人間牧場

〇久しぶりの農作業
 昨日の瀬戸内海は北西の季節風が吹き荒れ、海は大時化でした。この1週間はオンライン講習会に参加していたため、朝のウォーキング以外は外にも出られず、毎日書斎の室内にこもりきりでした。昨日の朝土曜休日だった息子はそんな私を慮ってか、「人間牧場のスモモの剪定に行かないか」と誘ってくれました。

昨年台風で根元からひっくり返ったスモモの木

 前立腺肥大手術の術後なので、余り無理をしないように言われていますが、農作業の遅れも気になっているのでその誘い話に乗り、防寒をして出かけました。風が強く吹き、時折小雪も舞うあいにくのお天気でしたが、息子がスモモの木に登り切った立枝を、私が集めて空き地に運ぶ作業を午前中やりました。

 本来なら畑の隅で野焼きをするところですが、それもできず鋸と鎌で切り分けうず高く集積しました。また昨年の夏の台風で、2本のスモモの木が根元から倒れ、その片付けた枝も傍に野済みしているので、焼却予定の場所へ移動させました。作業をすると寒くても体が温まり、お昼前に作業を打ち切りました。

 今月中ごろには、クヌギの木の苗木植栽とジャガイモ植えのプログラムが予定されていて、その準備も始まります。また昨日片づけたスモモの木の残材も焼却処分しなければなりません。立春も過ぎ、人間牧場の河津桜の花もぼつぼつ開き始めました。いよいよ待ち遠しかった春の到来です。気分を引き締めて今年も頑張りましょう。

「1週間 書斎にこもって オンライン 気分転換 誘いに乗って」
「牧場に 出かけスモモの 剪定を 付き添い程度 農作業する」
「風が吹き 小雪も舞って 冬景色 体動かし ポカポカになる」
「牧場じゃ 河津桜も ほころんで いよいよ春の 到来嬉しい」

 

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人間牧場

〇狂わない時計
 わが家にはそれぞれの部屋にそれぞれ時計が置かれています。私が子どもの頃は居間に一つだけの時計が柱にかかっていただけで、その柱時計もアナログなネジ巻き式で、ネジ巻きはもっぱら子どもの仕事だったため、ネジを巻き忘れて時計が狂ったり、誤って時計を動かし垂直が保たれなくなると時計は止まるので、あれこれ親に叱られる理由の一つになっていました。

 昔の時計はそれゆえアバウトで、腕時計さえどちら様の時計も少しずつ誤差があって、遅れた理由を時計のせいにしたりしていた長閑な時代でした。ところがデジタル時計や電波時計が普及した現代では、電池切れさえなければ、5年に5秒以内の誤差程度ですから、これはもう正確という他はないのです。嬉しい反面、正確過ぎて少し物足らさえ思っています。

私は講演などの際残り時間が一目で分かる、文字盤の比較的大きな腕時計を使っています。講演が始まると腕時計を外して演台の見やすい部分に置き、お話を始めます。約90分の講演に熱が入り過ぎると時の経つのも忘れて喋りまくりますが、聴く人の身になって思えば「時は金なり」なので、できるだけ1分前に話を終えるようにしています。時計を外す癖がついていて、酒宴などでも無意識に時計を外して料理の前に置いてお酒を呑み、何度時計を忘れて帰ったことでしょう。

 私が今使っている腕時計は、私の退職記念に次男がプレゼントしてくれたものです。これまで2度ほど電池を変えましたが、17年の時を経た今も正確に時を刻み続け、私と同行二人の旅を続けています。願わくば後23年、動き続けて欲しいものです。あと23年後私は100歳になる予定です。

「家の中 あちらこちらに 時計あり 電波・デジタル 狂いもなしに」
「正確も 過ぎると何だか 味気ない 一つぐらいは アバウト欲しい」
「腕時計 外す癖あり 酒宴席 忘れて何度か 騒動思い出」
「次男から 貰った記念の 腕時計 これから先も 同行二人」

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人間牧場

〇節分と恵方巻
 今年はオンラインによる講習会が2週間にわたって行われているため、朝から夕方まで書斎で過ごし、身動きができなかったため、毎年決まったように行っていたオニグイの魔除けを作る作業をすることができず、少し寂しき気がしていますが、こんな年もあると半分諦めました。

 それでも妻や若嫁たちは縁起が良いとされる恵方巻と入り豆を準備してくれ、夕食は色々な巻きずしを沢山食べました。今年の方角に向いて食べましたが、去年は鬼木の魔除けと恵方巻、それに豆まきをしても、病院に二度入院して手術をし、庭木のてっぺんから落ちたことまでおまけがついていたのですから、信心もいい加減なものだと思っていますが、今年はしっかりと気を引き締めて、昨年の二の舞を踏まぬようしたいものです。

 さて「鬼は外福は内」と声を上げて孫たちは家の玄関や勝手口から豆を撒き。その後年の数ほど豆を食べたようですが、私たち夫婦は流石に77個や76個も食べることができないので、10歳で1個、つまり8つずつ食べてお茶を濁しました。恵方巻も入り豆も美味しくいただき、無病息災を祈りました。

「今年は オニグイ魔除け 作れない 仕方がないと 諦めました」
「昨年は オニグイ魔除け 恵方巻 豆まきしたのに 散々でした」

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人間牧場

〇早起きの習慣
 国立大洲青少年交流の家に時々出かけると、施設の入り口に「早寝・早起き・朝ごはん」というキャッチフレーズ幟が立っているのを見かけます。世の中には真逆の「遅寝・遅起き・朝ごはん抜き」の人が多いようで、特に青少年が親の真逆につき合わされて習慣化していることへの警鐘のようです。

 私は今朝も朝4時に目が覚めました。「歳をとったから寝れないのでは」とよく言われますが決してそうではなく、漁師をしていた若い頃からの習慣が今も続いているのですから驚きです。「早起きは3文の得」とよく言われますが、私は長年の早起き習慣で3文どころか大きな福得をいただきました。

 毎日3時間のシーサイド公園海岸掃除を12年間続けたお陰で、観光カリスマ100選に選ばれたり、毎朝2本のブログ記事を「shin-1さんの日記」として書き綴っていることも、今では習慣となっています。早寝は少し難点があって、時には11時ころ床に就いたりしていますが、一緒の布団に寝ている妻は家事全般があるので、私より遅く11時ころ寝ますが、起床は午前6時ころで、今も布団の中です。

「積小偉大」は二宮金次郎の教えですが、小さなことをコツコツやって積み重ねることしかできない私にとって、早起きや朝ごはんの習慣はこれからも死ぬまで続けたい習慣です。お陰様で布団に入ると五分もすると深い眠りに就くようです。妻からは「そんなに寝なかったら今に寝たっきりになる」と馬鹿げた注意をされています。ちなみに妻の睡眠時間は標準通り8時間近く、私は5時間近くです。

「世の中は 遅寝遅起き 朝喰わぬ 真逆なようで それが心配」
「幟立つ 早寝早起き 朝ごはん 国民運動 皆で守ろう」
「朝4時に 起きて細々 あれやこれ お陰様にて 今じゃ習慣」
「金次郎 積小偉大と 言ってます 人は人です 私は私」

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人間牧場

〇伊予市広報に載りました
先日知入の松本さんが、facebookで、「お孫さんんが伊予市の後方に載ってますよ。それにしても背が高くなりましたね」と書き込んでくれました。広報委員さんや組長さんを通じて各家庭に届くのは2~3日かかるのですが、今月は早くて昨日2月1日に届きました。

同じ地面に立っての撮影なのに、背丈が群を抜いています

中学校2年生の孫希心は父親に似たのか背が高く、早くも180㎝に迫る勢いです。天井比較的低い日本家屋のわが家では、上の敷居に背が届き、時々頭をぶつけるほど高くなっていて、私など背丈は勿論のこと足の長さも比べ物にならず、今では見下ろされて暮らしています。

 

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人間牧場

〇今日から2月です
時の流れは早いもので、先日正月が終わったと思ったらもう今日から2月です。よく人生を香取線香に例えます。香取線香は火をつけた最初の頃は外周が大きいため、一周が燃え尽きるのにかなり時間がかかりますが、だんだん時間が経つにつれて内回りになると、一周燃えるのはあっという間です。

蚊取り線香のように年齢を重ねるとまるで一年があっという間に燃え尽きるのです。科学的には1年365日、1日24時間、1時間60分、1分60秒は変わらないのに、人間の感覚は短くも長くも感じるのですから不思議です。

昨年は2度にわたる入院手術で、1年がとても長~く感じました。今年はとりあえず12分の1が終わりましたが、大したトラブルもなく日々を過ごしています。この調子で一年を乗り切りたいものです。

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人間牧場

〇春植えの準備
 暦の上では一年中で最も寒い大寒が過ぎ、朝晩の外気温が2~3度と寒いものの、日中は10度くらいまで上がって、いよいよ春の足音が聞こえ始めました。一昨日人間牧場で出かけましたが、千本桜の森づくり事業で植えた標本木の河津桜は、早くも2~3輪花を咲かせていました。また閏住の菜の花畑も黄色い花がいっぱい咲いて、花見の人たちで賑わっていました。

畝を立てたジャガイモを植える予定の畑

 昨日の夕方、先日石灰を撒いて息子に頼み耕運機で中耕していた、甘夏果樹園内の細長い畑の畝を立てました。黒いマルチの幅を測り、順調に畝が綺麗に立ちました。例年この時期にここに男爵という品種のジャガイモを植えていますが、今年も北海道の親友から送られてきたジャガイモを、食べずに保存しているので、2~3日中に植え、マルチを掛けようと思っています。

 今週と来週は、オンラインによる社会教育士の受講があって、それどころではありませんが、朝晩の暇を見つけて種芋の植え付けを何としても終えたいと思っています。術後一ヶ月余りが経ちましたが、体調も順調に回復しつつあります。余り無理をしないように、重い荷物は持たないようにと医師から言われている注意事項を反芻しながら、自分に言い聞かせてるこの頃です。

「大寒が 過ぎても朝晩 寒いけど どこと話に 春の気配が」
「牧場の 河津桜が 2‐3輪 ほころび始め 少し浮き浮き」
「閏住の 菜の花黄色く 咲き誇り マスクした人 花見訪れ」
「無理するな 重い荷物は 持つな言う 医師の注意を 反芻しつつ」

 

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人間牧場

〇みかん産地ならではのいただき物
 昨日人間牧場近くの懇意にしている農家さんから私の留守中に、「近頃進ちゃんの姿が見えないが元気なんじゃろか?、もし元気なかったら、甘平やポンカンを取りに来るよう伝えてください」と、在宅のわが家の若嫁が電話を受けました。帰宅したところだったので、早速仏壇のシキビが枯れそうなこともあって気になっていたので、これ幸便と思いあいさつがてら軽四トラックに乗って出かけました。

 農家さんの庭先では奥さんと息子さんが甘平やポンカンの選別作業中でした。年末尿トラブルで入院したり手術をしたこと、年末年始は家庭療養中で、新型コロナのまん延もあり余り外出しなかったことなどを立ち話して、日ごろの不義理を詫びました。そして甘平とポンカンという品種の柑橘をキャリーに一杯、産地ならではのいただき物を車に積んで持ち帰りました。わが家は家族全員がみかん類が大好きなので、嬉しいいただき物でした。

 帰りに人間牧場に立寄り、植えているシキビの木から、仏壇用のシキビを2束切り取り、お昼頃持ち帰りました。居合わせた2人の孫に手伝ってもらい、仏壇用の花器の枯れかけたシキビを抜き取り、花器を綺麗に水洗いし水を入れてシキビを差し込み、いただいたポンカンも仏壇にお供えをしました。仏壇のシキビやお供え、神棚のサカキなどが綺麗だと、何か清々しい気持ちになります。孫はお供えを終わり、仏壇に手を合わせてチ~ンと金を叩き手を合わせていました。

「元気なの? 顔を見ないと 心配し 電話してくる 懇意な農家」
「若嫁が 電話を受けて 伝え聞く 早速トラック 乗って出かける」
「久方に あれやこれやの 立ち話 持って帰れと キャリーいっぱい」
「産地だね 甘平ポンカン 山のよう 早速仏壇 シキビと共に」

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人間牧場

〇すりこぎは人生に似ている
 昨年長野県南牧村に住む親友今井さんから、立派な長芋を送って貰いました。長芋はすりおろしてとろろにして熱々のご飯にかけたり、うどんやそばにすりおろして山かけにして食べますが、私は酢醤油で味付けしたのが好きで、美味しくいただきました。山芋料理の時は私も駆り出され、妻がすり鉢を持ち、私がすりこぎを使ってすりながら味を整えるのです。

 山椒の木でできたすりこぎを使いながら、ふとすりこぎは人生に似ているような気がしました。すり鉢はご存じのように外側は釉薬を塗ったツルツルの焼き物ですが、内側には波紋が施されていて、すり鉢とすりこぎの摩擦で中に入れた具材がすり潰されて行くのです。多分固い山椒の木でできたすりこぎは、目には見えないけれど、先端の丸い部分は少しずつ削られて行くのです。

 すりこぎは使えば使うほど身は細くなって行きます。多分自分の身にこれまであった、自宅の新築や子育て、仕事、勉強などなど、どうにか超えてきた試練ですりこぎたる自分の身は細くなりましたが、幸い受け手のすり鉢になった妻や家族、それに身の回りの人たちによって、こぼれることもなく擦り続けてこれたのですから感謝しなければなりません。

 一番大事なことは、すり鉢とすりこぎで作った食べ物が曲がりなりにも美味しくできたことかも知れません。昨日の夜残った最後の一本の長芋をすりおろし、妻と二人で美味しくいただきました。すりこぎ人生はこれからも死ぬまで続くことでしょう。

「長野県 住む親友が 長芋を 送ってくれて すり鉢でする」
「頼まれて 私すりこぎ 手に持って 山芋ゴリゴリ ストーブの前」
「すりこぎは いつの間にやら 身が細る 自分の人生 似ているようだ」
「長芋を すってとろろに して食べる 美味い美味いと 破顔一笑」 

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人間牧場

〇報徳
 私が塾長をしている年輪塾の二宮金次郎つながりもあり、元東京学芸大学の学長で、榛村純一さん亡き後日本報徳社の社長となっている鷲山恭彦先生とのご縁で、昨年報徳社の社員になりました。年間1万円の年会費を払えば、日本で最も古い月刊誌の一つと言われている「報徳」が送られてくるのです。

桧丸太の自作の台座が出来て海舟館に設置した取り外し持ち運び可能な金次郎の銅像

 小学校2年生の時、母校校庭の隅に建っていた二宮金次郎像を見て、「金次郎は何の本を読んでいるのだろう?」と素朴な疑問を持ち、背の高さ以上もある台座に登ってから70年もの歳月が過ぎましたが、以来私は二宮金次郎に興味を持ち、金次郎の読んでいる本が中国の古書「大学」だと知ってからは、難解な大学の素読や意味を調べ、尊徳翁夜話などを基に、人間牧場で開いている年輪塾のテーマに二宮尊徳を取り上げるなど、ある意味大きな感化を受けてきました。

 そして今では多分こんな馬鹿げたことはしていないだろうと思える、小さな二宮金次郎の銅像を持って、同行二人の旅をしています。まあそんなこんなで私にとって二宮金次郎は歴史上の人物ながら、今も心の中に生き続けています。昨年鷲山恭彦先生が報徳の巻頭言に私のことを書いていただきました。身に余る光栄でしたが、先日大日本報徳社報徳の編集事務局から400字程度のショートな原稿依頼が届きました。

 新しく社会人になる人たちへのメッセージとのことでしたが、一も二もなく引き受け、書くというよりは打つの方が正しいデジタル文字の原稿をメール便で送りました、小さい頃から「積小為大」と教えられていて、「積小偉大」ではないか?と、疑義の質問が寄せられましたが、これもまた大きな疑問としてこれからじっくいり考えたいと思っていますが、とりあえず報徳の教えを実践中の私です。

「小学校 二年の時に 金次郎 出会って以来 70年の歳月」
「大日本 報徳社長 巻頭言 恥ずかしながら 紹介されて」
「声かけて もらったお陰 1万円 社員になりて 報徳雑誌」
「いただいた 金次郎像 手提げ入れ 同行二人 旅を続ける」

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