人間牧場

○美味しかった出雲蕎麦

私はうどんや蕎麦といった日本麺類が大好きです。特に蕎麦はその土地土地の味や食べ方のこだわりが微妙に違い、旅をするもう一つの楽しみでもあります。昨日は講演に出かけた安来節のふるさとである島根県安来市で、名代の出雲蕎麦を昼と夜にいただく幸運に恵まれました。

急なにわか雨に出会い立ち寄った蕎麦屋へカメラを持ち込むことができなかったことが残念でしたが、古民家で女将さんの蘊蓄を聞きながら食べた蕎麦の味は忘れることができない思い出となりました。これから向かう島根県の西部益田市でも、微妙に違う出雲蕎麦を食べたいと密かに思っています。

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○必ず窓際に座る癖

私は海沿いの町に生まれたせいでしょうか。列車に乗ると、席が空いていれば必ずといってよいほど海の見える席に座ります。今日も松山駅発5時05分発の特急しおかぜに乗りましたが、4号車10番A席窓側に座りました。間もなく夜明けです。窓越しに瀬戸内海の美しい海が見えることでしょう。

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〇事前研修会

 来月9日~10日に国立大洲青少年交流の家で開かれる予定の、私が実行委員長を務める第10回地域教育実践交流集会では、一日目に15の分散会が行われ、全国から集まった45事例の発表が行われますが、そのファシリテーターをお願いしている人たちを集めた事前研修会が、愛媛大学ミューズ3階の会議室で行われました。講師は同大学の社会連携推進機構地域連携コーディネーターとして活躍している前田眞先生です。前田さんは私たちの町のまちづくり学校双海人の専任講師として常々指導をいただいていて、その実力は高く評価されています。

ファシリテーター研修会
ワークショップ発表

 昨日は分散会のファシリテーター役を務める人たちを中心に25人ほどが集まり、前田先生の講義やワークショップで腕を磨きました。私はこれまで色々な学習イベントに関わってきましたが、ややもするとプログラムの中身は深く吟味するものの、その運営や参加者集めといったことが疎かになりがちです。立派な計画ができても、いい運営ができないといけないし、参加者が集まらないと絵に描いた餅で終わってしまうのです。今回は10回目の節目となる集会です。これまでを総括し、これからを占う意味で大事な集会だと思っています。

 研修会前の不安そうな参加者の顔を見ると「大丈夫かな?」と、こちらも少し不安が覗きましたが、研修会の終了後の明るい顔を見て「うん、これで大丈夫だ!!」と自信を深めました。私は若い頃双海町の公民館主事をしていました。県外出張もままならない時代でしたが、司会が上手くなったら全国大会の司会に指名されることを知り、徹底的に司会術をマスターしました。お陰様で公民館の全国大会に連続6回も派遣され、県外の著名人と知り合いになり、自分の視野を大いに開きました。また場所や目的、相手こそ違え、そのことがきっかけで結婚披露宴の司会は537組もしたのですから驚きです。昨日も充実した一日でした。

 「来月の 集会前の 研修会 ファシリテーター 目指す人たち」

  「司会術 上手くなったら 県外へ 出れる話を 真に受け努力」

  「さあこれで 準備できたぞ 参加者を 集める努力 最後追い込み」

  「大丈夫? 最初は少し 思ったが 終わってみれば うん大丈夫」

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〇孫の成長

 私たち夫婦には4人の子どもがいます。末っ子はまだ結婚していませんが、長女に2人、長男に2人の孫がいます。いずれも男の子だったので、次男の子どもは何としても女の子が欲しいと思っていましたが、その願い通り今年の6月に女の子の孫が誕生しました。時々1~2週間に1回程度、夫婦で次男の家へ孫の顔を見に出かけますが、訪ねる度に見る度に大きくなり、約5か月経った今では、めったに見ない人だと思っているのか、人見知りされて泣かれたりしますが、抱っこしてやるとそのうち記憶がよみがえり、愛嬌を振りまいてくれるのです。

首が座って早くもハイハイしそうな雰囲気です

 息子は看護師をしているのでオムツ交換なども手慣れたもので、私など4人の子どもを育てても、おむつ交換など記憶にないほどですが、今時の男親はまさにイクメン的な働きをするようです。息子は1週間に一度程度不定期的に、孫の写真をスマホで撮って、私のパソコンへ送ってくれます。私は未だに携帯電話は時代遅れのガラケイですが、タブレット端末で受信することができるので、妻にせがまれて次男から送られてきた写真をアップして、ニヤニヤしていますが、送ってくる度に成長の跡が見えるようで楽しみです。

「這えば立て 立てば歩めの親心 わが身に積る 老いも忘れて」という言葉がありますが、親も爺も婆もみんな未来ある子どもの成長を楽しみにするものです。そんな幼子を虐待したり、大きくなると反社会的な人間になったりすることは理解に苦しみますが、「子を持って知る親の恩」の大人になるまで、親や家族の愛情を感じないのも人間の悲しい嵯峨ですが、わが孫も成長の歯車を狂わさないよう穏やかに育って欲しいと願っています。

「週一で 孫の写真が タブレット 届きせがまれ アップして見る」

  「老いの坂 下りつつある わが夫婦 孫は一気に スピード進化」

  「誰に似た 私私と いいとこは 自分に似ている 自慢振り撒く」

  「首座り 人見知りまで する孫に 早くも嫌われ 大泣きされて」

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〇あらし山ライブ

 年輪塾の塾頭をしている清水和繁さんが、築86年の自宅古民家を改修して開塾している「あらし山」で昨晩午後7時から、山形県で活動している影法師というグループのライブをやるというので、年輪塾筆頭塾生の浜田さんの車に乗せてもらい、海岸国道378号線を走って出かけました。佐田岬半島の付け根の長いゴゼケ峠トンネルを抜けた八幡浜市保内町の、ヤマキといううどん屋で腹ごしらえになべ焼きうどんを食べ、197号国道を農協選果場辺りで左折し、日土小学校を横目に見ながら見慣れた細い山道へ入りました。

あらし山バンドの演奏
熱演の影法師ライブ
集まった参加者
最後はみんなが一緒になって歌いました

あらし山には既に年輪塾の近藤さんや来喜さんたちが来ていて、丹原チロリン農園の西川さんがリハーサルとも独演ともとれる歌声を響かせて、陶酔しながら歌っていました。案内された居間で清水さんの奥さんと久しぶりに雑談めいた話をしながら、時々やって来る来訪者とあいさつしながら開園の時間を待ちました。やがて午後7時となり、いきなり紹介されて開会のあいさつをさされましたが、影法師の歌が少し重い部分もあるので、努めて少し笑いを込めたあいさつをアドリブでやって笑いを誘いました。

 前座の一部は清水さん率いるあらし山バンドの演奏でした。バンジョウの清水さん、ヴァイオリンの近藤さん、ギターの清水さんの奥さん、来喜さんのバナナマラガスにウクレレの西川さんが加わり、4曲ほどいつもの曲を歌いながら披露してくれました。二部は影法師3人の心のこもった演奏と歌声で、まるで漫談のような楽しい曲から、原発事故や平和をテーマにした作詞・作曲とも自作の歌を存分に聴かせてもらい、魂を揺さぶられました。「花は咲けども」「美しい村」はみんなで歌いました。

 「花は咲けども」
 原発の灰が降った町にも 変わらぬように春は訪れ
 もむけの殻の寂しい町で それでも草木は花を咲かせる
 花は咲けども 花は咲けども
 毒を吐き出す土はうらめし 悔しと花は散る(後略)

「美しい村」
 水車がガタゴト音を立て 子供たちの声がはずむ
 朝日はゆっくり顔を出し 夕日はのんびり山に隠れる
 そんな美しい村はないか
 どこかにそんな村はないか(後略)

  「塾頭の 思いを込めた 山荘に ライブ誘われ 仲間が集う」

  「影法師 山形はるばる 愛媛まで 農家のおじさん 見事な歌声」

  「作詞した 人に合わせて 口ずさむ どこかむなしく 魂揺さぶる」

  「東北も 愛媛も同じ 農民の 言いたいことば 歌声乗せて」

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〇冬支度

 一年収めの大相撲九州場所が始まったのに、暖かい日が続いていました。私たちが子どもの頃は九州場所は寒い時期だったと記憶していたのに、やはり温暖化の影響では?と、思っていましたが、今日の朝気温が下がり始めました。今日は国体の影響で遅れて開催の松山工業高校の運動会なので、「屋外だし、何を着て行こうか」と朝方悩みました。生徒は半袖・半ズボンで演技をするのだから、余り厚着をして行くと、「えっ?あの人冬支度?」何て笑われそうだと思いながら、妻が出してくれた普段着の上に、最近着ていた薄手のジャンバーを止めて、真冬に着るモンベルのジャンバーを着ました。

厚手のジャンバーで冬支度

「お父さん、ついでにズボン下も履いて行ったら」と言われました。「そんなことしたらモヤシのように芽が出る」と反対しましたが、「風邪をひいてからでは遅い」とか、「薄着は年寄りの冷や水だ」とか散々言われ、結局一気に防寒状態の冬支度となってしまいました。私はつい最近まで年中下着もランニングシャツで過ごすような、人が羨むほどの薄着でした。薄着に慣れると案外風邪をひかないもので、同居の長男息子などは家でいる時は年中半袖・半ズボンで過ごしていますが、勿論風邪など引かずいたって元気です。ゆえに薄着で過ごしたいと思うのに、妻に注意をされて今は厚着に代わってしまいました。私は厚着、妻は厚化粧です。(大笑い)

私の厚着と同じように、気が付けば居間に炬燵が、ダイニングにも石油ストーブが入りすっかり冬支度です。この4~5日で目の前の本尊山界隈も紅葉が急に進み、ハゼは赤く色づいてきました。ツワブキの黄色い花も今が満開で、わが家の柿の木も風で葉を落とし始め、季節の移ろいを強く感じるようになりました。私たち人間は冬が来れば暑くても夏がいいと思い、夏になると暑さを嘆き、寒くても冬がいいと思うものです。あれこれ言いながら今年もお正月まであと50日ほどです。冬支度をしっかりと整え、寒い冬を元気に乗り切りたいものです。

「寒くなる 天気予報で 言われると 何を着ようか 迷います 着たきりスズメ 困った困った」

「薄着慣れ しよう思うが 年寄りの 冷や水ですと からかわれたり」

「記憶では 九州場所は 寒かった 裸で相撲 力士は偉い」

「来年の 3月までは 冬支度 朝の挨拶 寒い寒いと」

 

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〇今年は柿が大豊作

 最近町内外を歩いたり車で走ると、鈴なりの柿をよく見かけます。聞けば今年は柿が大豊作だそうです。私たちが子どもの頃は木になった柿の実が食べたくて、人の目を盗んで柿の実を盗みました。今なら問題になるであろう柿泥棒も、たまに持ち主に見つかっても、「柿の木は折れやすいから気を付けて採れよ」などと、叱るでもなく逆に優しい言葉をかけてもらいましたが、過疎や高齢化や少子化で、鈴なりの柿の実は結局人間様に食べられもせず、野鳥の餌食となったり腐って落下し、あえない最後を遂げるのです。

真っ赤に熟れた南天の実

 柿は甘くて美味しい果物で、私は大好きですが、カキを食べると体が冷えると言われることや、現代の若者は皮を剥くことが面倒という理由からか、柿もみかんも余り食べないようです。昨日わが家では柿を細かく切ってサラダの中に入れていましたが、柿のシャキシャキとした食感がとても爽やかで美味しく食べました。果物が美味しい季節となりましたが、先日は注文した郵便局の訳ありリンゴ、昨日はラフランスが宅配便で届きました。東北応援の一環です。

わが家の庭には、あちこちに色々な種類の南天が植えられています。今年は南天の実も豊作で、日に日に色鮮やかさを増しているようです。南天の実は薬効成分があるらしく南天のど飴にも加工されていますが普通は食べません。でも南天=難を転じると言われ、ゲンを担いで庭によく見かける植物です。まだ今は野山に野鳥の餌が沢山あるので狙われませんが、北風が吹き寒さが一段と増してくると、南天の熟した実は格好の野鳥の格好の餌となって、クロガネモチの実とともに一日のうちに無くなってしまうのです。

「今年は 柿が豊作 あちこちの 柿の木熟れた 柿の実たわわ」

  「子どもごろ 柿を盗んで 食べたっけ 見つかったけど 諭しの言葉」

  「南天は 難を転ずる いわれあり 故に目出度い 若松の庭」

  「野に山に 餌がなくなる 寒い頃 野鳥ついばむ 跡形もなく」

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〇みかんが色づき始めました

 愛媛と言えば「みかん」と連想されるように、温暖な気候に育まれてみかんが栽培されています。しかしいざ一歩足を踏み入れると現状は厳しく、過疎化や高齢化を反映して放任園が増え、南予のブランド生産地や施設栽培を除けば、路地のみかんは耕作面積も生産量も右肩どころか急激に減少し、その現状は今や危機的状態となっていて、このままだと「耕して天に至る」と形容された段々畑にたわわに実ったミカン畑も遠い記憶となって、「昔はなあ~」古老が語る昔話になりつつあるようです。

色づき始めたみかん
たわわに実ったみかん

 それでもこの時期になると、町内のあちこちには丹精込めて作ったみかんが色づいて、初冬の風景を醸しています。わが家もおふくろが元気な頃はみかんを栽培していたので、この時期になると私も駆り出され、家族総出でみかん採りをしていました。ゆえにみかんを農家から貰うことはありませんでしたが、栽培を止めた最近は知人友人からみかんをいただいて食べています。一昨日も甘くて美味しい早生みかんが、一箱玄関先に置かれていました。留守中のことゆえ、誰が持ってきてくれたのか分からなかったのですが、多分「〇〇さんじゃなかろうか}と妻と話しながら、頂き主も分からぬまま2つ3つご相伴に預かりました。

 夕方予想していた通の方から「みかんを玄関先に置いていたので食べてください」「もう食べています」でした。何とも長閑な田舎流のみかん談議でした。最近はかんきつ類も急速に進歩を遂げ、次々と新しい品種が開発され、農家の人でさえ品種名と現物が一致しにくいと嘆くほどです。手や顔が黄色くなるほどみかんを食べた思い出はもう昔の記憶で、特に今の若者はみかんを余り食べません。ゆえに消費が落ち込み、ゆえに農家が減って行くという悪循環になっていますが、一個千円もするという高級柑橘品種だってあるのですから驚きです。でもやっぱり子どもの頃から慣れ親しんでいる早生温州や普通温州が一番食べやすいし一番美味しいと思いながら、いただいたみかんをせっせと食べてビタミンCを補っています。

「温暖な 瀬戸内気候 ゆえみかん 色づき始め 初冬感じる」

  「耕して 天に至った 段畑に みかん色づく 昔の記憶」

  「よく食べた 故に手の平 まっ黄色 子どもの頃の 思い出辿る」

  「近頃の 若者みかん なぜ食べぬ? 面倒臭い たったそれだけ」

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〇やっとスムージー用のケールが成長しました

 昨年から、家庭菜園の横に造っている小さなビニールハウスで、冬野菜としてケールを植え付けています。昨年はケールが順調に育ち、冬の間は毎朝3枚づつ葉っぱを収穫して、朝食にケールとリンゴ、牛乳を使ったスムージーを妻に作ってもらい飲みました。このスムージーが良かったのかどうかは定かではありませんが、お陰様で昨年の冬は一度も風邪を引くこともなく健康に過ごすことができました。

ビニールハウスで育ったケール
ケールの入った美味しいスムージー

今年も1か月前に植えつけたケールの苗が順調に育ち、今朝からケールの葉っぱを三枚収穫してスムージーを作ってもらい飲み始めました。淡いグリーン色のスムージーは飲みやすく、これから毎朝の食事が楽しみです。今年はケールができるまでは小松菜の葉っぱを使っていましたが、今年の秋は気温が高くて害虫が発生し害虫に食べられて散々でしたが、これでやっと緑の野菜を摂取することができそうで、まずは一安心といったところです。

無農薬野菜作りは奥が深くて、病気と害虫、それに雑草や連作障害との戦いです。少しでも気を抜くと今年は特に、台風が三度も近づいて大荒れとなり、せっかく育った苗もなぎ倒され、踏んだり蹴ったりで意気消沈気味です。時にはくじけそうになったり、農薬を使おうかと真剣に考えたりしますが、これも試練と思って目下のところ土づくりに重きを置いて作り続けています。これが農業で飯を食っていたなら、こんな悠長なことでは済まされまいと、また新たな季節の巡りや収穫に思いを寄せて、今日もせっせと暇を見つけてニンニク畑の草引きをしました。

「立冬を 過ぎて戸外は 寒くなる ビニールハウスで ケールが育つ」

 「緑色 ケールの葉っぱ 3枚を ちぎってジューサー スムージー飲む」

 「スムージー 体にいいのか 昨年は 冬風邪ひかず 元気に乗り切る」

 「また明日も まるで青虫 青葉っぱ 健康にいい 信じてゴクリ」 

 

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〇消えかけた表札

 わが家は「31歳で家を建てる」という、23歳で作った生活設計に基づき一戸建ての日本家屋を建てました。もう42年も前の昭和31年の出来事ですが、なけなしの財布をはたき銀行で500万円の住宅ローンを組んでの大事業でした。以来火の車とも思えるわが家の財政事情をかいくぐり、どうにか4人の子どもを育てて自立させたり、祖母・母・父を冥途へ送りながら倒産することもなく、ましてや首をくくることもなく今日までどうにか生き延びてきました。

見えにくくなった私の表札

 その風雪を物語るのがわが家の玄関先に掛けている表札です。ケヤキの板を用意して知人の書家に書いてもらった表札も、今は雨風に打たれて、判読が難しくなってきました。先日看板は大事だから、そろそろ新しいものを用意しようかと妻に相談したところ、意外な発言が飛び出しました。妻の意見は、「この家を建てた時あなたは31歳でした。お父さん(私の親父)に『表札をどうするか』相談したら、『これからはお前の時代だからお前の名前の表札を掛けるろ」』と言われました。あなたは既に73歳、同居の長男息子は45歳、遅くなったけど息子の表札を掲げたらどうか」というのです。

 一利も二利もあるこの発言に私も同感で、今朝そのことを長男息子に話すと、「この家はお父さんが建てた物だからまだまだ」と返事が返ってきました。そのことを話しながら、ふと家の代替わりについて考えました。わが家は私が四代目ですが、二代目の祖父が12人の子どもを残して早く亡くなったため、親父夫婦は貧乏の辛酸をなめながら若くして戸長となって頑張り、この家の基を築きました。故に私のもそのような生き方をしてもらいたいと、23歳ころから親代わりとして、近所や親せきの付き合いは私がその役割を果たしてきました。若い頃は嫌でたまりませんでしたが、そのことが今の自分を育てたのだと時々思っています。

 そういう意味では少し遅きに失した感もありますが、そろそろわが家でも代替わりをしなければならないようです。既に組長などのローカルコミュニティや親類づきあいは極力息子に任せようといざなっていますが、息子も仕事が忙しく、それどころではないので、「親父頼む」「親父よろしく」てな感じで、中々本当の意味での代替わりができていませんが、息子の表札をかけることによって、いささかなりとも自覚が芽生えればこれに越したことはありません。最近は個人情報とかで表札を掲げるのをためらっている家も沢山あります。逆になくなって長い年月が経っているのに、その人の名前の書いた表札がいつまでも掛かっている家も、田舎にはまだまだ多いようです。

「電話帳 名義変更 しないまま 死んだ主人の 名前で掲載」

  「玄関の 私の表札 判読が 難しくなり いっそ息子に」

  「気が付けば 私70 過ぎました 息子40 半ばになりて」

  「この際だ 世代交代 する時期と 息子に相談 表札替えよう」 

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