人間牧場

〇全建ブロック研修会での講演

 私たち素人には会議の名前を聞いただけは何の研修会なのか分からない、「全建ブロック研修会」に12月17日と20日の2日間招かれ、令和元年最後の講演会で出かけました。17日は西予市にある愛媛県歴史文化博物館で南予ブロック、20日は今治県庁舎で東予ブロックの研修会でしたが、愛媛県景観アドバイザーをやっている私の役割は、いずれも景観についての話でした。

いずれの場所も自宅からは少し遠い所にあるため、往復時間と講演時間を含めるとかなりタイトでしたが、景観法の理念とか、景観を巡る諸問題、さらには長年合併前の双海町のまちづくりに長年関わってやった、景観にまつわる話題などを織り交ぜながら、楽しくお話をさせてもらいましたが、集まっている人たちは土木関係の県職技術者なので、日ごろと少し様子が違っていました。

私の関わったまちづくりには、景観という視点がかなり色濃く仕組まれていて、アメニティ計画の策定、夕日の景観、ミュージックサイレンの音景観、ほたる保存と景観、学校と景観、ガードレールと海景観、里山運動と景観、駅風景の景観、水辺の景観、花いっぱい運動による景観などなど、町のイメージがすっかり様変わりするほど景観にこだわった美しいまちづくりを進めてきました。

 その結果、合併して双海町という自治体は地図上から消えましたが、あれから15年経っても、「しずむ夕日が立ち止まるまち」というキャッチフレーズそのままに夕日が美しく、四季折々の花もいっぱい咲いて、人口こそ減り続けているものの、誇りに思いながら日々を暮らしています。そのことは次の世代にも受け継いで欲しいと願っています。

「南・東予 ブロック研修 講演に 招かれ持論 大いに語る」

「県委嘱 アドバイザーです 景観の 浅学ゆえに 役にも立たず」

「役場にて 長年やった まちづくり 景観配慮 あれやこれやと」 

「格上の 県の職員 前にして 格下私 寝ぼけたことを」

 

 

 

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人間牧場

〇同じ風景でも・・・

 昨日は息子が今度の日曜日、伊予市の商店街で門松講座を開くため、梅の小枝が欲しいというので、人間牧場の梅園に出かけ、剪定ハサミで頃合いな小枝を50本ほど摘み取りました。季節の移ろいは早いもので、この間葉っぱを落した梅の木は、既に花芽を沢山つけていて、年明けには開花する程成長しているようです。

 門松には松竹梅のお目出度いとされる木や竹が使われますが、最近は門松事情も随分様変わりして、しめ縄飾りや門松など古いしきたりだと見向きもしない人が増えているようです。特にかつては正月ともなるとしめ縄飾りを着けた車が沢山走っていましたが、今は殆ど見なくなり、日本古来の正月祝いも随分様変わりしました。

昨日の豊田漁港風景
暑かった夏の頃の豊田漁港の風景

梅の小枝を確保しての帰り道、港の見える丘に立寄り、草刈り機や剪定鋸で少し農作業をしました。暑かった頃の汗をかきながらの伐開作業も遠い思い出となりつつありますが、豊田漁港の見える風景を確保したことが何よりも嬉しく、咲き始めた水仙の花と一緒に柔らかい草の上に座り、のどを潤すみかんを食べながら、一人のんびり風景を愛でました。夏の抜けるような青い海と空の風景に比べ、冬のこの時期は寒さを思わせる色に変わっていましたが、これも又良しの風景でした。

「門松の 講習すると 言う息子 梅の小枝を 調達頼まれ」

「季は移り 早くも梅の 小枝には 花芽がついて 春の準備が」

「お気に入り 豊田漁港の 見える丘 草上座り ゆっくり眺め」

「夏と冬 同じ場所だが 色風景 夏と冬では 趣き違う」

 

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人間牧場

〇昔の花嫁道具木製のタライ桶

 私たちが子どもの頃はまだ各家庭に洗濯機が普及してなく、母や祖母はタライと洗濯板で洗濯をしていました。今考えると何とも長閑な時代でした。その当時女性がお嫁に行く時はタンスや下駄箱とともに、木製のタライ桶も嫁入り道具の一つだったようです。

 先日知人の家が新築をするため古い家を取り壊しました。その家は旧家ゆえ色々な古い家財道具が出てきたものの、今の時代には無用の長物なのでその殆どはゴミとして処分されたようです。その家財道具の中に、奥さんが花嫁道具としてお嫁に来る時持って来たという3段重ねのタライ桶がありました。奥さんは思い出の品だけに捨てるのも勿体ないと思い、古い民具に興味のあると思われる私のことを思い出し、「もしよかったら貰ってくれない・・・」と小声で連絡が入りました。

 私自身も、妻「もう歳だから死んだ後のことを考えないと・・・」、息子「何でも集めないように・・・」と日ごろからやんわり釘を刺されているので、少し躊躇する姿を見せましたが、昨日聖カタリナ大学の講義を終えた帰り道、電話のあった奥さんの所を訪ね、かなりほこりを被った三段重ねのタライ桶を貰い受け、自家用車の後部座席にナイロンを敷いて持ち帰りました。

 ほこりを被ったタライはタガの竹輪っかが外れていたので、樫の木の棒を短く切って、金槌で丁寧に叩いてタガ竹輪を締め直しました。半世紀も倉庫にしまい忘れていた古いタライ桶にしては、殆ど使っていないので水垢もついておらず、タワシで丁寧にで水洗いしたら、展示に耐えうる立派な杉正目のタライ桶が見事に蘇り嬉しくなりました。さてどこへ収納展示するか?、今のところ自宅横の海の資料館海舟館の空きスペースもなく思案中ですがワクワク・ドキドキしています。

「タライ桶 昔は立派な 花嫁道具 今は無用の 長物なりて」

「家壊す このままゴミは 忍びない 私の顔を 思い出したと」

「妻・息子 使わない物 集めるな いつまで生きる つもりとやんわり」

「タガを締め 水洗いして 陰干しし 収納品が また一つ増え」

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人間牧場

〇真冬だというのに桜の花が咲いています

 先日、人間牧場で年末恒例の餅つきをしました。この日ついたお餅は丸めたり餡子を入れたりして加工し、ビニールの容器に入れ、餅つきに参加した塾生が持ち帰ったり、日ごろお世話になっている人たちに配って回りました。何せお世話になった人が多いので、思いつくまま配るのに夕方までかかってしまいました。

唐子橋付近の路側帯に咲く桜の花

 配り終えて帰る途中、翠小学校奥の唐子橋付近の路側帯に、新年間近な師走だというのに桜の花の咲いているのを見ました。正確にその桜の樹種は分かりませんが、多分この時期に咲く桜の花は、ヒマラヤ桜ではないかと思われます。私が町役場でまちづくりを担当していた頃、広島県尾道市と合併した因島の若者たちが、私の仲立ちで潮風ふれあい公園に何本かのヒマラヤ桜を植えてくれました。

 残念ながらその後の管理が行き届かなかったのか、はたまた気候風土が合わなかったのか数本だけを残し枯れてしまいましたが、今も潮風ふれあい公園の斜面にヒマラヤ桜が何本か残っていて、この木と同じように花を咲かせているのです。温暖化の影響でしょうか?。今日は真冬とは思えないほど気温が上がり、今朝などはウォーキングでさえ汗をかくほど暖かく、ニュースでは11月中旬並みの陽気で20度近くまで気温が上がったと報じていました。

 桜は日本を代表する花木です。春の桜は何とも言えない艶やかさがありますが、まるで狂い咲きのようにこの時期、一本だけ咲いている桜の花もまた風情があり、私は近くに車を止め、一人花見と洒落込みました。お餅配りのお陰で良い花に巡り合いました。

「餅配り 帰りの道で 路側帯 桜が咲いて しばし見惚れる」

「春桜 ほどではないが 秋桜 珍しいゆえ 嬉しくなりて」

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人間牧場

〇「後世に残したい双海の方言」発刊

 私が代表を務める双海史談会ではこの2年程、2月に1回の例会で双海町の方言について勉強してきました。その途中町内の公民館祭りに展示したり伊予銀上灘支店でロビー展をしたりしましたが、それらの幾つかを収録して、「後世に残したい双海の方言」という冊子にしようということになりました。

発刊した双海の方言集

 銀行のロビー展がご縁で、伊予銀行の地域文化活動助成制度の助成を申請したところ、幸いにも申請が認められ20万円の助成金をいただくことになりました。早速印刷の準備をなった結果、このほど100ページほどのA版「後世に残したい双海の方言」発刊の運びとなりました。

出版記念懇親会をやろうという話になって先日(12月12日)、事務局の中尾さん繋がりの竹山荘(松山市川の郷町)で小宴を開きました。令和元年最後の満月の綺麗な夜だったため、余計心に残る宴席となりました。新しく出版した冊子には双海を代表する365語が収録されています。

早速近々地元小中学校の児童や生徒・先生方に贈呈すべく策を練っていますが、私としてはこの365話を紙芝居にして、あちらこちらに広めて行きたいと思っています。古いものが段々廃れつつある昨今ですが、民俗学的にも方言は貴重な生活文化遺産なので、これからも大事にして行きたいと思っています。

「史談会 方言学習 積み重ね まとめたものを 一冊本に」

「渡り船 銀行ロビー 展示会 文化活動 助成いただく」

「発刊の 運びとなって 祝賀会 令和元年 満月の日に」

「この冊子 生かしこれから まちづくり 紙芝居でも しようと画策」

 

 

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人間牧場

〇メールで送られてきた集合写真

 先日、国立大洲青少年交流の家で開かれた地域教育実践交流集会の集合写真が、事務局の中尾さんからメール便で送られてきました。毎年のことながら今回は参加者が340人とこれまでで最も多く、交流の家2階の大ホールのステージに集まった参加者が写っている参加者の写真は、人間がまるで米粒のようで、「これが誰」とは判断できないようです。

デジタルで送られてきた地域教育実践交流集会の集合写真

 それでも自分が写っている位置関係から、何人かの人と思しき顔々が思い出されました。いつものことながらメールでこれらのデジタル写真がデーターで、瞬時に届くのですから便利な世の中になったものです。勿論凡人の私にはそのメカニズムなどは分かるはずもなく、ただただ驚くばかりです。

一昨日、事務局の仙波さんから別便メールで、毎年広島県尾道から大勢でやって来る学生さんたちの感想文が届きました。私のようなロートルに今の若者の考えを推し量ることは不可能ですが、こうして送られてきた感想文を読み解くと、時代は変わっても人間の心の不易な部分はそんなに変わっていないし、むしろ新鮮な意見として心に響くのです。

私は学校でパソコンを習っていないアナログ時代の人間です。ゆえにデジタル社会は何とも窮屈で難解ですが、少し前向きな気持ちになってパソコンを使い始めると、色々な便利さや違った気づきがあって便利この上なく、これからも上達は程遠いものの亀の歩みに似て少しずつ、デジタルのお世話になろうと思っています。

「メールにて 集合写真 届いたが まるで米粒 どこの誰だか?」

「自分横 前と後ろの 人分かる 天眼鏡で ぼやけ顔見る」

「メールにて 学生感想 届きたる なるほど頷く 若者意見」

「年齢の せいにしてしまう 事なきよう 進化の努力 惜しまずやろう」

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人間牧場

〇89歳の西田先生をおんぶしてあげました。

 私が主宰する年輪塾にはそれぞれ個性ある人が集まって来ます。その中でも最高齢は大洲市の西田和子さんです。西田さんは御年89歳のご高齢ですが年輪塾大好き人間で、年輪塾の催しがある度に、3年前わらび座の演劇「二宮金次郎」が松山の市民会館で上演された折、協賛出演するため作った赤いブルゾンジャンバーを愛用してやって来ます。

西田先生をおんぶしました

 西田さんは元教員で、ご主人を亡くしてからは一人暮らしをしていましたが、最近下半身が不自由となり大洲市内の施設に入所していますが、長年一緒に活動している田処の亀本耕三さんの、まるで自分の親のような献身的なお世話もあって、昨日の年末恒例の餅つきにも元気に人間牧場までやって来られました。

餅を丸めたり、かまどで炊いたご飯や味噌汁を食べて元気に振舞っていましたが、帰る時亀本さんの車まで、私がおんぶをして送ってあげました。ふと「一握の砂」で有名な石川啄木の「たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽さに泣きて 三歩あゆまず」という歌を思い出しました。

 私は孝行息子でもなかったため、わが母を背負ったことはありませんが、西田先生をおんぶしながら、20年前に80歳で亡くなった母の姿を思い出しました。昨日の夜亀本さんから西田先生を背負った姿の写真がメールで送られてきました。西田先生のはにかみながら背中で笑う姿に感動して、少しウルっときました。いつまでも元気で長生きをして欲しいと願っています。

「年輪塾 最高齢の 塾生は 89歳 未だ現役」

「最近は 下半身が 不自由で 独り身ゆえに 施設で暮らす」

「年輪塾 毎回楽しみ やって来る 赤いブルゾン 着こなしさっそう」

「先生を おんぶしてあげ 車まで 送って啄木 歌思い出す」

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人間牧場

〇野良生えの甘夏柑

人間牧場には樹齢不詳の、人間牧場のシンボルのような大きなヤマモモの木が立っています。周囲には甘柿の木が植えられていますが(他人の畑)、毎年柿の実はカラスの餌食のようで、収穫した記憶がないほどです。多分小鳥が啄み、種を運んだものと思われます。

野良生の甘夏柑)

その横の茂みに甘夏柑の木が一本、今年も黄色い実をつけて立っていますが、実はこの甘夏柑の木は誰も植えた人のいない野良生えゆえに、消毒や剪定、施肥などやった記憶がないのです。それでも毎年コンスタントに実をつけ、6月の初夏になると無農薬ゆえ、人間牧場へ訪ねて来る人から「マーマレードにしたいので分けてください」と頼まれます。その都度「どうぞどうぞ」と言いつ、軽四トラックの荷台の上に乗って収穫し差し上げています。

 今朝人間牧場で餅つき大会を行うため出かけた折、今年の実のなり具合を知るため一枚写真に収めました。今年は既に欲しい人が現れ予約されているので、半年後の6月にははるばる海を越え、依頼主の元へ送られるようです。

「牧場の 隅に野良生え 甘夏柑 今年も果実 しっかり身をつけ」

「消毒や 剪定・施肥など した記憶 全くないのに 元気に育って」

「野良生えと 言うレッテルを 張られたが ど根性甘夏 強さ見習う」

「無農薬 故に加工し マーマレード 北海道の 友だち予約」

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人間牧場

〇早くも水仙が咲き始めました

 今年も暖冬なのでしょうか?。第二人間牧場とでもいうべき池の久保駄馬の畑には、早くも早春の花と思われる水仙の花が咲き始め、馥郁とした香りを漂わせています。双海町は伊予灘に面した北向きの土地なので、ツワブキと水仙の自生地です。ツワブキも水仙も自然の花らしく清楚で、私の大好きな花です。

咲き始めた自生日本水仙の花

 駄馬の畑の水仙は植えた訳でもないのに自然に増えて、今年かなりの頻度で草刈り作業をした結果、茨や下草の埋もれていた水仙がしっかりと成長したようで、恵みの花とも思えます。昨日は餅つき準備のため駄馬の畑に立寄り、早速何本かの水仙を根元の袴辺りで切り取り持ち帰りました。妻は玄関の花器に活けてくれましたが、何とも言えない香りがしています。

このまま水仙の開花が進むと、毎年正月明けに行われる予定の初春水仙まつりも早目なければならないような雲行きで、関係者も頭を悩ませることでしょう。ちなもにわが町の自生水仙には真ん中に金冠のある日本水仙と、八重咲の水仙が自生しているようですが、やはり何といっても日本水仙が容姿・香りともお勧めのようです。

「暖冬か? 自生の水仙 畑畔 いつもの年より 早い開花に」

「里山の 雑草雑木 刈り払い 跡地水仙 わがもの顔で」

「金冠の 日本水仙 上品で 清楚な姿 何ともいえぬ」

「水仙の 根元にハサミ 入れて切る 持ち帰り玄関 妻が生け花」

 

 

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人間牧場

〇イチョウの葉っぱが黄色く色づくのも紅葉と言うのだろうか?

 すぐ山すぐ海と形容される急峻な地形のわが町なので、私の家の前にそびえる本尊山周辺などは、植林や造林が全く行われていない自然林です。こんな山は買い手もない値打ちのない山だと思われてきました。しかしよくよく考えてみれば、人間の植えた杉やヒノキが生い茂る山は不自然林のような気もするのです。

 だとしたら、クヌギやハゼなどの雑木が生い茂る本尊山周辺は人間にとって価値のある山だと言わなければなりません。何年か前一関の金森さんに招かれて一関室根町の公民館へ講演に出かけました。その背後の室根山は宮城県唐桑の漁師さんたちが「海は森の恋人」と称して、山に木を植えたことで有名です。その運動を主導したカキ漁師畠山さんと、後に同じステージに座ってシンポジウムをしましたが、それらのあれやこれやは忘れられない思い出です。

 今はもう真冬なのに地球温暖化や暖冬のせいでしょうか、本尊山周辺はまだクヌギ類の落葉樹が茶褐色の葉っぱをいっぱいつけています。わが家の家庭菜園の甘夏果樹園のすぐ後ろに、ギンナンを採る目的でイチョウの木が植えられています。持ち主のおじさんは既に亡くなっているため、その周辺も今ではイノシシの住処となって、荒れるに任せせていますが、そのイチョウの葉っぱがそれは見事に色づいています。

黄金色に色づいたイチョウの木

イチョウの葉っぱは黄金色なので、紅葉とは言わないのでは?と、馬鹿なことを考えながら紅葉ならぬ黄金葉をしみじみ眺めています。クヌギやイチョウのなど落葉樹の葉っぱが地上に落ちて積もり、その上に雨が降って微生物が分解し腐葉土となる、その腐葉土を潜り抜けた養分を含んだ雨水が川から海へ流れ出て、海への恵みをもたらすのですが、私たち人間はいつの間にかそのことを忘れて、水を飲みながら生きているのです。水の恵みを今一度考えたいものです。

「価値のない 山だと思って いたけれど 自然林こそ 命源」

「漁師さん 山に木を植え 訴える 海と森とは 恋人どうし」

「クヌギなど 落葉あるから 水綺麗 当たり前だが 当たり前じゃない」 

「イチョウの葉 紅葉ならぬ 黄金葉 これもやっぱり 紅葉言うのか?」

 

 

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