〇変わりゆく漁村
私は伊予郡下灘村で生まれました。昭和30年に下灘村と上灘町が合併して双海町が誕生し、下灘村村民から双海町民になりました、平成17年に双海町は伊予市、中山町と合併し新生伊予市が誕生して、双海町民から伊予市民となり今に至っていますが、私は31歳の時一念発起して現在の場所に土地を求めて家を建て、31年間暮らした下灘から上灘へ引っ越しました。いつの間にか43年があっという間に過ぎ、多分今の住所で一生を終わるのでしょうが、幾つになっても忘れられないのは生まれた下灘のことです。
幸い下灘池久保の地に人間牧場を造って活動しているので足繁く下灘に通っていますが、下灘の地も私たちが子どもの頃とは違い随分様変わりをしています。双海町役場に勤めていた関係でまちづくりを行い、特に土地のない急峻な地形を解消するため、海を埋め立て造成地を造る事業に深く関わり、埋め立てのための漁港区域変更や埋め立て計画の申請、用地利用計画などの事業推進を思いを込めてやりましたが、私の手元にはその証拠となる幾つかの資料を残していますが、やがて紙ごみの運命を辿るようです。
人間牧場からは狭い範囲ながらその全貌が一望できます。私は工夫を凝らして豊田漁港の眺望が見えるように設えている牧場からの原風景が大好きで、他愛もないことですが写真に収めたりボ~として眺めたりしています。ここつい最近気がつくのは、豊田漁港に係留する漁船の数が次第に減っていることです。多分このままだと10年後には半減するものと思われます。元気だったかつてこの漁村を支えてきた人たちも歳をとり、親父やおふくろは勿論のこと、他界へ見送った人も沢山います。♭幾年ふるさと 来てみれば なれにし姿は変らねど~♯、少し寂しい気持ちで思わず口ずさみました。
「村民で 生まれたけれど 町民に その後市民に 格上げされて」
「この村で 生まれたことは いつまでも 忘れることなく 生き続けたい」
「この村で 少年時代 過ごしこと 余りに多い 過去の思い出」
「漁船数 10年後には どうなるか 過疎・高齢化 加え少子化」