◯ジャガイモの芽が出始めました。
昨日は朝から春の雨が降っていました。東京では日本で一番先に桜が開花したそうです。いよいよ春本番で心がウキウキします。雨上がりの午後、しっとり濡れた畑を眺めると、黒いマルチが盛り上がっていました。土の中でジャガイモが芽を出し始めたようです。早速包丁でマルチを切るとジャガイモの新しい芽がお目見えしました。まだ全てではありませんが、嬉しい植物の目覚めです。
双海より
〇妻は天国へ行けるかも~
今日は3月21日です。毎月21日は自宅の敷地内にあるお地蔵様の縁日なので、妻はもう30年間1回も休むことなく、毎月21日の朝お赤飯を炊いて、お接待と称し近所や親類に配って喜ばれています。年に1~2度ならどおってことはありませんが、毎月30年は中々できることではないと、わが妻ながらその様子に感心したり感謝したりしています。
今朝も5時30分に起き、昨晩米を研ぎ、小豆を茹でて準備していた食材を、ガス釜に入れてスイッチを入れました。6時には炊き上がり、私が外の調理場からダイニングに運んだ赤飯を、まず妻は仏様・神様・お地蔵様用のお皿に盛り、私がそれぞれの場所へお祈りしながらお供えをします。その間妻は30個のパックに慣れた手つきでつぎ分け、湯気が消えて冷めると、輪ゴムバンドで止めて一丁上がりです。私はそれらを荷造りバンドで編んだ手提げバッグに入れて、まず近所へ配りました。
その後少し遠い所は下灘の親類まで車で配って回り、行った先々で、それぞれの人の近況を確かめながらお勉めを終えるのです。自宅へ帰ると妻は既に職場へ出勤して留守でしたが、昼食に帰った妻に食事をしながら近況を報告してやりました。妻は5期15年間地元の民生委員をしていた頃も、自分の受け持ち地区の独居老人にも配って喜ばれていました。退任後は後任の人の手前もあるので止めましたが、その人たちの殆どは既に他界してしまいました。
死後のことは行った事がないので分りませんが、前世での行いがえん魔大王様に評価されるのであれば、私は別として妻は確実に天国へ行けるだろうと、内心思っています。はてさて30年を越えて続いている妻のお接待は、いつまで続けれるのでしょうか?。「まあ元気な内は」と言っていますが、何はともあれ今月も元気で無事お接待を終えることができました。感謝感謝です。
「毎月の 21日は 地蔵さん 縁日赤飯 お接待する」
「30年 毎月欠かさず お接待 たいしたもんだ わが妻ながら」
「もしあの世 行ったら妻は 天国へ 比較にならぬ 私は地獄?」
「今月も 21日 健康で 無事お勉めの 接待終える」
〇連休は家庭菜園で農作業
退職して12年が終ろうとしています。私はサンデー毎日ゆえ、連休など関係ないのですが、同居している息子家族やパートで働く妻にとって、連休は楽しみの一つのようで、今度のような3連休前になると何となく浮き浮きしている姿が見て取れるようです。
この連休中私は、家庭菜園の手入れに汗を流しました。菜園には食べ切れなかった冬野菜の名残の作物が沢山あって、大根や白菜、チンゲンサイ、小松菜などは春の訪れを告げるように、花が咲き始めています。昨日近くに住む姉が散歩の途中やって来て、チンゲンサイや小松菜の菜の花をちぎって持ち帰りました。
そのついでにわが家へも、摘んだチンゲンサイの菜の花を置いて帰りました。お裾分けしたのにこちらがお裾分けしてもらったような雰囲気でしたが、茹でてゴマドレッシングをつけて食べると、これが軟らかく絶品で、春の味を存分に楽しみました。今日は白菜の菜の花を摘んだので、多分今夜の食卓に乗るものと思われます。
残菜を引き抜いて雑草を取り、新地になった所へ苦土石灰と牛糞を振り撒き、耕運機で中耕して一丁上がりです。畝を立てて人参やゴボウ、ネギの種を播き、食べずに土の中で保管していた里芋の種を等間隔で植えました。間もなく1ヵ月後には夏野菜の苗物を植えたり、インゲン豆の種を播きます。あれはこれやと思いを巡らせる、今が一番楽しい時期かも知れません。
「連休で 家族みんなが 楽しそう サンデー毎日 私蚊帳外」
「冬野菜 食べ切れなくて 処分する 菜の花摘んで ゴマドレ食べる」
「寒かった 冬も終わりて 春本番 忙しそうに あれやこれやと」
「気がつけば 私一番 歳が上 思いのままに できるけれども」
〇親友菊地邦求さんが亡くなって早6年が経ちました
私は若い頃青年団活動をしていました。ゆえにその頃の知人友人も何人かいますが、半世紀50年も前のことなので、音信が途絶えたり既に亡くなっている人も多く、自分の加齢による記憶の曖昧さも手伝って、思い出は遠くなりにけりってところです。それでもあの頃、西宇和郡連合青年団長だった現伊方町三崎の塩崎満雄さんとは、その後共に地域づくり活動をしたお陰で、今も兄弟のような付き合いをしています。
もう一人同じく兄弟のような付き合いをしていた菊地邦求さんがいましたが、6年前不慮の事故で亡くなりました。現大洲市長浜町豊茂出身の菊地邦求さんは、私が伊予郡連合青年団長になると、同じように喜多郡連合青年団長となり、私が転職して双海町役場に入ると菊地さんも長浜町役場に、私がNHK青年の主張の県代表になると菊地さんも県代表になるなど、まるで私と生き写しのような人生を経てきました。
忘れもしませんが、菊地さんは今から6年前の2011年12月20日に裏の畑を耕していた時、耕運機の下敷きになって天国へ旅立ちました。私の元へ友人から彼の訃報が届いたのは、大分県大山町響の郷へ講演に出かけた帰り道のフェリーの中でした。12月24日の告別式には親友を代表して弔辞を手向けたりしましたが、早いものであれから6年があっという間に過ぎました。
昨日奇しくも昨年末の同じ頃に葬儀をした八幡浜の義兄の新彼岸見舞いに、妻と2人で出かける途中、長浜豊茂の菊地さんの家を訪ねようと相談し、何の前触れもなく訪問しました。あいにく奥さんは留守でしたが、運よく顔見知りの93歳になるお母さんが在宅で、短い時間ではありましたが、思い出話に花を咲かせました。長浜町豊茂は、名刹金山出石寺の麓にあるので、出石寺にお参りをして日土を経由して八幡浜へ向いました。
「親友が 6年前に 亡くなりて 時の流れの 早さ驚く」
「今ごろは あの世のどこに いるのやら 何年か先 先輩面して」
「何年か ぶり友人の 家訪ね 老いた母親 思い出話」
「あれやこれ 思い出話 する度に 懐かしい日々 昨日のように」
◯二宮典子さんのディナーショー
先日ソプラノ歌手二宮典子さんのディナーショーが、全日空ホテルであり、出かけました。春と夏、それにクリスマスの年3回開かれるので、毎回出掛けていますが、次々と運ばれてくる美味しいディナーに舌鼓を打ちながら、凄い声量のソプラノに驚きつつ、2時間ほど美声に酔いしれました。音楽に無頓着で野暮な私ですが、今回も心洗われる気持でした。
二宮典子さんとは日常金融広報アドバイザーとして一緒に活動していますが、人間味溢れる日常とはまるで別人では?と、見紛うほどのステージ雰囲気に圧倒されました。そろそろ日本列島に桜前線が上陸します。二宮典子さんの歌った「さくらさくら」の歌はその予感を存分に感じさせてくれました。前回横席に座った岸田さんという上品な女性ともお友だちになり、講演まで予約されました。
〇双海中学校の卒業式
昨日は学校評議員をしている地元双海中学校の卒業式のご案内をいただいていたので、午前9時からの卒業式に間に合うように、自宅からほんの5~6分の所にある中学校まで歩いて出かけました。天候はいいものの少し底冷えするようだったので、妻が背腰にホッカイローを張ってくれたお陰で、広い体育館でも何とか寒さをしのげました。
早いもので、下灘中学校と上灘中学校が統合して誕生した双海中学校も7回目の卒業式を迎えました。学校も周辺整備が行なわれ、敷地内にあった学校給食センターが取り壊され、跡地に部室が新築中で、これでやっと周辺整備が終ることになるようです。いつも思い違いするのは、卒業式と思っていますが、本当の名称は義務教育を終える「第7回卒業証書授与式」なのです。
何の肩書きもないのに、学校評議員をしているゆえでしょうか、前列来賓席が用意され、子ども体験塾などの活動で見慣れた生徒たちの顔を反芻しながら、授与式に臨みました。卒業証書授与に続いて校長式辞を聞きました。来賓祝辞も簡素で、在校生送辞、卒業生答辞、唱歌「仰げば尊し」と続くと、感極まった生徒の目から涙が溢れ、隣に住む大輝君が指揮台に立ち指揮した、卒業生記念合唱「あなたへ」で、担任先生へのお礼の言葉が胸を打ち、涙腺の弱い私もついウルウルしてしまいました。
毎朝暗いうちから新聞を配っていて、毎朝ウォーキングの途中で声を掛け合い続けたM新聞少年も、晴れて卒業です。今日は県立高校の合格発表です。短くも長かったであろう3年間の中学生活を終えた生徒たちは、それぞれの目標に向って新たな一歩を印すことでしょう。「卒業おめでとう」「よく頑張りました」。
「底冷えの する体育館 妻貼った ホッカイローで 風邪も引かずに」
「年毎に 生徒の数が 減り続け 将来不安 みんな口々」
「卒業生 顔見知り多く あれやこれ 少年少女 懐かしくなりぬ」
〇ウグイスの鳴き声
殆ど毎朝、5時30分に自宅を出て、まだ朝が明けきらない暗い中でウォーキングしてるため、気付きませんでしたが、今朝は昨日知人からいただいた「コンサルティングの極意」という本を読んでいて、すっかり夢中になってしまい、20分も遅れてウォーキングに出発しました。
このところ夜明けが段々早くなり、午前6時にはすっかり明るくなっていました。今朝も昨日に続き放射冷却現象で寒かったものの風もなく穏やかな朝でしたが、周囲の山々からウグイスの鳴き声が沢山聞こえてきました。10日ほど前に聴いた初鳴きは、「ケキョケキョ」程度でしたが、今朝はすっかり上手くなって「ホ~ホケキョ」とフルリズムの鳴き声でした。
道沿いにはサクランボの花が満開で、幾羽ものウグイス色のメジロが忙しく飛び交い、花の蜜を吸っていました。わが家の梅の花も満開で、甘い香りを漂わせています。これまで忙しくて気付かなかった家の周りの春の訪れを実感しています。
「春が来た 歌の文句じゃ ないけれど 外は寒いが 心浮き浮き」
「ウグイスの 歌う音色も ホ~ホケキョ 練習積んで すっかり上手」
「気がつけば 家の周りに 春が来て 仕事忙しく 背中押し気味」
〇大分県別府へ旧婚旅行ワッハッハ(その2)
私は先月だけでも4回は県外に出ています。高速交通網の発達で、その殆どは1泊2日ですが、旅馴れている故でしょうか、旅に出るというのに着替えも少量で、まるで日常といった感じで、出かける前に多少講演メモや交通アクセスを調べたりしますが、別にワクワク・ドキドキもしません。ところが旅なれていない妻は隣県大分県別府へ行くだけなのに、着替えや自家用車内で飲むペットボトル、旅先で食べたい柑橘まで積み込む始末で、傍で見ていても多少上気している感じでした。
今回は息子が、三崎港14時20分~佐賀関18時00分のフェリーをネット予約してくれました。双海~夕やけこやけライン~ゴゼヶ峠トンネル~潮風メロディーライン~三崎港は天気もよく順調で、ネット予約のお陰でフェリーには一番に乗せてくれました。豊後水道は海も穏やかで、今年100年を迎える文化遺産佐田岬灯台を横目に見ながら、東洋一の高さを誇る煙突のある佐賀関へは僅か70分で到着しました。フェリーから降りるのも一番とあって、佐賀関から別府までの地道197号線や高速道路も順調でした。
その日の内に海地獄や明礬温泉の湯の花畑などを散策し、鉄輪入口のかんぽの宿別府に着きました。温泉好きな私たち夫婦は早速名湯の誉れ高い別府の湯に入湯し、春満載のレストラン食事も堪能、寝る前に温泉入浴までして「いい湯だな」を満喫しました。露天風呂から見上げる空には真ん丸い満月が見えました。何の目的もなくただのんびりと過す夫婦だけの夜もいいもので、テレビを見たり話し込んでホテルの夜はふけて行きました。これを「何げない幸せ」というのでしょうか。まさにアッハッハでした。
「一番に フェリー乗り込み 一番に 降りて目指すは 名湯別府」
「海地獄 続いて明礬 湯の花の 採集小屋で 温泉プリン」
「モウーモウーと 白い湯煙 立ち昇る 別府八湯 どこか懐かし」
「何げない 幸せ感じ 夜はふける あれやこれやと 四方山話」