〇ハードルの高さ
「ハードルが高い」という言葉を時々耳にします。乗り越えにくい出来事や目標の高さをいうのでしょうが、私の人生を振り返ればその時代、その年齢、その役職などにおいてハードルの高さを実感し、ハードルを倒したり足を引っ掛けたり、時には再挑戦したりしながら、何とか今日まで乗り越えてここまで来ました。振り返えれば多少悔いは残っているものの、自分の非力さや能力のなさを考えれば、まあままの人生だったと納得するのです。
人間は得てして若いころには高いハードルを設定しがちです。できもしない夢や理想を掲げますが、世の中はそんなに甘くはなく、時には立ち上がれないほどの失敗や反対に遭います。それでも「夢よもう一度」と再チャレンジできるのも若さの特権なのです。しかし私のように年齢を重ねてくると、自分のレベルと周りの状況を比較しながら、ハードルの高さを自分で飛び越えれるレベルに調整し、「こんなものだ」と納得しながら生きて人生を終えるのです。
ハードルの高さを自分の飛べる高さに設定し始めるとそれに馴れて、体力・気力・知力の低下と共に自分の人生は次第に萎んでしまいます。それが普通なのでしょうが、私の場合はこれまでの経験から、ハードルの高さを少し高めに設定するように心がけています。人から見れば他愛のないことでも私にとっては挑戦ですから、「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」と言った、ポール・J・マイヤーの言葉通りハードルを越えることができるのです。
私の心の張りは「少し高めのハードル」に向う気概とそれを乗り越えた時に味わえる達成感によって維持されています。始める活動、続ける活動、高める活動の三つを心がけていますが、目下のところ止める活動が中々見つからず、多忙過ぎるのが欠点なので、歳を考え少しずつ止める活動へ移行したいとも思っていますが、一方では折角ここまで続けたり高まったのだから、「もう少しもう少し」という引き戻し心理も働いています。
最近若い人から色々な夢を聞く機会があります。「夢はどうしたら実現するか」とアドバイスを求められることもあります。「夢はドリームではなくターゲットだ」と叱咤激励すると同時に、相反して「いいこととできることは違う」と冷や水をぶっ掛けることだってありますが、少なくてもハードルの高さを簡単に飛び越えられる高さにしてしまうことだけは止めろと、アドバイスしています。このアドバイスが正しいのかどうかは別にして、少し高いハードルに挑戦しながら私は今日も生きています。
「ハードルは 飛び越えなければ 意味がない だからと言って 低いは問題」
「多少無理 すりゃ飛べる 高さまで ハードル上げる これぞ生きがい」
「跳んだあと 疲労忘れる 達成感 これもまた良し 次のハードル」
「ああ今日も 少し高めの ハードルを 跳んだ跳んだと 満足しつつ」