◯従兄弟の見舞い
私の親父は12人兄弟姉妹、おふくろは6人兄弟姉妹、親父とおふくろを除けば合計16人もの叔父や叔母がいます。高齢化社会と言いながらもう何人かはあの世に旅立っていますが、その子ども、つまり私の従兄弟従姉妹となると数え切れないほどの数で、顔さえ思い出せない人もいます。その親しい従兄弟の一人が最近病の床に伏せていて、今日見舞いに行きました。
最近まで元気だった従兄弟は、この1ヶ月ほど食事が進まなくなって、家族の話だと点滴で体力を維持しているとのことでしたが、幸い地元のお医者さんの在宅緩和ケア―と思える手厚い往診を受け、住み慣れたわが家で暮らしています。見舞いに行った私の来訪を大層喜んでくれ、思い出多き積もる話を沢山しましたが、その顔には多少涙が滲んでいました。
ふと、人間は何のために生きるのだろうと思いました。生命保険のコマーシャルではありませんが、「万が一ではなく二分の一の確率」と言われるように、今日本人の死因は二人に一人ガンになるのだそうです。高齢期にガンを患えば、ガンの増殖は遅いものの、体力的なこともあって手術も抗ガン剤を施すこともできず、苦しみながら終末を過ごさなければならないのです。
昔は「生きたくても生きれなかった時代」でした。今は人生百年と言われる長寿社会となりました、「生きたくなくっても生きれる時代」と言いつつ、やはり人間は少しでも長生きしたいのです。迫り来る老いの足音が少しずつ近づいてきていることを実感するようになった今、私はこれからどう生きればいいのでしょうか。強がっても人間は寂しいかな、結局この世から去らなければならないのです。
「兄弟の 多い家系に 生きてます 叔父叔母沢山 高齢迎え」
「このところ 病の床に 伏せている 従兄弟の見舞い やつれてびっくり」
「万が一 ではなく今は 二分の一 ガンの確率 次第に高く」
「結局は 人間誰しも この世から 消えてなくなる 寂しい限り」