〇少しだけのお裾分け
私には沢山の知人友人、隣近所、親類がいます。今年の誕生日には生きていたら、後期高齢者となる予定なので、そろそろ社会から忘れ去られても可笑しくない年齢なのです。ところが不思議なことに多くの人が声をかけてくれたり、様々な重過ぎるほどの役割を与えて貰い、毎日楽しく生きています。
私は自称貧乏人なので、お金をかけた遊びや贈り物は余りしません。また何年か前体調を崩してから、あれほど湯水のように飲んでいたお酒も20年前にきっぱり止めたため、会議についている呑み会程度のお付き合いはしますが、プライベートな呑み会も殆どお誘いがなくなりました。
「じゃあ暇か?」と尋ねられたら、そうではなく結構忙しい日々を送っています。この1ヶ月は、年度末のあれこれの会議の合間を縫い、畑の大根で切り干しを作ったり、春の大潮を選んで磯に出てヒジキとワカメを採集し、茹でたり干したりしたものを、お裾分けをしています。そのことを知ってる人はこの時期が来ると、嬉しいことに私が作ったり加工した切り干し大根やヒジキ、ワカメを届けてくれるのを心待ちにしている人もいるのです。
材料は殆どタダですが、手間暇は相当かけていて、特に足繁く降る春の雨は厄介で、庭の干し場に出したり、東屋に取り込んだり、天気に一喜一憂しながらやっています。私のことをわらしべ長者というのでしょうか、家庭菜園の野菜を届けると、漁師さんはお礼にとお魚を届けてくれます。お百姓さんはヒジキやワカメのお礼にみかんを食べきれないほどくれます。
少しだけのお裾分けで、会話をしながらお互いが存在を確認できる幸せは田舎に住む者の特権のような気がするのです。体が動くうちは自分にできるお裾分けをしようと、今日は最後のワカメを配り終えました。マルチをかけたジャガイモも、地中から芽を出し、黒いマルチを持ち上げ始めました。カッターナイフでマルチを切り始めていますが、あと2ヶ月もすると美味しいジャガイモが沢山採れるので、妻と二人でコロッケを作ったりしながらせっせとお裾分けをしたいと思っています。
「この頃は ヒジキ天草 手間暇を かけて加工し お裾分けする」
「お裾分け わらしべ長者と 同じです 昨日はビックリ 大きな大根」
「田舎では 金をかけずに 手間をかけ お付き合いする ほのぼの嬉し」
「この歳に なると普通は 忘れられ 相手にされず 寂しいはずが」