人間牧場

〇えひめ丸沈没事故から18年

 今年も2月10日を特別な気持ちで迎えました。今から18年前の2001年2月10日は、私が自費出版した「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティを、松山西堀端の南海放送本町会館7階テルスターホールで行うため、その会場を菜の花で飾るべく、特別老人ホーム夕なぎ荘の周辺で菜の花を摘んで自宅へ持ち帰り、青竹筒に指し込む作業をしていました。そこへ近くに住む姉悦子がやって来て、「あんたの母校である宇和島水産高校の実習船えひめ丸がハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦と衝突して沈没したとテレビのニュースが流れている」と教えてくれました。

母校である愛媛県立宇和島水産高等学校
正面玄関横のえひめ丸慰霊碑
慰霊碑碑文
500mの海底から引き揚げられたえひめ丸の錨
記念碑に祈りを捧げてくれた妻
元校長安藤先生の碑文

 急いで部屋に入りテレビをつけると、生々しい現場の惨状が画面に映し出され、立っていられないほどの衝撃を受けました。沈没したえひめ丸は4代目の船ですが、船こそ違え私は初代の愛媛丸(後のえひめ丸)に乗って赤道を越え、オーストラリアにほど近い珊瑚海へ、高校3年生の時遠洋航海に出かけていて、ある意味愛媛丸は私の人生の原点でもあるのです。尊い9人の人命が奪われ、私の出版記念パーティに出席予定だった報道関係の多くの人は急遽キャンセルとなりましたが、出版記念パーティは予定通り行われ盛会に終わり、その後1年間で3千部の自著本は完売しました。

私の自著本には、早いページに愛媛丸での青春時代の思い出として、当時の模様をリアルに書いています。故に余計心が痛み、18年経った今も2月10日という日は忘れることができないのです。そんなこともあって2月10日前後には毎年のように母校である宇和島水産高校を訪ね、正面玄関横の慰霊碑に手を合わせています。昨日も仕事が休みだった妻を誘い出かけました。学校行事として慰霊祭が行われた後だったので、記念碑の前には沢山の花が飾られていて涙を新たにしましたが、私にとってこれまでもこれからも2月10日は特別な日です。

「18年 光陰過ぎて 矢の如し えひめ丸事故 今も忘れじ」

「自著本の 出版記念 パーティーと 偶然重なり 右往左往で」

「今年も 妻を誘って 慰霊碑を 訪ね両手を 合わせ懇ろ」

「愛媛丸 わが人生の 原点と 思いこれから 強く生きよう」

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