〇双海史談会海の資料館「海舟館」で定例会
前回の史談会の折、次回の定例会を海の資料館「海舟館」で開催したいと提案があり、皆さんの同意を得たので準備を進めました。準備といっても別に資料を用意するでもなく、掃除機をかけたり拭き掃除をしたりする程度なので、いつもより少し念入りに「海舟館」と私設公民館「煙会所」、それにゲストハウスとして使っている隠居の掃除をしました。夕方6時30分頃、事務局の中尾さんから、「帰宅途中だが三秋峠付近で交通事故があったらしく車が渋滞して動けないので少し遅れるかも」と電話が入りました。
皆さんは車を地域事務所や中学校前へ停めて歩いて来たし、午後7時ともなると夜のとばりも降りて、真っ暗なため少し時間は遅れましたが、海舟館に入ってもらい、私が展示資料について順次説明をしました。倉庫を改造しただけの粗末な海舟館は2部屋に分かれていて、玄関口の部屋には海から揚がった紫電改の機銃や、魚雷のエンジン、ナウマン象の化石などを展示していますが、殆どの人がわが家へ来たのは初めてとあって、珍しい展示品に目をパチクリして見ていました。
奥の部屋には、親父が70歳で漁師をやめて陸に上がってから14~15年で製作した、かつて瀬戸内海で活躍した和船の模型が20数隻展示していて、素人とは思えぬその精巧さにも驚いていました。普通こうした展示は行政がやるのが普通でしょうが、私は街角資料館を提唱しているので、親父と相談しながら手作りの資料館を造って開放しているので、色々な人が見学に訪れるのです。煙会所や東屋を見学した後、隠居に入って雑談めいた議論を交わしました。
親父は2年前に亡くなりましたが、漁師という職業に一生を捧げ、さしたる名も残しませんでしたが、こうしていささかなりとも生き様の足跡を残してくれたことは、立派なことだと思っています。これから先は親父の遺志を継ぎもっと資料館を充実させて、自分の息子に遺し伝えたいと思っています。資料館の地下室に眠ったままになっている、漆塗りの食器類もいつか日の目を見せたいものとひそかに策を練っていますが、いつになることやらです。何はともあれ昨日の夜は史談会の人たちの来訪で、大いに賑わい親父も喜んだことでしょう。
「わが家の 倉庫改造 海舟館 史談会来て 久々賑やか」
「機関銃 魚雷のエンジン 等々の 戦争遺物 珍しそうに」
「わが親父 和船模型に 熱中し 倉庫改造 資料館まで」
「さて私 親父のように 残せるか 心もとない ドラ息子です」