

「松葉杖 ついた自分の 身姿を 想像しつつ 病院後に」

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〇第5回地域教育東予ブロック集会(その2)

高校生発「私たちの地域づくり」~かかわりをチカラに つんがりをカタチに~」は、シンポジウムとインタビューダイアログの2本立てでした。前半のシンポジウム「高校生もガンバッテマスヨー」では、県立西条農業高校の石黒黒茶伝統文化伝承プロジェクトと、県立伯方分校の生徒会チャレンジの2事例の発表があり、コーディネーター西山さんの笑いを誘う楽しい進行で大いに盛り上がりました。

 後半のインタビューダイアログでは、「Withコロナ時代のコミュニティスクールと地域学校協働活動」をテーマに、小松立志隊と新居浜泉川校区コミニティスクールの事例が紹介されました。吉田さん・山中さん・明瀬さんの3人がインタビュアーとなり、途中参加者が持っているスマホのQRコードを使うバーチャルリアルの新しい試みもあって、楽しいひと時でした。

 私には県内外に友人知人が沢山います。この日壇上に上がったFeice Book仲間の篠原茂さんもその一人で、日常的にメールのやり取りをしています。篠原さんは市会議員さんながら長らく泉川地区の地域づくりやコミュニティスクールに深く関わり、今も美化活動や読み聞かせ活動を日常的に行っていて、頭の下がる思いで日ごろの精力的な実践活動の様子を見ています。これだけ親しいのに篠原さんの話をじっくり聞いたのは初めてでしたが参考になるお話でした。

 予定通り午後4時40分に閉会し、中尾さんの車で感想を述べあいながら帰途につきました。途中車の行く手に真っ赤な夕日が見え、ふたみシーサイド公園とともに恋人の聖地に選定されている伊予灘サービスエリアに立寄り、記念碑などを見学しながら日本一と自認する双海の夕日に思いを馳せました。春になるとツツジが美しく咲くJR高野川駅のすぐ目の前に住んでいる中尾さんの家からは、こんな海に沈む綺麗な夕日が日常的に見え、わが家からも夏になると同じように夕日が見える幸せ話で大いに盛り上がりました。

「人の声 人の笑顔は 久しぶり マスクをしてるが みんな納得」

「今時の 高校生は 凄いねえ 昔は悪ガキ いっぱいいたが」

「少子化で 学校存続 危ないと 警鐘鳴らせど 右肩下がり」

「メル友の 話初めて 聞きました 熱弁感心 大きな拍手」 

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〇冬場のコロナに負けない体力づくり

 新型コロナの影響で、感染を恐れて戸外や病院にも行けず、運動不足とコミュニケーション不足になって、むしろコロナよりそのことの方が心配だと警鐘が鳴らされています。この話を聞いて自分の日々を振り返りながら、高齢者の域に達している私も他人事ではないと大いに反省しました。

 この一年、私の身の回りにも異変が起こり、県外から来ていた講演依頼予約はことごとくキャンセルになりました。加えてイベントや集会も中止が相次ぎ、最近になって復活の兆しはあるものの、不用不急の外出を避ける世情もあって、生活のバイオリズムが一変しています。

 それでも1・10・100・1000・10000~運動だけはしっかりと肝に銘じ日々積み重ねて実践している私自身の努力と、栄養管理をしてくれている妻のお陰で、体調に変化は見られずすこぶる元気に暮らしています。そんなこともあって少し体に負荷をかけようと、軽四トラックに大2個小5個のプラスチック植木鉢を積み、裏山へ腐葉土を取りに出かけました。

 腐葉土の溜った場所の枝木や小石を熊手で取り除き、平スコップで植木鉢に入れて荷台に乗せる作業は一人ゆえかなり難儀をしましたが、1時間ほどの作業で何とか腐葉土をゲットし自宅に持ち帰りましたが、一輪車で運ぶのも重たくて一苦労でした。間もなく土が落ち着いたらドングリから育てたクヌギの苗木をプラスチックの植木鉢に移植する予定で、カブト虫を飼育している息子の展示会用デスプレイとして利用する予定です。お陰様でい汗をかきました。

「コロナ禍で 体力落ちる 高齢者 コミュニケーション 不足も心配」

「他人事じゃ ないよね私 高齢者 気力体力 落ちないように」

「意気込んで やっては見るが 足腰堪え 痛み感じる」

 

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〇冬(すいせん)と春(菜の花)が同居の花二題

 歳を重ねると冬の厳しい寒さは苦手で、春が待ち遠しい今日この頃ですが、双海町を代表する春の花は何といっても閏住の菜の花です。国道378号とJR予讃線の間の斜面に咲く黄色い菜の花は見応えがあり、写真写りがいいことから沢山の人が花見にやって来ます。昨日人間牧場へ梅の苗木を植えに出かけた帰りに、妹のお店くじらに立寄ったついでに見ましたが、5~6分先といったところで寒い北風が吹いているにもかかわらず、何台もの車が止まって、菜の花を見ていました。

見ごろを迎え始めた閏住の菜の花

 今年の冬は寒い日と新型コロナの感染が続き、双海町の冬の花である水仙も今一訪れる人が少ないようですが、寒い分水仙の花持ちがよく、普通の年だとそろそろ終わるのですが、今年は今が満開で、豊田漁港の見えるわが家の畑周辺にも沢山の水仙の花が咲いて、馥郁とした香りを漂わせています。見る人もなくひっそりと咲きひっそりと散ってしまう野生の水仙は、晩秋のツワブキの花とともに味わい深く、毎年1人で花見を楽しんでいます。

今を盛りと咲く芳しい水仙

 今年は新型コロナの影響で、大々的な水仙まつりも菜の花祭りもすることができませんが、中止して初めて気づいたこともいっぱいあって、来年こそはまたみんなで町を盛り上げて行きたいと思っています。昨日は何本かの水仙を切ってわが家へ持ち帰り、玄関に活けてもらいました。いい匂いがしています。

「春間近か 閏住菜の花 色づきて 時折通る 気動車ローカル」

「歳とると 寒さは苦手 春よ来い 黄色い菜の花 元気を貰う」

「水仙は 今が満開 野生花 見る人もなく ひっそり咲いて」

「何本か 水仙切って 持ち帰る 玄関行けて 厳寒楽しむ」

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人間牧場

〇水仙まつりについての学習会

 2~3日前由並小学校のM先生から電話が入り、「小学3年生の授業で双海町の水仙まつりについて調べているので、かまわなければ学校に来て、調べている児童3人の前で話して欲しい」と頼まれ一も二もなく引き受け、約束通り午前9時に学校へ出かけました。車で5分前に到着しましたが児童3人とM先生が玄関先まで出迎えに出ていて、案内でストーブのついた談話室へ入りました。

由並小学校の児童と水仙まつりについて話し合いました

 Sちゃん、Tちゃん、Nちゃんの3人はいずれも私が実行委員長を務めている子ども体験塾のメンバーなので、日ごろから町内で出会うと手を挙げ笑顔で声を掛け合っていて、早速質問攻めにあいました。双海には水仙や菜の花、ツワブキ、ツツジ、アジサイ、桜などが四季を通じて咲くこと、中でも水仙は一年中で一番寒い時期に咲くこと、花を見に当該の人にも来て欲しいと20年前に水仙まつりを、道の駅シーサイド公園で開き沢山の人が訪れ今も続いていること、水仙まつりは花の会の人などみんなで相談して、花を売ったり色々な工夫を凝らした楽しいイベントになるよう努力していることなどについて話してあげました。

 3人のみんなが生まれる前、何もない海を埋めてシーサイド公園を造る夢の計画を立て、阪神淡路大震災が起きた25年前公園が出来たこと、双海の顔となった道の駅シーサイド公園もの時の流れの中で老朽化したのでリニュアール工事をしているため水仙まつりが中止となったこと、来年はみんなの力で水仙まつりを再開したいことなども付け加えましたが、子どもたちの心にどう響いたことでしょう。

 子どもたちと出会うといつも元気を貰います。双海町もご多分に漏れず少子高齢化が進み、加えて新型コロナの影響で人と人の出会いの場も少なくなっている昨今ですが、今年も寒風の中町内のあちこちには水仙が今を盛りと咲いて、馥郁とした香りを漂わせています。子どもに学び自然の素晴らしさを感じた一日でした。

「小学校 馴染みの先生 電話入る 水仙まつり 話聞きたい」

「一も二も なくいいですと 引き受けて ノコノコ学校 出かけて話す」

「迎え出た 児童3人 顔馴染み 和気あいあいで 質問応え」

「コロナ禍で 沈んだ空気 気になるが 子どもは元気 力を貰う」

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