人間牧場

○やっと退院です

一年の締めくくりの年の瀬となり、お正月を4日後に控えた28日の今日、念願叶って退院することが昨日の夕方決まりました。越年入院を覚悟していただけに、病後の体調は気になるものの早速退院の準備を始めました。妻にその旨を電話で告げ、昨晩のビデオ電話では若嫁や孫二人も喜んで帰りを待っていると言ってくれました。

一昨日の夜は尿管を抜いた直後だったので夜中中1時間おきに尿意をもよおし、眠れぬ一夜を過ごしましたが、昨日から昨晩、そして朝にかけて容体も安定しひとまず安心といったところです。前回の外反母趾手術と違い、短期の入院だったので、病院の窓越しに見える松山城や道後界隈の街並みに目をやり楽しむ余裕など殆どありませんでしたが、今日本列島は数年に一度という厳しい寒波に見舞われ、近畿や北陸、山陰ではかなりの積雪があるようだと、テレビのニュースで連日放送しるようです。

真新しい、まるでホテルのような病院の空調は完璧で、寒かろうと入院前に娘がクリスマスプレゼントに買ってくれた軽くて暖かいジャンバーも、結局は着ると暑いので脱いだまま過ごしています。はてさて退院後のわが家の気温がどの程度病後の体調に馴染むのか想像がつきませんが、風邪を引かないよう暖かくして過ごしたいものです。入院時には若嫁が介添えしてくれ、退院の今日は、病院の近所に住む娘が迎えに来てくれる予定です。Facebookなどで励ましてくれた皆さん、お陰を持ちまして無事退院です。ありがとうございました。

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○自分の体内をカメラで覗く

自分の体の中を見るのは、大きく口を開けて鏡で見る程度で、また外反母趾手術をした部位の様子はレントゲン写真でしか見たことはありませんでした。手術の前手術台に寝かされた時、担当の技師さんが、「手術の様子を見ますか?」と言われました。前回の外反母趾の手術の時は全身麻酔だったので無意識のうちに手術は終わりましたが、今回は半身麻酔なので見ようと思えば見れるのです。

「私は見かけによらず小心者で見る勇気はありません」と断りました。やがて手術が始まりましたが、頭の上に設置された2台のモニターテレビに、膀胱内の様子や光ファイバーで次々と膀胱内の肥大部分が削ぎ落とされる映像が映し出され、見たくないのに見えてしまうのです。自分の目で自分の体内を映像で見たのは初めてなので、最初は衝撃的でしたが、そのうち手術をしている医師の会話も冷静に聞くことができました。

手術が終わると主治医の先生が、削ぎ落とした肉片を透明なプラスチックの容器に入れて見せてくれました。これだけの肥大部分が尿道口を塞いでいたそうで、手術は無事成功したようです。それにしても現代の医学はすごい進歩です。もし私が50年前、いやもっと近い20年前に今の年齢を迎えていたら、多分成すすべもなく死んでいたかも知れません。有り難い世の中になったことに感謝します。

 

 

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○私はおじいさん?

5日前日赤松山病院へ入院した際、私と入れ替わりで大部屋から退院していく親子に出会いました。縁もゆかりもありませんが儀礼として、「ご退院おめでとうございます」と声をかけるとお母さんが嬉しそうな声で「ありがとうございます」と返してくれました。その折、中学生と思しき一緒にいた退院するであろう子どもに、「これ、このおじいさんにちゃんとご挨拶しなさい」と頭を低くするよう軽く手で押し付けました。

どおってことのない会話でしただ、私のことを「おじいさん」と言われ少しショックを受けました。確かに私は77歳喜寿の世にいうおじいさんに違いはありませんが、せめてお世辞にでも「ぃ」をのけた、「おじさん」くらいには呼んで欲しかったのですが、見た目私は紛れもないおじいさんとなりました。

戦時中の歌に「♭村のはずれの船頭さんは今年60のおじいさん♯」と言うのがありました。その頃の日本人お寿命は60歳前後だったようです。今は寿命も伸び人生100歳までに生きれる世の中です。もう77歳ではなくまだまだ77歳です。おじいさんではなくおじさんと言われるような生き方をしたいものです。

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○クリスマスカードが届きました

世の中はジングルベルの音楽が鳴り響き、イルミネーションが輝いているだろうなと思いを馳せていますが、昨晩ラインビデオ電話で交信したところ、わが家ではクリスマスの料理が卓上に沢山並んでいて、家族でささやかなクリスマスパーティーをやっていました。小6と中2の孫曰く、「早く良くなって帰らないと美味しい料理が無くなるよ」でした。

昨日の夜は病院の夕食もいつになく豪華で、チキンやケーキまでついて大盤振る舞いだったと、負け惜しみを言ってやりました。昨晩は少し汗をかいたので看護師さんに頼んで体を熱いおしぼりで拭いてもらって今朝方寝間着を着替えさせてもらいました。その折手作りのクリスマスカードを手渡されました。何という嬉しい心配りでしょう!

この病棟には子どもさんも入院していて、昨晩はクリスマスプレゼントをもらい大喜びで廊下を走り回っていました。新型コロナの影響で家族のm3ンカイも許されず寂しい思いをしている患者さんを少しでも励まそうとしている看護師さんたちに心から感謝しました。

 

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○病院生活は暇です

早いもので入院してから3日間があっという間に過ぎました。病院生活は朝昼晩の検診と朝昼晩の食事時間以外は病室以外への移動も厳しく制限さてているため病院内へも余程のことがない限り出られず何もすることがないのです。ましてや新型コロナの影響で家族の面会やお見舞いも叶わず、縁起でもないと叱られそうですが、もし私が病院でなくなっても長年連れ添った妻とさえ会わずにあの世へ行くのです。

そんな中で心強いのはこの病院に感染症看護師として勤めている次男の存在です。次男はまつ山工業高校機械科を卒病後一旦就職していましたが、何を思ったのか看護学校に入り直し、まなぶかたわらイリュージョンという演劇集団に入る楽しく活動しました。日赤に入ると横浜の専門学校に9ヶ月間入り感染症の資格を取得し今に至っています。

昨日も医師から手術の経過と結果を聞き、妻や家族に連絡してくれたようです。50再間近になって頑張る息子に比べ私はあれやこれやと病気が見つかり、親としてなんとも心もとない話です。さあもうひと踏ん張り、息子に迷惑をかけぬよう頑張りたいものです。

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○ワードプレスのブログ復旧

毎日書斎の机の上に置いているパソコンでブログを書いていますが、今回は入院日数が短かそうなのでパソコンを持たずに来ました。ところが持参した代役のタブレットのや画面に表示するはずのワードプレスブログ表示が消えて使えなくなっていました。早速トラブった時の娘婿頼みでメールを入れ、無事復旧の運びとなりました。試験書き込みです。

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〇里芋をいただきました
 昨日下灘で漁師をしていた親類の叔父に、お歳暮を届けに出かけました。多かった漁師をしてた親類も殆ど姿を消し、この叔父が最後の漁師でこれまで沢山の魚をいただきましたが、91歳と高齢で既に船から降りているものの、伝馬船で建て網などを手慰みにしているので、帰りにメバルやホゴの冷凍魚を沢山いただきました。

沢山貰った里芋

 食べ切れないので近所に住む西岡さんと宮栄さんにお裾分けしてあげましたが、宮栄さんからはみかんやユズを沢山いただき、西岡さんからは発泡スチロールのトロ箱に山ほど里芋が届きました。これも一辺には食べきれないので畑の隅に穴を掘り、地中に埋めました。こうしておけば寒い冬で腐ったり乾燥することもなく、食べれるほど掘り出せるのです。

 しかし難点もあり、野山に食べるものが無くなる冬場は、イノシシなどが餌を求めて里へ現れるようになり、時には足と鼻で掘り返し食べてしまうのです。わが家の家庭菜園は、イノシシが入らぬよう金網で囲っていますが、2m以上もある東側の石垣をよじ登って来るイノシシもいて、安心はできないのです。煮物の美味しい季節になりました。西岡さんから貰った里芋はおでんにして、宮栄さんから貰ったユズはユズ大根にしてせいぜい楽しみたいと思います。今日は冬至ながら入院するためユズ風呂は楽しむことができないのは返す返すも残念です。

「親類の 叔父から建て網で 取った魚を 沢山貰う」
「食べきれぬ 魚を友人 お裾分け わらしべ長者 ないもの貰う」
「食べきれぬ 里芋畑隅 穴を掘り 埋めて保存の 術を知ってる」
「イノシシに 食べられぬよう 注意して 里芋料理 冬の楽しみ」

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〇やっと地下足袋が履けるようになりました
 自宅に隣接して家庭菜園があったり、人間牧場の草刈りなどがあるため、私はよく農作業をします。その折の履物は長靴ですが、長靴の中に草屑や土などが入って靴下が汚れるので、出来ることなら地下足袋を履きたいと思っていたものの、左足の外反母趾がひどくて履けずにいました。

左脚も綺麗に収まりました

 4月に入院して大手術をしてもらい静養に努めていましたが、このところ大分良くなったので、試験的に地下足袋を履いて作業をしてみましたが、手術した足も地下足袋に馴染んで、作業効率がはかどるようになりました。背丈は年齢と共に幾分縮み、体重も増減するのに、足の大きさだけは25.5㎝のままで、何年か前に買った地下足袋が都合よく履けるのです。

 地下足袋は足のつま先が親指とその他4本の指の2又になっていて、そのためしっかりと大地を掴むので、安定感があり疲れないようです。折角長期入院して治してもらった左脚なので、怪我をしない、無理をしないよう注意をして農作業をやりたいと思っています。昨日は夕方菜園に出てエンドウの垣をしましたが。先日ハンマーで鉄柱を打ち込む際、誤って右手親指を叩き、少しだけ血が滲みました。危ない危ない、安全が第一です。

「手術して どうにか治った 左脚 地下足袋フィット これで安心」
「地下足袋は 指先2又 故なるか 作業が楽で 便利重宝」
「怪我しない ようにと注意 しているが ハンマー親指 少し叩いて」
「これからは 歳を考え やらねばと 注意一秒 怪我は一生」

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〇人それぞれに悩みはあるようです
 最近出会う人から「お元気ですか?」と尋ねられ、「はい、何とか元気ですが・・・・」とお互い会話を交わすのですが、今年は余り元気でなかったため、嘘をつくこともできず「実は・・・」とやんわり切り出し、「今年は元気でもなく4月に外反母趾で入院手術をし、その傷が大分良くなった矢先、今度は庭木の剪定中登っていた脚立が倒れ、3m下に落下し、地球と衝突しました」。「その矢先今度は尿トラブルに・・・・」と、まるでテープレコーダーの再生ボタンを押したかのように、何度も同じような言葉を交わしています。

 「そりゃあ大変でしたね」と同情をしてもらいながら、「あなたは元気ですか?」と尋ねると、やはり私と同じように、「実は私も・・・」と同じような病気やけがの話を吐露するのです。特に年代が同じような人の「実は・・・」という言葉の続きには、「私も前立腺肥大で手術をしました」とか、「前立腺がんで手術をしました」などなどが登場し、「えっ、貴方もですか」と、長々と経験談を聞くのです。ああそうか、言わないだけで人には人それぞれ、多かれ少なかれ悩みはあるものだと実感しました。

 今朝も歩いていると知人に久しぶりに出会いました。その人は私のことを風の噂で聞いていて、単刀直入に「その後外反母趾は・・・。木から落ちて怪我をしたというが・・・。間もなく前立腺の手術で入院するというが・・・。」などなど、誰から聞いたのか私のことを事詳しく知っていて大いに驚きました。この知人は最近胃がんが見つかり、胃の3分の2を除けたそうで、その後回復基調にあって、今は大好きだったお酒も少しずつ復活して飲んでいるようで、「酒を止めるのなら死んだ方がましだ」と元気のいい話をしていました。体の都合で20年前酒をきっぱり止めた私とは大違いの人生に、「人それぞれ、それもまたよし」と思いました。

「立ち話 元気と聞かれ 実はなあ~ 実情話す テ―プレコーダーのよう」
「実はなあ~ 俺も〇〇 悪かって 手術したよと 病歴話す」
「へえそうか 人は色々 あるもんだ 自分だけでは 妙に安心」
「歌ってた 島倉千代子の 名調子 人生いろいろ 私も色々」

 

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〇正月を迎える準備(その5)
 わが若松家は祖祖父が興した家で、私が4代目の当主です。本家の長男ゆえ先祖祀りは私が親父から受け継いだ大事な仕事でもあるので、高齢になった親父が存命中から私たち夫婦で、仏事をしっかりと守っています。私の妻は八幡浜から私の元へ50年前嫁いできました。数年前実家の長男夫婦が亡くなっているので、長女である妻の実家の墓参りも、年に数回行っていますが、盆と正月、春と秋の彼岸には必ず少し早めに、人間牧場に植えているシキビを切って束ね、墓地に供えています。

 3日前シキビを8束切って来ましたが、昨日はそれら6束を持って、とりあえず妻の実家の墓地へ妻と二人で出かけました。昨日はあいにく雪のちらつく寒い一日でした。折角だからと先に妻の同級生が嫁いで住んでいる伊方町瀬戸三机まで、三崎半島頂上線を走り立ち寄りました。久しぶりの出会いゆえ「まあ上がってお茶でも」と誘われ、客間で奥山さんご夫婦と少し話し込みました。ついでだからと先日ちりめんじゃこの釜揚げを届けてくれた木嶋さん宅工場へお礼を言いに立寄りました。

 日が西に傾き始め、時折小雪の舞う道を急いで引き返し、夕暮れの中を大法寺裏の墓地へ向かい、妻は掃除と線香を用意、私はシキビ差し込みと水替えなどを慌ただしく行いました。ふと見ると八幡浜湾の諏訪崎辺りに、それは綺麗な夕日が雲を破って印象的に見えました。いつも墓参りは昼間に行っていて、夕暮れ時は初めてで、墓地から夕日を見るのも勿論初めての経験でした。実家に立寄り次男兄夫婦と雑談し、買い物のため大洲経由長浜周りで帰宅した慌ただしい師走の午後でした。今日わが家の墓地にシキビを替えとお参りに行けば、今年の仏事もこれで終わりです。

「妻実家 八幡浜ゆえ 遠いけど シキビを持って お墓掃除に」
「ついでにと 妻同級生の 家訪問 よく来た上がれ お茶飲み雑談」
「気がつけば 夕暮れ時の 墓参り 諏訪崎辺り 綺麗な夕日が」
「長男と 長女に生まれ 仏事など 親から受け継ぎ 死ぬまで続く」

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