〇近江聖人中江藤樹の教え
昨日書斎机の周りの片づけをしていたら、年輪塾師範の辻先生から頂いた一本の扇子が目に留まりました。私は自分の木になるカバンに、親友松本宏さんから強引にいただいた、「五事を正す」という別の扇子を入れて年中持ち歩き、折に触れ「貌言視聴思」という言葉の意味についてお話をしています。
昨日目に留まった扇子の表には、晩年の中江藤樹の画像が「孝」の教えとともに書かれていて、裏には論語の教えが二つ書かれていました。「子曰く 学びて時に之(これ)を習ふ 亦(また)説(よろこ)ばしからずや 朋(とも)有り遠方より来たる 亦楽しからずや 人知らずして慍(うら)みず 亦君子ならずや (孔子は言った 物事を学んで 後になって復習する なんと悦ばしい事だろう 遠くから友達が自分に会いに訪ねて来る なんて嬉しい事だろう 他人が自分を分かってくれないからって 恨みに思う事なんてまるでない それでこそ君子というものだ)
「子曰く 命(めい)を知らざれば 以(もっ)て君子と為す無きなり 礼を知らざれば 以て立つ無きなり 言(げん)を知らざれば 以て人を知る無きなり」(孔子は言った なすべき事を知らなければ君子たる資格がない 礼を知らなければ人間を知ることができない)
論語には沢山の普遍的教えが書かれています。論語読みもロクにできないばかりでなく、論語の意味すら語ることはできませんが、折に触れ一話ずつでも読み解いて孔子の教えを心に刻みたいと思っています。
「机横 整理整頓 していると 扇子が一本 孝と論語が」
「年輪塾 師範の先生 書いたもの しっかり学べ 言わんばかりに」
「論語読み ことすらできず 何としょう 歳を言い訳 しないようにと」
「学ぶこと 余りに多くて このままじゃ 死ぬ時遅く するしかないな」