人間牧場

〇年輪

 人間牧場を造って間もなく、高知県奈半利町へ講演に出かけたご縁で、高知新聞の販売所を営んでいる坂本利男さんから、高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株をいただきました。駐車場の空き地に置いていたそれは一見みすぼらしい汚れた切り株でした。引き取りに行くのも遠いゆえ、坂本さんに頼んで着払いの宅配便で送ってもらいましたが、その後わが家の倉庫に一旦置いたものの、親父に「邪魔なのでのけて欲しい」と言われました。元々きり株などの細工が大好きな親父に事の来歴を話し、暇があったらテーブルにするよう話しました。「わしには無理だ」と言いながらそのあくる日から、親父はせっせと汚れを落としたり、自動カンナで削ったりしていましたが、運の悪いことに切り株に挟まっていた石片で自動カンナの刃をダメにしてしまいました。

田中大介さんから送られてきた「年輪経営」の本

 それでも何の文句も言わず10日ほど頑張って、立派なテーブルに仕上げてくれました。出来上がったテーブルは高知県馬路村魚梁瀬の千本山にあった年輪を150年も刻んだものだけに、大人3人でやっと持ち上げる重さなので、とりあえず水平線の家の板間に運びテーブルに使おうと思いましたが、偶然にもその上に座布団を敷いて落語ならぬ落伍をやることを思いつきました。そのことが縁で150話を目指す落伍ネタ本「夕日徒然草」を、既に6冊180話執筆出版してるのですから話は発展するものです。

 昨年末の12月29日に、伊予市街の味芳という割烹で、いつもお世話になっているギノー味噌の田中社長さん一家の食事会が行われ、どう言う訳か私一人が招かれました。田中さんは5人の子宝に恵まれていますが、5人とも旧広田村の山村留学で親元を小さい頃に離れた生活を経験しています。長男は既にギノー味噌に入社して製造部門の課長をしていますが、次男大介さんは東大経済学部を卒業後「かんてんぱぱ」で有名な伊那食品工業株式会社に入社して、営業ノウハウを学びながら修行中で、この3月末で修業を終えギノー味噌へ帰って来るようです。

 伊那食品は「年輪経営」を基本理念に業績を上げている優良会社です。年末の食事会で「年輪」について意気投合し意見を戦わせました。一昨日大介さんから「リストラなしの『年輪経営』いい会社は『遠きをはかりゆっくり成長』という伊那食品工業会長塚越寛さんの1冊の自著本が、メール便で送られてきました。興味があったので開封後すぐに読破しましたが、随所に影響を受けたと思われる二宮金次郎の教えがちりばめられていました。私も年輪塾を開塾以来二宮金治郎の教えに共鳴する一人なので、とても参考になる一冊でした。若い大介さんに感謝しています。ちなみに人間牧場に置いている馬路村産魚梁瀬杉の切り株を見ていると、この杉は何度か原因不明の古傷を抱えたまま成長しています。この事実も経営理念に通じるものがあるようです。

  「高知県 馬路村産 魚梁瀬杉 切り株遠い 旅して嫁入り」

  「食事会 たった一回の 出会いにて 年輪議論 忘れず一冊」

  「年輪は 積めば積むほど 強くなる 年輪教え 拳拳服膺」

  「年輪は 歴史の傷を 巻き込んで 成長すると 戒めている」

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人間牧場

〇白髪がいいかハゲがいいかどっち

 昨日近所の人が集まって焚火を囲みながら雑談していました。昔はどこにでもあった焚火を囲む風景も、今ではすっかり見られなくなって寂しい思いをしていますが、田舎のグランドゴルフなどをやっている小さな広場の空き地では、掃除で出た枯葉や会員が持ち寄った薪を危なくない程度燃やして、暖を取っているようでした。話の話題は会員の頭のことでした。「ハゲと白髪とどっちがいい」と、大笑いしながら他愛のない話で大いに盛り上がっていました。

 「ハゲより白髪がいい」とハゲをさげすむような話になると、頭に毛が殆どない人が、これまでの心境を語り始めました。その人は若い頃から髪の毛が少なく、今まで相当悩んだとのことで、一時は高いお金を出してアデランスというカツラを買って使っていましたが、風が吹けば気になり風呂に入れば気になりで、毎日頭のことが気になって仕方がなかったようです。でも若い頃から近視眼で、眼鏡をかけなければならなかった眼鏡コンプレックスを持っていた奥さんから、「ハゲだの眼鏡などという身体に関する、どうにもならないコンプレックスに神経を使うのはもう止めよう」と提案があって以来、ハゲをネガティブでなくポジティブにとらえるようになって吹っ切れたそうです。

 その人も今では「ハゲの哲学」を語り、「ハゲのどこが悪い。風呂に入ると頭を洗うのも造作がないし、帽子を被れば何のことはない。公麿だって本当はハゲている」とハゲたツヤツヤと光り輝く頭を撫でながら自慢していました。その説得力ある言葉にみんな大笑いをしながら納得の手合いでした。白髪の人も負けじとばかりに「わしの頭はシルクハットだ」と自慢話です。見れば焚火を囲んでいる人はみんな70歳を超えた人ばかりで、「どうりで」です。かく言う私の頭はどちらかと言うと白髪です。「親父の頭を見れば息子の将来の頭の姿が見えてくる」そうで、そろそろ髪は長~い友だちを意識せざるを得ない年齢になりました。アッハッハです。

  「お年寄り 焚火囲んで 大笑い ハゲか白髪か どっちがいいか」

  「恐れ入る ハゲの哲学 語る人 まるで自慢を しているようだ」

  「そういえば 鏡に映る 頭見て 晩年親父 似てきた感じ」

  「気にしない 年頃なった 証拠です 悩んだ昔 懐かしそうに」

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人間牧場

〇年賀状の当選番号で3割引きのお買い物

 成人の日の昨日は孫たちの冬休み最後の日でしたが、朝から冬としては珍しいシトシト降りの雨が一日中降りました。ゆえにツリーハウスの作業もできず、前日フジの新聞広告で調べた年賀状の当選番号を持って、妻と二人で松前町のエミフルへ買い物に出かけました。当選番号は下1桁が10%、2桁が20%、3桁が30%の割引で、運よく405番の3桁割引が一枚見つかり、気持ちよく買い物をしました。私はウォーキングシューズ、妻はスラックスズボンが目当てでしたが、土曜日を加えると3連休だし、冬休み、加えてお正月のお年玉を貰った子どもたちで、店内の店内は親子連れや成人式で着飾った若い人たちでかなり賑わっていました。

外は雨でも風でも空調施設が完備しているし、きらびやかで夢のような商品が所狭しと並んでいるので、まるで春が来たような雰囲気でした。聞くところによれば近所のお年寄りは、何を買うでもなく猛暑や厳寒期にはエミフルに散歩のつもり・体力づくりのつもりでやって来て、通行人の列に加わったりして、暇な時を過ごすのだそうです。まさに「枯れ木も山の賑わい」といったところのようです。私たち夫婦のように、自然を友として日常を暮らしている者にとって、エミフルのような商業施設の喧騒は人混みだけで疲れてしまうので、日常的には一年に4~5回といったところで、久し振りの買い物となりました。

混雑を避けて少し早めの11ぞ30分頃に、エミフル内の蕎麦屋で昼食を食べました。この蕎麦屋の蕎麦はいつものことなら美味しくいただき満腹・満足の手合いでした。その後エミフルを出て所用を済ませ、星ケ岡の温浴施設に入湯し、忙しかった年末年始の疲れを癒しました。私も妻も今日からいよいよ本格的な始動です。今年の年末年始は孫との思わぬ約束で、毎日のように寒い戸外の庭先に出て、日曜大工に明け暮れましたが、心配した風邪を引くこともなく過ごすことができました。さあ今年も歳相応で頑張らずに頑張りましょう。

「雨降って 作業ができず 年賀状 3割引きの 買い物出かけ」

  「私靴 妻はズボンを品定め 3割引きで 得した買い物」

  「人混みは 見ているだけで 疲れます 田舎者ゆえ 自然が一番」

  「年末と 年始の疲れ 温泉で しっかり取って 今日から日常」

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人間牧場

〇息子たちの無謀な挑戦

 真冬の寒いこの時期に、しかも夜間たった2~3人で、伊予市街から南予の大洲市まで歩くという計画を息子から聞いた時、「夏の暑い頃の涼みがてらのナイトウォークなら分かるが、馬鹿げてる。止めなさい」といい、家族全員のひんしゅくをかいました。それでも息子と公民館主事の隅田さんの決意は固く、1月5日金曜日の夜予定通り伊予市を出発したようでした。気になりながらも疲れて寝込んでしまったため朝目が覚めて孫に、「お父さんは帰ったか?」と聞くと、「まだ帰ってない」というのです。

 昼前疲れて消衰しきった息子が帰ってきました。聞けば長浜辺りで激しい雨風に遭い、少し雨宿りしたものの止む気配がないため、冷たい雨風に濡れながら遅れに遅れて10時ころに目的地の大洲へ着き、列車で帰ったそうで、帰るとバタンキューでした。子を思う親としては「何という馬鹿げた無謀な挑戦」だと思いますが、それをやり遂げた息子には、少しばかりの小さな拍手を送ってやりましたが、誉める越に入るので面と向かっては誉めるどころか、「余り無理をするな」と戒めました。

 妻は、「あなたの若い頃を見ているようだ」とか、「誰の子でしょう。似んでもいいことばかり似て」とか、開いた口が塞がらないような諦めっぽい言葉を私にしました。いつものことながらいいことは「自分似」、悪いことは「あなた似」なのです。ある部分納得しているものの、最近息子はやることなすこと私に似て来たようにも思えるのです。地域づくりと称して街中で映画祭を開いたり、カブトムシを松山空港で無償で配ったり、一銭にもならないことをまあやりたい放題です。それでも親に似て私心を捨て、地域づくりに興味を持ち、実践しつつあることは誉めてやりたいし心境です。

「この寒い 真冬の夜に ウォークする 無謀思える あえて挑戦」

  「何のため? 意味もないのに やりたいと 思うことこそ 若者特権」

  「雨風に 行く手阻まれ 雨宿り それでも濡れて 進んだ勇気」

  「馬鹿げれる やらない人は 口々に 言うかもしれぬ やった満足」

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人間牧場

〇三年前の自画像

 私が毎日のようにアメーバブログとワードプレスブログの記事は、facebookにアクセスするようになっているので、ショートなコメントとインスタ映えする写真を載せている人に比べると、長文で写真も少ないのでかなり変わっています。人に見てもらったり読んでもらうためより、どちらかというと暮らし記録のつもり、主張のつもりなのでアクセス数は特に気にしませんが、時々読者の目に留まる記事を書くと、アッと驚くほど書き込みがあって、驚いたり返信コメントを送ったりしています。

3年前の自画像
今の私の自画像

 facebookは時々「覚えていますか」という問いかけで昨年、一昨年、3年前の写真が自動的にアップされたりするため、「エッ、こんなことがあったっけ」と驚きながら、その日その時の記事を呼び出して懐かしく読んでいます。昨日は3年前の1月6日の私の自画像が、頼みも操作もしないのにいきなり画面に、「あなたの3年前の写真です」と、PC画面に出て来て大いに驚きました。凡人の私にはそのメカニズムなど知る由もありませんが、感嘆と納得しきりでした。

PC画面のfacebookに登場していたのは、私の3年前の自画像でした。今ならタブレットで自分の写真を撮ることができるようになっていますが、当時はそれもできず多分、誰かに撮ってもらったであろう3年前の自分の写真は、自分で言うのも何か変ですが、今の自分とそれほど変わったような形跡はないのです。試しに昨日の自分の醜い顔をタブレット内蔵のカメラで撮ってみました。まさにビフォーとアフターでした。人間は一日一日を積み重ねて人生を紡ぎます。若い頃は進化著しくても、歳をとると進化どころかいくら嫌だと思っても退化の道をたどります。

 ゆえに、歳をとると写真に写るのを嫌がる人がいます。特に女性はその傾向が強いようです。「手と首は化粧のしようがなく歳相応」とは私の名言ならぬ迷言です。女性はヒアルロン酸やコラーゲン、厚化粧で顔の手入れを怠りませんが、首の老化は止めることができないのです。またいくらネールで飾っても首と同じように手の甲もしわを増してゆくようです。テレビに出てくる顔の美しさを自慢している女優さんも、首と手の甲だけは歳相応です。「首と手の甲を見れば年齢が分かる」、これも私の迷言です。オホホです。

「リンクした facebookに 自画像が しかも3年 前とは参った」

  「そんなには 変わってないと 思うけど 人から見れば 歳相応か」

  「首と手は 嘘をつかない 場所なので 歳を聞かれりゃ 見れば大体」

  「本当は 若いと言って 貰いたい それがどうした 若くもないのに」

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人間牧場

〇果物に囲まれて至福の時を過ごしています

 私たちの町は瀬戸内海に面した気候温暖な町です。南向きの宇和海側から比べると北向きのため、ミカン類の味は今一ですが、それでも年中色々な果物が栽培されていて、収穫の季節になると、あれやこれやと知人友人から果物が届き、ビタミンCの補給に大いに役立っています。年末には少々小ぶりや風傷で傷んだものなど、いわゆる外品と称するものを沢山いただきましが食べきれず、息子や娘の処へお裾分けをしてやりました。

家の中は美味しいミカンで嬉しい悲鳴

 年末には妻の友人の谷江さんにキウイフルーツを沢山いただきました。愛媛県は日本一生産量が多いキウイフルーツの産地で、果肉が緑がかったヘイワードの他、果肉が黄色いゴールドも沢山作っていますが、最近はキウイの葉っぱに潰瘍病が発生し、拡散を防ぐため潰瘍病にかかった畑は、根元から切って焼却処分をしなければならず、農家の方も色々大変なようです。キウイは収穫しても果実が固くすぐには食べられませんが、キウイ10個ほどをナイロン袋にリンゴ一個と一緒に入れておくと、リンゴの酸でキウイが柔らかくなり食べごろになるようです。

この時期になるとポンカンの収穫も始まり、昨日は所用で人間牧場へ行くと、たまたま隣の西嶋さんの奥さんに出会い、ポンカンを20kキャリーに一箱いただきました。この時期のポンカンは晩柑のためまだ味が乗っていませんが、ポンカン独特の甘い香りが漂って、とても美味しくいただきました。年末には田処の亀本さんが渋柿を、ナイロン袋にドライアイスと一緒に入れた段ボール箱を一箱いただきました。「12月20日後食べごろ」と書いていたので開けて毎日のように美味しく食べています。

久保の武田さん、東峰の赤尾さん、池久保の西嶋からも美味しいミカンが届き、果物大好きな私たち夫婦にとってこの時期は、果物に囲まれて至福の時を過ごしています。食べ過ぎないように注意をしていますが、ついつい手が出てしまいます。孫たちや息子夫婦は、ほかに食べるものが沢山ある飽食の時代に生きているので、私たちが子どもの頃のように手が黄色くなるほど食べませんが、それでもビタミンCの補給効果もあって、風邪を引きにくいようです。

「産地ゆえ 果物多く 毎日の ように食べてる お陰で元気」

  「産地ゆえ ポンカン一箱 20K 持ってお帰り いただきました」

  「家の中 あちらこちらに 果物が 幸せですと おすそ分けする」

  「ビタミンC 食べるお陰で 風邪ひかず 健康家族 農家のお陰」

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人間牧場

〇お墓参り

 新春恒例といえば初詣ですが、私たちの地方ではそれとは別で新春早々の1月4日に、お墓参りをする風習があります。お供え用のお餅と干し柿などを細かく切って準備をしました。本当は息子たち家族も一緒にと思いましたが、息子も若嫁も昨日は仕事始めで朝早く出かけたため、少し風邪気味の孫2人に留守番を頼み、少し暖かくして妻と二人で出かけました。まず自分の家のお墓に行き、年末の新しいシキビを挿していた花器に水をつぎ足し、供え物を置いた後線香に火を点けて平安無事を祈りました。

その後同じ墓地内にある姉の家のお墓や、役場在職中お世話になった丸山元町長さんのお墓にお参りして、近況を報告させてもらいました。双海町もご多分に漏れず過疎化や高齢化、少子化が進み、縮む社会は目を覆うばかりですが、嘆いても仕方なく、自分にしかできないまちづくりへの援助をこれからも続けて行きたいと、非力ながら誓いました。お墓参りの途中に北風敏行さん夫婦に出会いました。北風さんは私より年齢が一つ上の先輩ですが、同じ宇和島水産高校漁業科に遊学中、2年間同じ下宿で布団を並べて寝た間柄なのです。この人も青春の思い出です。

下灘の弟の墓地、親類の墓地、妻の実家である八幡浜の墓地と、毎年のように同じ道をたどって足を延ばし、妻の実家にも立ち寄った後正午過ぎに帰宅しました。お墓参りは様々な人間模様を垣間見ることができます。かつては繁栄を極めた家でも、その後の没落でお墓が草に埋もれていたり、お盆やお彼岸さえ訪ねる人もないお墓もあるようです。私たちのような不信心で親不孝息子・嫁ながらも先祖の供養のため、1年に何度かのお墓参りを欠かさない者もいるのですから世の中は分からないものです。これからも生きている限り、先祖あっての自分と心を戒めて、身体の許す限りしっかりとお墓を守って、やがて息子夫婦にバトンタッチしたいと思っています。

「新春は 初詣するが 墓参り する人少ない 世の中理不尽」

 「1月の 4日は必ず 墓参り 先祖の供養 これから先も」

 「繁栄の 証のような ご立派な お墓も今じゃ 草生え寂し」

 「足伸ばし 元町長の 墓参り 残念ながら 成果も出さず」

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人間牧場

〇私は不器用?

 家の細々を一手に引き受けて、あれやこれやも頼めば、必ず見事にこなしてくれていた親父が無くなって2年半が経ちました。畑で鍬を使えば柄を折り、鋸を使えば刃を折るといった風に、何かにつけて小さなトラブルを作っていた私を見て、「お前は不器用だ」と何度烙印を押されたことでしょう。その都度自分自身の非力さを嘆き、「私は生まれつき不器用」だと、ある意味ネガティブに信じ込んでいました。ところが鍬の柄が折れれば自分で治し、石垣が崩れれば自分で積み替えなかればならなくなると、「親父が生きていたらなあ」と思いつつ頼る人もいないので、見よう見真似でやってみると、親父ほどは上手くいかなくても、それなりにできるようになり始めました。

昨年の台風で崩れた石垣などは、まったく未経験ながら、自分の積み替えた石垣がその後立派に復元し、「私は不器用?」と思っていたのに、最も近い存在の妻に褒められたりするとまんざらでもなくなり、「私は器用かも?」と思うようになり始めました。誰と比較して器用なのかは分かりませんが、少なくとも同年代の人に比べるとダントツだと過信の域を広げつつあります。年末に作った正月用のしめ縄も、このところ孫と造り始めたミニハウスも、まあそれなりの出来栄えに満足していて、親父が倉庫に残してくれた沢山の道具類を、少しずつ手入れをしながら使い始めています。

このところ、孫のリクエストに応えてミニハウスを造るため、親父が使っていた2本のノミを砥石で研いで使っていますが、道具類は手入れが一番で、研いだノミは見違えるような働きをしてくれています。不器用さが復活したように、ノミを叩かずカナヅチで手の甲を2度も3度も叩いて、赤く腫れあがっていましたが、そのうち慣れて無駄な動きもなくなり、作業効率が良くなって日常の作業が見違えるように改善され始めています。もう勤めていないので、「日曜大工」ではなく「毎日サンデー大工」として、時折ホームセンターへ立ち寄って、日曜大工の道具類を品定めするなど、ご隠居さんてな感じも出始めた今日この頃です。

「不器用の レッテル貼られ 自分でも 疑いもなく そうだと長年」

 「親父死に 親父の役目 する人も なくってシブシブ 器用開眼」

 「まあ器用 妻の一言 目が覚めた やればできると 思い始める」

 「ノミで穴 ノミを叩かず 手の甲を カナヅチ叩く 目から火花が」

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人間牧場

〇健康を損なう主な要因

 これまでは自分の健康のことなど、余り気にもせず今日まで生きてきましたが、70歳の坂を超えるとさすがに体のあちらこちらに、些細な体調の変化が出始めてきました。別に気にするほどのことではないものの、日本人の健康寿命が72歳程度のことを思ったり、同年代の人が病気になって脱落する姿を目の当たりにするようになると、もっと日々の暮らし方に気を付けなければ、家族に迷惑をかけることになるかも知れないと、自分に言い聞かせ始めています。

 健康を損なう要因は色々あるようです。①喫煙、②ウイルスの感染リスク、③環境汚染、④過剰飲酒、⑤過食・栄養バランスの偏り、⑥外出やコミュニケーション不足、⑦体形の変化、⑧腸内フローラ(有用菌・有害菌・中間菌)、⑨怪我、⑩ストレスなど様々です。タバコはこれまで吸ったことがないし、お酒も18年前にきっぱり止めたので、吸うたり呑んだりする人たちに比べると、健康を損なうリスクは極端に低いようですが、体の中の自分の知らないところで起こる体調変化はどうすることもできないのです。

一番重要と思われる食事については、毎日料理を作って食べさせてくれる、妻のお陰で随分助かっています。妻は成人病の原因になる糖分・油分・塩分を控えた料理を心がけてくれいるので、食べる私が暴飲暴食にならないよう気を使って、ご飯と野菜と魚を中心に食べています。同じものを食べても基礎代謝の盛んな若い頃は、体内分解能力が優れているので何ともありませんでしたが、基礎代謝の落ちる私の年齢になると、過多な食べ物は余剰エネルギーとして体内に蓄積してしまうのです。

そのために食べたものを消化する運動をしなければなりません。歳を取ると運動がきつくなったり怠慢になったりしますが、筋力は歳を取っても鍛えられるのですから、頑張らずに頑張ろうと思っています。私は何が原因か分からぬC型肝炎ウイルスにかかり、昨年はハーボニーという1錠7万円もする高額な飲み薬を84日間飲んで体内のウイルスをやっつけました。近所に住む元気だった従弟も突然リンパ腫にかかり昨年末から治療に専念しています。何が起こるか分からないのが人間の体です。健康を損なわないようにしたいものです。

「健康を 損なう要因 色々と あるが自分で 極力努力」

  「タバコ・酒 口にしないは いいことと 病気のリスク ひとまず安心」

  「昨日今日 何が起こるか 分からない 人間身体 注意してても」

  「気にし過ぎ 病気になった 人もいる 気にせず気にして 元気に暮らす」

 

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人間牧場

〇満月の早朝ナイトウォーキング

 今朝は天気の良い日に起こる放射冷却現象の影響で、毎日早朝5時過ぎに出かけるウォーキングで外に出てみると、屋外駐車の息子の車のフロントガラスに薄く霜が降りていました。ふと西の空を見上げると、それは綺麗で見事な満月の月が出ていて、目が慣れるとまるで白夜のような明るさでした。普通は用心のためLEDの小さな懐中電灯を点けて歩くのですが、今朝はその必要もなく、毛糸の帽子を被り、軍手をはめてのウォーキングです。

満月の月明り

 妻は風邪をひいていますが、年末年始で休みの妻の傍に、朝から晩まで四六時中いながら、風邪をうつされることもなくすこぶる体調がいいようで、今朝などはウォーキングというより軽いジョギングでいつもの道を小走りしましたが、お月様という天然の夜間照明に照らされて、半分の距離の約1.5㎞を快調に走ることができました。ポケットに忍ばせた携帯電話内蔵の歩数計によると、昨日は初も出に出かけたことも夕日鑑賞もあって、目標の1日1万歩をはるかに超えた1万5千歩を刻んでいて、今年も順調な滑り出しのようです。

 いつもの日は闇夜の中を歩くと五里霧中で、周りの景色は見えず風の音や自分の足音しか聞こえませんが、白夜のウォーキングでは辻々に置かれている石仏や、歩く道の行く手も遠くまで見えて、とても印象的でした。何気なく日々を暮らしていると、月の光の明るさなど日ごろは何も感じませんが、潮の満ち引きだって月の引力のなせる業だと思うと、自然のパワーの偉大さをつくづく感じます。月に代わって今度は東の空から朝日が顔を覗かそうとしています。正月2日朝6時30分、今日も穏やかな一日になりそうです。

「ウォーキング 出かけるために 家を出る 西の空上 見事な満月」

  「月明り こんなに明るい ものなのか 懐中電灯 持たずに歩く」

  「潮干満 月の引力 知ってるが パワーの凄さ あらため実感」 

  「風の音 歩く足音 聞くだけの 日々の歩きも 結構楽しい」

スーパームーン
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