〇妻と二人で親友古野セキヱさんを訪ねる(その2)
古野さんは私が公民館主事をしていた若い頃、公民館論文募集の表彰式でお互い入賞し、初めて表彰式に肩を並べて出会いました。その後私が県公連の公民館主事部会長を6年間にわたってやった折、3人の女性の指名主事として古野さんも加わり、活発な活動や交流をしました。
退職後は公友会というOB会にも参加して活動を続け今に至っていますが、私の親しい友人の何人かは既に他界しているので古野さんは、ある意味私の最も親しくて古い友人の一人なのです。古野さんは芸達者な人で、特に書道の腕と文章書きは超一級で、また川柳・短歌・俳句・てかがみ投稿などは度々愛媛新聞の文芸欄欄に紹介されるつわ者です。
昨日は古野さんの義弟の金本先生を交え色々な話をしました。古野さんはご主人を亡くしてから一人暮らしですが、書道師範の腕前を生かして、地元の人たちのために表彰状や会議の看板など、請われるまま書いて重宝がられています。書斎には手作りのパッチワークや自作の書が飾られ、ちょっとした街角美術館のようでした。
古野さんは私と一回り違う申年生まれの87歳です。いわば12年後の私の姿だと思えば、こんな生き方がしてみたいなあと思ったりしながら、女性と男性の暮らしぶりこそ違え生き方に変わりはなく、もう少し頑張って生きようと少し感化を受けました。お暇した後港に戻り、中島は初めてという妻を誘って、短い時間ではありましたが港周辺を散策しました。古野さんにも喜んでもらいとてもいい一日でした。
「私とは 一回り違う 申年で 何かと気が合い 長年付き合い」
「12年 したら私も ああなると 納得しつつ 生き方学ぶ」
「ご近所の 便利屋さんに なっていて 重宝されて 生きていました」
「中島を 初めて訪ねた 妻が言う こんないいとこ 何故に人減る」