〇すっかり姿を消したそろばん
今日机の引き出しの中を掃除をしていると懐かしいそろばんが出てきました。そういえばこの4~5年そろばんを使った記憶がなく、その存在さえもすっかり忘れていました。私たちが子どもの頃は、「読み・書き・そろばん」といって、学校や習い事でよく耳にする言葉でした。ところが電子計算機の普及によってそろばんは私たちの暮らしの中から姿を消してしまいました。
今は余程のことがない限りそろばんを使うことはありませんが、「ご和算で願いましては1円なり、2円なり、3円なり~」と読み手が声を挙げ、そろばんの音をパチパチいわせて計算をし、「分る人」と言えば手を挙げて答え、当たっていれば「ごめい算」なんて、自分が間違っていても口裏を合わせて答えていたことを懐かしく思い出しました。
今は学校教育の算数や数学の授業でも小さな計算機の持ち込みが自由で、そろばんは教材の座を計算機に奪われ出番の機会もなくなってしまったようです。それでも都会へ行くとそろばん教室や書道教室などがあって、子どもたちの習い事の中では、くもん教室、ピアノ教室、水泳教室などともに、子どもの興味より親の習わせたいものの一つのようです。
私が小学生の頃は、商売人は必ずそろばんをはじいていました。中には5つ玉のそろばんまであり、また学校には低学年用に大きなそろばんがあって懐かしい記憶として残っています。今年新札が発行されましたが、経済の父と言われる渋沢栄一が10,000円札の肖像が使われたため、渋沢栄一の持論「論語と算盤」がすっかり有名になりましたが、残念ながらそろばんは遠い昔の道具となってしまいました。私は机の引き出しにしまっていたそろばんを捨てる気持ちは毛頭なく、恐らく死ぬまで持ち続けることでしょう。
「わが机 引き出しの奥 そろばんが 出てきてビックリ 懐かしさの余り」
「ご和算で 願いましては 1円なり 苦手だったが 口裏合わせ」
「学校で 使わなくなり 仕事でも 使うことなく 思い出彼方」
「新札の 渋沢栄一 そろばんの 必要説くが 使う人なし」