人間牧場

○どこでもドアー

漫画のドラえもんではありませんが、私の書斎に最近珍しい「どこでもドアー」のような珍しい模型がお目見えしました。建築関係の仕事をしている長男息子は、私に似て趣味でまちづくり活動をしていますが、最近ある研修会の講師として松山城の歴史についてレクチャーするらしく、寸暇を惜しんで勉強したり、資料作成をしている様子でした。「どこでもドアー」に似た代物は宮大工の友人が製作したお城の城門で、説明用に全て取り外しができるビックリするような精巧な作りです。

先週の日曜日現地松山城で無事エクスカーションで役目を終えたようですが、この城門模型は息子にとって大切な宝物になったようです。

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人間牧場

〇三宅島から届いたカサブランカの花

 「お父さん、三宅島の佐久間さんから今年も綺麗なカサブランカの花が届いたよ!!」と、出生先の雪の積もった鳥取県から帰る途中の、松山駅まで迎えに来てくれた妻が車の中で言いました。もう何年も前、東京で開かれた全国監査委員の研修会で私の講演を聞いた佐久間さんの口利きで、東京都の市町村議会議員研修会に招かれ、加えて三宅島まで講演に招いてくれたりしたのも三宅島の佐久間さんでした。東京都とは言いながら三宅島は四国からは余りにも遠い太平洋に浮かぶ島ゆえ、深い交流もままなりませんが、こうして律義にも毎年花を届けてくれる佐久間さんの心の優しさに、思わず目頭が熱くなりました。

玄関に飾られたカサブランカン花

 一昨年亡くなった親父が若くて元気な頃、木の葉のようなわずか5トン30馬力の若吉丸に乗って、三宅島や神津島辺りまで県外出漁したり、私も愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船愛媛丸に乗って赤道を越え、珊瑚海まで遠洋航海に出かけた折、行きと帰りに三宅島付近を通過したことを思えば、縁の深さを感じるし、敬愛してやまない歴史上の人物ジョン・万次郎の生涯も、暴風大しけの伊豆諸島付近の海を経て鳥島まで流され捕鯨船に助けられた経緯もあって、伊豆諸島や三宅島への想いは一生涯忘れることのできないものなのです。

 送られてきたカサブランカの花はそれは見事なもので、妻は早速花瓶に入れて玄関先に飾りましたが、時折わが家を訪ねてくる人たちは、花の少ないこの時期だけに、「まあ珍しい、綺麗なカサブランカの花ですね」と褒め讃えてくれるのです。その度に津桃若嫁も、「実はこの花はお父さんの友人で、三宅島に住む佐久間さんという方がわざわざ送ってくれたものです。綺麗でしょう」と一言添えて紹介しているようです。演歌ながら鳥羽一郎の「カサブランカ」という歌を懐かしく思い出しながら口ずさみました。今日にでも佐久間さんにお礼の便りをしたためようと思っています。

  「雪積もる 参院鳥取 帰るなり 迎えの妻が 花の知らせを」

  「玄関の 大きな壺に 花いっぱい 季節外れの カサブランカ見る」

  「三宅島 東京都だが 遠い島 いつか再び 訪ねてみた」

  「律儀さに 思わず目頭 熱くなる 古き親友 思い出しつつ」

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人間牧場

〇砂の美術館

 八上での講演会が午後になって、午前中のスケジュールが空いたので、藤原さんの案内で鳥取砂丘入り口の砂の美術館を見学させてもらいました。鳥取駅からそう遠くない位置にありますがこの日は朝から平野でも20㎝の積雪に見舞われ、自慢の砂丘も降る雪で視界が効かず見えませんでした。それでも美術館内には日曜日とあって、朝から沢山の見学者が入っていました。アメリカのフロンティアをテーマにした展示物は、薬品などを一切使わず砂を水を打ちながら固めただけという信じ難い砂の塊を、鏝で削りながら丹念に仕上げて行くのだそうです。

砂の美術館内部

鳥取砂丘も雪でした

どこまでも続く雪道

 体育館のような屋根と周りを囲った館内には大小20ほどの展示物が並んでいましたが、そのド迫力に最初から最後まで感嘆の声を上げました。これまた勿体ない話ですが、せっかく作られているこれらの展示物は、一年に一度全て壊して、世界中から集められた砂のアーテストたちによって造り替えるという、信じ難い話も聞きました。2階の展示室に地元産手すき和紙を何枚も張り合わせて作ったという、それは見事な純白の大きなクリスマスツリーが飾られていました。館内の砂の造形物が大きいのでそれほど大きくは感じませんでしたが、天井まで届く見事なものでした。

 砂は元はと言えば一粒です。「小さな砂の一粒も積もれば富士の山となる」という歌を小さい頃聞いたことがありますが、砂には自然が作り出す鳥取砂丘のような景観もありますが、同じ砂でも砂を固めて人間が作る造形もまた一味違った楽しみ方です。私の机の上には5分計の砂時計が置かれています。一粒一粒落ちて時を刻む姿に自分の人生を重ねながら、85年計の自分の人生砂時計は、もう12年分しか残っていません。ゆえにこれからの12年間は毎日毎日悔いの残らないような生き方をしなかればなりません。砂それぞれ、人生もそれぞれです。

「砂固め 鏝で削った 作品が 所狭しと 迫力誇示し」

  「外は雪 館内砂の 造形群 アメリカ歴史 テーマの作品」

  「わが机上 5分計なる 砂時計 速いと思う? 遅いと思う?」

  「子ども頃 小さな砂の 一粒も 積もれば富士の 山だと聞いた」

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人間牧場

○ホテルにて

昨晩は鳥取駅近くの鳥取グリーンホテルモーリスという、温泉付のホテルに泊まりました。このホテルへは多分3度目ですが、セキュリティもしっかりしていてとても快適でした。私は余り泊まるところにこだわらない派なので、「寝れれば一緒」くらいに考えていましたが、体を癒すには、ゆったりと過ごせる時間と空間が何よりも大切だと思いました。このところ超ハードなスケジュールで我を忘れていましたが、久しぶりに熟睡の朝を迎え、朝食も沢山おいしく食べて元気回復です。さあそろそろ藤原さんが迎えにやってきます。今日も元気に楽しいおしゃべりを熱意を込めてやりましょう。

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〇二人の孫たちは弓に夢中

 前回の子ども体験塾は町のシンボル本尊山への登山でした。登山を終えて登山道入り口にある天一稲荷神社の拝殿を借りて、昼食やレクレーションを行いましたが、その折私の作った弓でちょっとした遊びごっこをやりました。というのも本尊山は中世の城郭跡地で、郭あには沢山の矢竹が生い茂っていて、その細い矢竹を使って中世の武士たちの戦いの様子を遊びで再現しようとの思いから始まったことでした。

てづくりの弓道具一式
羽根のついた弓矢

当日は初めて弓を引く子どもばかりで弓矢は急ごしらえの段ボール的には、かすめもしませんでした。唯一一人だけ射抜いたのはわが家の孫希心でした。それ以来希心と連れられて始めた弟奏心は、学校から帰ると毎日庭で弓を引きながら遊んでいますが、私も二人のリクエストに応えて、お粗末ながらマイ弓・マイ矢を作ってプレゼントしてやりました。それ以来余程嬉しかったのか、一生懸命練習したお陰でかなり遠くへ飛んだり、段ボールで作った的に当たり始まています。

孫からリクエストがあり、弓矢を入れて背中に背負うような筒も作って欲しいと頼まれました。弓を作った残りの竹の切れ端を利用して筒をそれぞれ作り、矢竹も採りに出かけて持ち帰り、クリアーファイルや菓子箱紙を使って、羽根まで作ってやる念の入れ様に孫たちは大いに感謝して、「おじいちゃんは凄いねえ!!」と、まるで褒め殺しのような言葉を貰いました。田舎では知恵さえ出せば、お金を掛けずに自然の物を利用して遊び道具は沢山作れるのです。まさにハラハラ・ドキドキのワールドです。「危ないから人に目がけては絶対打つな」という約束をさせました。

「前回の 登山遊びで 手作りの 弓と弓矢に 出会って夢中」

 「マイ弓と 弓矢を作り 孫たちに プレゼントして 点数稼ぐ」

 「矢を入れて 背中に背負う 道具まで リクエストする 念の入れよう」

 「田舎ゆえ 遊び道具は 身の回り ゴロゴロ有って」

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人間牧場

〇私の肩書は人間牧場主

 私の最後の公職であった双海町教育委員会教育長という肩書を、市町村合併と定年退職によって失いました。失ったというより長年欲しかった自由を得るため捨てたという方が正しいのかも知れません。以来私の肩書は一時前教育長などと呼ばれていましたが、元や前を嫌う私ゆえ、むしろ自由=自遊人を名乗っていました。しかしそれもどこか不自然なため間もなく止めて、山の上に自費で造った人間牧場にあやかり、人間牧場主を名乗るようになりました。

私の肩書人間牧場主

最初は人間牧場という聞き慣れない肩書に、ドイツのヒットラーを重ねられ、随分首をひねられましたが、名乗り始めてから13年も経つと、すっかり馴染みの名前となり、県内では人間牧場主=若松進一がすっかり定着してきました。それでもまだ初めての人は私の差し出す名刺を見て、「人間牧場って何をする所ですか?」と尋ねられますが、「はい、人間を放し飼いにする所です」と、相変わらず楽しいお喋りではぐらかせています。

人間牧場主を名乗るようになって早くも13年目を迎えています。「人間牧場」や「shin-1さんの日記」というブログで、毎日情報を発信しているお陰と、知人友人の紹介であちらこちらからお声がかかり、講演に出かけたりしていますが、大まかな社会通念の目安は、60歳で定年退職、65歳で再雇用退職、70歳で社会貢献活動を終えて老後のようですが、私は73歳になった今でもまるでセミリタイアって感じで、忙しい日々を過ごしています。早くリタイアして本当の自遊人になりたいという願望を持っていますが、本当の自遊人になるのはもう少し先になりそうです。

「元や前 冠つけて 名乗る人 多くいるけど 私は嫌い」

  「肩書は 自遊人です 名乗ったら そんなおふざけ やめろと言われ」

  「その牧場 何を飼ってる 聞かれると 人間沢山 飼っていますと」

  「老後とは 老いた後です 私まだ 老前おう歌 気持ちだけでも」 

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人間牧場

〇今年最後のディナーショー

 街中ではイルミネーションが輝き、ジングルベルの音楽が鳴って、赤と白のクリスマス色に染まっています。日本人ゆえ、仏教ゆえ、最初は違和感のあったクリスマスを祝う諸行事にもすっかり慣れて、今では年中行事として定着しています。毎年この時期になると、親友のソプラノ歌手二宮典子さんからディナーショーの招待切符が送られてきます。二宮さんと私は日本銀行松山支店内にある金融広報委員会から、金融広報アドバイザーを委嘱されていて、この数年一緒に金融教育実践校へ出かけたりして、色々と気心知れた交遊を重ねています。

ソプラノ歌手二宮典子ディナーショー
楽しいディナーショーでした

 二宮典子さんはソプラノ歌手、私は人間牧場主という、二人の肩書を聞いただけでは首をかしげるほど縁も所縁もないような感じもしますが、この異質さが受けて二人ともそれなりの引っ張りがあり、何かと忙しく走り回っています。もう5~6年前からディナーショーは、1年に3回招待されるままノコノコと出かけていますが、昨晩の会場となっている全日空ホテル3階のホールへ、午後6時30分の開場10分前に到着し、指定席に座って回転卓に運ばれてくる料理を皿に取りながら食べながら、アルコールのないビールを少々飲みました。

 ステージは食事が始まって40分余り経って始まりました。二宮典子さんがシックな黒いドレスで歌いながら入場してきました。ピアノやクラリネット、ドラム、大きなベースギターの生の演奏が腹底を揺るがせました。まあそれから約1時間半、二宮さんは数多くの歌を息もつかないように延々歌い続けました。外国の知らない歌もいっぱいありましたが、歌が終わる度に大きな拍手が会場を包み大盛況でした。今回は小さな天使も2人登場して歌い、やんやの喝采で会場を盛り上げました。このディナーショーが終わるといよいよお正月の準備です。

  「年三度 全日空の ホテルにて ソプラノ歌手の ディナーに招かれ」

  「野暮男 似ても似つかぬ ディナーショー 真面目腐って 歌に聴き入る」

  「どうすれば あんな大声 出るのだろう 長年日ごろ 鍛錬するから」

  「街中が クリスマス色 彩られ 私までもが 何だかウキウキ」

 

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人間牧場

〇鍬と楔(くさび)

 この冬一番の寒気団が南下し、日本海側では大雪が降っているようです。私の住む四国愛媛県も気候温暖といいながら、朝晩は0度近く、真昼でも最高気温が10度を下回り、しかも関門海峡を通った北西の季節風が吹き荒れ、海岸国道378号の所々では塩水が、まるでシャワーのように車に降りかかりました。こんな日はストーブを焚いた暖かい部屋で、コタツに入ってテレビでも見て過ごすのが一番ですでしょうが、貧乏性の私にはそれも似合わず、戸外へ出て果樹園の地面を鍬で掘り返そうと思いつきました。

鍬はくさびで生き返る

 倉庫から三つ鍬を持ち出し、地面が固くなった甘夏柑の下を掘り返し始めました。夏の間に茂っていた草もいつの間にか枯れて、順調よく土を掘ることができました・ヨモギやオオバコの根が土をはんでいるのを、鍬の背で叩いて解していると、何やら鍬の調子が悪いのに気が付きました。長年使っているため、鍬の根元にガタが来て抜けそうになっていました。作業を中断して倉庫に戻り、鍬をバイスで挟んで抜きました。さらに柄の付け根に打ち込んでいたくさびも取り、柄元を鋸とカンナで削り再び元の鞘に納めました。

 鍬の柄に鉄のくさびを打ち込まないと、鍬の刃はすぐに抜けてしまいます。「くさびを打つ」という言葉がありますが、僅か厚さ5mm、長さ2~3cmほどの鉄のくさびが、これほど重要な役割を担っているとは知る由もなく鍬を使っていましたが、改めてくさびの威力に感心させられました。農作業用道具は日々の農作業を支える大事なものですが、これら全てにお百姓さんの長年の汗と知恵が込められています。人間世界も人と人とを結ぶ接点に、くさびのような人間が必要です。そんなことを思いながら修理の終わった鍬で、少しの間畑の土を掘り返しました。お陰様で身体がポカポカと温まりました。

「寒いねえ 会う人ごとに 声かける この冬一番 寒気が南下」

  「寒い日は ストーブコタツ 部屋の中 テレビ見ながら 過ごすが一番」

  「鍬を持ち 果樹園畑 掘り返す 鍬の不具合 途中で修理」

  「鍬根元 小さい鉄の くさび打つ 見違えるよう 少し汗かく」

 

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人間牧場

〇双海町で火事

 昨日の午後2時半ころ、町内の有線放送で「双海町池久保で火事!!」という緊急放送がありました。友人のお母さんの葬儀から帰った直後だったし、池久保という地名と聞けば、「もしや火元は人間牧場では!!」と思い、少し心が動転しました。火元がどこか探しようもなく、妻が消防署へ連絡を入れる消防署本庁が出て、「火事の火元は個人情報やプライバシーを守らなければならないから、教えることはできません」と断られました。妻が「池久保には私の家の所有する人間牧場という施設があって、火元なら大変なので教えてください」と問い詰めると、「火元は若松さんではありません」と言われて多少ホッとしたものの、火事や類焼を心配しているのに個人情報もないもんだと、多少疑問に思いました。

 それでも納得できず、葬儀帰りの式服を急いで着替え、地域事務所へ行きましたが、前述のとおり個人情報を理由に教えてもらえませんでしたが、漏れ聞いた忙しく対応する職員の会話の中に、どうやら人間牧場のすぐ近くの畑中さんという人の家の倉庫が火元という確証をつかみました。昨日は寒波襲来でかなり強い北西の風が吹いていたので、近所の人家への類焼を心配しましたが、昨日休みだった今朝の5面社会面の愛媛新聞の事件・事故欄によると、「伊予市で倉庫と倉が全焼、11日午後2時半ごろ、伊予市双海町串の木造一部2階建て倉庫と木造2階建て倉=同所、農業畑中さん(61)所有=計120平方メートルを全焼した。伊予署によると、倉庫と蔵には農機具や使わなくなった日用品などがあった」と書かれていました。

 年末押し迫った師走の火事は、火事が起こった人にとってはとてもつらい出来事です。その夫婦を知っているだけにいたたまれないような気持ちになりました。これから年末にかけて火を使うことが多いので、お互い気を付けなければなりません。異常乾燥注意報や強風波浪注意報がでるこの時期はなおさらのことです。先日公民館祭りの折、消防署の人たちが消火器の使用訓練をしてくれました。私も妻も参加しましたが、その時は「消火器の点検もしておこう」と妻と二人で話し合ったこともすっかり忘れていました。今日は思いを新たにして忘れないうちに消火器の点検をしておこうと思っています。

  「有線で 火災発生 池久保と 放送ありて もしやもしやと」

  「消防署 電話をしたが プライバシー 個人情報 たてに取られて」

  「一ヶ月 前に消火器 訓練を 受けた時には 消火器大事と」

  「物忘れ ひどい夫婦にゃ 味噌やいと 効き目もなしで 今頃思う」

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