人間牧場

〇ガン・脳梗塞・そして糖尿病
 この1週間、出会った人から、「実は~私」と告白のような形で、体の病気について説明を受けたり、Facebookを通じて入院闘病している様子の紹介を見聞きしています。

 「2人に一人はガンにかかる時代」とか「早期に発見され手当てを受ければガンは今や治る病気である」とか言われていますが、私の親父が50歳の時鼻ガンを発症した時は、「本人にはガンであることを悟られないようにしろ」とまで言われる時代でした。

 手術後近所の人がお見舞いに行き、喉から管で流動食を流し込む姿を見て、「進さん(私の親父)はもう長くはない」と周りに言いふらされたりしましたが、2度の大陸出征で大砲の玉の下をかいくぐり帰ってきた強い生命力と、本人の努力、それに家族の優しさ、医師の適切な処置によって完治し、97歳の天寿を全うした時の死因は老衰でした。

 脳梗塞の人を患った人も沢山いますが、懸命にリハビリに努力する人もいれば、生きているうちが花とばかりに酒もタバコも止めず放漫に生きている人もいます。さらに糖尿病を患っている人も多いようですが、食事療法をきちんとすれば糖尿病もそれほど苦にすることもなく生活が楽しむことが出来ます。

 かく言う私も何度かケガをしたり病気にもなり入院もしました。それでもそれらの病気を治る病気にしてしまい、何とか今日まで生きています。目標は親父の生きた年齢を超えることですが、ガンになった親父でも97歳まで生きたのですから、意志を強く持って生きて行きたいものです。「頑張れ進一」と黄泉の国へ旅立った親父の声が聴こえそうです。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇沢山のトマトが届きました
 この2年間、「219の人形が語る昔の漁村の暮らし」の製作をお願いした久万高原町の人形作家林智美さんと、何度となく行ったり来たりしながら製作を行ってきましたが、想像以上の出来栄えの人形が出来上がりました。

 最初100体で始めた人形制作では、昨年の下灘公民館祭りと上灘公民館祭りに人形を展示して皆さんに見てもらいましたが、思わぬ大きな反響にに驚き、その後今年は100体増やし合計219体となりました。

 来月10月5日に行なわれる人間牧場20周年記念の年輪塾公開セミナーで、会場となる予定の下灘コミュニティセンターへ、219体全てを展示することにしていますが、今日の午後その事前打ち合わせのため林さんはわが家へ来てくれました。

 その折久万高原町の特産であるトマトを沢山持参してくれました。私たち夫婦は勿論息子家族もトマトが大好きなので冷蔵庫で冷やし、今晩から味わって食べる予定です。今年になってトマトの手土産は3度目ですが、味わって食べたいと思います。林さんありがとう。ご馳走様です。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇西の空に怪しげな雲
 先日潮風ふれあい公園で開かれていた通学合宿夕焼け村に出掛け、子どもたちに夕日の話をしてやりました。20年以上も続いている私の務めですが、毎年同じ場所から同じような夕日夕焼けを見ているのに、違った趣があって楽しいです。

 今年は天気も上々で綺麗な夕日夕焼けを見ることが出来、子どもたちと一緒に沈み行く夕日に手を振って、「また明日の朝、朝日となってください」と祈りました。そんなさ中西の空の水平線に一風変わった雲の塊を見つけました。

 夕日や夕焼けや雲は人間の目で見える錯覚の世界ですが、特に雲の姿は何とも奇妙な姿をしていて、「何かに似ている」と想像を掻き立てられます。この日見た雲はまるで浮き上がった潜水艦のブリッジのようにも見えました。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇長生きもほどほどに~
 今日人間牧場へ行くため、知り合い農家の庭先を通りました。滅多に車の通らない道なので、道に車を止めて降りて行き会話を交わしました。ご主人は私より一つ年上ですが若い頃は双海町農業後継者協議会の会長をしていて、私も双海町青年団長をしていたので、当時はまるで張り合うように活動をしていました。

 お互い年を取ったこの頃は出会うと、同年代の人が次々とあの世に旅立っていることもあって、今では話が合って大いに話が弾む唯一の話し相手となっています。今日の話は昨日発表された「日本の空き家問題」から派生した「長生きはほどほどに~」という話でした。

 双海町もご多分に漏れず過疎化や高齢化、少子化が進み、あちらこちらで空き家が目立つようになりました。殆どの子どもは教育が終わると故郷から離れ都会や近隣の町に家を構えて住んでいるため、恐らく定年になっても実家には帰えらず、空き家になる運命を辿るようです。

 一番の問題は親が長生きするような時代になり、親の介護が子どもの重荷になるようで、昔は「親孝行したいけれども親はなし」でしたが、今は「親孝行したくないのに親がいる」のようです。長生きは長年の夢でしたが、世情を考えれば「長生きもほどほどに~」のような世の中だと意見が一致しました。(大笑い)

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇私の町にこんな素敵な若者が育っています
 昨日の愛媛新聞朝刊10面に、「成長の夏」と題した細長いコラム記事が載りました。書いたのは双海町ジュニアリーダー会の会長をしている大学生の中野珠里さんで、子どもの頃からよく知っている女子大生です。

 普通この年頃になると友だちと旅をしたりあれこれ青春時代を謳歌するものですが、彼女は双海ジュニアリーダ会に所属して町内の様々なボランティア活動に進んで参加し、特に通学合宿夕焼け村では同郷の女子学生と一週間も、子どもたちと一緒に宿泊して世話をしてくれました。

 閉講式の日、その仲間と「子どもたちの成長を実感喜びの気持ちも、自分と向き合う中で感じたつらさも、1週間ため込んだ感情が一気に流れ出たのだと思う」と述懐している号泣していた姿に出くわし、深い感動を覚えました。

「これからも双海町自慢の活動が続き、さらにすてきな町になって行くことを願っている。ありがとう、成長の夏」と締めくくった記事に、私たちが長年続けている子ども教室の地道な成果を垣間見る思いでした。「成長の夏をありがとう」と中野珠里さんに大きな拍手を送ります。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇忘れかけていた記憶「幸福の鐘」
 3日前「夕日を観る会」をするため、午前9時30分から19時まで平成7年に自分が造ったふたみシーサイド公園にいました。行きがかり上持ち場を離れることが出来ないため、従兄弟の吉野英樹さんに頼んで、砂浜でシャボン玉を挙げてもらっていたため、時折砂浜に移動して写真を撮ったり声をかけたりしていました。

 20周年ぶりにシーサイド公園はリニュアール工事をしましたが、その折あれこれ作っていたモアイ像や植えていた木々が移動していますが、その中で幸福の鐘や願い石、童謡の小路の歌碑などはそのまま残っていて往時を偲んでいます。その中で幸福の鐘の説明の陶板は違った形で残っていましたが、実はその詩は私の作ったものなのです。

  幸福の鐘
 真っ赤なデイゴの咲く庭に
 幸福の鐘を置きます
 幸福になりたいあなたへ
 真っ赤に燃える大きな夕日が
 海と空を染める頃
 幸福の鐘を鳴らしましょう
 そして夕日に向かって
 幸福になりたいと祈ってください
 幸福の鐘は辺りに響き渡り
 あなたの願いを叶えてくれるでしょう
 幸福の鐘を鳴らすのはあなたです


 自分で自分を褒めることはできませんが、夕日に想いを寄せて長年生きてきた私の素朴な心意気で作った詩です。ちなみに幸福の鐘は不幸にもシーサイド公園の海で、不慮の死を遂げた青年の遺族から送られた寄付金で作ったものです。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇秋の夕焼け鎌を研げ
 昨日は暑かった今年の夏にようやく別れを告げ、秋の訪れを感じさせるようなかなり強い北東の風が吹いて、海は白波が立っていました。夕方は気温が20度までぐっと下がり短パンや半袖では少し肌寒く感じました。

 「夫婦喧嘩と下り(東寄り)の風は宵には凪ぐ」という諺があるように、夕方になると下りの風が幾分収まったので、畑に出て用意していた白菜のセル苗を苗箱から丁寧に引き抜き、3日前に立てた畝に等間隔で植え終えました。

 見上げた西の空が赤く焼けて小焼けになりました。昔から「秋の夕焼け鎌を研げ」と言われているので、あくる日の今日は雨も降らずまずまずの天気のようです。今日は来客がある予定なので、近づく20周年記念事業の準備を少ししようと思っています。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇夕日夕焼けこぼれ話・懐かしきかな夕日の時刻表
 昨日夕日を観る会を一緒に企画運営した元双海町役場職員の大森さんが、私が在職中作った世にも珍しい「夕日の時刻表」を保管していたらしく、持参してくれました。A4版の用紙を3つ折りにした細長いタイプの表面には(2005年版)と書いているから今から19年前の平成17年に作ったものです。

 裏面には1年365日の日没の時間が書かれています。今のようにインターネットが普及していな時代でもあったので、松山地方気象台へ出かけ許しを得てデーターを書き写して帰り印刷したものです。また中には夕日夕焼け一口メモとして、「夕日は旅人」「双海の有配はどこの国の朝日」「夕日の沈む時間」「日没状況」「夕日は何秒で沈むといった豆知識が書かれています。

 記憶を辿れば当時シーサイド公園内には珍しい「夕日のミュージアム」があってこの夕日の時刻表もその資料として発行されました。年間1万人の集客を誇っていたので、当時千枚を印刷しましたが、珍しいこともあって新聞で紹介されたため1週間であっという間に完売しました。多分増刷した物が残っていたようです。

 ちなみに地域振興課長から教育長になったため、当時の町長さんから「夕日のミュージアム名誉館長」という辞令をいただきましたが、平成の合併のどさくさで、夕日のミュージアムがなくなった今も役職を解かれていないので、「夕日のミュージアム名誉館長」のままなのです。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇明日秋分の日(9月22日)は雨でも「夕日を観る会」をやります
 自称強運「晴れ男」の私ですが、天気予報によると明日はどうやら雨のようです。本当は恋人岬突端に設えている高さ4mのモニュメントの60㎝の穴の中へ夕日がすっぽり入る予定ですが、残念ながらその夕日は見れないかも知れませんが、雨の場合はイベントホールに場所を移してやる予定です。

 明日は午前10時に開会し17時ころまで海辺のライブコンサートをやりながら、17時から本番です。笑いヨガティーチャーティーチャー玉井千恵さんたちによる笑いヨガ、越智万里さん・柿並陽子さんによる「みんなで歌おう~夕日とともに~」、吉野英樹さんによる「ジャンボシャボン玉LIVE」の3本立てです。

 ところで明日の夕日がしずむ時間は、私が2005年に日本で初めて作った「夕日の時刻表」によると18時06分です。多分この日に自転と公転を繰り返す地球の裏側ブラジル国ブラジリヤでは、同じ時間に朝日となって太陽が昇るのが見えるはずです。この日は雨で夕日が観れなくても、柿並さんの名前が「陽子さん」なので、楽しみにしています。お暇な人はシーサイド公園に来てください。待っていま~す。

 

[ この記事をシェアする ]