人間牧場

〇人は何ために生きるのか?

 数日前愛南町柏に住む親友のKさんから電話が入りました。Kさんは元教師でしたが55歳で突然教師を辞め、この9年間自宅で山羊や牛を飼ったり野菜作りを楽しむ等、羨むほどなアウトドアー派自由人として、人生を謳歌している人です。奥さんも学校の現職教師なので食うに困ることもなく、私のような貧乏人からすればまさに羨ましい限りです。

 Kさんとはもう40年も前に知り合いました。第十回総理府派遣青年の船にお互い乗船した折、偶然にも同郷ご縁で付き合いが始まりました。私は班長だったので青年の船での活動はそれほど密接ではありませんでしたが、帰国後私が中心になって結成した21世紀えひめニューフロンテアグループというボランティアグループにも会員として加わり、無人島に挑む少年のつどい等の活動を一緒にやって来て、今は会員が高齢化して左程の活動はしていませんが、年に一度の世界遺産を巡る旅にも参加して、交遊を温めているのです。

 話は飛びましたが、Kさんが私に電話してきた用件は、「これからの生き方」へのアドバイス依頼のようでした。私とKさんとは年齢が7つ開いています。Kさんは退職して9年、私も退職後10年が過ぎました。Kさんと私の重なった9年間の生き方には大きな差があるようです。根本的に違う点といえばKさんは退職後デジタル情報手段を捨てていますが、私はお粗末ながらもデジタルを使って書いたり交流をしたりしています。「それがどうした」といえばそれまでですが、まずそのことに挑戦すべきだと思うのです。また自分が家族の一因であることをしっかり自覚する、特に夫婦の人間関係をしっかり見つめなければならないのです。

 Kさんは奥さんと7つ歳が離れているようですが、平均寿命と健康寿命の差を考えれば、老いはもうそこまで来ています。一番の幸せは夫婦健康で長生きですが、その保証はどこにもありません。人生の最後を介護施設に入って終える時代の中で、これからの人生をどう生活設計していくのか、夫婦で相談ししっかりと考えるようアドバイスしました。Kさんが愛南町内海の田舎でこのまま埋もれるように、老いを迎えることに疑問を感じ、今できることをしておきたいと思うのは当然のことかも知れません。その糸口として大学でもう一度学びたいという希望もあるようです。「何のために学ぶのか?」という、私の問いかけに明確な言葉は返ってきませんでした。

 「人は何のために生きるのか」、63歳のKさんが感じている心の悩みは、私もまったく同じです。自分の筋を通して生きるのも生き方、家族の一員として生きるのも生き方です。これまでの人生がこれからの生き方を決めるのではなく、これからの生き方がこれまでを決めるのだと思って、社会に順応しながら反発し、多少悔いは残っても悔いない人生を歩んで欲しいと願っています。頑張らずに頑張ることも必要かも知れません。「多少心の雲が晴れたようだ」と言って、ゲストハウス煙会所での話を切り上げKさんは帰って行きました。こんな時こそ相談に乗れるいい友だちでありたいと、Kさんの来訪を嬉しく思いました。

  「旧友が 相談したいと やって来た ゲストハウスで 向かい合いつつ」

  「人間は 何するために 生きるのか? 求心すれば するほど難解」

  「無限だと 思っているが 人間の 寿命たかだか 百年足らず」

  「まず夫婦 元気で長生き 寄り添って 平凡だけど 中々非凡」

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