人間牧場

〇ジュウヤクの白い花の咲く頃

 周囲3キロを飛んで蜂蜜を集めるという蜜蜂が、蜜源となるみかんの花もとっくに終わったというのに、わが家の裏の巣箱に盛んに出入りして蜂蜜を集め帰っています。昨日巣箱の底板にスムシが付かないよう掃除をするため、蜂を驚かさないよう慎重に巣箱を動かしてみましたが、5月の連休頃に入居してまだ一ヶ月余りしか経っていないのに、重さの手応えは十分あるようで、今のところ蜂蜜採集への期待が持てそうです。 

ジュウヤクの花
ジュウヤクの花
くちなしの花
くちなしの花

      家の周りにはジュウヤクの白い花が一杯咲いています。手につくと苦い匂いのするジュウヤクですが、どちらが別名か分らないドクダミの花は、その名に似つかわしくないほど可憐で、一輪挿しに差しても清楚な風情が漂ってきます。同じ白い花のクチナシも庭の隅で花を咲かせ始めました。こちらは芳香剤のような香りのする香木で、ご存知「くちなしの花」という歌にも歌われていますが、花に鼻を近づけるととてもいい香りがして心が和みます。

 家庭菜園のあちこちにはキューリ、ナス、トマト、カボチャ、スイカ、インゲンなどの野菜に数多くの花が咲いています。実をつけるために咲く野菜の花は素朴ですが、何ともいえない味わいがあります。蜜蜂やチョウチョもやって来て、自然受粉のお手伝いをしてくれています。そう思って見渡せばこれらの花が蜜源となって、蜜蜂たちが盛んに飛び回って蜂蜜を集めることができていることに納得しました。アウトドアー派な私にとっては、暑いけれど大好きな夏がやって来ました。

  「庭先に 白い可憐な ジュウヤクの 花が咲いてて 思わず見とれ」

  「クチナシの 白い花見て 口ずさむ 私も古い 人間のよう」

  「蜜蜂は 周囲3キロ 飛び交って 蜂蜜集め 休むことなく」

  「花はない 思っていたが そこここに その気で見れば 沢山ありて」

 

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〇人は何ために生きるのか?

 数日前愛南町柏に住む親友のKさんから電話が入りました。Kさんは元教師でしたが55歳で突然教師を辞め、この9年間自宅で山羊や牛を飼ったり野菜作りを楽しむ等、羨むほどなアウトドアー派自由人として、人生を謳歌している人です。奥さんも学校の現職教師なので食うに困ることもなく、私のような貧乏人からすればまさに羨ましい限りです。

 Kさんとはもう40年も前に知り合いました。第十回総理府派遣青年の船にお互い乗船した折、偶然にも同郷ご縁で付き合いが始まりました。私は班長だったので青年の船での活動はそれほど密接ではありませんでしたが、帰国後私が中心になって結成した21世紀えひめニューフロンテアグループというボランティアグループにも会員として加わり、無人島に挑む少年のつどい等の活動を一緒にやって来て、今は会員が高齢化して左程の活動はしていませんが、年に一度の世界遺産を巡る旅にも参加して、交遊を温めているのです。

 話は飛びましたが、Kさんが私に電話してきた用件は、「これからの生き方」へのアドバイス依頼のようでした。私とKさんとは年齢が7つ開いています。Kさんは退職して9年、私も退職後10年が過ぎました。Kさんと私の重なった9年間の生き方には大きな差があるようです。根本的に違う点といえばKさんは退職後デジタル情報手段を捨てていますが、私はお粗末ながらもデジタルを使って書いたり交流をしたりしています。「それがどうした」といえばそれまでですが、まずそのことに挑戦すべきだと思うのです。また自分が家族の一因であることをしっかり自覚する、特に夫婦の人間関係をしっかり見つめなければならないのです。

 Kさんは奥さんと7つ歳が離れているようですが、平均寿命と健康寿命の差を考えれば、老いはもうそこまで来ています。一番の幸せは夫婦健康で長生きですが、その保証はどこにもありません。人生の最後を介護施設に入って終える時代の中で、これからの人生をどう生活設計していくのか、夫婦で相談ししっかりと考えるようアドバイスしました。Kさんが愛南町内海の田舎でこのまま埋もれるように、老いを迎えることに疑問を感じ、今できることをしておきたいと思うのは当然のことかも知れません。その糸口として大学でもう一度学びたいという希望もあるようです。「何のために学ぶのか?」という、私の問いかけに明確な言葉は返ってきませんでした。

 「人は何のために生きるのか」、63歳のKさんが感じている心の悩みは、私もまったく同じです。自分の筋を通して生きるのも生き方、家族の一員として生きるのも生き方です。これまでの人生がこれからの生き方を決めるのではなく、これからの生き方がこれまでを決めるのだと思って、社会に順応しながら反発し、多少悔いは残っても悔いない人生を歩んで欲しいと願っています。頑張らずに頑張ることも必要かも知れません。「多少心の雲が晴れたようだ」と言って、ゲストハウス煙会所での話を切り上げKさんは帰って行きました。こんな時こそ相談に乗れるいい友だちでありたいと、Kさんの来訪を嬉しく思いました。

  「旧友が 相談したいと やって来た ゲストハウスで 向かい合いつつ」

  「人間は 何するために 生きるのか? 求心すれば するほど難解」

  「無限だと 思っているが 人間の 寿命たかだか 百年足らず」

  「まず夫婦 元気で長生き 寄り添って 平凡だけど 中々非凡」

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〇失ったものとやりたいこととできること

 私はこれまでに色々な怪我や病気を克服し、幸運にも70歳まで生きることがました。その間70歳までに色々なことを折角身につけながら、加齢によってその殆どはまるで着ている服を脱ぐように、一枚また一枚と剥がれつつあるようです。失ったものを探さなければ自分の復元はできないので、時々それらに思いを馳せながら指折り数え失ったものを思い出していますが、これは厄介で思い出すことすらできない年齢に差し掛かってきました。

 失ったものを探しつつ自分にできることを見つけ、毎日意の向くままというよりむしろ進んで、できることに挑戦して暮らしているお蔭で、「毎日何をしようかとふと思う」という同年代の人と違って、随分充実した日々を送ってているつもりです。私は人より少しばかり好奇心が旺盛で、人生にとって「もっとやりたいこと」や、「やれること」があるはずだと思って色々考えを巡らせますが、「やりたいこと」と「やれること」の落差はかなり大きく、それをどう埋め、どう折り合いをつけるか自問自答している昨今です。

 今年の正月、私は書斎の板壁に、「幸せの八習慣」と「不幸にならない五習慣」を目標として貼りました。その中に「やりたいこと」と「できること」のヒントがあるようです。
 ・幸せの八習慣
 ①笑顔
 ②他人と比べない
 ③自分と友達になる
 ④他人に好かれようとしない
 ⑤過去を作り直す
 ⑥ポジティブリアクション
 ⑦心配しない
 ⑧批判に無神経になる

 ・不幸にならない五習慣
 ①許す
 ②忘れる
 ③リラックスする時間を持つ
 ④小さい成功を重ねる
 ⑤事実と意見を切り離す

  「失った ものを探して 復元を したいけれども それさえできず」

  「やりたいと できることとは 違ってて 落差このまま 続いていくかも」

  「幸せの ために八つの 習慣を 心がけする それから始め」

  「裏返し 不幸にならない 五習慣 小さな成功 積み重ねつつ」

 

 

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〇好天に恵まれた恒例のほたる祭り

 昨日は前日の入梅雨がまったく嘘のような好天に恵まれ、恒例のほたる祭りが行なわれ、孫を連れて出かけました。息子は相撲大会に出場する内孫2人を連れて既に出かけていましたが、夕方やって来た外孫2人を娘の車に乗せ、家を出て300m行くと双海中学校の正門付近で交通規制に遭い、車の乗り入れを禁止され、止む無くグランドに車を止め、シャトルバスに長い列ができていることから、歩いて行くことにしました。

孫たちも歌って踊ったホタル祭りのステージ
孫たちも歌って踊ったホタル祭りのステージ
今年も沢山の人が集まっていました
今年も沢山の人が集まっていました

 夕暮れの道を3人で少し急ぎ足で3km余り歩き、6時頃に到着しましたが、翠小学校のグランドには溢れるほどの人が集まり、熱気ムンムンでした。会場で息子たちと合流して出店で買い物やゲームを楽しみ、息子が用意してくれていた食べ物を食べながら楽しく過ごしました。孫希心と奏心は相撲大会に出場したものの負けたらしくリベンジを誓いながら悔しそうに話していました。

 奏心はステージの出番があり、歌や踊りを楽しそうに演じていました。息子は伊予市街で開かれていた土曜夜市のお手伝いに出かけるため、孫たちを連れてシャトルバスに乗り込み、早々に引き上げて帰りました。ほたる祭りに出かけてホタルを見ないうちに帰宅したので、外が薄暗くなった午後9時前に近くの上灘川までみんなを連れてホタル観賞に出かけました。自宅から200mほどしか離れていない川沿いには何匹ものホタルが幻想的に飛んでいました。

 もう30年も前に私が現職のころ、まちづくりの一貫としてみんなで始めたホタル祭りも、多くの人の手によって年々歳々彩りを添えながら、こうして続いていることを嬉しく思っています。ただ長年やっているとマンネリと伝統の狭間を見失うこともあるので、ホタルが何故飛ぶのか?、ホタルと環境は?などを自問自答しながら、人間とホタルの共存という目的に向ってやって行きたいものです。

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〇変身~ん「足長おじさん」

 私は短足な日本人を自認する70歳のおじさんです。70歳を越えたので「おじさん」というより「おじいさん」というのが正しい読み方かも知れませんが、若い頃は石原裕次郎のような足の長い人に憧れ、時には高下駄などを履いて気取って見せましたが、足の短さは顔の造りと一緒で直しようが無く、今はむしろ短足を自慢する日本人に

裕次郎顔負けの足長おじさん
裕次郎顔負けの足長おじさん
この日の夕日も見事でした
この日の夕日も見事でした

なっています。

 ところが最近、自分の短い足を長く見せれる術を突然発見しました。発見といっても恐竜の化石を見つけたりするようなビッグニュースではなく、日脚の長くなったこの頃の夕日に照らされると、自分の影が地上に長く伸び、足まで長く見えるのです。影は実像を映しているので本物ですが虚像でもあって、その写真となるとさらに怪しくなるのです。それでも私の遊び心は旺盛で、こんな写真を撮っては楽しんでいる馬鹿なおじさん、いやおじいさんなのです。

 好天に恵まれた数日前、自宅から見える夕日を写真に撮りました。その折海の資料館海舟館と私設公民館煙会所の間の露地に残照が差し込み、私の影も足長に映りました。早速手持ちのタブレットで写真に収めましたが、面白い現象でした。その写真を妻に見せて、「足が長かろう」と自慢すると、妻は呆れ返ったように笑い流されてしまいました。高杉晋作の「面白き こともなき世を面白く すみなすものは こころなりけり」を地で行く私の馬鹿さ加減に、自分自身呆れています。

  「残照に 照らされ自分の 影映る 願望どおり 足はチョー長」

  「長かろう 写真を見せて 妻に言う 馬鹿さ加減に ほとほと呆れ」

  「裕次郎 憧れ生きた 若い頃 思い出しつつ にんまり笑う」

  「面白き こともなき世を 面白く 私はいつも そんな気持ちで」

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〇夫婦の会話

 昭和45年5月5日に結婚した私たち夫婦は、早いもので今年で結婚45年目を迎えました。妻は見ず知らずの見知らぬ家に嫁ぎ、長男ゆえ家族と同居を強いられ古い習慣や慣習、また田舎ゆえ濃密過ぎるほどの親戚近所の付き合いに戸惑いながら、何とかその時々を貧乏ながらも知恵を出し、かいくぐってくれました。その間子ども4人を育てて自立させ、祖母や母をあの世に送りましたが、やっと肩の荷が降りるであろうこの歳になって、親父の在宅介護や同居孫たちの世話等、新たな重荷がのしかかっているのです。

 私は若い頃からどちらかというよりは、殆ど外向きの仕事や生き方をしているため、家庭のことは殆ど妻に押し付け、私につながる人間関係までも妻に片棒を担がせてきました。ゆえに早く楽をさせてやりたいという心は持っているし感謝しているものの、そのことを言葉や態度で表すことができない、古いタイプの人間なのです。 
 昨日新聞の一面下の広告欄に、「夫婦はぜったい仲良くなれる!!、賢い人の言い方・伝え方」という本の紹介広告が載っていました。興味があって書いていることを反省しながら読みました。

 互いの言葉で傷ついている夫婦が多い!、●妻の心と夫の心、何故こんなに違うの?-あの言葉は絶対に許せない-、「いつもあなたはそんなことしか考えてないの」/「愛しているかって?愛しているはずないじゃない」/「お前は何もわかってない」/「俺でなくても頼る人がいるんじゃないか?」/「何のために結婚したかわからない」/「離婚するわよ」●夫婦の心が近づく10ヵ条★本来、女はおしゃべり、無口と認識しておきましょう。★互いの名前に「さん」を付けて読んでみましょう。★妻が言葉をかけるときは少し高めの明るい声を心がけましょう。★ほめ言葉、感謝の言葉を多くしてみましょう。★語尾をちょっとていねいにしてみましょう。★最後の結論や決定を相手に任せる言葉遣いを大切にしましょう。・・・・など。「普通に会話ができる夫婦になることがこんなに難しいとは・・・」、楽しい会話がよみがえる5つのステップ。

 読んで書き出しただけでもなるほどなるほどと頷きましたが、はてさて妻は別として、私はこんな歯の浮くような言葉を、妻に言ってないことに気がつきました。毎日毎日妻と顔を合わせれば、阿吽の呼吸で分ってくれるものだとばかり思って、何の気配りもせずに「飯、風呂、着替え」と言う単語を命令口調で喋っている自分も、これからは妻に対する言葉遣いを少しだけ変えてみようと思いましたが、上手く行くかどうか?は疑問です。私たち夫婦はお互い70年生きて来て、しかも45年間夫婦をしていますが、もっともっといい夫婦になって余生を生きたいと思いました。

  「結婚し 早45年 共暮らし しているけれど 会話となると?」

  「飯や風呂 単語を言って 毎日を 暮らしていたが 今日から改心」

  「話し方 次第で夫婦 上手く行く ちょっとした 気配り大事」

  「妻以外 頼る人なし 肝命じ 言葉遣いを 大事にしたい」

 

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〇戦後の記録は面白い

 一昨日私が所属している双海史談会の6月定例会が、地域事務所2階の会議室で開かれました。事務局の中尾さんから届いた通知を見て、前回の総会で私が副会長になったことをお粗末ながら初めて認識しましたが、今回は武智利博先生が、戦後間もない昭和24年から発刊されていた上灘町文化協会弘報を、「上灘文化協会広報集成」という一冊の本にしているものを、みんなで素読するというテーマでした。

 当時の地方自治体である上灘町には、今でいう行政広報なるものはなく、またこの弘報が発刊し始めたこの頃は、戦後間もないこともあって、アメリカナイズな民主主義による新しいふるさとづくりが模索され始めた時期でもあり、今の公民館の前身である文化協会の果たした役割は大きかったようです。さて中尾さんが資料としてコピー印刷してくれた資料の中身は中々面白く、少し時間をかけて読みたくなるような内容でした。

 例えば面白いのは~昭和24年3月1日発行のP8の「◎ラヂオ放送!!」という記事です。
 こちらは上灘町文化協会自然科学部物象諜であります。
 町民の皆様お宅のラヂオには故障がありませんか?
 あら金ちゃんの御家にはラヂオが無いの、気の毒ねでは文化協会の方からお父様におねがいして買ってもらうことにしよう。「よしよし、そんなに易く買えて後の責任をもって下さる御店が本町にあるとは知らなかった、ラヂオは必要だと言う事はわかっていたが・・・・でが月賦三回拂で・・・・・おまかせします」
 近代的なよくわかったお父さまですね。「森田のおっさん居られますか」
 いよいよ上灘駅前松山中央放送局指定の森田ラヂオ店を訪れました。店頭には新しいラヂオが山ほどつんであります。「矢張りおすすめしたいのはマグネチックよりは此のダイナミック四球型ですね」
 おっさんは上手も何も言わない正直一てんばりの技術屋です。それだけに本町文化向上のため少しでもよいラヂオをおすヾめしたいとの熱意にもえて居ます。
 青年技手二名を引きつれて下灘、上灘、中山の三ヶ町村のラヂオ相談の責任者としてその技術を十分に発揮されています此の店、此の技術を大いに利用してラヂオの普及をはかりましょう。
 ラヂオのある家明るい家族ラヂオ囲んで坊やも踊る 上灘駅前 森田ラヂオ店 松山放送局指定

 いやあじつに面白い、しかも長閑な田舎の風情ではありませんか。テレビも無い戦後間もないラヂオさえもまだ普及していない時代の明るい話題に感心してしまいました。

  「史談会 戦後間もない 弘報を 思い起こしつ 振り返り読む」

  「テレビない 時代のラヂオ こんな風 駅前の店 跡形もなく」

  「昨日今日 変化気付かぬ ことばかり 70年は 驚く変化」

  「広報を 弘報と書く 面白い 誤植じゃないか 見紛うほどに」

 

 

 

 

 

 

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〇花の咲く美しい小路

 若嫁の父親が亡くなって当分の間閉店していた喫茶店が、母親と若嫁の手によって復活開店して、1ヶ月余が経ちました。若嫁はその喫茶店に勤めていますが、再開店当時の忙しさもやっと落ち着いて、昼前に出勤夕方帰宅といった日常に戻っているものの、土曜日出勤、夕方帰宅が少し遅れるため、このところ私が孫2人のお迎えを引き受けています。夕方5時頃保育所へ孫奏心を、その足で学童クラブへ孫希心をそれぞれ迎えに行くのです。

花の小路1花の小路2 自宅から保育所までの裏道は500mほどしか離れていませんが、その道には今が盛りと花が咲き、とても綺麗な花咲く小路なのです。土地の持ち主は最近まで牛乳屋さんを営みながら、この土地でお米を作っていましたが、機械類の故障と高齢を理由に耕作を止めました。以来花好きなご夫婦は広い田んぼ一面に様々な花を植え始めました。バラ、アジサイ、ゼラニューム、タチアオイ、ショウブ、菊などまあ凄い量の花々で、傍を通るだけで何か幸せ感に浸れるほどです。

 こんな便利な場所なのに、花畑の道を挟んだ隣りの田圃も同じ頃休耕地となりましたが、持ち主が病気がちらしく、雑草に覆われ資材なども煩雑に置かれているため、花畑との対比に、どうにかしてあげたいけれどそれもできず、何とも心が痛みます。 
 孫と手を繋ぎ、花畑の花を愛でながら、時には歌を歌いながら歩いて帰る光景はまさに絵になる光景です。わが家の裏庭には蜜蜂の巣箱に7箱蜜蜂が入居していますが、わが家の蜜蜂たちもこの花畑の花の蜜を寸借ならぬ盗み取りしているかも知れないと思うと、多少心が揺らいでいます。花さんありがとう。孫と二人でそういいながら歩きました。

  「保育所に 孫を迎えに 行く帰り お花畑の 花を楽しむ」

  「花畑 道を挟んで 片方も 不耕作になる どこか淋しい」

  「この花の 花蜜蜜蜂 盗み取り 花に感謝の 言葉をかける」

  「花を見つ 孫と2人で 手を繋ぎ 歌を歌って 帰宅も楽しい」 

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〇収集した面を飾る

 新聞のお悔み欄に、私と同年代の人の訃報が載っているのを見る度に、自分自身の寿命のはかなさを思い、少しずつ身辺整理をしておかないと行けないような気分になります。昨日は書斎の棚にこの2~3年間収集したまま置いていた能面を、海の資料館海舟館に飾ろうと思い立ちました。100円ショップに行ったついでにホームセンターへ立ち寄り、真鋳の金具を買って帰り、早速始めました。

能面1能面2 いつの頃よりか?、また何でか?はもう昔のことなので忘れてしまいましたが、少なくとも20~30年前から私は、能面などの人面を趣味で集めるようになりました。旅行に行ったついで、出張のつでなどに買い集めたり、私が面を収集していることを知って友人がくれたりしたものが、50個近くになりました。その殆どは親父が海の資料館海舟館の板壁面に飾ってくれていますが、親父の手助けができなくなったので、不器用自認の私ですが、思いをめぐらせながら、海舟館の壁面に飾りました。

 面の裏の小さな穴へ吊り下げるようにタコ糸を通して縛り、ネジ金具を差し込んで順番に展示をしましたが、まあ出来栄えは程々といったところです。先日親父に替わって海舟館の大掃除をしたところなので、2~3日前軽トラ市で買って砥石で研いで油拭きをした珍しい包丁と山中塗の漆器も収め、全体の展示物を少し時間をかけてゆっくり眺めました。少し時間ができたらそれぞれの展示物の一覧表や説明を、来訪見学者のために整理したいと思っています。

  「書斎棚 収集したまま 置いていて 面の数々 海舟館へ」

  「紐をつけ 金具差込み 次々と 面を壁面 飾って展示」

  「よくもまあ こんなに沢山 集めたと 感心しつつ 一人見入りす」

  「展示品 一覧表や 説明を 整理したいと 思っているが」

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〇今月の五行歌

 3日前松山五行歌五月歌会の結果が、主宰の見山あつこさんから送られてきました。先月の私の作品はあいも変わらず督促でやっと間に合った程度の駄作なので恥ずかしいのですが、記録のつもりで紹介します。 
  薬を飲んでいる友
  胃を半分切った友
  杖をついて歩く友
  みんな調子が悪い
  私はまだまだ元気

 この歌の後に講評が書かれていました。
  ☆年を重ねると、いろいろなところに故障が出てきます。こうして文字にしてみて
   も、年を取るということはなかなか大変なことだなあと、あらためて感じます。
   でも皆さん、元気で生きていきましょね。五行目の「まだまだ」からは、元気な
   ことに感謝している気持ちが読み取れ、読者も最後は明るく読み終えることがで
   きました。

 ちなみに出席歌一席は塚田三郎さんの次の歌でした。
  ちょっと選択を
  間違えたが
  まあいい
  人生を大きく
  変える程のことでもない

 ちなみに欠席歌一席は寒川国子さんの次の歌でした。
  砂糖と塩
  性格の違う
  兄弟みたいなもの
  どっちも
  取り過ぎにご用心

  「人生の 機微五行歌に 織り込んで 作品送る いつも督促」

  「毎度だが 何かが足りぬ 首かしげ やり過ごすから 上達もせず」

  「一席の 歌を読みつつ なるほどと 相槌を打つ 自分と比較」

  「何事も 奥が深いと やってみて 思う私は やはり凡人」 
    

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