〇昔の結婚理想は「家付き・カー付き・ババア抜き」でした
私は昭和45年に結婚しています。その頃は青年団活動が活発で、青年団活動で知り合った男女が結婚することも珍しくありませんでした。当時の女性の結婚相手の理想は「家付き・カー付き・ババア抜き」と言われていました。
私は見合いで結婚したため、相手たる私の妻も「家付き・カー付き・ババア抜き」に憧れていたようです。しかし1度の見合いで一目惚れした私とお世話してくれた仲人さんたちの猛プッシュで「家付き」だけは確保したものの、カーも免許も持ち合わせておらず、僅かに原付自動車のみで、しかもババアーに至っては、両親・祖母・兄弟5人の内2人までが同居というコブ付きで、最悪の条件でした。
しかも田舎町ながら一通り何でも揃う八幡浜市から、とんでもない田舎町双海町へ嫁いできたのですから、これは青天の霹靂の何物でもない貧乏くじを引いてしまったようです。しかも仕事はしがない役場職員で、しかも土日もないに等しい教育委員会で社会教育を担当してほとんど家にいませんでした。
諦めた気持ちながらあれから54年が経ちました。祖母・母・父をあの世に送り、お盆も実家に帰らずせっせと風習を受け継いで、今朝から仏壇にお料具膳を作って供えて祈っています。感謝しても感謝しきれないほどながら、恥ずかしくて「ありがとう」の言葉はかけられませんが、もうそんなに遠くない時に、息子と若嫁にそれらを引き継ぐ予定です。