人間牧場

〇書いた記憶のない文章

 先日青少年教育施設に勤めているAさんという女性から、「私の書いた文章をパンフレットに使いたいので承諾して欲しい」旨の電話が入りました。「どんな文章でしたか?」と尋ねると、「子どもは創造的な遊びで大きく育つ」というタイトルの文章のようでした。藪から棒のような話でしたが断る理由もなく、「どうぞご自由にお使いください」と承諾し、「すみませんがその文章を、メールででも私の所へ送っておいてください」と頼みました。

Aさんから送られてきた、私がかつて書いたと思われる文章

 私は毎日少し長めのブログを2本書いたり、自著本を数冊出したり、色々な雑誌などに頼まれて四六時中文章を書いているので、これまでに書いた文章の全てを覚えている訳でもないので、Aさんからメールで届いた文章を見ても、「いつ頃書いたのだろう?」と記憶の糸を手繰るものの、傷んだ私の体内記憶装置はびくとも作動しませんでした。それでも読むほどに私でしか書けない独特のものがあって、これは自分の書いた文章に間違いないと納得することができました。

人間は口で物事を喋ったり、脳を働かせて文章を書いたりして、自分の想いを相手に伝えようとします。その根底にあるのはこれまでの経験と様々な学びで蓄積したものが、言葉や文章となって表現されますが、毎日の様にそうした学びで得たことを蓄積する一方、忘れるという人間独特の手法によって廃棄処分されるのです。未来は未知ですが私の考えだと人間は、過去の体験を基にした「なつかしい未来」を創ろうとしているのかも知れません。ふと気が付いて考えれば、かつて私が子どもの頃から今日までに経験した創造的な遊びが、未来の自分の目指す方向なのかも・・・。そういえば人間牧場も里山運動も「なつかしい未来」を創る活動や運動のようです。

「電話にて 私の書いた 文章を 使いたいので 承諾してと」

「はてそんな 文章書いた 記憶なく それでも断る 理由もなしに」

「メールにて 届いた文章 読んでみる 確かに私の 書いた足跡」

「体内の 記憶装置は 傷んでる 認知兆候 既に始まる」

 

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