〇わくわく生活体験夕焼け村が間もなく始まります
今年も夏休みが終わった9月2日から9月8日までの一週間、「わくわく生活体験夕焼け村」が始まります。一昨日の夜参加者・保護者に対する事前説明会が行われました。今年は36人の申し込みがありました。東雲大学の学生さん10人と、ジュニアリーダー10人、実行委員なども集まり賑やかでした。
大学生スタッフ
ジュニアリーダー
双海より
〇ビニールハウスのトマト片付け
少し早めにトマトの味を楽しもうと、家庭菜園の隅に小さなビニールハウスを建て、トマト栽培にチャレンジして3年が過ぎました。今年も3月に植えた30本ほどのトマトの苗は順調に育ち、沢山の実をつけてくれました。途中側窓を開け忘れたり、側窓網が破られて有害鳥獣の被害にも遭い、少し心配したりしましたが、お陰様で無農薬のトマトをふんだんに食べ、親類や知人友人にもお裾分けして喜んでもらいました。
そのトマトがハウス内にジャングルのように茂り、このところの猛暑に耐え切れなくなってしまったので、昨日そのトマトの背丈以上に伸びた茎を剪定ばさみで切り、ハウス外へ出しました。ただでさえ暑い日中の作業だったので、大汗をかいてしまいましたが、更地になった畑に水をまき、牛糞2袋と山から取ってきた腐葉土を客土として万遍なく撒いた後、夕方狭いハウス内に耕運機を入れて中耕しました。この時期は葉物野菜がないので、とりあえず一畝小松菜の種を蒔き、もう一ヶ月もするとこのハウスの中に、冬の間スムージに使うケールの苗を植える予定です。
立秋も過ぎ、お盆が終わればいよいよ秋蒔きのシーズンが始まります。今年はその目安となる210日は9月1日のようだと、今朝旧暦暦を見て思いました。昨日は雑草に覆われた空き地の草も取り、ハウス内と同じように牛糞を振り撒いた後を耕運機で中耕しました。こうしておくとそのうち降るであろう一雨で土が柔らかくなり、耕作適地となる予定です。今年は世話の甲斐あってオクラとピーマンとキューリが大豊作で、ナスもそれなりに出来、食卓を賑わせています。
「今年も 大豊作の ビニハウス トマト三昧 やっと終わりぬ」
「ハウス内 まるでサウナの ようでした 大汗かいて トマト片付け」
「牛糞と 客土を終えて 耕運機 中耕跡地 今度は葉物」
「来年は あれこれ思い 巡らせる 野菜つくりも 日々の楽しみ」
〇ブライダルからセレモニーへ
私は若い頃公民館に勤務し、生活改善運動の一環として冠婚葬祭の改善に力を入れました。町営の葬儀祭壇、花輪やお返しの廃止、洋服の成人式など、当時としては斬新な取り組みで注目を集めました。特に1万円の会費制結婚式は多くの人が賛同し、公民館に結婚式用の祭壇まで造ったほどでした。故に私は頼まれて結婚披露宴の司会をこれまでに、537組もやっているのですから驚きです。
私が公民館から人事異動で離れた頃から町では青年の流出が始まり、そんな冠婚葬祭への取り組みもいつの間にか姿を消しました。今にして思えば結婚披露宴を町内でするだけで、酒屋や料理屋、写真屋が繁盛したブライダル産業も、遠い昔の出来事になってしまいましたが、ブライダルとともに葬儀事情も随分様変わりしました。残念ながらわが町にはセレモニーホールがないため、人が亡くなると今は市内になりましたが、伊予市郊外のセレモニーホールで葬儀をする人が殆どになりました。
私も歳相応になったため、残念ながらブライダルへの出席は殆どないのに、セレモニー出席は連日のようにあります。葬儀は身内を除けば案内は殆どなく突発的にやって来ます。また新聞のお悔やみ欄で知ることも度々です。幸い昨日は私が会長をしている事務局から訃報のメールが届き、今日の葬儀に予定が既に入っていて参列することが叶わないため、昨晩午後6時からの通夜に参列しました。私の親類の叔父や叔母も段々高齢になって、ある程度の覚悟が必要になってきました。かく言う私も・・・・。
「若い頃 連日あった ブライダル いつの間にやら セレモニーです」
「公民館 生活改善 先頭に 立って奮闘 昔話に」
「わが周り お年を召した 方ばかり 口じゃ言えぬが そろそろあの世」
「メールにて 訃報が届く 時代です 予定キャンセル 出来ず通夜行く」
〇虫刺されと擦り傷が絶えません
夏は草刈りのシーズンです。今年の夏は暑く、昼間は35度を超える猛暑日が続いているので、「熱中症になったら大変だから、やらないように」と、妻や家族に注意されていますが、そういう人たちは誰も私の草刈りを手伝おうとしないので、結局のところ自分の農作業が遅れるだけなの話です。小まめに休憩や水分を補給するなど十分注意をしながらボチボチやっています。
この時期の草刈りは、ブトや藪蚊といった小動物にも悩まされます。そのため腰に缶入り蚊取り線香をぶら下げて作業をしますが、汗をかくとその水分と匂いにつられてアブがまとわりついてきます。アブは背中に止まると服の上から噛みつくので注意をしなければなりませんが、後ろに目がついている訳でもなく、追っ払っても追っ払っても執拗に止まるのです。時々腕に止まったのを見つけて叩き落そうとしますが、敵もさるもの一瞬の間に逃げてしまうのです。
最近マダニのことも気がかりです。私はまだマダニの実物を見たことがありません。息子も孫もマダニに噛まれお医者さんで治療してもらいましたが、マダニで命を落とす人もいるそうなので、注意をしなければなりませんが、小さいゆえ注意をしても防ぎようがありません。私の体は手や首筋など外に出ている場所を中心に、虫刺され跡や擦り傷が絶えません。その都度薬を塗ったりリバテープを貼ったりして対応しますが、そんな小さなことを気にしていたら、農作業は進みません。日焼け止めを塗ることもなく、麦わら帽子と手袋くらいで急場をしのいでいます。
「この時期は 手や首筋に 虫刺され 擦り傷増えて 痒くて痛い」
「マダニとは どんな生き物 まだ私 その姿など 見たこともなし」
「ある知人 マダニに噛まれ 亡くなった 気にしていたら 仕事せず済む」
「ああ今日も 暑くなるなと 腹くくる そろそろ秋の 準備作業を」
〇7月歌会の結果
いつも忘れて督促をいただく、松山五行歌の会の見山あつこさんから、7月の歌会結果報告書が送られていました。私はいつも欠席歌の部なので、いつものように出席歌の部の一席から読み始めました。今回の一席は見山あつこさんの次の作品でした。
雨が止まない
止んでくれない
出番がありませんようにと
祈りながら準備する
非常用持ち出し袋
欠席歌の部に載っている私の駄作です。
一升餅
背負って歩く
孫娘
爺婆四人
老いも忘れて
次のような講評コメントが添えられていました。
☆一歳の誕生日を祝う伝統行事「一升餅」愛媛でもまだ続いているのですね。当の本人はわけがわからず重いお餅(約2キロだそうですよ)を泣きながら背負っている場面も想像できますが、四人のジジババや家族に見守られて誕生日を祝ってもらえる赤ちゃんは幸せです。お孫さんは将来もっと重い荷物を背負わなければいけないときもあるかと思いますが、健やかに成長して欲しいです。という感想も。
その後ろに次のような添え書きメモが朱色で囲ってありました。
【メモ】伝統行事「一升餅」とは
お餅は昔から出産・誕生・祭り・正月・五節句など、ハレの日の重要なものです。一升には「一生」の意味が掛かっていて、おめでたいお餅と合わせることで、「一生食べ物に困らないように」「一生、健康でありますように」といった願いが込められています。また、一升餅の丸く平地たい形には「一生、円満に過ごせるように」という意味合いもあるようです。背負えても背負えなくても、一升餅はどちらもめでたい!立ち上がれたら身を立てられる、座り込んでしまったら家にいてくれる・家を継いでくれる、転んだら厄落としができたといわれます。どちらにしろ縁起の良い一升餅です。
「わが孫に 一升餅を 背負わせて 破顔一笑 家族は平和」
「五行歌に 一升餅の ありのまま 書いて送ると こんなコメント」
「幸せは 感じる心 あれやこれ 家族の成長 私死ぬまで」
「この孫が 結婚するを 見届ける 私何歳 生きればいいか?」
〇天辺がなくなった麦わら帽子
今年の夏はとにかく暑い!!と感じます。殆ど毎日のように行っている農作業も、ささやかなボランティア活動も全て屋外なので、日焼けなど別に気にしなくてもよい年齢でも、熱中症対策としてひさしの広い麦わら帽子を愛用していますが、照り返しの太陽の日差しは殊の外強く、「お父さん、黒くなったねえ!!」と妻に言われたり、時たま会う友人からは、日焼けが元気のバロメーターだと思っているのか、「お元気そうで何よりですねえ!!」と言われる始末です。朝晩洗面台の鏡に映った醜いアヒルである自分の顔を見て、「黒くなったなあ!!」と、自分で納得しています。
ところでこの3年間愛用してきた麦わら帽子がついに劣化し、頭の天辺がちぎれてなくなってしまいました。主な原因は麦わら帽子を被ったまま木々の下を潜り抜ける際、容赦なく麦わら帽子の天辺やひさしを木々にぶち当てるのです。頭を怪我から守ってくれているのですから麦わら帽子には感謝しなければなりませんが、木陰なら天辺がなくっても、むしろ通気が良いのでしょうが、雨や炎天下ではその役目が果たせなくなってしまいました。どうやらそろそろお払い箱のようですが、3年間も愛用している麦わら帽子なので、棄てるに捨てきれず、今朝のゴミ出しにもためらって出せませんでした。
「見すぼらしいしみっともないから、天辺の破れた麦わら帽子はかぶって外にないで」と妻は言い、既に新しい麦わら帽子を買ってくれていますが、古い時代の人間のサガでしょうか、「勿体ない」の心理が何かにつけて働いてこの有様です。気がつけばワンテンポズレていると自覚さえする私には、余りにも急速に進化し続ける現代は、鶴田浩二の歌ではありませんが、住みにくい世の中になった」ものでございます。鶴田浩二の歌を知っている私は相当古いです(大笑い)
「日焼けした 私の顔を 見た友人 お元気そうでと お世辞の言葉」
「3年間 お世話になった 麦わらの 帽子天辺 青空天井」
「見すぼらしい 被らないでと 妻が言う 通気がいいと 理由をつけて」
「古いねえ 勿体ないと いう心 鶴田浩二を 知ってる世代」
〇次の里山保全作戦(その2)
緑のダムとか緑の保全といわれ、戦後日本の各地で進んだ杉や桧といった針葉樹を植林した森の、50年を超すような大きな立木に育って森をなしているというのに、最近の大雨で土砂もろとも崩れている姿を、よく見かけるようになりました。崩れている場所をよ~く見ると、杉や桧の根はそんなに地中深く岩を割って、食い込んでいないことに驚かされます。地滑りに強いと言われていた竹も意外と表面で細根が絡んでいるものの、今回の大雨の土砂崩れ現場でも、竹藪が犠牲に遭っていました。ところが同じ針葉樹の松の木は離島の水もないような岩肌に深く食い込んで、白砂青松の景観を作っていることに驚きますが、クヌギなどの落葉雑木林も国土の保全には必要だと言われています。
カブト虫を飼い始めてから、そのことに少しずつ気づき、里山保全や水資源、土砂崩れ防止、動植物の循環型自然を再生する活動が必要であると思うになり始めています。ミカン園の防風林として植えていた杉の木が残って景観をなしている人間牧場に3年前、初めて10本のクヌギの木の苗木を植えました。この苗木は近くに住む友人の大野さんが、ドングリから芽を出させて育てたものをいただきダメ元で植え、2本は枯れましたが、8本は根を張って太り始めています。息子はそのことに気を良くしたのか、母がみかんを作っていたものの放任園となっている駄馬の畑を開墾して、クヌギの森を作ろうと、大袈裟にも里山保全を思いつきました。
早速駄馬の荒れた畑の下見を行い、この秋ごろから草や雑木を取り除く作業を思いついています。200本が目標ですがとりあえず、100本の苗木を確保したり、今年の秋には近所のクヌギの木の下でドングリの実を拾い集め、種を蒔くことから始めようと思っています。妻は私と息子のこんな他愛のない話を小耳を挟み、「お父さん、自分の歳は幾つだと思っているの?。10年経ったら83歳になるのよ。ドングリを蒔いて芽を出させるなどそん夢みたいなことを・・・」と笑っていますが、まさに夢物語です。でもこんなささやかな余り金のかからない夢に親子で挑戦するのも悪くはないことだと、バカみたいなことに真顔で取り組んでいます。アッハッハです。(大笑い)
「大袈裟な 里山保全 ホラ吹いて 親子真剣 妻に笑われ」
「10年後 歳を考え 首傾げ それでも親子 夢を追いかけ」
「バカ親子 また始まった 呆れ顔 私を巻き込む やめてと妻に」
「わら一本 クヌギ一本 革命だ 小さなことを 一人二人と」
〇赤錆びた線路
西日本を襲った集中豪雨で、予讃線海岸周りの線路にも甚大な被害が出て列車が不通となり、間もなく一ヶ月を迎えようとしています。列車が動いていた時は慣れて気づかなかった列車の存在ですが、動かなくなるとそれはもう大変で、JR四国は代替バスを走らせてはいるものの、高校生を持つ親などは、その不便さの中で朝晩伊予市駅まで子どもを送迎しなければならず、夏休み中とはいいながら、部活の子ども対応に忙しい日々を送っているようです。昨日所用でJR上灘駅へ行きましたが、列車の走らない鉄道線路はまだ1ヶ月だというのに赤錆が出て胸が詰まる思いがしました。一日も早い復旧が望まれます。
〇ミョウガの話
わが家の裏には自然に生えたミョウガ畑が3か所あります。先日の台風12号の残してくれたお湿りで、ミョウガがボチボチ出始めました。緑濃い胸ほどもある葉っぱをかき分けて、白い乳白色の花を咲かせているミョウガを採りますが、ミョウガの下は昼なお暗い場所で、マムシの隠れ家には絶好の場所らしく、時々ミョウガ採りをしていてマムシに噛まれた話を聞くので、長い棒を使ったり手袋をはめたりして注意をしています。
ミョウガはスーパーへ行けば年中出回っていますが、路地物は稲の穂が出揃うこの時期でないと食べれないので、主に薬味用に使っています。先日ミョウガの話をブログに書いたところ、友人の久保さんが、ミョウガの逸話を書き込んでくれました。ある程度は知っていた話しながら詳しい博学に感心したので、書き残したいと思い要らなくなった封筒の裏にメモをしたので、ワードプレスブログに再掲しました。
~仏教の逸話~
「お釈迦様の信徒に物覚えの悪い弟子がいて、教えてもらった端から忘れて、時には自分の名前すら忘れる有様です。しかしの弟子は物覚えが悪いものの真面目に教えを守り、修行に励むことでついに悟りの境地に達しました。自分の名前を忘れぬよう、大きな名札を背負って修行したことから「茗荷」の字名をいただくことになりました。死後遺骸埋葬した地面から見慣れぬ芳香のする草が生えてきたそうです。それがえもいわれる芳香のする草で、茗荷の墓から生まれた草ということで、その草も「茗荷」と言われるようになった」というお話です。
ミョウガは「親に似ぬ子はミョウガの子」とか、「ミョウガを食べ過ぎると物忘れがひどくなる」と言われていますが、それぞれに逸話があるものです。また一つ利口になりましたが、知った知識もすぐに忘れてしまうのが人間の常で、「あれ覚えてる?」と聞けば、「ミョウガを食べ過ぎて忘れてしまった」と、自分の記憶減退をミョウガのせいにしたりするのも面白い話ですが、これからは「茗荷」和尚さんのことを思い出しながら味わいたいと思っています。ちなみにわが家の昨日の夕食はそうめんの薬味にミョウガ、今日はミョウガの天ぷらのようです。ミョウガのせいにして益々忘れ状が良くなるようです。
「わがブログ ミョウガのことを 書きました 友人逸話 書き込み教え」
「仏教の 話知っては いたものの さすが博学 ブログのお陰」
「昨日薬味 今日は天ぷら 立て続け ミョウガ三昧 物忘れひどく」
「ミョウガには ポリフェノールも 含まれて 目にいいそうだ 食べよ食べよう」