人間牧場

〇稲わらが届きました

 先週の日曜日、外出から帰ると、玄関先の庭に稲わらが置かれていました。昨年も届いたので多分元地域おこし協力隊の本多さんが届けてくれたのだろうと思い、電話でわざわざ自宅まで運んでもらったことのお礼を言いました。

親友が届けてくれた稲わら

 早速居合わせた息子が手伝ってくれ、稲わら小束をビニール紐で4つほどの中束にまとめ、倉庫の前に運びました。天気も安定しているのでこのまま今週中は風を入れて乾燥させ、納屋にしまって来年のスイカの下敷きわらに使う予定です。

 最近はコンバインの普及で稲わらは稲刈り時に細かく切り刻まれて田んぼに返されるため、長いままのわらが手に入りにくく、面倒くさいので嫌がられますが、稲木に干した稲わらを今年も備蓄することができました。

 お百姓さんではないので、一年間にどんな農作業があるのかよく分からぬまま家の横の家庭菜園で、草や病害虫と格闘しながら、無農薬にこだわって野菜つくりをしています。いいこととお出来ることは違う落差の中で、これからも体の動く限り楽しみながら野菜を作ろうと思っています。

「今年も 友人稲わら 自宅まで 届けてくれて ほっと一息」

「最近は コンバインにて 稲わらも 小切り田んぼに 確保難し」

「来年も 美味いスイカ 作れそう 百姓まがい 余生楽しく」

「いいことと 出来ることには 落差あり 一喜一憂 今後も続く」

 

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人間牧場

〇今年もドングリ種を蒔く

 実りの秋となりました。最近は稲刈りも果樹の稔も極早生系が出回るようになって、いつが旬なのか分からない有様です。しかし人間が手を掛けれないドングリや椎の実などは、温暖化などの気候の変動で多少前後はしますが、昔と同じような実りを繰り返しているようです。

ドングリの実
ドングリを蒔く息子
ドングリを蒔き終えた畑

 息子がカブトムシの配布を始めたことがきっかけで、里海里山に興味を持つようになり始め、3年前から落葉樹クヌギの森を作ろと思い立ち、ドングリを拾い、プランターに蒔いてみました。色々試行錯誤しましたが、直播が一番効果のあることが分かり、以来果樹園の隅の畑を耕し昨年から苗作りを始めています。

 今年も松山の護国神社横の万葉苑の世話をしている藤原さんが昨年に引き続いてドングリの実と栃の実を拾ってくれ、息子も友人と近所の森でドングリを拾って帰りました。害虫予防のため2~3日水に浸け一昨日の日曜日、中耕した畑に息子と二人で5畝ほどドングリを蒔いてみました。

 息子はカブトムシ由来のドングリ銀行を作ってこれらの苗を配布し、荒れた里山に植えてもらう算段ですが、わが港の見える丘の植林や下草刈も、私の外反母趾手術入院という思わぬハプニングで思うに任せぬ一年となりました。はてさて里山運動の行方は?、また思い通りになりにくい試行錯誤の地域づくりが待ち構えています。

 

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人間牧場

〇誕生日の一日

 今年は私の誕生日と日曜日が重なりました。朝から誕生日の祝意電話が鳴り、携帯をしながら家の固定電話の子機を持って居間を右往左往していましたが、午前10時ころ妻の実家である八幡浜へ出かける所用があり、妻と二人で少し足を伸ばし、佐田岬頂上線を走り、伊方町瀬戸に住む妻の高校時代の同級生であり、ご主人は商工会経営指導員をされていた奥山さん宅を訪ねました。久しぶりにお茶を飲みながら思い出話や近況に花を咲かせました。

 その後堀切を越えて瀬戸内海側三机から宇和海側塩成に出て、緒方さん宅を前触れもなく訪ねました。緒方さんは2日前の金曜日、誕生日祝いの花束を西岡さんと二人でわが家まで届けてくれた方なので、そのお礼方々の訪問でした。運よく緒方さんは在宅で、ご主人も近くで草刈り作業をしていて、手を休めてもらいお話をすることができました。緒方さんの家の背後には掘り切りに架かったアーチ式の橋が見え、とてもロケーションのいい場所にあります。

 堀切という地名が示す通りこの地は江戸時代のこの、岬で一番のくびれの場所なので、堀割って運河を造る夢のような話が持ち上がり、民・百姓に命令が下り着工したようですが、余りにも無謀な計画で、多くの人が犠牲になりました。緒方さん宅の裏にはその人たちを供養する小さな社が祀られていて、緒方さんたちが大切に今も供養を続けているようでした。

 その後八幡浜市内まで戻り、妻の実家に立寄った後「あたご」という料理店に入り、妻と二人でささやかな誕生祝をやりました。4人兄弟の3番目に生まれた妻も縁あってわが家に嫁いできてから早いもので、今年で50年の月日があっという間に流れました。妻の母親が旧瀬戸町川ノ浜出身、私の祖母も瀬戸町小島の出身です。わが家のDNAは三崎半島ゆえなるか、訪れる度にどこか懐かしさを感じています。

「誕生日 妻を誘って ドライブに 岬半島 天気上々」

「同級生 いつの間にやら 減り続け 僅かな人の 元を訪ねる」

「三日前 花束貰った お礼にと 掘り切りアーチ 見えるお宅へ」

「佐田岬 妻と私の DNA どこか懐かし そこここ感じ」

 

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人間牧場

〇木の根っ子

 今年は台風の大風で人間牧場のスモモの木が2本倒木、家の果樹園の甘夏柑の木が2本枯死と相次いで短い寿命を終えました。スモモの木は息子の手助けを得てとりあえず枝葉を切り、畑の隅に隅にうず高く積んでいて、そろそろ暇を見て焼却処分したいと思っていますが、甘夏柑はチェンソーで根元から伐採して片付けたものの伐根が残っていて、昨日地堀鍬やスコップで根っ子周囲の土を掘って伐根作業をやりました。

難儀をして伐根した甘夏柑の木の根っ子

 病害虫に強い甘夏柑ですが、一年中果実を樹上にならして必要に応じて果実を収穫しているため、かなりのダメージがあるようで、そろそろ根元に牛糞などの施肥をしてケアーしたいと思っていますが、今回枯れた2本の木は根元にマダラカミキリ虫が入った枯死のようでした。どんぶり鉢ほどの大きさの根元切株も、土を掘ってみると四方八方に根を張って、大地にしっかりと生きていたことがよく分かり、一つひとつの根を剪定鋸で切り、やっとの思いで伐根することができました。

 樹木の根は、土中から水分や養分を吸い取り、地上に茂った枝葉や果実に養分を与えて生きています。根がしっかりしている木は枝葉も見るからに元気で、沢山の実をならしますが、少し弱ると色々な兆候が現れます。わが家は基本的に冬のマシン油を年に一度散布する程度の防除しかしないため、農薬防除をしないと柑橘類は中々難しいようです。伐根して更地になった場所は耕運機で中耕し、畝を立てて息子が拾って来たドングリの実を蒔く予定です。

「果樹園の 甘夏柑が 2本枯れ 伐採伐根 中々骨折れ」

「小さいが 根は八方に 広がって 往時偲びつ 鍬・鋸土中」

「木が元気 根元元気が 基本です これが中々 素人ゆえに」

 

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人間牧場

〇目にはさやかに見えねども・・・

 台風16号が日本列島をかすめて通りました。伊豆諸島や関東では強風が吹き荒れ大雨による被害もあったようですが、こちら四国では連日好天が続いて、10月だというのに連日日中は30度くらいまで気温が上がり、しまいかけていた半袖シャツを着たり、朝晩は長袖シャツを着たりとちぐはぐな服装を気にしながら毎日です。

柿の葉っぱが色づき、お皿に盛って秋を楽しんでいます

 暑い日中ですがそれでも朝晩は20度を下回るようになり、眼にはさやかに見えねども秋の足音は少しずつ強くなって、昨日は友人がどっさり秋の味覚栗を届けてくれました。また瀬戸金時の産地伊方町瀬戸からは焼き芋が届き、昨日の昼はご飯を食べずに妻と二人で茹で栗を包丁で半分に割り、サジですくって食べたり、焼き芋を「美味しいねえ」と言いながら、栗屁・芋屁を気にもせずたらふく食べました。

 道端には裏の柿の木の葉っぱが色づきいて落ち、いよいよ秋本番です。色づいた柿の葉っぱは綺麗に水洗いしてお皿の上に乗せ、焼き芋と茹で栗を乗せると、とても綺麗な料理に変身しました。たった一枚のたかが柿の葉っぱですが、されど工夫次第で食卓に彩りを添えてくれました。道端で摘んだつゆ草を一輪挿しに差し、無骨ながら季節を楽しんでいます。

昨日の夕日も最高でした

 昨日は秋の夕日が見たいという2人の女性とシーサイド公園で落ち合い、スリーショットの夕日鑑賞会となりました。2日連続の夕日物語レクチャーでしたが、2人とも綺麗な夕日に感動したようでした。週間天気予報によると夕日の見える天気は当分続きそうです。修理して回復したたポンコツの単車に乗って、心地よい秋の風をいっぱい受け西に東に走っています。

「秋季節 目にはさやかに 見えねども 道端落ちた 柿の落葉に」

「栗と芋 柿の葉敷いた 皿に盛る 妻と二人で 秋を満喫」

「日本一 自慢の夕日 見せたいと 二人女性に 熱弁サービス」

「忙しく 日々を暮らして いるけれど 気持ち次第で ゆとりや季節」 

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人間牧場

〇夕日夕焼け物語

 27年前シーサイド公園を造る時、色々なことを考え構想の中にちりばめました。その構想も脆弱な町の財政事情もあって思うにまかせず、多くの反対や挫折が行く手を阻みました。しもなだ運動公園と潮風ふれあい公園とシーサイド公園という3つの公園整備を同時進行したため、寝る間を惜しむほどの忙しさでしたが、今思えばよくもまあこんな大事業をやったものだと呆れています。

 あれから27年のがあっという間に過ぎました。3つのハード施設はそれぞれの特徴を生かし試行錯誤しながらそれなりに人々の暮らしの中に溶け込んでいます。多分同時進行した夕日や花やほたるなどのソフト事業がなかったら、平成の大合併によって埋没していたに違いないと、異論はあってもある意味やったことの方向だけは間違っていなかったと、思いを巡らせています。

 この時期は夕日が美しい季節です。大型の台風14号が日本列島をかすめるように北上していますが、わが町には影響もなくこのところ天気が安定し、毎日のようにシーサイド公園からは日本一と自認する秋特有の夕日を監守することができるのです。修理して乗れるようになったポンコツ単車に乗って、連日夕暮れになるとタブレットとハーモニカを持ってシーサイド公園へ夕日を見に出かけています。

夕暮れ時の酔芙蓉も綺麗です

 昨日は童謡の小路に設置している歌詞を刻んだ石板の前で、まるで大道芸人のように下手糞ながらハーモニカを吹いていると、何人かの人が集まって来て、拍手をしてくれました。おひねりまではいただきませんでしたが、夕日夕焼け物語に哀愁を帯びたハーモニカの音色は良く似合います。天気が良いようなので、今夕も出けてみようと思っています。

「早いなあ あれから20 有余年 3つの公園 それぞれ趣き」

「色々な ことがあったが それなりに 町に定着 思い出深い」

「秋の頃 夕日夕焼け 物語 ハーモニカ吹く 音色似合って」

「酔芙蓉 白からピンク 色変えて ひっそり咲いて 夕日連れ添う」

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人間牧場

〇思わぬ路上ミニミニ講演会(その2)

 学生との打ち合わせを終え、八幡浜市保内町川之石まで同乗する予定の安倍係長の迎えの車を、堀之内にある県立美術館前の広い芝生公園から、秋空に映える松山城を眺めて待っていると、周辺の落葉をボランティアで掃除している10人程の一団に出会いました。最初に出会ったおじさんから私の顔を見るなり、「双海町の若松さんじゃない?」と声を掛けられました。見覚えのない顔だったので、「はいそうですが?」と返事をしながら私の頭の中のカンピューターで、「はて誰だったか?」必死に思い出そうとしましたが、残念ながら物忘れの領域から抜け出すことは出来ませんでした。

堀之内芝生公園から松山城の天守閣や二の丸公園を望む風景

 

この付近の路上で恥ずかしながらミニミニ講演をしました

 すると周辺で掃除をしていた何人もの人が、「あんたの講演を聴いたことがある」「面白い話だったことを覚えている」などと口々に声を掛けながら集まってきました。背中に「年金協会」などと書いたジャンバーを着ているので、年金友の会へは何度もお話に出かけているので、一人一人の顔は不特定多数ゆえ覚えていないもののしっかりと思い出しました。そのうちリーダーと思しき人が、「休憩するのでみんな集まって」と号令を掛けました。熊手やテミを持ったまま参加者は、通行人の邪魔にならぬようベンチや縁石に腰を掛けました。リーダーがいきなり「若松さんお願いがあるのですが」と唐突に切り出しました。

 「せっかくの機会なので、これから5分間差し上げますので、この場でみんなにお話をしてくれませんか。講演料はハイこの飴玉一個です」とねだられました。「何が何でもそれだけはご勘弁を」と思いましたが、折角の頼み事ゆえ、全員の大きな拍手に迎えられ、こともあろうか路上での「路上ミニミニ講演会」と相成りました。爆笑を誘うような私の話はたった5分間でしたが、頼む方も頼む方、頼まれる方も頼まれる方です。時折通る通行人も「何事?」と横目で見ながら通りすがって行きました。話が終わり全員の大きな拍手を受けてお礼の飴玉一個を貰いながら、「はて?、私は何をしに来たのだろう」と我に返りました。運よくそこへ安倍係長さんが車で到着し、手を振ってその場を離れました。だ・と・さ・・・でした。(大笑い)

「堀之内 落ち葉掃除の ボランティア 顔見知り人 声を掛けられ」

「この場にて 5分間だけ 講演を 飴玉一個で せよとねだられ」

「思いつき 笑い話を 5分間 路上座った 観客爆笑」

「はて?私 何をするため この場所に? まるで夢でも 見ているようだ」

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人間牧場

〇コスモスの咲く頃

 気がつけば今日は9月29日、今日と明日の2日間で9月も終わりです。大まかなくくりだと1~3月は冬、4~6月は春、7~9月は夏、10~12月は秋なのですが、11月に年賀状の発売があったりして、季節を先取りするせっかちな日本人ゆえ、また最近は気候変動が激しくて、どこまでが春夏秋冬なのか分かりにくい感じがしています。いずれにしても時の流れは休むことなく、後2日で一年の4分の3が終わるのです。

妹が持って来てくれたコスモスの花

 昨日町内に住む妹が庭に咲いているコスモスの花を切り花にして持って来てくれました。毎年のことながら嬉しい花のプレゼントでした。早速妻は花器を用意して水を入れ玄関先に活けてくれました。妻はお華を習っているので、玄関には花が常時活けられていますが、花持ちの悪い夏場だけ休むため、どことなく殺風景だっただけに、すっかり華やいだ雰囲気になりました。

最近は毎年近場の花処を探して妻と二人で出かけるようにしていますが、新型コロナの影響で不用不急の外出自粛のため、どこにどんな花がいつ咲いているのか?、分からぬままに秋を迎えています。去年はヒマワリ、今年は朝顔や紅芙蓉がわが家にも沢山咲いて、居ながらにして花を楽しむことができましたが、感染者数も減少しつつあるので、紅葉などの情報を仕入れ行く秋を存分に楽しみたいと思っています。

 自粛が解除されるとこれまで中止や延期が続いていた諸行事が再開され、一気に忙しくなりそうな雲行きです。4~6月、7~9月を、外反母趾の手術と庭木剪定中の落下事故で棒に振ってしまいましたが、2日後に始まる最後の四半期3ヶ月でしっかり修正し、いい1年にしたいと意気込んでいます。くれぐれも健康第一、家内安全で・・・。

「あと2日 9月も終わり 早いなあ そんな気がする 今日この頃です」

「2基3期 病衣機や怪我で 棒に振る 4期こそはと 再起を誓う」

「妹が コスモス半束 プレゼント 早速妻は 玄関活ける」

「玄関が パッと明るく なりました 朝夕涼しく 秋の気配が」

 

 

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人間牧場

〇息子と草刈り機

 これまで殆ど私だけの専有物だったチェンソーや草刈り機、耕運機などの機械類を、長男息子使い方も知らないまま丸かじりで時々使うようになりました。機械類は便利な反面危険も伴うので、心して使うよう注意をしていますが、傍から見ると慣れていないので危なかしい感じがしています。それでもいつもついて見ることができないので、そろそろ一人立ちのようです。

息子が持ち帰った草刈り機

 わが家には草刈り機が2台あります。もっぱら使うのは1台で、息子は中山十彩会のメンバーとヒマワリやコスモス、トウモロコシなどを作っていますが、その度私愛用の草刈り機を持って行ってしまうので、息子専用の草刈り機が欲しいと思っていました。設計の仕事をしている息子は現在西条の現場を担当しているらしく足繁く通っているようですが、2日前一台の草刈り機を手に入れて帰りました。

 わが家の草刈りは平地など殆どなく、急峻な地形のため、U字型にアームが出ている草刈り機は使い勝手が悪いので、右手で支え左手でエンジンを操作できるタイプが必要ですが、息子が手に入れた草刈り機は、ピッタリの仕様でした。早速タンクに混合油を入れて始動してみましたが、総重量も軽く使い勝手がいいようです。

 自宅横や人間牧場周辺で農作業を手伝ってくれる度に、「お父さんのやってる作業は大変で、『やがてお前の番だ』と言われても僕には全てを引き継ぐことは出来ない。少し規模を縮小しないと・・・」と少し弱気な発言をしています。息子が言うように私はこれまで忙しい仕事の傍ら、自宅周辺や人間牧場周辺の草刈りなどの農作業を何とかこなしてきましたが、年齢的に少し限界を感じるようになっています。さてどうするか?。いいこととできることは違うので、手を広げ過ぎた身の回りをそろそろ考える時期になったようです。

「わが息子 草刈り機一台 手に入れて 少しやる気が 出来たのかしら?」

「ついポツリ 親父のようには 出来ないと 三行半を 突きつけられる」

「このところ 相次ぐ体 不調にて 後手後手回り 身の周りゆえ」

「これまでは 何とかしのぎ きたけれど これから先は 規模縮小も」

 

 

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人間牧場

〇食用菜花の種をいただく

 先日わが家を訪ねて来られた新居浜の野本敏久さんから、封筒に入れた食用菜花の種をいただきました。所用で高知県へ行く度に盛んに作られている菜花を見て、一度は家庭菜園で作って食べてみたいと思っていましたが、野本さんは何かの折双海の菜の花畑にまつわる逸話を私が話したことをしっかり覚えていていたようです。

息子の力を借りて中耕と種蒔きを終えた菜花

 種には蒔き時があって、早く蒔かないと時機を逸してしまってはと気が焦るものの、先日の庭木剪定中の地面落下で畑の片付けや耕運機での中耕ももできず、とりあえず昨日休みで家に居た長男息子に、夏野菜オクラの片付けと耕運機での中耕を頼み、快く手伝ってくれました。2日前に修理が治って戻って来ていた耕運機の、試し運転も順調で深く中耕することができました。

 早速畝を2つ立て、ステンレスの棒で1畝3筋の溝を掘りました。かがむとまだ背中に少し痛みが残り多少不安なので、息子に種蒔きまで頼んでしてもらいました。蒔いた溝に薄く土を返し、ジョロでたっぷり水をやりました。これで完璧で、4~5日もすれば発芽するものと思われ、その状況を種をいただいた野本さんにも伝えようと思っています。

 種の入った封筒に鉛筆で走り書きのメモがありました。「なばな(食用)、九州で開発された由、平成28年・4、高知・武井道夫先生から受領、令和3・7の種」と書いていました。家庭菜園で野菜を作っていると、近所や仲間から色々な野菜の種や苗をいただきます。せっかちな私は野菜に花が咲き、それが種になるまで我慢して置いておくができず、結局種取りには至りませんが、この種にまつわる人の想いも含めて大事に育てたいと思っています。

「封筒に 菜花の種が 入れられて わが家嫁入り 種蒔き算段」

「この私 あいにく体調 今一で 息子の力を 借りてあれこれ」

「種蒔いた 畑たっぷり 水を遣り 後は芽吹きを 期待しながら」

「せっかちな わしは種を 取るなんて 待てない性格 改めるべき」

 

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