〇人間の心の値打ち
私の書斎に、大洲の辻先生に桐板に書てもらった2枚の掲額が2枚あります。一枚は二宮金次郎の「至誠・勤労・分度・推譲」という四つの教え、もう一枚は中江藤樹の「貌・言・視・聴・思」という五事を正すです。いずれも年輪塾の学びの中で学んだ教えですが、これを日々の暮らしの中に生かすことは容易なことではありません。二宮金次郎こと二宮尊徳の教えを、北海道美幌町の友人上杉さんが、毎日のようにfacebookにアップしていて、年輪塾で2年間学んだ尊徳翁夜話233話を復習するような気持ちで読ませてもらっています。
一昨日、「物の重さを測るには秤、物の数量を測るには枡、物の値打ちはお金、では心の値打ちはいかなるもので測ればよいか?」という、まるで禅問答のような事が書かれていました。心は人の目には見えないものです。故に「測ることができない」が正解なのかも知れません。それでもあえて値打ちを見出すなら、「至誠・勤労・分度・推譲」の中の分度、つまり分度を定め分度を守るため日々実践すること教えています。
経済面で自分の実力を知り、それに応じて生活の限度を定めることを分度と言いますが、心の値打ちは何も分度だけではなく、至誠・勤労・分度・推譲という4つのサイクル化こそが値打ちだと私は思うのです。一方中江藤樹の「五事を正す」は、貌=なごやかな顔つきで人と接し、言=思いやりのある言葉で話しかけ、視=澄んだ目でものごとを見つめ、聴=人の話を耳を傾けて聴く、思=まごころをこめて相手のことを思うです。二宮金次郎と四つの教えと、中江藤樹の五事を正すを心の戒めとして、凡人ながら生きて行きたいものです。
「北海道 美幌の友人 尊徳の 教えfaceで ほとんど毎日」
「尊徳の 233話を 教わった 復習しつつ 納得しつつ」
「金次郎 中江藤樹の 掲額を 毎日眺め 心に刻む」
「人間の 心の値打ち 秤でも 枡でも測る ことはできない」