人間牧場

〇昼は猛暑日夜は熱帯夜

 遅かった梅雨が明け、ここに来て太平洋高気圧が張り出し、連日35度を超える猛暑日が続いています。加えて夜温が30度を下回らい熱帯夜で、昨晩は寝苦しい一夜を過ごし、朝わが家の庭にラジオ体操で集まって来た子どもたちも、体操をしながら大あくびをして眠そうにしていました。

巣箱の入り口でたむろする蜜蜂
重箱式の巣箱でかさ上げ

 この時期は蜜蜂たちも暑いのか、入居している蜜蜂の巣箱の前には沢山の蜜蜂たちがたむろして、中へ空気を送るべく低周波音を立てながら羽根を思い切り動かしています。多分巣箱の中の巣がかなり大きくなっていると思われるので、昨日は巣箱の下に新たな巣箱を置く作業を思い立ちました。

 昨年も使い、倉庫にしまっていた巣箱を取り出し、少し補修をして作業開始です。蜜蜂に刺されないよう雨合羽を着て、頭の上から防虫ネットをスッポリ被り、手には厚手のゴム手袋をはめ、インパクトやヘラ、ネジ釘などを用意しました。巣を動かすと蜜蜂が騒ぎ出し、それはもう大変でした。雨合羽を着ているのでまるでサウナのように汗が出ました。

ものの5分ほどの作業でしたが、無事何とか設置することができました。その内遠目で観察しましたが蜜蜂の騒動も収まり、これで秋口まで大丈夫のようです。昨年は8月に分蜂し営巣した経験もあるので、注意しながら観察したいと思っています。そうそう、一昨日人間牧場の古い巣箱に新たな蜜蜂の一群が入居しているようでした。

「猛暑日と 熱帯夜にて 蜜蜂の 巣箱入り口 蜂群羽音」

「重箱を 重ねるような 作業する 雨合羽着て 重装備大汗」

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人間牧場

〇新聞に良く載るねえ!!

 昨日親しい友人から電話がかかってきました。この友人は若い頃から様々なまちづくりに関わった人ですが、私より年齢も少し高いので既にまちづくりの第一線を退いて、何をするでもなく悠々の日々を過ごしているので新聞やテレビをよく見ていて、新聞やテレビを観る度に、あれやこれやと感想を寄せてくれるのです。

かく言う私も、15年前に退職し第一線を退いて自由人となっているものの、あれやこれやとまちづくりに関わりながら楽しくやっていますが、「双海=若松」だと思っているこの友人から言わせると、双海は伊予市と合併して伊予市双海町になって15年が経過したというのに、未だにマスコミの露出度が高く、羨ましいというのです。

 私も新聞や雑誌で双海関連の記事を見つける度に、スクラップをしたりパソコンのスキャナーに取り込んで保存し、時にはそのことをfacebookに書いて記録していますが。そういえば人口4千人にも満たない双海町関連の記事はかなり多いような気がしています。

先日愛媛新聞にJR下灘駅ならぬJR上灘駅のネコ駅長の話題が載りました。また現役木造校舎としては県内で一番古い翠小学校の遊具の話題もジュニア新聞で紹介され、方言の記事やカブト虫の記事など、枚挙にいとまがありません。多分こうした記事の最初の出どころは、まちづくりみ長年関わっている仲間たちが、自分のネットワークを使って情報発信をしてくれているからだと思うのです。親しい友人が「羨ましい」と言ってくれた意味は、どうやら次の世代を担う人たちがいることなのかも知れません。

「元気かい 時々電話 くれる友 新聞記事に 話題が及ぶ」

「双海町 イコール若松 思う人 そうではなくて 関係人数」

「そう言えば 合併しても 双海町 新聞テレビ 露出度際立つ」

「わが仲間 第一線を 退いて サンデー毎日 悠々自適」

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人間牧場

〇松山空港カブト虫配布(その2)

 一応の準備を終え、若嫁の作ったサンドイッチとドリンクで軽い朝食を済ませたスタッフ一行は、車に分乗してカブト虫を配布する松山空港へ向かいました。一番機が東京から到着する午前9時までに到着ゲート前のロビーで準備をしたようです。私はあいにくこの日は空港の直ぐ近くの松前町で、いいとこ見つけ隊が主催するサイクリングを手伝わなければならないため参加できず、別行動となりましたが飛行機のエンジン音や機影が見える度に気がかりで、その行方を見ていました。

 カブト虫配布の様子は時々携帯で連絡が入りましたが、サイクリングが終わった昼過ぎには、「用意した虫かご100箱のカブト虫を残らず全て配布し終えた」と安堵の一報が入りホッとしました。午後3時半ころ自宅に帰り、後片付けをしていた息子と久保さんに松山空港での様子を聞きましたが、上々の手応えのようで満足気味で、早くも来年の取り組みについて夢を語っていました。「カブト虫を何故自腹で無償配布するのか?」という疑問も、「里山保全」という基本コンセプトがはっきりして、いよいよ正念場です。

 私にできることは息子たちの活動の後方支援です。人間牧場でカブト虫を養殖飼育したり、今年からクヌギの苗木をドングリから苗木に育てたり、放任園を開墾してクヌギの森を作る準備をしたりと、ロートルな私には少々ハードな肉体労働がつきまとっていますが、体調管理に注意をして10年後のクヌギ林を夢見て頑張りたいと思います。昨日の愛媛新聞地方欄に松山空港でのカブト虫配布の記事が載りました。いつもながら多くの皆さんの下支えがあることに感謝しています。

「飛行機の 音や機影を 見る度に 少し気になり 空を見上げる」

「100箱の 虫かご 全て 配布終え 意気揚々と スタッフ引き揚げ」

「片付けを しながら早くも 来年の 夢を語って 頼もしい限り」

「里山の 保全目論む カブト虫 メッセージ託し 無償で配布」

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人間牧場

〇松前町スポーツ車サイクリングツアー(その2)

 松前町は東西南北4キロほどの、県内でも珍しいまったく山のないコンパクトな町です。北側は伊予灘、東側は重信川を挟んで重信川に架かる2本の橋を渡れば県庁所在地松山です。西は伊予市南は砥部町に囲まれていますが、町の真ん中を国道56号線が走り、松山空港にも近く伊予鉄やJRも走る交通的には便利な町で、数年前中心地に大型ショッピングセンター「エミフル「」が出来て、何となく活気があるものの、何となく騒がしい町に変身しているようです。


台場泉公園

 でも歩いたり自転車で町内を巡って見ると、手付かずの観光資源がいっぱいあって、特に重信川の伏流水が湧く福徳泉、有明、ひょこたん池という3つの親水公園はとても静かで、町を代表する顔となっています。今回のサイクリングに参加した人たちも、改めてその魅力を存分に味わったようでした。今回第4の親水公園ともいえる台場泉では地元の農家の人が、収穫したばかりの枝豆をザルに入れて洗っていましたが、中々いい雰囲気でした。


有明公園

田園の中を走るツアー一行
ひょこたん池公園


ひょこたん池周辺に咲くヒマワリ

その後訪れた有明公園はまるで岡山倉敷を思わせるような見事な風情を醸していたし、珍名と思えるひょこたん池は周辺に松前町を代表する花であるヒマワリが、今を盛りと見事な花を咲かせ、地元の人がヒマワリ祭りの準備に汗を流していました。前触れなしに訪れたと思われるサイクリングツアーの一行に驚いた様子でしたが、出来れば地元の人の説明や地元の人との交流も大事だと思いました。


自転車専用道路を走り無事塩屋海岸までたどり着きました

 一行はその後重信川自転車専用道路に出て、重信川河口の塩屋海岸まで一気にスピードを上げて走りました。ここに来てスポーツ車サイクリングツアーの本来の軽快な走りができて、参加者も大満足でした。塩屋海岸で現地解散となりましたが、一行はカフェ「ボイス「」という喫茶レストランまで移動し、昼食を兼ねた反省交流会を行いました。暑いこの時期に熱中症になる人もなく、色々な反省点も見つかりましたが、無事故で安全にツアーを終えたことが一番の収穫でした。

反省会

「公用車 助手席乗って ルポをする 蚊帳の外から 気づき色々」

「松前町 巡って見ると お宝が 眠っています 生かす方法」

「湧水の 四つの公園 それぞれに 魅力いっぱい 水は文化だ」

「人口が 多いだけでは いい町と 言えないことを 知らす取り組み」

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人間牧場

〇庭木の剪定

 夏が来れば「雑草」です。私の夏の仕事は雑草との戦いです。家庭菜園を加えると660坪もある家の周りと、人間牧場の草刈りだけでもかなりの仕事量ですが、最近になって近くに住む姉の家の庭の草刈りに加え、母亡きあと放任園だった駄馬の畑にクヌギの苗を植えようと思い立って始めているので、暇さえあれば草刈り機が休む暇のないほど働いています。

今年も始めた庭木の剪定作業

 この時期は庭木の剪定のシーズンでもあります。親父が生きていた頃は親父が一手に引き受けてやってくれていましたが、5年前からそれも私の仕事の一部となりました。庭には沢山の樹種の庭木が植えられていますが、モミジやクロガネモチ、ツゲなどの雑木類は切りさえすればどこからでも芽を吹いてくれるのですが、松の木ばかりは切り方を誤ると芽吹きしないので、要注意です。

 庭には大小7~8本の松の木が植えられていて、この時期が来ると少し憂鬱になりますが、思い切って脚立を立てて剪定を始めています。私は剪定を誰かに教わった訳でもなく、親父がやっていたのを見ていた程度のド素人です。故に「お父さん上手ね」と褒めてくれるの妻のみですが、まあ「そ・れ・な・り」に仕上がっているようで、自己満足の域を超えていません。

8月10日ごろまでに剪定作業を終え、例年通り迎え火を焚いて先祖を迎えるお盆までにはすっきりしたいと考えています。親父が植えた庭木、私が手入を引き継いだ庭木は、私から息子へと引き継がれる予定ですが、親父が私のことを不安視していたように、私もまた息子のことを「果たして受け継いでくれるだろうか?」と不安視しています。多分造園業者の力を借りることでしょうが、心配しても仕方がないので成り行きに任せ、まあそれもよしとしておきましょう。

「草刈り機 暇さえあれば フル回転 老いを感じる 私にゃ難題」

「不器用と 言われ続けた 私だが 親父亡き後 見よう見真似で」

「雑木は 簡単だけど 松だけは 中々骨が 折れる代物」

「庭手入 私の次は わが息子 親父と同じ 不安がつのる」

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人間牧場

〇スズメバチの駆除作戦(その2)

 夕方午後8時ころ、岡田さんはスズメバチの巣を駆除するため大道具類を軽四トラックに積んでわが家へやって来ました。二階の居間でまるで宇宙服のようなスズメバチ駆除防護服に着替え、いよいよ駆除作戦の開始です。

泥棒ではありません。スズメバチハンターは屋根裏へ
さも自分が獲ったような顔をして、駆除した蜂の巣を持つ孫希心

 どのようにして駆除するのか興味津々の孫たちは、締め切った襖を一か所だけ少し開けて、私や若嫁と一緒に様子を伺っていました。その内天井裏の天井板を開けると、逃げ惑うスズメバチ数匹が羽音を立てて飛び交いましたが、殺虫スプレーが効いたのか、畳の上に落ちてもがいていました。

 ものの5分ほどでしたが、押し入れの上の天袋に入った岡田さんが、白いビニール袋に入ったスズメバチの巣を取りだし、孫たちに見せてくれました。岡田さんはその後持っていた専用の掃除機で屋根裏を掃除してくれました。

 夜と言っても真夏に防護服を着て天井裏に入ると、スズメバチの襲撃に逢う緊張もあって、岡田さんは大汗をかいていました。わが家は孫たちの友だちが、私が造ってやったミニハウスにやって来て遊ぶ機会が多いので、刺される心配もありましたが、これで一安心です。蜜蜂たちは知る由もなく、今朝も巣箱から元気に飛び立ち、蜜集めのために働いています。蜜蜂もスズメバチも同じ蜂の仲間なのに、蜜蜂は大事にされ、スズメバチは親の敵とばかりに殺されます。これも人間のエゴでしょうか?。

「スズメバチ ハンターまるで 宇宙服 屋根裏入り 格闘数分」

「逃げ惑う 蜂が数匹 飛び交って 戦闘さながら 襖の陰から」

「サッカーの ボールのような 大きさの 蜂の巣ゲット これで安心」

「蜜蜂は 大事にされるが スズメバチ 親の敵と ばかりに殺され」

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人間牧場

〇あっ!!イタチだ、キジだ、野ウサギだ

 昨日人間牧場へ草刈りに出かけました。いつものように国道から下浜の暗渠トンネルを抜ける細い山道を軽四トラックで走っていると、茶色のイタチが前をのんびりゆっくり横切りました。あっという間の出来事だったので、スピードを緩めて「お先にどうぞ」とばかりにやり過ごしました。

車の前を横切ったイタチ

草刈りの途中昼になったので、水平線の家の土間に座って、妻が作ってくれて持参した山仕事弁当を食べていると、窓の外のウッドデッキに、それは見事な雄のキジが飛来し、窓の外から家の中の様子を伺っているようでした。持参したタブレットはあいにくウッドデッキの隅に置いていたので、写真に撮ることはできませんでしたが、何とも美し姿を堪能しました。

写真を撮ることができなかった雄のキジ

草刈り作業を終えて帰る途中、駄場の畑近くを車で走っていると、車の前にヨチヨチ歩きの野ウサギを見つけました。野ウサギもハクビシンやイノシシと同じように有害鳥獣なので、本当は捕まえるべきでしょうが、まだ生まれて間もない野ウサギを殺生する気にもならず、車から降りてしばらくの間散歩に付き合いました。イタチと言い、キジと言い、野ウサギと言い、小動物には天国と思える、何とも長閑な田舎の一日でした。

梅雨明けを知らせに草むらから出てきたと思える野ウサギの子ども

「あっイタチ!! 車の前を 横切った 急ブレーキで 難を逃れる」

「牧場の ウッドデッキに 雄のキジ それは見事な 羽を広げて」

「帰り道 車の前を 野ウサギの 子どものんびり お散歩でした」

「イノシシに 出会えばサイクル ヒットだが カラスで代用 長閑な田舎」 

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人間牧場

〇海は広いな大きいな~

 私たちが子どもの頃は、夏休みになると勉強もせず殆ど一日中海で遊んでいました。潜ってサザエやアワビを獲って食べたり、お盆には「盆飯」と言って親しい子どもたちだけ集まって、海岸に石を拾ってかまどを造り、ご飯を炊いて食べたりもしました。海に潜ると大小の小魚が群れ泳ぎ、まるで水族館を見ているようなワールドが広がっていました。

梅雨明け間近な双海の海
静かに波が打ち寄せる渚は絵になる光景です

最近は海に近くに近くに住みながら、意外と海で遊ぶことが少なくなりました。2日前孫に誘われてシーサイド公園の砂浜へ海水浴に出かけましたが、灘町海岸では大勢の学生さんが缶ビールを飲みながらバーベキューを楽しんでいました。シーサイドの砂浜はバーベキュー禁止だし、掃除が行き届いているのでとても綺麗で、私も靴を脱ぎ渚を歩いてみました。

シーサイド公園は道の駅なので、様々な県外ナンバーの車が立ち寄っていました。中には小さな家を丸ごとリヤカーに積んで日本一周をしているという人もいて、一緒に泳ぎに行った孫たちも、その変ったおじさんに話しかけるなど興味津々でした。中庭には私が奄美大島瀬戸内町から貰って植えたデイゴの木が大きく育ち、早くも真っ赤な花が咲き始めています。双海の海はオアシスです。

リヤカーの家を引いて日本一周をしている人に出会いました
孫たちも興味津々で記念撮影しました
中庭には夏を告げる真っ赤なデイゴの花が咲き始めました

「梅雨明けも 間近な瀬戸内 綺麗です 遠くに由利島 ダッシュ島です」

「打ち寄せる 波も静かな 瀬戸の海 靴脱ぎ渚 のんびり歩く」

「リヤカーを 引いて日本 一周を しているおじさん 蘊蓄語る」

「中庭に 真っ赤なデイゴ 咲き始め 夏の訪れ 喜ぶように」

 

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人間牧場

〇孫たちの海水浴に付き合わされました

 夏休みになっても梅雨が明けないため、孫たちは外で思い切り遊ぶこともできず悶々の日々です。海が近くて海で泳ぎたいのに、昼間は両親が働きに出ているためそれもできず、加えて海に海水浴に出かけるには、必ず家族同伴という夏休みの過ごし方の掟があるようです。

トラックの荷台に乗ってご満悦
水しぶきを上げて泳ぐ孫たち
砂の芸術
意味不明の芸術
砂のうんこだそうです

 

そこで孫たちが考え付いたのは、サンデー毎日であるおじいちゃんの利活用です。ところがおじいちゃんことこの私は、外では「育爺」などと格好いいことを言っていますが、中々頑固で、容易なことでは重い腰を上げないのです。孫たちはゴマ摺り作戦に乗り出しました。

「わが家のおじいちゃん」という夏休みの作文宿題に目をつけた孫奏心は、自宅に私に頼んで秘密基地を造ってもらったことを、褒めたたえた作文を書いて私をその気にさせたのです。仕方なく私は孫たちの口車に乗って、軽四トラックの荷台に、海水パンツに着替えた孫たちを乗せ、近くのシーサイド公園ビーチまで行きました。

午後1時に到着した孫たちは、時折小雨、時折晴れ間の天気の中で、何と午後4時までの3時間、泳いだり砂浜で砂遊びをしたりして、大いに楽しんでいました。こちらは階段式護岸の上から5人の監視を続けましたが、昨日は蒸し暑くて何をするでもないのに、大いに汗をかいてしまいました。

途中孫たちは水筒を持参しているというのに、「おじいちゃん喉が乾いたから自販機でジュース」、「小腹が空いたからじゃこ天のお店でじゃこ天「」と、私が財布を持っていたことを知って、甘い言葉につられてしまいました。それでも自宅に戻って潮抜きシャワーを浴びさせて一段落すると、「おじいちゃん今日はありがとう。とっても楽しかった」とお礼を言ってくれました。「また次も頼みます」も忘れませんでした。

「夏休み だのに梅雨明け 大遅れ 海水浴を 孫にせがまれ」

「孫たちは 私に目をつけ 頼み込む 歯の浮くような お世辞並べて」

「3時間 少し小雨や 日が差して 監視の私 一番疲れ」

「おじいちゃん 楽しかったよ ありがとう 次も頼むと 忘れもせずに」

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人間牧場

〇映画二宮金次郎酒蔵上映会に寄せて(その2)

 私は浅学ゆえ、翠小学校の校庭にある二宮金次郎の銅像が左手に持って読んでいる本のかすれた漢字を全て読みきることができなかったため、拓本にとって持ち帰り、町内の小学校3校、中学校2校の校長先生にフアックスで送り、読み方を聞きましたが、残念ながら5人の校長先生から「読めない」と返事がありました。

大阪梅田の古書街で見つけた大学
金次郎が読んでいる大学の一節
塾生素読用のテキスト

 思い余った私は、つてを頼って県教委の国語の指導主事の先生に教えを請いました。指導主事の先生は早速この本が、中国の古書「大学」の一節であることを私に伝え、解説書まで作って私に送ってくれました。その後松山道後にある文教会館で開かれた県内小中学校の校長会の記念講演で、この話を紹介して手を挙げてもらいましたが、残念ながら殆どの校長先生が二宮金治路の読んでいる本のことを知りませんでした。

 その後全国各地を飛び回るように講演活動をしていた頃、北陸福井へ行く途中に立ち寄った大阪梅田駅前の古書街のとある店先で、ノジの抜いた大学という見すぼらしくも古い本が売られているのを見つけました。値札は一万円でしたが、店番の若い女性店員さんとのやり取りで7500円に値切り、念願の大学を手に入れました。全て漢字で書かれている本など、浅学菲才な私は読めるはずもなく途方にくれましたが、その後わたしが塾長をしている年輪塾で、内村鑑三の「忘れられた日本人」に出会い、「先人に学ぶ」をテーマに二宮金次郎を学習することになり、「大学」の素読会が始まりました。

 以来2年以上にわたった学習会は、二宮金次郎七代目の子孫中桐真理子さんを招いて公開セミナーを開くなど、思わぬ方向へと進み、作家童門冬二の本などのかかわりもあって、年輪塾では「処志」育成事業をスタートさせ、既に10人がチャレンジしてその認証を授与しています。一昨年わらび座が二宮金次郎のミュージカルを松山市民会館で上映した時には、年輪塾生が前座で唱歌二宮金次郎を合唱合奏したり、私も少しだけあいさつがてらレクチャーしました。

「大学を 出ている校長 何故だろう? 大学読めない おかしな話」

「校庭に 金次郎像 あるけれど 何の意味ある? 分からぬままに」

「旅先の 梅田古書街 店頭に 古い大学 一万値札」

「金次郎 知れば知る程 奥深い 復興の祖 まだまだこれから」

 

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