〇お弁当の思い出
私は若い頃3年間、家業が漁業だったこともあって跡を継ぐため、3年間宇和島水産高校に遊学しました。学校から歩いて10分ほどの桝形町に下宿して学校に通いましたが、春・夏・冬休みで帰郷したり、遠洋航海で3か月余り実習船愛媛丸に乗り洋上生活した以外は、殆ど毎日下宿のおばちゃんが作って持たせてくれた弁当を食べました。
おばちゃんの作った弁当は「日の丸弁当」で、プラスチック製の弁当箱などなかった時代なので、腹の空く私のためアルミの弁当箱に白いご飯がいっぱい押し込むように詰められ、真ん中に紫蘇に染まった赤い梅干しが乗っていました。その梅干しの酸で蓋はいつしか腐食して、3年間の最後には小さな穴が開いていました。
退職して歳を重ねたつい最近は、人間牧場の草刈りなどの山仕事をする時、決まったように妻が手作りの弁当とともに水筒に入れたお茶を持たせてくれますが、その弁当は日の丸弁当ではないものの、おにぎりの中にわが家で漬け込んだ梅干しをたっぷり入れ、中を割るとまるで日の丸のように見えるのです。
下宿のおばちゃんは、日の丸弁当を何故か新聞紙でくるんでいました。弁当を食べながらくるんだ新聞を読むのもこれまた日課のようでした。先日家の裏に布袋竹のタケノコが生え、大きくなるにつれて根元の竹皮が剥がれましたが、拾い集めて陰干しし、丁寧に布巾で拭き取り、おにぎりを詰めた山弁当を妻に作ってもらいました。
山仕事で心地よい汗をかき、ウッドデッキの木陰で一人竹皮に包んだおにぎりを開けて食べましたが、まるで時代劇に出てくるような竹皮包みのお弁当は、今流にいえば超贅沢な弁当なのです。弁当箱も竹皮も、また弁当箱を新聞紙でくるんだことも、私にとっては遠い遠い思い出の記憶となりつつあるようです。
「若い頃 遊学先の 下宿にて おばちゃん毎日 日の丸弁当」
「白ご飯 押さえて詰めた 真ん中に 真っ赤梅干し 懐かしきかな」
「弁当箱 何故か新聞 くるんでた 新聞読みつつ 弁当食べた」
「竹の皮 おにぎり弁当 時代劇 超贅沢な 食の極みだ」