人間牧場

〇人間牧場の取材

 昨日は3回も人間牧場へ行きました。「人間牧場を訪ねたい」という人は順番待ちほどではありませんが相変わらず多く、その都度状況や要望に応じて対応しています。普通の人は人間牧場が家の隣の直ぐ近くにあったり常駐していたりするものだと思い、中には「お泊りをお願いしたい」という人まであって様々です。

 人間牧場はわが家から10㎞以上も離れた、標高130mの高台にあるため、家から片道20分以上はかかり、しかも牧場=広い草原のイメージとは程遠く、海と空をコスモス(空想)の牧草に見立てているので、急峻な狭い軽四トラックで案内すると、体が固まる程緊張して「何処へ行くの?」、私「はい天国です」何て馬鹿げた洒落で一笑に付しています。

取材に見えられた女性記者さん

昨日の3人目のお客さんは新聞記者の若い女性でした。4月に新聞記者になって松山支社に赴任したという、車も仕事も初心者マークでしたが、そこは洗練されたマスコミ関係の人で、1時間余りにわたって鋭い質問取材を受けました。その模様は後日の新聞で紹介されるようで楽しみです。

 私への新聞やテレビの取材は、少なくなったとはいえまだまだ多く、私のブログやネットで関連記事を読んだり人の紹介による取材依頼は、断る理由も余りないので臨機応変に対応していますが、取材に来た人から学ぶことも多々あって、昨日もいい勉強をさせてもらいました。

「この歳に なっても新聞 テレビなど 取材も多く その都度対応」

「牧場は 家の近くと 勘違い 10k以上も 離れた場所に」

「牧場は 広い草原 思い込み 海・空コスモス やっと納得」

「昨日今日 何度も牧場 往復し これもまたよし 教育(今日行く)教養(今日用)」

 

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人間牧場

◯シーサイド公園での微笑ましい光景

今日は秋の好天に恵まれました。人と待ち合わせをするため午前中シーサイド公園に行くと、最近よく見かける砂浜での結婚式の前撮りと思われる光景に出くわしました。若いカップルの微笑ましい姿に賛辞を贈ります。

 

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人間牧場

〇秋の夕日夕焼け

昨日は農作業を終えて見上げた、わが家の借景である本尊山が夕日で赤く染まっているのに気が付き、単車を走らせてシーサイド公園へ夕日を見に出かけて行きました。この時期の夕日は空気が澄んでいるため美しく、一眼レフやデジカメを用意する間もなく使い慣れた手持ちのタブレットで、自称日本一と思っている自慢の夕日夕焼けを何枚か写真に撮りました。

 

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人間牧場

〇双海中学校10周年記念式典

10年前、上灘中学校と下灘中学校が統合して双海中学校が誕生しました。あれから早くも10年の歳月が流れましたが、昨日は10周年の記念式典と記念行事がIYO夢みらい館(伊予市文化交流センター)で開かれ、学校評議員として式典に出席しました。本当は漫画家いづみかつきさんの記念講演や双海中フェスタを観劇したかったのですが、松山市コミュニティアドバイザーをしているので、地域力パワーアップ大会に出席せねばならず断腸の思いで中座をしました。でも双海中学校の校歌記念合唱や、校歌を作詞した渥見秀夫さんの校歌誕生物語を拝聴しただけでも良かったと思います。記念式典は自校の体育館を使って行うのが普通ですが、この日は新装なった伊予市文化交流センター(IYO夢みらい館)で行われました。生徒数の少ない小さな学校の生徒が大きな舞台に立てたことを嬉しい事でした。

校長先生の式辞


校歌誕生物語を話す渥見秀夫さん

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人間牧場

〇子ども体験塾収穫祭(その2)

 (芋の茎の佃煮) 餅つきの準備も一段落した頃、更生保護女性会の久保井会長さんと池田さん、城戸さん、西下さんの4人がお手伝いボランティアでやって来ました。早速芋畑から芋の茎を採集して茎の皮を剥いてもらいました。芋の茎は戦時中の食糧難時代を思わせる食べ物で、4人の女性陣も食べた経験がないらしく、私一人だけしか思い出を語ることはできませんでしたが、皮を剥いて水に晒し、茹ではえて灰汁を取った後、砂糖と醤油、鰹節で味を整え、立派な佃煮風に仕上がてくれました。子どもたちも「美味しい美味しい」と言いながら完食でした。

 

芋の皮を剥きました
赤石さんが湯がいてくれました
出来上がった芋の茎の佃煮

(芋堀り) 森田館長さんが中心になって、ロケ風呂下の芋畑で、芋づるを切り、黒いマルチを剥がした畑に子どもたちを入れ、早速芋堀りをしました。5月末に伊方町瀬戸の木嶋さんの仲介で芋づるを分けてもらい、私と出海さんが現地へ取りに出かけて持ち帰り子どもたちが植えた、瀬戸金時ことベニアズマという品種です。約5ヶ月で立派な芋に成長していました。出来は豊作ほどではありませんでしたが、芋餅や焼き芋に使った残りも、子どもたちのお土産にするほど沢山収穫することができました。

森田館長と下小校長先生がつるを切りマルチを剥がしてくれました
子どもたちが畑に入りサツマイモを掘りました

(餡子入りの芋餅) 市販の餡子を女性陣が丸めてくれました。何せ6升のお餅に入れる餡子なので、丸めるのも一苦労でしたが、つき上がったお餅を手際よくちぎりながら餡子を入れてもらい、子どもたちが慣れない手つきで丸めてくれました。さつま芋を一緒につき込んだお餅は柔らかく、子どもたちも5個ずつパックに入れてお土産にに持ち帰りました。わが家でも今朝オーブンで焼いて食べましたが、とても美味しい芋餅でした。

餡子を丸めてくれました

(焼き芋) ドラム缶を切ったかまどに火をおこし、畑で掘り上げたサツマイモを水洗いし、アルミホイルに包んで自分の名前を書き、残り火の上に置いて焼き芋を作りましたが、ベニアズマという品種は「9里よりうまい13里」、つまり9里は栗、13里は日本一細長い佐田岬半島のことを表していて、その言葉の通り栗にも匹敵する美味しさでした。

焼き芋を焼く子どもたち

「芋づるの 茎を昔は 食べていた そんな経験 してるは俺だけ」

「さつま芋 今では美食の 代名詞 食糧難の 時代懐かし」

「芋餅に 餡子を入れて 出来上がり 子どもはみんな 破顔一笑」

「焼き芋も アルミホイルで ほっこりと 栗より美味いと 誉めつつ食べる」

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人間牧場

〇ちょっとの寄り道(その1)

 昨日の公民館研究大会のインタビューダイアローグの登壇者だった、小松未来塾の處淳子さんから別れ際、一枚の小さな紙切れをいただきました。處さんの娘さんが西条市三芳の画廊喫茶ベイシックというお店で絵画の4人展をしているので、暇があったらとの誘いでした。帰り道を迂回すれば次の集会に間に合うかも知れないと思い、カーナビに電話番号で入力して、約4キロ先の画廊喫茶を目指しました。

絵画4人展の處友香さんの作品「乎吸」

小さな喫茶店に到着し中に入ると、お客さんが一人片隅でコーヒーを飲みながら本を読んでいました。私はコーヒを飲まないので悪いと思い、ホットミルクを注文し壁に所狭しと掛けている4人の方々の絵画をさっと見て回り、お目当ての處さんの娘友香さんの3点を、ミルクを飲みながらじっくり鑑賞しました。私の気に入った絵は「乎吸」という日本画でした。手と足が強調された迫力ある気に入った絵に時間をかけました。

 30分前まで公民館大会のインタビューダイアローグのインタビュアーをしていた、心地よい疲れをホットミルクと絵画が癒してくれました。私は取り立てて絵が分かるほど奥の深い人間ではないので、これらの絵がどれほどの価値があるのかは知る由もありませんが、ほんの束の間のちょっとの寄り道でしたが、心が洗われリフレッシュできました。早速帰宅後夕方、處淳子さんに電話を入れ昨日の大会のお礼や見た娘さんの絵画の感想を述べさせてもらいました。

「別れ際 貰った小さな 紙切れが 気になり カーナビ寄り道」

「4人展 絵画見るため 喫茶店 ホットミルクを 注文飲みつつ」

「奥深い 人間じゃないけど 一枚の お気に入り絵に 癒されました」

「絵に見入り 呼吸している こと気づく 思わずハッと しながら呼吸」

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人間牧場

〇忙しい1日でした

 昨日の双海町は秋祭りの日でした。早朝ウォーキングのコースに氏神様である天一稲荷神社があるので、宮出しの予定時間午前6時にそこを通過するよう歩きましたが、辻々に立てられた祭り幟もはためいて呼応点に恵まれ、「ワッショイワッショイ」という掛け声も勇ましく、町内に繰り出したようでした。

 私はあいにく昨日は、聖カタリナ大学の水曜日講義日だったため、自宅を8時過ぎに車で出発し、途中次男の家に届け物を置いて、久し振りに孫娘花菜の顔を見て、自宅から1時間半もかかる大学の北条キャンバスへ向かいました。昨日の講義テーマは「住民とは」だったので、レジメに沿って話しました。

もう一つ大学の授業日と重なったのは、3か月刻みで通院している県立中央病院での検診です。大学の授業が終わり急いで引き返して検査や診察を受けましたが、幸い何事もなくホッとしました。今月の誕生日に後期高齢者のレッテルが張られ、市役所から保険証が送られてきましたが、病院の検査や診察費用が2割から1割いなったお陰で、これから病院費用が今までの半額となり大助かりです。

午後4時ころ自宅に帰り、前日の夕方から昨日の宮入りまで神輿守に出た孫たちの元気な姿も見ることができました。夕方から雨が降る始めましたが、夕食は漁師さんから頂いた立派なサワラの刺身や祭り料理が食卓に並び、舌鼓を打ちながら忙しかった1日を締めくくりました。今日は愛媛県公民館大会が西条市中央公民館であり、インタビューダイアログの進行を務めるためこれからそちらに向かいます。

「秋祭り 大学授業が 重なって 朝からバタバタ あれやこれやと」

「前日の 夜に届いた 大サワラ 腕を振るって 粗調理する」

「病院の 健康診断 結果良 賞味期限が また少し伸び」

「孫たちも 元気に神輿 担いでた ご祝儀貰い 笑顔で帰宅」

 

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人間牧場

〇大きなカボチャ

 一昨日外出先から自宅に帰って玄関の戸を開けると、玄関の土間に大きなカボチャがデンと置かれていてびっくりしました。若嫁に聞けば息子が郡中の町屋に展示していたのを、週末予定している人間牧場での子ども体験塾収穫祭に使ってはどうかと、貰って帰ったようです。

私の体重以上のジャンボカボチャ

 聞けば車から降ろし玄関先へ入れるのに家族総出で苦労したそうです。はてさてこのカボチャは一体何㎏あるのでしょうか?。息子に聞くと「お父さんの体重より若干重い!!」とのことでした。私の只今の体重は55㎏ですから、まあざっと60㎏程度かなと予想しています。

 今日は秋祭りで玄関先に神輿が来るので、このカボチャを息子と二人で軽四トラックに積んで、人間牧場まで運ぶことにしました。あゆみ板ををかけて慎重に積み込みましたが、毛布にくるんで積んだり降ろしたりするのに多少難儀をしました。

先日北海道佐呂間町の親友武田温友さんから沢山の観賞用カボチャも届いていて、これで収穫祭ののディスプレイも全て整いました。あとは当日のイベント準備を前日に行う予定ですが、このカボチャに子どもたちのメッセージを書かせるのも面白いし、重量当てクイズも・・・。子どもたちの笑顔と私たちの夢が広がります。

「玄関に ジャンボなカボチャ 驚いた 週末行事 使う予定で」

「降ろしたり 積んだりするのに 一苦労 私の体重 以上の重さ」

「このカボチャ 誰が作った さえ知らず 子どもも多分 驚くだろう」

「重量当て メッセージ書き などなどと 思い巡らす これまた楽しい」

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人間牧場

〇道後ふなやでの食談会

 食談会は11時30分から始まりました。まず講師として招かれた私が30分卓話をするのです。用意したパソコンなどを使い、食事の前なので楽しいお話をするよう心がけ、あれこれ見繕ってアドリブで話しましたが、皆さんの反応を見る限り大成功のようでした。

卓話の会場風景

 12時になったので、屏風で区切られた隣の会場に席を移し、お品書きに沿って料理長による料理説明が行われました。今回の料理は24節気の一つ霜降がテーマで、次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら、席を同じくした人たちと談笑しつつ秋の風情を満喫しました。

料理長による料理の説明

美味しい料理を堪能しました

 私はどちらかというと肉中心の西洋料理より、魚中心の日本料理が大好きです。昨日は会場が道後プリンスホテルから都合で急遽道後ふなやに変更になって、私的にはラッキーでした。それにしても料理人の腕前は凄いものです。様々な食材を使い、硬過ぎもなく柔らか過ぎもなく、甘過ぎもなく辛過ぎもなく、それでいて季節感を出して見た目に美しく、食べて美味しいのですから言うことなしです。私の話が参加した人たちに、料理の味とともに受け入れられればこの上ない喜びです。食後のアンケート結果やいかに・・・・です。(笑い)

「食談の 卓話頼まれ 出かけたり 美味しい料理 お礼にいただく」

「霜降が テーマの料理 次々と 品替え出され 目と舌楽しむ」

「料理人 素材生かして 腕により 感心しつつ カメラと胃袋」

「前座ゆえ 真打ち料理にゃ 叶わない 引き立て役で 役目を終える」   

 

 

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人間牧場

〇妻と二人で親友古野セキヱさんを訪ねる(その2)

 古野さんは私が公民館主事をしていた若い頃、公民館論文募集の表彰式でお互い入賞し、初めて表彰式に肩を並べて出会いました。その後私が県公連の公民館主事部会長を6年間にわたってやった折、3人の女性の指名主事として古野さんも加わり、活発な活動や交流をしました。

 退職後は公友会というOB会にも参加して活動を続け今に至っていますが、私の親しい友人の何人かは既に他界しているので古野さんは、ある意味私の最も親しくて古い友人の一人なのです。古野さんは芸達者な人で、特に書道の腕と文章書きは超一級で、また川柳・短歌・俳句・てかがみ投稿などは度々愛媛新聞の文芸欄欄に紹介されるつわ者です。

 昨日は古野さんの義弟の金本先生を交え色々な話をしました。古野さんはご主人を亡くしてから一人暮らしですが、書道師範の腕前を生かして、地元の人たちのために表彰状や会議の看板など、請われるまま書いて重宝がられています。書斎には手作りのパッチワークや自作の書が飾られ、ちょっとした街角美術館のようでした。

古野さんは私と一回り違う申年生まれの87歳です。いわば12年後の私の姿だと思えば、こんな生き方がしてみたいなあと思ったりしながら、女性と男性の暮らしぶりこそ違え生き方に変わりはなく、もう少し頑張って生きようと少し感化を受けました。お暇した後港に戻り、中島は初めてという妻を誘って、短い時間ではありましたが港周辺を散策しました。古野さんにも喜んでもらいとてもいい一日でした。

「私とは 一回り違う 申年で 何かと気が合い 長年付き合い」

「12年 したら私も ああなると 納得しつつ 生き方学ぶ」

「ご近所の 便利屋さんに なっていて 重宝されて 生きていました」

「中島を 初めて訪ねた 妻が言う こんないいとこ 何故に人減る」

 

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