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〇公友会の会報

 私が会長を務める県公連OBの会「公友会」の会報が届きました。その冒頭に私の書いた「始まった人生の新しいステージ」という題名の記事が、見開きで2ページから5ページにわたって紹介されています。

小見出しは〇人生のプロローグ(過去)、〇人生の今(現在)、〇人生のエピローグ(未来)で、特に人生のエピログでは、①恩を返し続けながら生きる、②日々の想いを記録しながら生きる、③夢を持ちながら生きる、④実践を積み重ねながら生きる、⑤ニコピンで生きる、⑥ふるさとに生きるについて書きました。

最後の⑥ふるさとに生きるで、「私は日本という国の愛媛県、伊予市、双海町に住んでいます。日本では1/2396万人、愛媛県では1/137万4868人、伊予市では1/3万7177人、双海町では1/3568人です。日本の中心東京では個人の濃度が1/1385万人なのに双海町では、1/3568人と自分の行動が確実に地域のコミュニティに影響を与えていて、それが生きているという実感と直結するのですから。これはとてつもなく大きな喜びです。人々は過疎を嘆いて生きていますが、過疎になればなるほど私のふるさとにおける濃度は増すのですから、ある意味喜ぶべきことかも知れません。過疎を嘆かず「適疎」だと思い、これから足は野につき心は天に向かって開くような心意気で、ふるさとにしっかりと生きたいと思っています。

 ちなみに、会報には、団結を誇る双海軍団の松本宏さん「盛り上がったラグビーワールドカップ2019」、米湊誠二さん「大切な宝物、公民館への熱い思い!」、赤石雅俊さん「PTA活動」も投稿していて、紙上で論陣を張っています。

「公友会 会報届き めくり読む みんなそれぞれ 思いを書いて」

「会報に 双海の4人 投稿し 紙上論陣 面目躍如」

「過去現在 未来について 書きました これから生きる 想いを少し」

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〇イカと寒ブリの粗調理とタコに加え手作りコンニャク

 昨日の朝、地元の漁師福岡さんにイカを自宅まで届けてもらい、また南宇和郡愛南町に住む元村長加幡さんから丸々太った寒ブリを、宅配便で送ってもらいました。早速妻の割烹着を借りて粗調理に挑みました。イカは甲イカとミズイカで、センゴや墨袋をつぶさないよう丁寧に取り除き、水洗いしてパレットに収めました。

寒ブリは専用の出刃包丁をしっかり研いで、頭を落として内臓や尻尾を取り、3枚におろし、ラップをかけて冷蔵庫に収めました。一匹5㎏強の養殖寒ブリは丸々と太り、脂のノリもよく身は刺身、アラは聖護院大根を使ったブリ大根として食卓に上りました。何とその後息子の同級生で漁師をしているの和田さんが、大きなタコを2匹届けてくれました。

タコは網目の小さい玉ネギ袋のような袋に生きたまま入れられていて、外の調理場の流し台シンクで動き回っていましたが、今朝は袋から取り出し、ステンレス製容器に入れて大量の塩でまぶし、何度も擦ってヌメリを取り、先日もち米を蒸した折、軒先に置いていたかまどと羽釜を使って茹でました。

タコや貝類は水から茹でることを妻から教わっていたので、多少降ってる小雨の中、無事柔らかく茹でることができました。今日の夕方親友の西岡さんに自分で作ったコンニャクを届けてもらい、折から帰省している末っ子と久しぶりに夕餉の膳を囲みましたが、イカ・ブリの刺身、ブリ大根、タコの刺身、コンニャクの刺身に加え、妻手作りのハンバーガーまで出て、少々食べ過ぎな美食過ぎる夕食を終えました。満腹~満腹~でした。

「イカにブリ 粗調理した その後に タコや手作り コンニャク届く」

「帰省した 末っ子息子 加わって 夕餉の膳は まるでお客だ」

「漁師町 魚の好きな 私には 日々満足な 料理が並ぶ」

「今年も 運動 食事 気を付けた お陰で病気も せずに何とか」

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〇エンドウ豆の垣

 少し遅れて種を蒔いたため発芽が危ぶまれていましたが、好天と暖冬に助けられて、2畝4列に蒔いたエンドウ豆の種は殆ど発芽して、そろそろ垣が必要となってきました。昨日は比較的網目の小さい漁網を倉庫から取り出し、漁師さんが網を縫う要領で垣網を作ることを思いつきましました

上手くできたエンドウ豆の垣網

 漁師さんから貰った網は多少傷んでいるものもあって、修理しながら縫うので中々はかどりませんでしたが、それでも若い頃7年間も漁師をした経験があるのでズブの素人ではなく、親父が残してくれている漁網を縫うハリに糸を掛け、半日ほどで2つの垣網を作り、早速畑に張って見ました。

 多少窮屈な感じもしますが思った以上の出来栄えで、妻も「あなたって器用ねえ」と褒めてくれました。身内を褒めるのは何とやらですが、褒められると嬉しくて、昨年作って大成功だった収納しているエンドウ豆用の垣網も倉庫から取り出して、明日にでも張ろうと思っています。エンドウ豆が実るのはまだまだ先のことですが、今から楽しみです。

「遅れたが 好天暖冬 恵まれて エンドウ豆の 発芽順調」

「漁師さん 貰った漁網 倉庫から 引っ張り出して 昔の杵柄」

「支柱建て 垣網張って エンドウ豆 はわせる予定 これまで順調」

「器用ねえ 妻に褒められ 有頂天 単純細胞 今も治らず」

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〇お魚とカソベ貝をいただきました

 一昨日の朝、玄関先に出てみると、発布スチロールのトロ箱が置かれていました。いつものことゆえ驚きはしませんが、懇意な町内の漁師さんが朝市の帰りに届けてくれたようで、早速裏の流し台に持って行き粗調理をしました。

トロ箱に入っていたのはホウボウとカナガシラ、それにこちらでは「カソベ」とも「カスべ」ともいう貝でした。ホウボウとカナガシラはよく似た姿形をしていますが、ホウボウには鱗がなく胸鰭が、カナガシラは鱗があって胸鰭が小さいのです。出刃包丁で硬い頭を落として内臓を取り出し、丁寧に水洗いしてパレットに入れ、ラップをかけて専用の冷蔵庫へ収納しました。

 昨晩は妻がカナガシラやホウボウを煮つけてくれましたが、これ中々の味で煮付けの味は、キンメダイなどにも勝るとも劣らない美味で、夕食が進みました。カソベ貝は妻が湯がいて刺身にして食べましたが、カソベ貝ならではのコリコリした食感は、これまた最高で、妻は食べ切れなかった貝の実を、ジッパーのついたナイロン袋に入れて冷凍保存したようで、正月には貝の刺身を味わおうと思っています。

漁師町に生まれ住んで、漁師さんの友だちや親せきがいるお陰で、日常的にお魚が届いて食べれる幸せを噛みしめています。正月にはブリやカンパチも、昨日は親友の加幡さんから御荘ガキが届き、この上ない至福の日々を過ごしています。長生きしそうです。

「玄関先 トロ箱置かれ ホウボウや カソベ貝など 沢山いただく」

「早速に 私の仕事 粗調理 慣れた手つきで 割烹着着て」

「昨晩は ホウボウ煮つけ 食卓に ご飯進んで 健康そのもの」

「お魚と 野菜連日 食べまくる ひょっとしたなら 長生きするかも?」

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〇皆既日食

昨日は皆既日食で楽しみにしていましたが、あいにく一日中雨の降るあいにくの天気で見ることができませんでした。夕方のテレビニュースで沖縄や海外の皆既日食が紹介されていましたが、中には金冠日食もあったようで、映像ながら不思議な天体ショーを見ることができました。

テレビで見た金環日食の様子していた

文明の進んでいなかった昔は、日食や月食がなぜ起こるのかも分からず、不吉な予感とされて何度も大騒ぎしたと記録が残っているそうですが、現代はニュースなどで正確な日時や良く見える場所まで予告され、熱心な天文趣味の人は、金環日食を見るため海外にまで、わざわざ高いお金を出して出かけたようです。

「日食を 楽しみにして いたけれど あいにく雨で テレビ鑑賞」

「日食が なぜ起こるのか 粗方は 知ってはいるが 不思議な現象」

「その昔 皆既日食 不吉だと お祓いまでした 馬鹿げた話」

 

 

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〇令和元年の夕日

 平成から令和に元号が変わって半年余りが経ちました。最初は馴染みのない令和という元号に違和感を持ちましたが、今ではすっかり慣れて、何の違和感も何の間違いもなく使いこなしているのですから不思議です。まだ令和になって間がないため、平成という31年間続いた元号はそれほど古くなったとは思いませんが、気がつけば昭和19年生まれの私は、昭和・平成・令和の3時代を生きているのですから驚きです。

令和最後の夕日夕焼けだと思って見ました

一昨日令和元年の夕日を見ようと、シーサイド公園へ出かけました。既に冬至の日を過ぎているため、科学的には北に向かって、しかも毎日1分ずつくらい日没が遅くなりつつありますが、シーサイド公園から見える夕日は長浜海岸辺りに沈んでいました。この時期は西高東低の冬型の気圧配置が強まって、夕日が雲間に隠れることが多いのですが、今年は暖冬気味で強烈な北西の季節風の洗礼を受けていません。

 新聞やテレビの週間天気予報だと、令和元年の夕日夕焼けを見れる日はそんなに多くないし、私も見る機会はないと思われるので、多分令和最後の夕日見学だと思い、しっかりと見届けました。そして東突堤の先まで歩き、ズボンのポケットに忍ばせていたハーモニカを取り出して、誰もいないことをいいことに、夕日にまつわる曲を2~3曲吹きました。令和2年となる来年もいい夕日が見れますようにと祈りました。

「平成が 令和に替り 半年が 経って違和感 やっとなくなる」

「この冬は 北西強風 休風か? 今年も暖冬 嬉しいけれど」

「歳明けりゃ 令和2年と なりにけり 今年最後の 夕日見納め」

「突堤の 先まで行って ハーモニカ 吹いて一人で 感傷ふける」

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〇年賀状印刷

 私にとって年末の大仕事はしめ縄作りと餅つき、それに年賀状作りです。驚くなかれ現職の頃には交遊も広く800枚もの年賀状を出していましたが、退職後は年金暮らしゆえ?400枚に限っていますが、それでもこの歳にしては多い方だと郵便局の窓口職員さんに言われています。

やっと出来上がった年賀状

大仕事と自分で勝手に思い込んでいますが、現職の頃から長年ご愛顧の印刷会社に、書いた文面をメールで送り、校正の後印刷してもらっているし、住所録も筆王ソフトを使い入力しているので、届いた喪中はがきなどで微調整する程度なのです。それでもプリンターにかけて印字し終わり、郵便局の窓口に持って行き投函すると、何か一仕事を終えたような気がするのです。

最近は年賀状を出さない人も増えてきたようです。届いた年賀状の中にも「年齢を重ねましたので、年賀状での新年のごあいさつは今年限りで終わります」と予告しているものや、年が明けるとパソコンのメール便に、「ハッピーニューイヤー」などと、メールによる手の込んだ年賀状が届いたりするようになりました。

かく言う私も年金暮らしの身ゆえ、63円×400枚=25200円は多少痛い出費ですが、新年早々全国各地から手元に届く年賀状の嬉しさは格別なので、これから先も続けようと思っています。今年はプリンターミスで5枚もプリントミスをしてしまったので、今日にでも買い求めて後始末する予定です。

「今年も 400枚の 年賀状 プリント終えて 郵便局へ」

「本当は 手書きが一番 いいけれど それも叶わず 文明の利器」

「今年も 色々あった 出来事を 10大ニュースで 記録して出す」

「年賀状 歳を理由に 止める人 何人かいて 出そうか迷う」

 

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〇潮風ふれあい公園の桜が満開

 私は双海町役場に勤務していた頃、しもなだ運動公園、ふたみシーサイド公園、潮風ふれい公演という3つの公園の整備事業に関わりました。財政的にかなり厳しい自治体だったゆえに、構想を練ったり国県の理解や助成を受けるのに心血を注ぎましたが、もっと大変だったのはその事業実施とその後の運営でした。

今はすっかり葉桜に

 目の回るような忙しさの中で取り組んだ懐かしい日々も、今となっては思い出の彼方へと遠のきつつつありますが、何かにつけて季節の折々に思い出す光景に出くわすことがあります。先日近所に住む姉が、「潮風ふれあい公園の桜が満開で綺麗だ」と教えてくれました。「エッ今頃桜?」と一瞬思いましたがそうえば現職の頃、講演で出かけた因島でヒマラヤザクラの話を聞きました。環境にも優しいというヒマラヤザクラは真冬のこの時期に咲く珍しい桜で、因島で栽培されているという話でした。

早速話を持ち掛けたところ、青年たちが動いて潮風ふれあい公園までわざわざ苗木を持って植えに来てくれました。当時20本ほどのヒマラヤザクラの苗木を植えましたが、適地ではなかったのか、はたまた管理が悪かったのか生育が悪く、何度か肥料を施し大切に育ててきたつもりでも、残念ながら今では6~7本程度しか残っていません。その中でも一本だけは見上げるほど大きく育ち、今年は11月下旬から咲き始め、先週まで春の桜をしのぐほど見事な花を咲かせてくれました。

ある人が、「進ちゃんたちが植えたんだから『進ちゃん桜』と名前を付けたらどう」と言われましたが、それほどのこだわりもないので、ヒマラヤザクラとして今後も大事に育てて行きたいと思っています。時ならぬこの時期に咲く桜は珍しいので、今年も大勢の人が見に来たようです。このところ忙しくて思うに任せず、昨日桜を愛でに出かけましたが、あいにくも花は散り、葉桜になりつつありましたが、ふれあい公園の管理をしている白方さんから、満開の頃の写真をメールで送ってもらい、バーチャルながら画像で花見をしました。

「公園を 3つも造り あれやこれ 孤軍奮闘 昔懐かし」

「公園に 因島から やって来た 若者たちが 植えた桜咲く」

「冬に咲く ヒマラヤザクラ 満開に なったと姉が 教えてくれた」

「満開の 桜の写真 メールにて 送ってもらい 画像で花見」

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〇冬至カボチャ

 昨日は一年中で一番昼が短く夜の長い冬至でした。あいにく久しぶりの雨で、子どもたちが楽しみにしていたシーサイド公園でのサンセットロマンチッククリスマス「サンタが空からやって来る」も、変更を余儀なくされたようですが、わが家でも縁起を担いで冬至の七種を食べました。

昨日の夕食に「ん」のつく冬至カボチャ(南瓜)を食べました

 七草と言えば春の七草を思い出しますが、冬至の七種はカボチャ、銀杏・金柑・天草・蓮根・人参・饂飩などを言います。要は呼び名の末尾に「ん」がつく食べ物を食べると「運」がつくというのです。カボチャは南瓜、天草は寒天、饂飩はうんどん=うどんと呼び替えればすべて「ん」がつくので納得です。

冬至には柚子を風呂に入れるのは「ゆず=融通が利く」とか、小豆や唐辛子は「赤いものは目出度い」とか、コンニャクは「砂下ろし」とか、色々ないわれを理由にして食べているようですが、いずれも誰かが根拠を考えた冬の暮らしの知恵のようで、余り当てにはできませんが、犬も食わないおまじないとして信じて食べています。

冬至の日、双海町から見える太陽は、一年中で一番西寄りのコースをたどって大分県大分市辺りに夕日となって沈みます。今日から少しずつ日没が遅くなり、6月22日の夏至の日まで北へ北へと移動して、夏至の日には山口県周防大島東和町辺りに沈みます。悠久の時を超えた太古の昔から変わらぬ自然界の営みなのです。

「一年で 一番夜の 長い日は 冬至カボチャを 食べてのんびり」

「知ってるかい? 冬至七種 末尾には 運つくゆえに 妻宝くじ夢」

「ん=運がつく 半信半疑 食べたから 宝くじでも 当たればいいが」

「今日からは 猫の目程に 少しずつ 夕日が沈む 時間遅れる」

 

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〇囲炉裏を囲んで作戦会議

 わが家の敷地内に私設公民館「煙会所」という4畳半の、囲炉裏を切った一戸建ての小さなたまり場があります。私が31歳の時青年の船で太平洋を渡って建国200年のアメリカやメキシコを訪問して帰国後、処志の心を持ち親父の協力を得て自費自作しました。葉隠れの狼煙になぞらえ「煙会所」と名前を付けた私設公民館は、その後多くの人を迎え入れ、私の進化に大いに役立ったことはもちろんのこと、双海町のまちづくりの拠点となり、この煙会所で発想した夢が様々な形になりました。

囲炉裏を囲んで
囲炉裏の火は暖かい

 酒を浴びるほど呑んでいた若い頃は、連日煙会所で酒盛りをしていました。そのことも原因のひとつかも知れません。今では酒の飲めない体になってしまい、昔ほどの利用はなくなったものの、むしろ今では隣接する親父の隠居跡とともに、来客対応の応接室となっています。さて先日、煙会所で私が会長をしている子ども教室の主力メンバーで、今までの反省とこれからの活動を考える作戦会議をすることになりました。作戦会議と言っても別に議題がある訳でもなく、雑談の延長のようなものなのです。

庵主である私の仕事は、来客が来る前にまず囲炉裏に火を起こすことです。四畳半の畳の部屋に掃除機をかけ、固く絞った雑巾で畳を拭いたり、便所の掃除をしたりしながら、細かく割った杉板を杉葉と一緒に燃やして火種を作りました。部屋はあっという間に五里霧中のように煙が充満し、その内部屋が暖かくなるにつて上昇気流が起こり、天井部分の煙穴から煙が外に出始めました。炭をつぎ足し火は順調につきました。その内約束の午後6時が近づくといつもの顔ぶれが揃い、食談は始まりました。

平成の大合併前の双海町時代は行政と住民の距離感が近く、打てば響いていましたが、今は行政との距離感が何となく遠く感じられるようになりました。行政職員や議員さんと面談したり協働したりする機会も徐々に減って来ています。それでも自分の住んでいる町を少しでも良くしたいし、特に未来を背負う子どもたちを育成することはとても大事な活動だと思うのです。自分たちに出来ることは何か、子どもたちをどう育てるのかを自らに問いかける、まさに作戦会議のようないい集会でした。

「煙会所 四畳半しか ない部屋の 真ん中囲炉裏 囲んで議論」

「火を起こし 体と心 ほのぼのと 自分に出来る 夢など語る」

「金がない だったら知恵や 汗を出せ 汗も出なけりゃ 辞表出すのみ」

「子どもたち 育てなければ この町の 未来はないと 口角泡で」

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