〇阪神・淡路大震災から24年
24年前の1月17日、私はいつものように朝5時に起きて、オープン間近い道の駅ふたみシーサイド公園でミニ水族館の、脛まで落とした水槽の水の中に入り、一生懸命水槽の中に付着した水垢を取る掃除をしていました。水槽は4本ありましたが、一番端の水槽に入れていた西洋ナマズが前触れもなく突然暴れ出し、2mもの円筒形水槽上からイベントホールの床にダイビングして暴れ出しました。
私は掃除を止め外に出て、ナマズを大きなバスタオルでくるみ、元の水槽の中へ戻しましたが、「地震が起こる前はナマズが暴れる」とい言い伝えなど、その時は知る由もありませんでした。帰宅した私は阪神や淡路を震源とする大地震が起こり、テレビの画面に映し出された神戸市長田の大火災や、飴のように折れ曲がり倒れた高速道路の橋脚を見ながら、そな惨状の凄さに言葉もなく立ちすくんでたことを、今でもはっきり覚えています。
その後東北沖を震源とする東日本大震災が起こり、未曽有の原発事故や津波災害が6年前にも起こりましたが、悲しみに暮れながらも秩序ある行動をとった日本人の姿は、世界中の人の大きな称賛を受けました。現地では家族や家財を失いながら今も復興・復旧に望みをつなぎ頑張っていますが、被害の爪痕は想像以上に大きく、全国から寄せられた多くの善意に感謝しながら、この寒空下で心を砕きながら生きています。
昨年の7月、愛媛県でも南予を中心に大水害に見舞われ、尊い人命が奪われたばかりでなく人家や田畑、商店、工場に甚大な被害が出ました。幸い私たちの町で人命は奪われなかったものの、山間地のあちこちで道路や河川が土砂崩れに遭い、今も復旧のめどさえたっていない所も沢山あるようです。人間の記憶は日を重ねる毎に薄れ、他人のことゆえ風化しつつあることも事実ですが、忘れることなくしっかりと肝に銘じて日々を生きて行きたいものです。「天災は忘れた頃にやって来る」「人の痛みを自分の痛みと感じるような人間になりたい」ですね。
「水槽で ナマズ騒いで 飛び出した ナマズに地震の 予知能力が」
「24年 あっという間に 過ぎ去った 被災の人には 長い年月」
「天災は 忘れた頃に やって来る 備えておこう 防災意識」
「人間は 得てして人の 痛みなど 気がつかないふり したがる癖が」