◯温泉県大分別府での朝
温泉県大分別府に来ています。朝6時から別府の温泉を堪能して身も心もポカポカです。朝6時半頃別府湾を望む窓越しに、奇麗な朝日が昇り始めました。
双海より
〇もうそろそろ
私は家庭菜園で自家消費の野菜を作っていますが、その経験はまだ浅く、隣近所のおじさんやおばさんに教わったり、苗や種を貰ったりして、見よう見真似でやっています。ゆえに時機を逸したり失敗したりは常習で、いわば「失敗から学ぶ農業」といった感じです。
先日松山に行ったついでに、行きつけの温泉の暖簾をくぐりました。この温泉には時々行くので、背中に刺青をしている親分さんや、お寺のお坊さん等とも時候のあいさつができるくらいになっていますが、退職してご隠居さんとなり温泉の常連になって、三昧な日々を過ごしている農業に詳しい人たちもいて、雑談で「ジャガイモ植えた?」とか、「昨日肥料をやった」などなどの会話を傍耳で聞くのです。
「今日は風呂から帰ったら、そろそろ里芋を植えようと思う」という話を聞き、私もそろそろと思いつきました。わが家庭菜園にも昨年里芋を植えました。順調に育ちましたが、何株かは種芋用に掘って食べずに、敷き藁をして置いていますが、昨日は耕運機で畑を中耕し、少し高めの畝を立てて、里芋の種芋を植えてみました。今年は傍耳で聞いたマルチをかけて栽培する方法をやってみようと思っています。
昨日の夕食は、種芋の残りの里芋と聖護院大根の煮物を妻に作ってもらい、美味しく食べました。
〇「ないものあります」という本は面白い(その2)
友人橋本千春さんから借りた「ないものあります」という、面白い本を読みました。そこで私も「ないものあります」という本の向うを張って、私なりに24項目の「ないもの」を思いつくまま列記してみました。①馬の骨、②ウドの大木、③飴の鞭、④石頭、⑤色眼鏡、⑥金の卵、⑦道草、⑧四方山、⑨でくの坊、⑩ぼんくら、⑪口三味線、⑫空念仏、⑬藪から棒、⑭歯に衣、⑮地獄行きの切符、⑯手前味噌(裏が味噌)、⑰高嶺の花、⑱泥縄、⑲赤い糸、⑳尻餅、針のむしろ、空耳、上の空、ろくでなし、あんぽんたん、馬鹿、盆暗などなど、考えればきりがないほどあるようです。
例えば「金の卵」は、現代の人に言っても通じない言葉です。私たちが少年の頃は、中学校の義務教育を終えた少年少女は、集団就職列車に乗ってネオン輝く都会を目指しました。高度成長の著しかった当時の都会は、給料の安い中卒の働き手を「金の卵」と持て囃しました。あれから半世紀余が経ちましたが、田舎は過疎、都会は過密という社会現象を引き起こしているのです。ある小学生が夏休み子ども電話相談室というNHKラジオ番組に、「道草ってどんな草ですか?」と、真顔で訪ねたそうです。笑い話のようですが、道草などせずに学校~家庭~学習塾に通う子どもにとって、道草などする暇はないのです。ゆえに「道草」と聞いて「道草とはどんな草だろう?」と思うのは当然かも知れません。
「手前味噌(裏が味噌)」も、味噌屋の屋号か会社名、または味噌の商品名と思うのは当然です。私はこのないものを逆手にとって、自分の名刺の裏にギノー味噌の田中社長さんにお願いして、CMを出してもらいました。裏のレイアウトは私に任せるというので「裏が味噌」と書いたところ、これが評判になってCMの効果は抜群となりましたが、できれば「手前味噌」か「裏が味噌」という商品名を売り出したらいいのにと、密かに思っています。私と妻を結んだであろう「赤い糸」も架空のものです。ちょっとした遊び心で世の中はウィットに富んで楽しくなります。私の出版している落伍ネタ本「夕日徒然草」にも、早速「ないものあります」という小見出しをつけてこのことを書こうと思っています。
「友人に 借りて読んだが 面白い 『ないものあります』 私も幾つか」
「世の人に 金の卵と 問うたなら それ何ですか? 言われてしもた」
「裏が味噌 どこの会社の 味噌ですか? 名刺の裏に 書いたCM」
「世の中にゃ ないものだのに ありそうな 予感の言葉 沢山あります」
〇危ない遊びは子どもを成長させる
私たちが子どものころは、野山に分け入ったり海岸に出て、手当たり次第そこら辺にあるものを使って遊んでいました。石一つでも遠投したり水面を滑るように投げたり、枝木は刀や削って尖らせ、ネンガリにして友だちと競い合いました。お正月に買ってもらったメンコ、ビー玉、駒以外は凧さえもタケヒゴを組み合わせて作り、まるで戸外遊びの天才でした。
悲しいかな今の子どもたちは、ゲーム等の与えられた遊びが主流で、私たちがお宝と思っていた「肥後の神」というナイフさえ、危ないという理由で持たせず、「肥後の神」という言葉も今では死語になってしまっているようです。昨日友人の岡田敏明さんが、宇和島市九島の実家へ帰省の帰りに、久しぶりにわが家へ立ち寄ってくれました。岡田さんはシステムユニという会社の社長さんですが、大学で教えたり、経営の神様といわれるドラッガーのマネジメントに詳しい、その道のスペシャリストです。
昨日は短い時間ながら、安田祐治の体育遊びについて薀蓄を聞きました。「保護ばかりしていたら子どもの成長機会を奪ってしまう」という話には大いに共感共鳴しました。岡田さんはたまたま居合わせた3年生の孫希心に、お土産にとけん玉をプレゼントしてくれました。いわく因縁のあるけん玉のようでしたが、孫希心は昨日の夜から今朝の朝までいただいた件けん玉に熱中し、できなかった皿乗せができるよになったと喜んでいました。
岡田さんは大の読書家で、昨日も本を3冊持参して読むよう勧めてくれました。丁度「ないもの、あります」という本を持参して来宅していた、読み聞かせ隊の橋本千春さんとも面談し、楽しいお喋りをしましたが、昨日はとてもハッピーな一日となりました。友人のお陰で私の智のコンテンツが少しだけ広がりそうです。それにしても類は友を呼びますね。嬉しい悲鳴です。
「友人が 相次ぎわが家 訪ねけり 遊びの話題 共感共鳴」
「いただいた けん玉使い 孫熱中 不得意克服 満面笑顔」
「面白い 本を読むよう 勧められ 早速昨晩 一冊読破」
「友人の お陰で私 少しだが 智のコンテンツ 広くなりぬる」
〇晩柑類の美味しい季節
季節は巡りて春の足音が近づいて来ました。この時期になるとポンカンやデコポンなど、柑橘産地らしい晩柑類が出回り、その味と香りを存分に楽しんでいます。最近は糖分の多い果物や、晩柑類のように皮を剥いて食べる煩わしい柑橘類は敬遠されているようです。私たちが子どもの頃は、他の食べ物がなかったこともあって、手が黄色くなるほど食べていましたが、それももう過去の懐かしい思い出となってしまいました。
全国の友人に送る柑橘類は、毎年親しい町内の農家の方に注文して、分けてもらっていますが、昨日は荷送り用の段ボールに入れられたデコポンが届きました。農家の方は自家用に食べて下さいと、惜しげもなくキャリーに一箱立派なデコポンを置いて帰りました。早速郵便局の送り状に宛名を書き、郵便局の裏口までトラックに積んで持って行き発送を終えました。全て県外で遠くは北海道まで送るので、友人宅に届くのは明日くらいになるようです。
自宅に帰りいただいたデコポンの皮を剥いて食べましたが、味も香りも申し分なく、美味しくいただきました。昔はわが家でも母親がみかん類を作っていましたが、今は菜園の隅に甘夏蜜柑を言い訳程度に作っているだけなので、町内の農家から年中柑橘類をいただき、ビタミンCの補給を存分にしています。そろそろ甘夏柑を使ってマーマレードも作ろうと思っています。
「最近は あれやこれやと 新品種 どれがどれだか 結局分らず」
「女の子 ような名前の ついている みかんよく売れ しかも高価で」
「子ども頃 みかん食べ過ぎ 手の色が 黄色くなった あの頃懐かし」
「晩柑が 美味しい季節 なりました 毎日食べれ 幸せ実感」
〇菜の花ウォークのダイガラ餅つき
昨日3月5日は菜の花ウォークの日でした。本当は私も歩きたかったのですが、漁協女性部の松本洋子さんから、「ダイガラ餅つきの手臼を手伝って欲しい」と、ボランティア要請が事前にあったので、前回出張でお手伝いできなかった不義理もあって、餅つきに参加しました。餅つきの予定時間は菜の花ウォークの一行がJR長浜駅を出発し、ゴールのシーサイド公園に到着する予定の13時30分でしたが、いつもの事ながら賄い昼食のお誘いがあったので、12時30分に到着し、カレーを食べながら臼やダイガラを倉庫から引き出し、大森秀康さんと2人で準備を進めました。
そのうち500人もの参加者が次々とシーサイドに到着し、イベント広場は超満員となりました。昨日は風もない少し曇り空の暖かい天候に恵まれ、参加者は途中満開の閏住の菜の花を満喫しながら歩いたようで、胸に参加賞の缶バッチをつけ完走賞を貰っていました。早速いつものように慣れた手つきでダイガラ餅つきを始めましたが、ダイガラの周りには沢山の人が集り、1個70円のつきたての餅を買い求める人の長い行列ができました。餅は白餅、紫芋餅、ヨモギ餅の3種類でしたが、いずれも人気が高く全て完売となりました。
私の役目は手臼なのですが、昨日は小づきの人が大森さんだけだったので、私も手臼前に小づきに加わり、いつもより存分の働きをしました。結局ダイガラ餅つきは人気があり過ぎて、手伝った私たちは味見もしないまま餅つきを終えました。まあよくあることです。手伝った御礼にじゃこ天すり身のつみれをいただいたので、昨日のわが家の夕食メニューはつみれ汁で、妻と2人で美味しくいただきました。さて次のダイガラ餅つきはいつでしょうか?。
「ボランティア 要請ありて ノコノコと 出かけ賄い ご飯いただく」
「春が来た 思わすような 天候に 恵まれ菜の花 ウォーク盛会」
「ダイガラの 周りに人が 集って ヨイショヨイショ 外人までも」
「お礼にと 貰ったつみれ 食卓に 昨日一日 どこか安らぐ」
〇親友岡田文淑さんの祝賀会
今年1月1日元旦の愛媛新聞に、長年の親友岡田文淑さんが愛媛新聞賞を受賞するという記事が載りました。内子町の町並み保存に長年関わったその功績が認められての受賞で、何はともあれ新春早々の嬉しい知らせを喜びました。実は私が主宰する21世紀えひめニューフロンティアグループも15年ほど前に、団体の部で愛媛新聞賞を受賞していますが、その時私は双海町の教育長だったため、2年間だけ代表をメンバーの大野哲治さんに譲っていて、表彰式には大野さんが出席してくれました。
岡田さんとは長年えひめ地域づくり研究会議の代表運営委員を一緒に長年やった間柄で、同じ地方公務員(役場職員)だったこともあって、何かと温かいご縁をいただき、その深い見識から色々なことを学ばせてもらいました。1ヶ月ほど前、私の後任として地域づくり研究会議の代表運営委員をしている渡辺さんから、岡田さんの受賞祝賀会をしようと思うので、発起人に名を連ねて下さいと連絡があり、快くお受けしました。昨日は20人ばかりが松山の農協会館リジェールに集り、ささやかな祝賀会となりました。
岡田さんは現在76歳、少し難病を患い闘病生活をしていますが、ダンディな風貌は変らず、なおかくしゃくとしていました。かつてえひめ地域政策研究センターで統括部長をしていた茂木さんも、東京から駆けつけていただき、20人の参加者全てを知っている私も、同席・隣席の知人友人と久しぶりに嬉しく旧交を温めることができました。人は日々年齢を重ねるものです。若い頃情熱を燃やして地域づくりに取り組んだ思い出も、今は記憶の彼方へ去りつつありますが、いい時代に生き、いい時代に活動が出来たことをみんな喜んでいました。
「旧友の 受賞祝賀の 宴席で 昔話に 花を咲かせる」
「歳とった 証拠のように あれやこれ 思いつくまま 昨日のように」
「俺病気 私も実はと 近況に 体の異常 言う人多し」
「まだ若い 思っているのは 自分だけ 人から見れば 歳相応に」
〇人と機械の違いは何?
最近は技術革新のスピードがかなり早くなり、私のようなロートルにはついて行けないと、加速度的なスピードに目を白黒しながら諦めにも似た思いで日々を暮らしています。私の身の回りを見渡せば、いつの間にかデジタル機器に取り囲まれていて、学校で習ったことのないデジタル操作を不安を感じながら細々とやっていますが、システム障害が起こるとそれはもうお手上げ状態で、最初から諦めて人の手を借りねば復旧ができないのです。
最近は公道を走る車でさえ手放しで運転ができ、衝突回避システムが装備され、交通事故に遭いにくい有り難い時代が来ましたが、はてさて人間はこんなに機械に任せて一体何をするために生きているのでしょう。私の乗っている古い機種の車でさえ、カーナビに入力すると誘導の機械的音声が、「次の信号を曲がりなさい」とか、行き過ぎると「元に戻りなさい」とうるさいほど正確に、行く道筋を教えてくれるのです。
いまに地球や人間が、人間の造った人工知能に占領され、人工知能の奴隷にならなければならない時代がやって来るかも知れない?と、要らぬ詮索をしています。昨日テレビを見ていると、こんなデジタル万能な時代なのに、地球上にはそうした文明と隔絶して、太陽が昇ると起きて活動し、太陽が沈むと眠る古代人のような暮らしをしている人も少なからずいるようです。私たちから見れば物質的に決して豊かでない、その人たちの生き生きとした姿に、現代人が忘れかけているヒントが何かあるような気がしました。
「人間は 一体何の ため産まれ 何して生きて 行けばいいのか?」
「そのうちに 人工知能 人間を 使う世の中 来るか知れない」
「世の中が 進み過ぎるも 不安です 子どものころ 穏やかよかった」
「着いて行く ことさえできず 離されて 時代遅れを しみじみ実感」