人間牧場

〇私の名刺の遍歴
 私は若い頃余り名刺が好きではありませんでした。ゆえに集会などでは名刺など交換することは殆どありませんでした、ところが愛媛県公民館連絡協議会の主事部会長に就任したり、全国大会の司会などに推薦されたりすると名刺なしでは交流が出来にくいことに気づき、名刺を作って配るようになりました。当時の名刺は双海町公民館主事 若松進一程度でした。その後第10回総理府派遣青年の船の班長として海外に行くようになると、英語の名刺が必要となり、全て自費で作りました。

 その後まちづくりを担当し夕日によるまちづくりをするようになると、町をPRするためカラー名刺の台紙だけは町が作ることになりましたが、普通の職員は1箱作っても2年間は使う程度でしたが、私は多い月には5箱500枚も使い町長さんをしのぐ枚数でしたが、自費となると結構お金もかかりました。その後課長の私以外部下のいない日本で一番小さい課の課長になってからも、双海町の教育長で終わるまで、名刺の使用量は減るどころか増えて止まりませんでした。

 60歳で退職し国立愛媛大学法文学部の非常勤講師や、農学部の客員教授として教壇に立つ傍ら、北は北海道から沖縄まで講演活動をするようになった時、前々から名刺の裏側が殆ど利用されず白いままが多いのに気づき、ここにコマーシャルを出したらどうか発案し、とりあえず東京第一ホテルで開かれたモーニングセミナーに卓話をして欲しいと招かれた際、ギノー味噌の田中社長さんがコマーシャルを出してくれることになりました。

 その名刺が現在使っている「裏が味噌」の名刺でやっと自分流の名刺に辿り着きました。今は1年間に千枚程度使いますが、ギノー味噌の「裏が味噌」の名刺はすでに8版刷を終え、今年6月30日を麦味噌食文化の日に制定したPR名刺は、ギノー味噌の人気商品即席みそ汁とともに色々な場所で配られ、地場産業の振興に役立っています。

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