人間牧場

〇赤いブルゾンジャンバー

 国立大洲青少年交流の家で開かれた第10回地域教育実践交流集会の2日目の目覚ましトークを前に、年輪塾小番頭の松本さんから一枚のブルゾンを手渡され、「塾長さん、このジャンバーを着て壇上へ上がってください」と言われました。目覚ましトーク・インタビューダイアローグのインタビュアーとして、約90分間4人の登壇者を相手に回し人の役目をする台本が、グルグル頭の中で渦巻きました。

小番頭が作ってくれた赤いブルゾンジャンバー

 ブルゾンを着て壇上へ上がることはできるが、「どこでどう参加者に違和感なく気づかせるか?」、中々難しい宿題でした。幸い今年は近江聖人中江藤樹が鳥取米子から大洲に来てから400年という意義ある年だし、大洲青少年交流の家の真鍋所長は年輪塾の塾生でもあり、辻先生に書てもらった「五事を正す」という掲額も所長室の入り口に飾っているので、結局は「地域教育とまちづくり」というダイアローグのテーマでの討論会のまとめを中国の古書「大学」で開眼した中江藤樹と二宮金次郎の数奇な運命になぞらえました。

 赤いブルゾンの背中にかかれた、「KINJIRO」の白抜き文字は見事な広告塔になりました。ダイアローグの大役を終わって壇上から降りると、何人もの人が私の所にやって来て、名刺を交換しながら「大学」や「五事を正す」、赤い「ブルゾン」が欲しいとねだられましたが、私は義兄の法事に行く時間が迫って、お後よろしく会場を後にしました。来年2月2日には松山市民会館で劇団わらび座によるミュージカル金次郎が行われる予定です。赤いブルゾンジャンバーの波紋はさらに広がりそうな気配です。

  「この赤い ブルゾンジャンバー 着て上がれ 小番頭から 言われアドリブ」

  「90分 司会しながら あれやこれ 考えながら 機会伺う」

「ブルゾンを 着て壇上に 上がったが 似合っているか 全く分からず」

  「ブルゾンで また新しい 物語 できそな気配 お後よろしく」

 

 

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人間牧場

○貰った竹トンボ

昨日の夜の交流会は大いに盛り上がりました。交流会の呼び物は何と言っても、全国から集まった参加者が持ち寄ったおみやげ品の競り市です。勿論毎年のことながら競り人は私で、双海から参加した冨田さん、小西さん、本多さん、赤石さん、隅田さん、宇津さんに手伝ってもらい、たくさんの商品を格安で競るのです。今年もお酒の勢いや雰囲気に飲まれた参加者の財布の紐は緩み放しで、次々と、あっという間に、あれほどの品物を一つ残さず処分してしまいました。私は競り人を務めて買うことができなかったので、松山の本田市議さんが哀れに思ったのか、竹トンボを2つくれました。2人の孫へのお土産ができました。売上は4万円弱で、このお金は集会の運営費に使う予定です。

本田さんから頂いた竹トンボ
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人間牧場

〇ツリーハウスの設計図

 小さかった内孫二人も、いつの間にか小学校2年生と4年生になって、大人の言葉が理解できるようになり、私も妻も毎日会話を交わしながら同居の楽しさを存分に味わっています。2年生になっている孫奏心は、数日前から勉強の合間を縫って何やら設計図のようなものを書いています。私との雑談で、庭の隅にある大きなクロガネモチの木の上に、ツリーハウスを作りたい夢を語っていましたが、「設計図を画いたらどう?」と、私が言った一言が心を動かしたのか、スケッチ帳に窓越しに見えるクロガネモチの木を画き、自分の思っているツリーハウスの絵を描き加えていました。

孫奏心が画いた釣りハウスの設計図

私から見れば、小学校2年生にしては中々の力作なので褒めてやると越に入って色々説明し、「おじいちゃん、設計図を描いたのだから冬休みにはツリーハウスを造ってね」と懇願されました。はてさてどうするか?、孫の夢を実現してやりたいし、さりとて余り軽少だと危険だし、「う~ん困った困った」です。私流に頭の中で孫奏心の設計図を思い浮かべながら、とりあえず孫の夢を叶えようと思い立ち、ホームセンターへ立ち寄ったついでに、長さ3mの小ぶりの柱を1本千円で10本購入し、軽トラに積んで持ち帰りました。

今は仕事が忙しく、まだ新年を迎えるまでに鳥取や三重などへ県外出張する予定もあるので少し先のことになりそうですが、どうしたら上手くできるか真剣に考え始めています。孫の夢とお爺の現実が重なり、まさにバーチャルとリアルの融合です。妻は「危ないから止めた方がいい」と消極的で、息子は傍観、若嫁だけが大賛意すが、冒険のできる非日常な人間牧場ならいざ知らず、庭の一角に造るとなるとそれ相応の品格も必要なので、私の財布をはたいて、孫の夢に賭けてみようと思っています。どうやら面白い初夢になりそうな雲行きです。

「内孫が ツリーハウスの 設計図 画いてじいちゃん 造ろうねだる」

  「2年生 大人の言葉 早通じ 夢を共有 できるようなる」

  「よしじいちゃん ツリーハウスを 任せとけ 胸を叩いて 強気発言」

  「初夢に なりそう孫も 喜んで 毎日我に すり寄り会話」

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人間牧場

〇美味しいヒラタケ収穫

 このところ南下している1~2月並みの超一級の寒気の影響で、雪が降ったり氷が張ったりはしないものの、朝夕はめっきり冷え込んで、日中でも10度そこそこまでしか温度の上がらない日が続いています。家にいれば毎日夕方妻が、「今日は寒いからおでん」とか、「今日は鍋物」とか言いながら、暖かいメニューの料理を作ってくれるお陰で、「寒いのも悪くはないなあ」と思いながら日々を過ごしています。

沢山生えて食卓を賑わせているヒラタケ

昨日は人間牧場で収穫した季節外れのシイタケがあるので、シイタケの鉄板焼きを思いついたようでした。加えてみそ汁の具材として裏庭に置いている榎に植菌した、ヒラタケが出ているかも知れないと見回りに行くと、薄い鼠色のヒラタケが程よく出ていました。もう1か月前孫たちが偶然見つけ、バーベキューやみそ汁の具材にして好評だったし、私もその味を確かめていたので早速妻に渡すと、妻は鉄板で焼いたりみそ汁に入れたりして調理してくれました。

電気鉄板プレートで焼いたシイタケやヒラタケ、カボチャ、玉ネギ類は一緒に焼いた豚肉の油がよくなじんで飛びきり美味しく、みそ汁とともにご飯が進み満腹の手合いでした。わが家の通称「駄場」という畑の隅に、一抱えもあるようなかなり大きな榎が立っています。隣の人の畑の陰になるので、そろそろ陰切りをしなければなりません。いつもシイタケの原木を貰う親友の井上さんにそのことを話すと、「早速一緒に切ってヒラタケやナメコの植菌をしよう」と持ち掛けられているので、仕事が一段落したら思いつこうと思っています。また新たな楽しみが増えそうです。

「寒い冬 温もる料理 毎日の ように作って 夕餉楽しみ」

  「裏庭の 榎に植えた ヒラタケが 程よく生えて 美味しく食べる」

  「まだ二度目 だけどその味 抜群で 鉄板焼きと みそ汁具材」

  「美味いもの 食べて幸せ 田舎流 人生まるで 楽園のよう」  

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人間牧場

〇新旧のカレンダー

 「ああもうこんな時期か~」と、家のそこここに吊るしているカレンダーを見ながら、酉年のカレンダーの残り少なくなったのを見つめています。書斎の日めくりカレンダーは残り24枚です。またダイニングに吊るした月めくりカレンダーは、今や最後の一枚になってしまいました。さて来年はどうしようと思っている矢先、今年も新しい月めくりカレンダーがあちらこちらから送られて来始めました。

残り24枚になった日めくりカレンダー
残り1枚になった馬路村のカレンダー
木下さんから送られてきたカレンダー

 3日前高知県馬路村農協に勤めている木下さんから、毎年愛用しているカレンダーが2本セットで届きました。開けると見覚えのあるデザイナーが画いたと思われる墨字で、「森林鉄道から日本一のゆずロードへ」と書かれたカレンダーが出てきました。 今年は昨年までと若干様子が違っていて、日本遺産に認定された記念カレンダーでした。このカレンダーは旧暦や農作業メモが載っているので、私にとっては何かと便利で、また空きスペースへ、1か月の予定が書き込め重宝しています。

 昨日、材木屋を営む親類の従弟が「今月の標語」を墨字で書いたカレンダーを持って来てくれました。これも書斎で使っている日めくりカレンダーとともに、毎年愛用している月めくりなので、早速今年のカレンダーの後ろに掛けました。あとは息子が貰って来てくれる予定の日めくりカレンダーが揃えば言うことなしで、新しい年が迎えられそうです。行く年2017年もまあそれなりにいい年でした。迎える来る年2018年もいい年になるよう、努力したいと思っています。

「早いねえ 残り少ない カレンダー わが歳忘れ 思い出浸る」

「相次いで 新しい年 カレンダー いただきました 早速吊るそう」

「来年も いいことありそう 予感する 思うようには ならないけれど」

「来年は 戌年ですと 貯金箱 JA職員 玄関届け」

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人間牧場

〇今年最後の双海史談会

 2か月に1回だから1年に6回だのに、いつもその巡りを早く感じるのは、やはり歳のせいかも知れないと、自分で納得している今年最後の双海史談会が、昨晩地域事務所の3階の会議室で行われました。普通14~15人のこじんまりした普段着で出かけられる勉強会なので、毎回楽しみにして出かけています。今回は事務局を担当している中尾先生から、案内状とともに、明治43年ころに発刊した、「上灘村郷土史第7章・地体」のコピー資料が同封されていて、予習をして参加するよう添え書きがありました。

今年最後の史談会
明治43年発行の上灘村郷土史

開封後、県外出張があったりしたため、全てを読み解すことはできませんでしたが、古文書といいながら崩し字も比較的少なく、読めない字もありましたが、何とか意味は理解できました。開会後早速、磯田先生に手厚くサポートしてもらいながら、みんなで輪読を試みました。今回の「地体」は、上灘川河口周辺一帯の灘町集落形成に関わる興味深い話なので、みんな感心しながら文字を声に出して読みなぞりました。沢山出てきた小字名はいずれ何かの方法で調べてみようという話にもなりました。

気が付けば、私も双海史談会の副会長らしく(笑い)、今年最後の〆のあいさつをするよう中尾先生から指名され、思わずハッとしてしまいました。すっかり忘れていた副会長という責任も果たさないまま、木曽会長さんや中尾事務局長さんにおんぶにだっこで一年を終わろうとしていますが、少し性根を据えて取り組まなければならないと反省しました。私が双海町の教育長時代、合併で双海町という自治体がなくなる前に、双海町史を編纂発行しました。そのことがきっかけで始まった史談会ですが、これからも次の世代に遺し伝える役割を自覚して、しっかりと勉強したいと思っています。

「移住組 定住組より 熱心に 取り組む姿 見習わなければ」

  「古文書は 難し過ぎて 読めないが 少し慣れると 不思議や不思議」

  「予習して 参加をせよと 同封の 郷土史少し 読んで出かける」

  「今晩も また出かけるの 妻が言う 今日行くところ だから教育」(大笑い)

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人間牧場

〇とぎつ生涯学習を考えるつどいに招かれて

 江戸時代、長崎と小倉を結ぶ長崎街道の、彼杵への海路へと至る時津街道として利用されていたという歴史ある、長崎県長崎市に隣接する時津町の「とぎつ生涯学習を考えるつどい」に招かれ出かけました。800人が収容できるという立派なとぎつカナリーホールが会場でした。洋的館内には珍しく和的な民俗資料館が併設され、茶屋本陣も復元されていました。今回のつどいのテーマは「青少年が担う地域づくり~生涯学習の役割~」でした。

つどいの受付会場
カリーナホール内の民俗資料館
民俗資料館内展示

私の演題は「まちづくりの新しい風」でしたが、「ふるさとを思う子どもを育てるために」親や地域がどうあればいいのかについてお話しをしました。私は普通パワーポイントを使いませんが、遠く離れた長崎時津ゆえに、私のやっているふるさと教育や、日常活動をイメージしてもらうため、この日のために58コマもの写真をスライドショーに製作して持ち込みました。故に講演の時間が少し短くなり、舌足らずになったことは否めませんが、ステージで話しながら感じる参加者400人ほどの反応は良かったように思います。

まとめは私が公民館で青年時代に手に入れ、今もその道具を大切に磨きながら使っているた7つの道具について話しました。①仲間をつくる、②主張する、③ふるさとを思う、④感動する人間になる、⑤夢を持ち夢の実現に努力する、⑥学ぶ心を忘れない、⑦社会に役立つ人間になるという7つの教えは、青少年にとっても大切な視点です。ところで長崎に向かう特急かもめの車内で、紙切れの裏に、ボールペンで以下のような走り書きのメモをしていました。

~昔は小学校児童から高校生までを少年といい、中学校で義務教育を終えて実社会に出て働く若者と、高校を卒業して20歳で成人式を迎えた若者が交じり合って、結婚するまでを青年と呼んでいた。今は18歳になると選挙権が与えられても高校生や大学生には青年としての自覚が少なく、青年活動の場がないことからある意味少年の延長線上にいるようで、社会教育の現場で青年の活動する姿を見ることは殆どない。将来の自分の町を担うであろう青年へのアプローチをやらないと、まちづくりはできない。さあどうする。①青年予備軍の今の少年に、青年になってもしっかりとまちづくりに関わるようなふるさと教育をすることが大切。②青年をまちづくり学習やまちづくりに参加させる活動を復活させる。~

「長崎の すぐに隣の 時津町 人口3万 こちらじゃ松前」

  「一口に 青少年と いうけれど 少年・青年 まるで別々」

  「成年の 時に手に入れ 今もなお 使っています 七つの道具」

  「乱雑に ペーパーの裏 走り書き 感じたままを 読み返し見る」

 

 

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人間牧場

〇平和公園を訪ねる

 今回の講演依頼は長崎市のすぐ隣の時津町からでした。教育委員会の担当者から、「博多出発の特急かもめに乗って長崎を目指しますが、降りる駅は一つ手前の浦上駅で降りて下さい。そこからタクシーに乗って・・・」と指示がありました。一便早く到着したので早速路面電車に乗って、平和公園を目指しました。私はここが大好きで、長崎に来れば何度も訪ねている場所ですが、平和の祈りを込めて今回も寸暇を惜しんで記憶の道を辿り、要領よく平和祈念の像の前に到着しました。

長崎平和記念象
東南アジア系の観光客
平和公園の噴水
色鮮やかな平和公園裏の紅葉

 彫刻家北村西望作のこの像は、体全体で色々な主張をしています。垂直に高く揚げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市内の静けさ、立てた足は救った命を表し、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っています。被ばく10周年の1955年8月8日に完成しています。像の高さは9.7m、台座の高さは3.9m、重さ30tだそうです。訪れた昨日の午前中は、青空が広がる絶好の好天でした。

多くの観光客が訪れていましたが、自撮り棒で撮影したり、大きな声で話しているのは中国系や東南アジア系外国人のようでした。この人たちは70年も前この地に原爆が投下され、多くの人が犠牲になった悲しい出来事など、まるで興味がないような雰囲気でしたが、中には手を合わせて静かに合掌する日本人の年老いた夫婦の姿も見え、幾分救われた気持ちになりました。11時までには時津町カナリーホールへ到着する予定だったので、路面電車に乗り再びJR浦上駅へ戻りました。

「講演の ついでに公園 立ち寄りぬ 70年前 私赤ちゃん」

 「知らずでか 外国人の 人たちは 平和の祈り するでもなしに」

 「浦上と 言えば原爆 思い出す 昭和生まれの 心に深く」

 「記念像 指・足・腕と それぞれに 昨夜の願い 感心しきり」

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弓を引く子どもたち

○子ども体験塾本尊山登山(その2)

少し押し気味の時間を気にしながら下山した私たち一行は、天一稲荷神社の拝殿に上がり、森田館長さんが準備してくれたパンや107のパンを一人2個ずつ貰い、遅めの昼食を取りました。パンはどれも美味しくみんな満足の手合いでした。その後私が事前に用意していた弓を外のダンボール的に向かって放ちましたが、これが予想以上の大人気で、大いに盛り上がりました。弓を欲しいとねだられ、ゲームで何人かの子どもに分け与えました。

 

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〇一斉にこちらを向いて咲くスミレの花

 わが家の玄関先には幾つかのプランターに植えられた花が置かれています。全て植え替えから水やりなどの手入れは、花好きな妻がやっていますが、春は夏花、秋は冬花を植えるため、頼まれてプランターの土替えを手伝っています。今年も晩秋の頃20ほどのプランターを一輪車で運び、花柄や雑草を取った後、庭の隅のコンクリート土間にうつし、苦土石灰や牛糞、新しい土などを加えてスコップで何度も切り返して混ぜ合わせ、空いたプランターに入れました。

一斉にこちらを向いて咲くスミレの花

 その後妻が園芸店で買ってきた花の苗を植えて、妻の指図通りの場所へ置きましたが、この時期になってシクラメンやスミレが活着し、可憐な花を咲かせ始めました。夏の花のように四方に広がる旺盛さや豪華さはありませんが、寒さにも負けず凛として咲く花は愛らしく、殺風景な冬の庭に彩を添えてくれています。昨日何気なく咲いているスミレの花を見ると、まるで人間の顔のようにも見え、一斉にこちらを向いて笑っているようで思わずハッとし、タブレット内臓のカメラで一枚写しました。

 毎年のことながら、師走のこの時期になると厳春の準備として、空いたプランターに葉ボタンを植えます。最近は懇意にしている伊予市の水口種苗店さんから、プランターに植えた葉ボタンをいただくので手間が省けますが、クリスマスに似合うシクラメンに続いて、間もなく植えているサクラソウも蕾を開けることでしょう。花は暮らしに彩を添えてくれます。若い頃海外派遣の研修生を引率して行った、世界一の花の街ニュージーランド・クライストチャーチの、花で飾った庭の思い出が思い出される今日この頃です。

「近頃は 妻に頼まれ プランター 土入れ替えは 少し加勢を」

  「冬の花 派手さはないが 凛として 殺風景な 庭をそれなり」

  「お揃いで こちを向いて 咲くスミレ まるで人面 何か言いたげ」

  「若い頃 海外派遣 引率し 行った外国 花に囲まれ」

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