人間牧場

〇原稿を書く・送る

 3日前、上灘漁協女性部の松本洋子部長さんから、「原稿を書いて」と依頼を受けました。聞けば昨年農漁業改良普及員のOBさんが双海町へ視察研修に来た折、松本部長さんに頼まれて同席してこれまでの経緯を私が話したことを覚えていて、古い顔なじみの世話役さんから「詳しいことを後ほど書いてください」と頼まれましたが、「そんな暇はない」「原稿を書く能力がない」「私はもう古い」などと言いがかりをつけて断っていたのに、相手は書いてくれるものと信じていたらしく、あれやこれやごねた挙句、結局熟年女性の口車とパワーに寄り切られて、しぶしぶ書くことになりました。

 私は原稿依頼をため込むと苦痛を感じるたちなので、早速一昨日は書斎にこもってA43枚の原稿を書き上げ、松本部長さんに「修正があれば直しますから」と言って手渡しました。頼んで間もない早書きに驚いた様子でしたが、昨日の朝松本部長さんから「年間売り上げ高」の一部修正と、「メール便で送りたいのでメールアドレスメモをじゃこ天のお店に取りに来て送って欲しい」と外出先へ携帯電話がかかってきました。昼前帰宅途中メールアドレスメモを貰いに行き、原稿修正して送ろうとしましたが、私の新しいパソコンではどうしても添付ができず、結局夕方仕事を終えた公民館の隅田さんに助け舟をしてもらい、発送してやっと役目を終えました。

 私は毎日毎朝2本のブログを書いてアップしています。私のブログは少々長文なので毎朝1時間余りかけて、日々の出来事や思いを書いていますが、原稿書きはそれとこれとはまた別問題で、中々大変です。でも毎日のブログ書きが知らず知らずのうちに自分の書く能力を高め、原稿の出来不出来は別問題として、相当スピーディになりました。これも日常訓練のお陰だと思っていますが、どうやら「原稿を書いて」と頼む人たちは、「原稿はお湯を掛けたらすぐできる」くらいに思っているのでしょうが、1日に1,600字×3枚=4800字の原稿書きは中々骨が折れるものなのです。昨日はその余力で2000字のもう一本の原稿を殆ど書き上げ、寒い冬ゆえ書斎にこもって充実した1日となりました。

 「原稿を 書いてください 依頼され ごねた挙句に 押し切られたり」

 「原稿は お湯を掛けたら すぐできる 思っているふし ありあり見えて」

 「ため込むと 発想力が 湧かなくて 拙文ながら 早く仕上げる」

 「新しい パソコンゆえに 原稿を 送る方法 分からず手助け」

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人間牧場

〇手編みの帽子が届く

 昨日の夕方外出先から帰宅すると、郵便局員さんが宅配便を届けに来ていて、学校から帰ったばかりの孫二人が宅配便受け取り用のシャチハタ印を、電話台の引き出しから取り出して受け取ってくれていました。送り主は松前町に住む私の従姉妹からでした。その後双海中学の学校評議員会に出席して帰宅すると、仕事から一足先に帰った妻が、宅配便を開けていて、バッグ3つ、毛糸の帽子2つ、ネックオーマー1つに手紙が添えられていました。

ノジが抜き穴の開いた毛糸の帽子
洋子さんが編んでくれた帽子とネックオーマー

私には父親・母親につながる沢山の従兄弟・従姉妹(いとこ)がいます。この度手作りのバッグと手編みの帽子やネックオーマーを送ってくれた洋子さんは、松前町に住んでいる中の良い同級生です。子どもの頃は悪ガキだった私ゆえ、学校で先生に怒られたり立たされたりすると、同級生なので親に知らされ余り好きではありませんでしたが、そんな思い出も消えてからは家族ぐるみの付き合いとなり、今では同級生ゆえ特に親しくなって、私のブログの愛読者にまでなってくれているのです。

先日下灘の軽トラ市に農作業の服装のまま出かけた折、帰る途中で妹の経営するくじらというお店に立寄りました。私の被っていた穴の開いた毛糸の帽子を見て、「進兄ちゃん、そんな破れた帽子は恥ずかしいから止めたら」と言われました。そういえば私の被っていた毛糸の帽子は、指2本も入るような大きな穴が開くなどノジが抜き、お払い箱にしてもいい見すぼらしいものになっていました。格好など我関せずながら、「それもそうだ」と思っていた矢先の以心伝心のプレゼントに大喜びをしました。

早速今朝は破れた帽子とおさらばして、洋子さんが手編みして送ってくれた毛糸の帽子にネックオーマーという暖かい出で立ちで、朝のウォーキングに出かけました。手袋は先日高松市に住む親友の溝渕雅子さんが送ってくれた手袋でした。今朝も外は氷点下に近い寒さでしたが、お陰様にて冷たさをしのぐことができました。これも幸せというのでしょう。洋子さん、雅子さんありがとうございました。今日も私は元気です。(早速お礼の電話を昨晩入れましたが、洋子さんはあいにく入浴中で、ご主人と短いお話をしました)。

「その帽子 穴が開いてる 恥ずかしい 止めたらどうか 妹言われ」

  「そういえば 指の2本も 出る穴が 開いていました それでも温い」

  「嬉しいね 以心伝心 宅配便 帽子届いて 早速今朝は」

  「プレゼント 毛糸の帽子 手袋で しっかりガード ウォーキング出る」

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〇大型木製ケーブルリール

 先日松山の設計事務所に勤めている息子から、「大型の木製ケーブルリールを貰えるのだが・・・」と電話連絡がありました。とっさにリールの様子は想像できましたが、はてさてどこへ置けばいいのか迷いながら、孫たちのために最近庭に作ったミニハウスの傍に置いて、遊ぶための机にしたらどうか思い立ち、譲り受けることにしました。早速仕事が休みだった息子は、昨日軽四トラックで出かけたようで、外出先から帰ってみるとわが書斎前の庭に大2つ、中2つの計4つがデンと置かれ、折から降り出した雨に濡れていました。

 大型木製ケーブルリールは横倒しにすれば、ただ置くだけで格好のアウトドア―机になりますが、わが家の敷地は660坪もあって置き場に困ることはないものの、それでも風雨にさらせるとすぐに朽ち腐ってしまうので、防腐剤は塗るもののはてさてどこへ置くか、息子や孫と相談して置き場所を決めねばなりません。一番大型の1個は人間牧場へ持ち込んで使おうと思っているので、早速今日にでも善は急げとばかりに運んでおこうと思っています。

 大型リールの円盤はよーく見るとまるで人面にそっくりで、留め金のボルトが目に見え、口のようなくぼみもあって、人が笑っているようにも見えると、孫が見つけてはしゃいでいました。妻は「また変な物を貰って来た。片付かない」と、親子二代にわたる変人ぶりを見て、笑いながら呆れ返っていました。今は寒く戸外でのパーティなどできませんが、春から秋にかけてこのリールを最大限活用して、孫たちとアウトドア―の活動を楽しみたいと思っています。

  「わが息子 誰の子どもか 知らないが いつの間にやら 親と同じに」

  「軽四に 積んで帰った リール見て はてさて思案 生かす手立てを」

  「こんなもの 捨てる運命 可哀そう 勿体ないと 命再び」

  「ここが口 ここがお目目と 孫が言う 頷きながら 家族微笑む」

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〇もしも体中が顔のような皮膚だったら・・・

 毎朝歯を磨いたり顔を洗うため洗面台に向かいます。水道の蛇口をひねり、まるで氷水のような冷たい水を手ですくって顔を濡らすと、それまで起きているのに眠っていたような体が、いっぺんに目覚めシャンとします。そんな時顔の皮膚の強さを無意味なことながら時々思うのです。私のささやかなお宝である何人かの人に貰った葉書の中に、冒険家として北極まで歩いて行った河野兵市さんから頂いた一枚があります。時にはマイナス50度近くまで下がる北極に再び挑んだものの、氷の割れ目に落ちて残念無念ながら帰らぬ人となりましたが、何度か出会った時面の皮の話になって大いに盛り上がったことを覚えています。

痛みかけた毛糸の帽子

 あれほど寒くても人間の顔は服を着せなくてもへっちゃらなのです。「もしも体中が顔の皮膚のようだったら、服を着なくても冬でも大丈夫では・・・」ととてつもなくバカなことを話したら、河野さんも同感だと言ってくれました。今年の冬は殊の外寒く、寒さに弱い私などはヒートテックの肌着をユニクロで買ってもらって、厚着をして耐えていますが、これほど医学が進んだ時代ですから、顔の皮膚をIPS細胞などで増殖し、体中に移植すれば、ストーブを焚いて二酸化炭素を振り撒かなくても済むのになあと、訳の分からぬことを考えていますが、こんな愚かな考えをするのは私だけでしょうか?。

 「♯犬は喜び庭駆け回り 猫はコタツで丸くなる~♭」。ご存知童謡「雪やこんこん」の一節です。最近は犬や猫をペットとして家の中で買う人が増えてきました。聞くところによると最近は犬の数より猫の数の方が多く逆転したようですが、寒さに弱い猫は別として、犬は寒い雪の中でも元気に走り回ります。南極に置き去りにしたタローとジローが酷寒の南極で生き延びた南極物語の感動シーンは忘れられませんが、最近は犬も過保護で服を着せて散歩している姿をよく見かけるようになりました。人間も過保護になって、そのうち顔にも服を着せることが流行る時代が来るのかも知れません。嘆かわしい世の中です。

  「朝顔を 洗う姿を 思う度 顔はどうして 寒くないのか」

  「もしもです 体全体 面の皮 覆い被せば 服を着なくも」

  「バカなこと 考える暇 あったなら もっとましなこと おやりなさいよ」

  「吉宗の 時代のようだ 犬や猫 服を着せられ 暖房の部屋」

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〇孫の成長は早い

 上野動物園のパンダんオ赤ちゃんと同じころの、昨年6月13日に誕生した女の子の孫花菜は、その後パンダに負けないようスクスクと育ち、最近は手足をバタつかせながら、ハイハイができるようになってきました。年末から年始にかけて妻が風邪を引き、移してはいけないと思い、私も何かと忙しかったので、松山に住む次男の家へは行く機会を逸していましたが、幸いメールという優れた現代文明機器のお陰で、ほぼ一週間おきに孫の様子が写真や動画で届き、家ではパソコンを使わない妻に、タブレット端末を使って見せてやると、目を細めながら成長の跡を辿って楽しんでいるようです。

ハイハイができるようになりました

 一昨日まちづくりの仕事で北条立岩へ出かける途中、孫の顔を見ようと次男の家へ立ち寄りました。あいにく孫はお母さんのリスリング内でうつらうつらしていたようでしたが、私の押したチャイムの音で眼覚め、眠気眼で私の顔を「どこの人だろう」という手合いで見つめていました。無理もないことで、正月に会ってから約1ヶ月会っていないのですから、当然のことです。抱っこすると半泣きになるので、床暖房の上に敷いたマットにあお向けに寝かせ、寝返りやハイハイをさせようとしました。最初はきょとんとしていたのに、段々慣れておもちゃや私の腕時計に興味を持ち始め、寝返りとハイハイを披露してもらいました。

孫の成長は早いなあと、わが身に積る老いも忘れて思いました。自分では若いと思っていても、昨日ある人の告別式で久しぶりに出会った、かつての仲間は歳相応の姿でした。多分その人から見れば私も歳相応に見えたに違いありません。また今朝の愛媛新聞の文芸欄川柳に投稿している、かつての先輩にあいさつがてら電話すると、年末に大病を患い、やっと回復しつつあるようでしたが、今年88歳の米寿を迎えたそうです。この孫花菜が20歳になる頃に、私は93歳のおじいちゃんになります。子どもは日に日に成長し進化をして行くのに、私は確実に一日一日老化の一途を辿ります。これも人生です。

「一ヶ月 見ない間に 孫成長 早くも寝返り ハイハイ出来て」

 「爺さんの 顔を忘れて 半泣きの 孫を抱きしめ そこらを歩く」

 「この孫が 20になったら 93 歳の開きは これから先も」

 「進化する 孫に比べて この俺は 退化老化の 坂を下りぬ」

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〇野菜が高い

 このところの厳しい寒さで、冬野菜の値段が高くなり、例年だと安い大衆野菜の大根や白菜までが異常なほど値上がりして、世の主婦たちは悲鳴を上げているようです。こんな時は家の横に家庭菜園を持って、多少いびつでも安心安全な野菜をタダでふんだんに食べれる田舎の暮らしに、多少優越感を覚えます。そんな田舎でも秋口の天候不順で、大根も白菜もこの10年間で一番出来が悪い不作に見舞われました。

菜園から収穫した新鮮な野菜

 天気のことゆえ仕方がないとあきらめていますが、来年こそはとリベンジを誓い、春はまだ遠いのですが今年は少し早めに畑の手入れをしようと、今日は久し振りに畑に出てみました。庭のメダカ飼育壺の中に張った氷が夕方になってもまだ解けないほどの寒さだし、時折海風に乗って白い粉雪も舞はじめ、早々に農作業を切り上げましたが、ハコベ草などは寒くても伸び始め、春の近いことを知らせているようでした。

 妻に頼まれて菜園で、ブロッコリー、カリフラワー、九条ネギ、大根、キャベツ、ゴボウを収穫しました。午前中若嫁に頼まれ同じような野菜を収穫してプレゼントしましたが、今晩はこれらの野菜を使って美味しい料理が即卓に並ぶだろうと、今から楽しみです。ついでに芋坪に保管しているサツマイモも取り出したので、明日は久しぶりに芋焼き器で焼き芋でも焼いて食べようと思っています。

 「このところ 厳しい寒さ 続いてる 野菜高騰 主婦は悲鳴を」

  「田舎ゆえ 家の横には 菜園が 多少いびつだ それでもタダで」

  「人生の まるで楽園 ふんだんに 野菜食べれる 田舎の特権」

  「さあ今日は 野菜たっぷり 食卓に 並ぶであろう 夜が楽しみ」

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〇広島県尾道市因島へ(その2)

 昨年末、尾道市と合併した瀬戸田町の親友金本さんからメールが届き、「因島で講演をして欲しい」と頼まれました。金本さんとは長い付き合いで、ハートフル講座など彼のユニークな講座に何度も邪魔したばかりでなく、彼の口利きで尾道市と合併した近隣の市町村へ何度も講演に出かけているので、喜んで快諾の返信をしました。このように私には全国に沢山の仲間がいて、今もその口利きであちらこちらへ出かけているのです。

会場の玄関ロビーに張られた告知ポスター
講演会場

「当日は私も聞きに行きます」と返事をもらっていましたが、ふれあいセンターの所長さんの話では、どうやら今流行りのインフルエンザにかかったらしく、残念ながら出会うことができませんでした。私の記憶が正しければ金本さんは多分この春定年を迎える60歳のはずです。今定年を迎える人たちにとっての定年は冬の時代で、給料は55歳から抑制され、退職金も減額される上に、年金支給も基礎年金支給さえも据え置かれ、私のように自由人になることすらできず、仕方なく再雇用に甘んじなければならないようで、同情しきりです。

さて今回の講演は高齢者対象でした。ふれあいセンターの玄関先には、まるでお尋ね者の手配書のような、女性職員が作ってくれたという素敵な告知ポスターが張り出されていました。そのポスターのお陰で、会場は満席となるなど嬉しい集会でした。参加者は高齢者なので出来るだけゆっくり分かり易く話すことに心がけ、90分しっかりと話しました。日本人の寿命は今や世界一となり、百歳まで生きることも夢でなくなりました。でも健康寿命と平均寿命には7~8年の開きがあって、人生の最終章を介護もしくは要介護、しかも介護施設で過ごす人が多くなっていることも事実です。健康寿命を延ばしてニコニコ・ピンピン、最後はコロリンシャンと逝きたいものです。

「親友も 定年迎える 歳となる 冬の時代 どう乗り切るか」

 「定年後 バラ色人生 思ってた 現実厳しく 再雇用しか・・・」

 「再雇用 さえも閉ざされ 難儀する 人も周りにゃ 沢山います」

 「ニコニコと ぴんぴん生きて コロリンシャン 願っているが これが中々」  

 

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〇今日は何の日?

 毎朝書斎の机の上に置いているパソコンに向かって約1時間余り、色々なことを考えながら思うがままに、両手の指先を動かして言葉を紡いでいます。パソコンは電源を入れ自分のパスワードを入れると、画面に様々な情報が出てきます。普通は素早くブログ入力画面を呼び出し書いて行くのですが、時々遊び半分でニュースやスポーツ、オークションなども覗いて、遅ればせながら時代の流れをキャッチしていますが、時代はどんどん進化して、退化の道を進んでいる私にはため息しか出てきません。

 パソコンに画面の端に、「今日は何の日?」と書いた表示が出ています。「まあよく考えるなあ」と感心するほど毎日色々な記念日があります。今朝は気休めに開いてみると、「今日はゴールドラッシュの日」だそうです。お金に縁のない自称貧乏人の私には、ゴールドラッシュと聞いてもピンときませんが、私が少年時代に読み、私の人生に少なからず影響を受けた「ジョン・万次郎の生涯」という偉人伝の主人公中浜万次郎も、その後漂流記を読むと、流れ着いた鳥島で、捕鯨船の船長ホット・フィールド船長に助けられ、フェアフェブンで学校に通わせてもらいながら望郷の念を捨てきれず、帰国の機会をうかがっていました。

ジョン・万次郎はゴールドラッシュに沸く地に出かけ砂金取りをして得た資金でボートを買い、捕鯨船に便乗して琉球まで帰り、ボートで日本の土を踏んだのです。ゴールドラッシュと聞いてジョン・万次郎を思い出しました。自称貧乏人といいながら、またゴールドラッシュと無縁といいながら、つつましい暮らしさえすれば年金で、何とか暮らして行けるわが身を思うと、ひょっとしたらささやかながら幸せなのかも知れません。妻は相変わらず当たりもしない宝くじを買い、ゴールドラッシュを夢見ているようです。そうそう妻は昨年、ささやかながら宝くじで1万円が当たったと大喜びでした。妻にとってはゴールドラッシュでした。

「パソコンの 画面毎日 面白い コーナーありて 遊びのつもりで」

 「何気なく 今日は何の日 クリックを ゴールドラッシュ 私にゃ無縁」

 「偉人伝 読んでジョン・万 憧れる お陰で海越え アメリカ行った」

 「わが妻は 昨年末に 宝くじ 一万円で ゴールドラッシュ」

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人間牧場

〇キンリョウヘンのお引越し

 昨年は大不作に見舞われ、蜂蜜の収穫ゼロという結果に終わり、落胆この上ないシーズンでした。ゆえに今年こそはとリベンジを誓っていますが、冬の間にやるべきことは巣箱の製作と設置場所の見直し、それにミツバチの誘因に欠かせない日本ランキンリョウヘンのお世話です。特に大寒に入ったこの時期にはキンリョウヘンを、昨年同様冬の寒さから防寒して、一日でも早く花を咲かさなければなりません。そのため家の裏のラン置き棚からキンリョウヘンをハウスの中へ取り込まなければなりません。

キンリョウヘンの棚置き場は空っぽになりました

ハウス内に取り込んだキンリョウヘン

 独学なので時期的にいつがいいのか分かりませんが、余り早過ぎるとランが弱るので、昨年同様大寒に入ったこの時期を選び、昨日20鉢ほどのキンリョウヘンを、1鉢づつ少し離れたビニールハウス内にとりあえず取り込みました。ビニールハウスはトマトの苗を促成栽培で2月末に植える予定なので、ハウスの隅にアルミスチールを下敷きして、その上に置きました。ビニール内の室温に慣れたら、草を引いたり肥料を施して、花が少しでも早く咲くよう世話をしたいと思っています。

 日本ランのキンリョウヘンは、日本ミツバチが好んで集まる大事な道具です。私のミツバチの師匠である西予市野村町山奥組の井上登さんに、毎年切り花を届けてもらい対応してきましたが、出来るだけ自立をしようと、1鉢を2鉢に、2鉢を4鉢にと株分けしたお陰で、既に20鉢を越えました。仮にこの鉢のキンリョウヘン全てに花が咲けば、井上師匠の力を借りずに養蜂ができることになります。はてさてそんなささやかな夢を叶えたいと思う今日この頃です。今日も一段と冷え込んで、東京では大雪混乱とか・・・。やれやれです。

  「大寒の 寒さを除けて ハウス内 取り込み花を 咲かせる算段」

  「植物に 冬の寒さを 覚えさせ 春が来たぞと 目覚め促す」

  「昨年の 完敗徹を 踏むまいと 綿密作戦 冬の間に」

  「日本ラン キンリョウヘンを 株分けし やっとここまで 努力賜物」

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〇二宮金次郎の銅像との出会い(その1)

 私はひょんなことから二宮金次郎と深くかかわるようになりました。そのきっかけは小学校2年生の時、母校下灘小学校の校庭に建っていた「二宮金次郎の銅像」を見て、「金次郎さんは何の本を読んでいるのだろう?」とふと考えるようになったことです。ある日その衝動を抑えきれず、背の高さ以上もある台座の上に難儀をして登りました。運悪くそこを通りかかった校長先生に見つかり、「危ないから降りてこい」と叱られ、金次郎が手に持っていた本を見ることもなく渋々下りて、校長室へ連れて行かれました。べそをかく私に校長先生は、「あんな危ない所へ何で上がったのか!!」と問い詰めました。私は「金次郎さんが何の本を読んでいるか知りたかったのです」と答えると、「馬鹿たれ、あの本には『いろはにほへと』と書いている」と言われ、それから約1時間校長室の板間でお仕置きの正座をさせられました。

かつて下灘小学校にあった金次郎の銅像
讃岐幸治先生から頂いた金次郎の銅像

 その後長い年月を経ても、「金次郎は何の本を読んでいるのだろう」という私の素朴な疑問は消えませんでした。30歳を超えたある日、愛媛県内で一番古い100年の歴史のあるわが町の翠小学校の校庭に建っている金次郎の銅像を見て、再びその疑問が蘇り、校長先生の許しを得て台座の上に上がり、左手に持った本を見て驚きました。その本には「いろはにほへと」など書いておらず、「一家仁一國興仁 一家譲一國興譲 一人貪戻一國作乱 其機如比」と26文字の感じが、ずらずらと書かれていました。浅学な私に読めるはずはなく、紙と鉛筆で拓本を取り校長先生に読んでもらうよう頼みましたが、残念ながら校長先生も読めませんでした。わが町には当時5つの小中学校があったので、早速各学校の校長先生宛に「読んでくれませんか」とFAXを送りましたが、読めないとの返事でした。仕方なく県教委の国語の指導主事の先生に送ったところ、これが中国の古書「大学」であることが分かったのです。

 その後大阪梅田の古書外の店先で、偶然にもノジが抜き古ぼけた「大学」という袋綴した本を見つけて舞い上がり、1万円の値札だというのに5千円に値切り手に入れました。大学どころか寺子屋へもロクに行っていない金次郎が蛍の光窓の雪を明かりに独学で大学を学び、後の人生の支えや心の戒めとしたことは大きな驚きです。私たち年輪塾の調査によると愛媛県内には現在182体の欽次郎像があり、全国には数えきれないほどの像があるにもかかわらず、その存在や意味すら忘れられようとしています。私の持っている小さな像は長年懇意の愛媛大学名誉教授讃岐幸治先生から頂いたもので、さしずめ県内では183体目の銅像ですが、生きた時代こそ違え、近江聖人中江藤樹もまた伊予大洲藩風早の地で、「大学」と出会い志を立てているたのですから、私のような凡人こそ大学や二宮金次郎の生き方にもっともっと学ぶ必要があるのです。

「わが母校 灘校ですと 言ったなら えっ?と驚く 下灘小中」

  「わが母校 運動場の 隅に建つ 金次郎さん 上がって怒られ」

  「わが母校 金次郎さん 今はなく 野口英世に 替わって久しく」

  「わが母校 金次郎さん 今どこに? 腕折れゆえに 写真のみしか」

 

 

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