〇私は一体誰に育てられたのだろうか?(その1)
昨日わが人間牧場へ、広島県から4人の若者が研修にやって来ました。彼や彼女たちと会話しながら、ふと「私は一会い誰に育てられたのだろう?」と思いました。私を育てた一番の功労者何といっても父母ですが、父母は貧しい時代、貧しい家だったため、小学校もろくに行かない学齢のない親でした。でも世の中に出ても困らないよう、最低限の生き方を生き様を通して教えてくれました。
子どものころ私を導いてくれたのは学校の先生でした。指折り数えて懐かしい先生の顔々を思い出しますが、中でも小学校5年生の時、私の誕生日に、私の生涯に大きな影響を与えた、「ジョン万次郎の生涯」という一冊の偉人伝をプレゼントしてくれた、武智信八州先生を忘れることはできません。家業を継ぐか進学するか悩んだ中学校卒業時両親を説得し、宇和島水産高校漁業科へ進学するよう勧めてくれた、大野修先生も忘れてはならない恩人です。
青年団で青年学級委員長をしていた時、NHK青年の主張に出会い、青年学級主事の武智清矩先生に添削指導を受けたお陰で、愛媛県大会最優秀賞県代表に選ばれ、小さな町のちょっとしたヒーローになり、それらが元で愛媛県生演壇連合会長や四国四県の会長として活躍しましたがが、それが縁で小さな役場に35年間勤め、社会教育やまちづくりの世界で生き、3人の町長(仲野和・丸山勇三・上田稔)さんと出会い、今の礎となる大きな仕事をさせてもらい、教育長を最後に第一線を退きました。
こうして振り返ると、その時々に多くの人に育てられ、妻や多くの知人友人の協力でここまで来ることができました。21世紀えひめニューフロンティアグループでの、無人島に挑む少年のつどいや丸木舟瀬戸内海航海や、夕日によるまちづくりまちづくりのきっかけとなった夕焼けプラットホームコンサートも、忘れることのできない自分育ちの土壌だったように思うのです。はてさて私のこれからの人生は、それらの大恩ある人や活動に感謝し恩返しをしなければなりません。果さて「私は一体誰を育てたのだろう?」、こんな自問が湧き始めました。
「この私 一体誰が 育てたか? その時々に 導く人あり」
「あの人や この人顔を 思い出す しっかりせねば バチが当たるぞ」
「思い出の 人はいずこに この世には いないを知りて 時の流れを」