〇灘町地区の盆踊り
私たちが若かった頃は、町内のあちこちで盆踊りが盛んに行なわれ、地元の青年団が準備から運営までを取り仕切っていました。しかし青年団が衰退するにしたがって、盆踊りをする地区がひとつまた一つと減って、残念ながら今では灘町、下浜、池久保の3地区になってしまいました。
盆踊りの起源は、その年に亡くなった人の霊を慰めるものでしたが、さしたる娯楽もなかった私たちが若かった頃は、その起源などさて置いた若者の娯楽の場として、酒を飲み恋を語る社交場として、大いに楽しみましたが、それもこれも今となっては淡い思い出となってしまいました。
昨日の夕方、私たちの灘町地区で、盆踊り大会が行なわれました。私と妻は新盆を迎えた義兄の燈篭上げの行事に参加しての帰り立ち寄り、輪の中に入って知っている双海音頭、神輿音頭、炭坑節などを見よう見真似で踊りました。近くの水産加工会社に研修できている、ベトナム人の若い女性たちも浴衣を着て、工場の人に連れられて参加して踊っていましたが、多少盛り上がりに欠けたようでした。
それでも地区の役員さんたちが、かき氷やビールの接待をしてくれ、また毎年盆踊りの度に帰省する人たちとも立ち話をして交遊を温めました。戦後72年経った今も律儀に戦没者の遺影を飾り、和尚さんを呼んで慰霊祭をすることを忘れない平和への祈りも頭が下がりました。わが家は私と妻と若嫁と孫2人、合計5人の参加となりました。
「盆踊り 町内僅か 3ヶ所で 時代の流れ 感じながらも」
「戦没者 新盆迎えた 人遺影 飾って慰霊 平和を祈る」
「知っている 音頭輪の中 前の人 見習いながら 不器用踊る」
「盆踊り 終ってやっと 暑かった 今年の夏を 締めくくりました」