人間牧場

〇捨てきれない帽子を捨てる

 今日の夕方松山に住む娘家族のマンションへ妻と二人で出かけました。今日は外に出かけていたので、とりあえずお気に入りの野球帽を被ったままの姿でした。娘のマンションへ入るなり娘に、「お父さん、もうその帽子は捨てたら?」と言われました。私にとってこの帽子は妻と二人で退職記念に出かけた、カナダで買ってきたものだけに、気に入ってずっと使っているのです。

 娘に言われて被っている帽子を見れば、帽子の生地はこの10年間ですっかり色あせて、少しみすぼらしくも感じました。農作業の時には日焼け対策として麦藁帽子を被りますが、日常的に被っている帽子もかなりくたびれていて、それを捨てて、今日被っていたカナダで買った帽子を作業用にしようと思いましたが、これも娘に反対されあっけなく廃棄処分にされゴミ箱行きとなりました。

 替わりに少し格好いい帽子をいただいて帰りましたが、たかが帽子、されど帽子で、帽子一つでも随分顔のイメージが変わるものだと実感しました。私の場合帽子は日除け以上に頭の防護に役立っています。屋外で農作業をする時やアウトドアー活動で、木の枝や横木をくぐる時、急いでいればなお更、頭を打つ回数が多く、その都度帽子が頭や顔の打撲や切り傷から守ってくれるのです。

 今日娘から貰った帽子はこれからも大切にして被りたいと思っていますが、娘に捨てられた帽子と同じく、いつも被っている作業用の帽子も明日の朝ゴミ出しの袋の中へ入れて捨てようと思っています。何かにつけて身辺整理が必要な年齢になってきましたが、勿体ない世代に生まれ育った私は、まだまだ踏ん切りが付かないのが正直なところです。「捨てる?」「捨てない?」「捨てる?」「捨てない?」うーんどうしよう?。

  「思い出の 詰まった帽子 くたびれて 捨てよと娘 言うけど何故か?」

  「わが娘 帽子あっさり ゴミ箱へ 捨てた帽子に 今も未練が」

  「勿体ない そんな世代に 生まれ生き 歳を重ねる 度に頑固に」

  「捨てるべき 捨てないべきか 迷ったが 有無を言わせず 娘あっさり」

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人間牧場

〇代役参観日

 昨日は同居している若嫁に頼まれて、小学校二年生の孫希心の参観日に出かけました。若嫁は何かにつけて子ども優先の暮らしをしてくれていますが、昨日は父親亡き後開店して、まだ一ヶ月も経たない喫茶店の仕事が立て込んでいて、どうしても穴を開けることができず、止む無く私に代役参観を頼んだのです。

 参観時間は9時20分からの2時限目からなので、8時50分に自宅を出て学校に到着すると、どうやら私が一番乗りのようで、学校評議員をしていることもあって、校長室に通され校長先生に美味しいお茶を入れてもらい、世間話をさせてもらいました。そのうち2時限目のチャイムが鳴ったので2階の教室に上がり、早速授業参観をしました。昨日の授業は国語の漢字について、電子黒板を使って様々な漢字の組み合わせを習っていました。

 10人ほどの小さな学級だし、孫希心がいつもわが家に連れて来て遊んでいる顔見知りの子どもたちばかりなので、参観もアットホーム的な温かさで、何かと賑やかで楽しい授業でした。孫希心も茶目っ気たっぷりで、私の存在を意識して手を挙げたものの答えが思い浮かばず、「忘れました」などと少し顔を赤らめ戸惑う部分もありましたが、まああんなものと納得しました。

 昨日は孫奏心の6歳の誕生日でした。前日に小学校2年生の外孫尚樹も誕生日を迎えていて、妻はお祝いに大忙しのようでしたが、夕方のお迎えはこのところ若嫁の仕事の都合で、私が代役を務めることが多くなっています。孫もそのことを承知で単車や軽四トラックに乗せてもらうのを楽しみにしていて、当分は育爺たる私も孫育てに一役買わなければならないようです。

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人間牧場

〇カエルの鳴き声が賑やかです

 家の周りの田圃に水が張られ、田植えの季節がやって来ました。わが家には田圃がないので農作業の大変さは分りませんが、最近の田植えは傍で見ていると、「早い」というのが実感です。俳句で田植えという季語は6月と教わりましたが、今は早い所では5月のゴールデンウィークころから始まっていますが、近くの田圃は今が最盛期といった感じです。

 「早い」といえば何といっても早いのは田植えの作業です。田起し、代掻きなどはトラクターに乗ってあっという間だし、苗もまるで箱入り娘のような綺麗な苗を、苗屋さんから持ち帰り、田植え機に乗せられ機械が綺麗に植えて行くのです。その早業はあっという間で終りますが、農家はトラクターや田植え機、さらに稲刈りコンバインなど、とてつもなく高い「早い」農作業のための農機具に、否応なしに投資をしなければならないのです。

 近くの田圃に不耕作地が目立ち始めました。理由は作り手の高齢化と、高い農機具代について行けなくなったからのようです。不耕作地はそのままにしていると美観を損ねるだけでなく、害虫の温床にもなり近所の田圃は嫌がりますが、農地を受委託して他の人に作ってもらう場所も広がりましたが、実情は中々厳しいようで、先が思いやられるようです。

 田圃に水が張られると、カエルの鳴き声が急に賑やかになります。水を得たカエルの喜びの声に聞こえますが、カエルの鳴き声は長閑な山村のイメージにピッタリで、孫たちは虫箱や虫網を持って、カエルを追い掛け回して遊んでいるようですが、青カエルは時々車に引かれたりもして、カエルにとっては手放しで鳴いてばかりはいられないようです。それにしてもカエルの鳴き声はどこか郷愁があって癒されるものです。

  「早いなあ 感心しつつ 見ているが 五月半ばに 田植えは終る」

  「早いなあ 感心しつつ 見ているが 田植えの作業 あっという間に」

  「水張ると 急にカエルが 騒ぎ出す ゲロゲロゲロと 何を思って」

  「カエル鳴く 田舎の風情 郷愁を 感じて声を 心ゆくまで」

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〇店先や道端での会話

 「1日に10人の人と出会い、10人の人と会話する」ことを目標に掲げていますが、今の私は準現役ってな感じで、毎日外を出歩いているので、この目標は十分達成できています。人と出会い人と会話することが嫌いではない、私のそんな生き方が体の表に出ているのか、昨日も妻の買い物に付き合って、妻が買い物をしている間隣のホームセンターの野菜苗売り場で、買うでもなくブラブラしていると、あるおじいさんが私に話しかけてきました。「オクラの苗を毎年買って売れるのじゃが、どういう訳か根付いたためしがない」というのです。

 見ず知らずの人なので、聞こえない風もできますが、折角なので聞いてあげました。このおじいさんが言うのには、買ったオクラのポット苗を家に帰ると根をほぐして植えているようでした。私は知ったかぶりで、「オクラは根をほぐして植えたら絶対根付きません。ポットの苗は畑に穴を掘りそのままそっと植えるのがコツです」と、私の失敗談を交えて話すと、「そんなことは誰も教えてくれず知らなんだ。そうかそうか、今日はいい事を聞いた。にいちゃんありがとう」と、お礼に持っていたオクラのポット苗をひとつ頂いてしまいました。

 私も何年か前同じような失敗をした経験があって、「無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」そのままに、今は人に教えるまでになっている自分が、少し恥ずかしくなりました。
 昨日散歩をしていると、少し離れた隣のおばあさんに出会いました。脛や腰が悪いそのおばあさんは野菜作りの達人で、キャベツもサラダ菜も全て種を播いて苗を育てています。「キャベツやサラダ菜の苗が余っているので植えませんか?」と、レタス苗10本、サラダ菜苗5本、キャベツ苗10本に、細ネギの苗を100本もいただきました。難点はそのおばあさんは話好きで話が長く、「まあお座りや」とキャリーの椅子を勧められ、30分近くも話を聞く羽目となりました。

 このおばあさんに教えてもらった、人参の種の播き方、ホウレンソウの種の播き方は今も大いに役に立って、今年は人参もホウレンソウも立派に育って大助かりでした。田舎に住む人は人恋しいのでしょうか、「早い話が~」と早くもない話を沢山聞かされます。また噂話が好きで、まるで人の不幸が自分の幸せとばかりに、あることないこと喋りまくるのです。多分私もそんな会話のまな板に乗せられていることでしょうが、これも田舎の風物だと思えば、結構楽しいものです。今朝はもう10人以上の人に出会って会話しているので、目標達成です。

  「店先で オクラの苗が 付かないと じいさん話す 私教える」

  「まあ座り 早い話が いう癖に 30分も 話し聞かされ」  

  「苗貰い 満席畑 ちょっとした 隙間選んで 苗植え終わる」

  「腰曲がり 下見て暮らす おばあさん 苗を沢山 いただき帰る」 

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人間牧場

〇備中高梁吹屋ふるさと村界隈(その2)

 広兼邸を後にした私たちは、吹屋ふるさと村の街中を散策して歩きました。昨日は贅沢にも地域おこし協力隊の佐藤さんに車を運転してもらい、吹屋ふるさと村村長のガイド付きでした。戸田村長さんは昔学校の先生をしていたらしく、とても博学で感心しながら説明に聞き入りました。私が一番関心を寄せていたのは、わが町にも木造の翠小学校があることから、吹屋小学校の木造校舎でした。

img729img730 吹屋小学校の校舎は明治33年から42年にかけて建築されたもので、使用している木造校舎として日本一古いものといわれていましたが、2年前から使われなくなっているようで、ほぼ一世紀子どもたちを見守ってきました。昨日は近々始まるある映画のロケに使われるそうで、沢山のスタッフの人が時代考証をしながらかいがいしく働いていました。またエキストラを演じる大学背も沢山集まっていて、異様な雰囲気でした。

 学校は「木に交わって学ぶ」と書きます。私の子どものころの小学校は全て木造校舎でしたが、いつの間にか鉄筋コンクリート造の校舎になり、木に交わって学ぶことも殆どなくなり、映画のロケでの再現のみとなったようです。吹屋は伝建地区に指定されたノスタルジックな町並みといい、古い木造校舎といい、また銅山やベンガラなどの産業遺産といい、歴史的にも日本的などこか懐かしいいい地域です。

 地域おこし協力隊の佐藤さんは水産高校出身で、愛媛大学農学部出身という、私にとっても深いご縁を感じつつ、車の中でこれからの人生の生き方について色々なことをお話しました。佐藤さん夫婦はふるさと村の戸田村長さんのお家を借りて暮らしていますが、この建物もいい古民家のようで、仲間からは大いに羨ましがられているようです。地域おこし協力隊のエドウィンさんたちも含めた、よそ者であり若者である彼らに幸多かれと祈っています。

  「村長の ガイドで街並 散策す あちらこちらに 歴史の重み」

  「木造の 小学校は 廃校と なって映画の モデルになりぬ」

  「水産校 愛媛大学 出身と 聞いて何かと 気になる生き方」 

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人間牧場

奇異か植物キンケイソウの花
奇異か植物キンケイソウの花

〇灘町海岸に漂流植物浜昼顔が咲きました

 灘町海岸に帰化植物キンケイソウが黄色い綺麗な花を咲かせていますが、砂浜には白い砂ゆえ余り目立ちませんが、薄ピンクの綺麗な浜昼顔が数年前から咲くようになりました。浜昼顔は漂流植物ですから、潮流に乗って何処かの海岸から流れ着いた種が砂浜に根を下ろし、次第に増えたものと思われますが、人間が持ち運んだキンケイソウも、潮流が運んだ浜昼顔も在来種ではないため、多少の違和感がありますが、花のことゆえ余り目くじらを立てることもできず、私個人としては花が大好きなので、人知れず鼻の咲くこの時期を楽しみにしていて、昨日は灘町海岸に立ち寄って咲いた花二第を楽しませてもらいました。

灘町海岸に咲く漂流植物浜昼顔
灘町海岸に咲く漂流植物浜昼顔
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人間牧場

〇コンニャクの芋植え付け

 時ならぬ5月としては珍しい台風6号の襲来で、予定していたコンニャク芋の植え付けが多少遅れているため、昨日は人間牧場へ出かけ植え付け作業を行いました。コンニャク畑は狭くて細い畑を3ヶ所耕して草を取り、既に準備をしていましたが、その畑をさらに中耕して目安となる竹の杭を、昨年までの反省から杭間を少し広げて立てて行きました。

 まず腐葉土ストッカー横の畑から始め、ストッカー下の畑へと植え進み、最後はジャガイモ畑の下の金網で囲った畑に植えつけ、終わった頃には時計が午後3時を回っていました。昨年の晩秋に掘り上げて倉庫の中にしまっていたコンニク芋は、既にピンク色の芽を出していて、「少し遅いぞ!!」と言わんばかりに主張しているようでした。6年前園芸店で20個買った2年物の芋が、6年間でこんなに増えました。

 これまで何回か親友西岡さんの指導を受けて、コンニャク作りに挑戦もしましたが、まだ自分ひとりでコンニャクを作れるほど上達をしていません。来週に迫った子ども体験塾では今年初めて、コンニャク作りをメニユーに加えていて、既に大きなコンニャク芋を選り分けて準備をしています。西岡さんの指導OKも貰っているので、今回は私自身もしっかりと指導を受けたいと思っています。

 これで遅れていた農作業は、とりあえず全て一段落で追いつきました。後は草刈をしたり肥料をやったりして収穫を楽しみに、肥培管理したいと思っています。昨日は嬉しいことがありました。不作で半分諦めていた人間牧場の蜜箱の巣箱に、蜜蜂の入居が二つ確認されたのです。一つは確実、一つは多分といったあやふやさですが、これで自宅の四つを含めると六つの巣箱入居のようでひとまず一安心、しっかりケアーして蜂蜜を収穫したいと思っています。

  「台風や あれやこれやに 翻弄され 遅れていたが やっと軌道修正」

  「コンニャクの 芋を畑に 杭を立て 腰をかがめて 植え付け完了」

  「20個が 次第に増えて 種芋は 自家で調達 できるようなる」

  「蜜蜂の 巣箱二つに 入居する 昨日仏滅 今日は大安」 

腐葉土ストッカー横の畑
腐葉土ストッカー横の畑
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人間牧場

〇体にいい物を食べて健康な人生を楽しむ

 昨日は北海道勇払郡鵡川町の菅原さんから、見たこともないようなそれは見事なグリーンアスパラが、また伊予市内の水口マリ子さんから初物のそら豆が、それぞれ宅配便で届き、アスパラもそら豆も同居している息子家族へも存分にお裾分けしてやりました。前日伊方町三崎井野浦に住む親友塩崎さんがわざわざ持参してくれた、釣りハマチの刺身も加わって、昨晩はいつになく賑やかなおご馳走ずくめの夕食に舌鼓を打ちました。

 私は肉食系ではなく、どちらかというと草食系・魚食系で、高齢者になった私にとっては理想の食生活をしています。勿論草食系の野菜の殆どは、自宅横の家庭菜園で無農薬・有機栽培に取り組んでいるし、それらを料理好きな妻が減塩、減脂・減糖に沿って手づくりしてくれるので、太ることも痩せることもなく、また大した病気になることもなくこうして、元気に暮らしているのですから言うことはないのです。

 最近はインターネットを利用すれば、簡単に全国の美味い物が居ながらにしてお取り寄せできるし、スーパーやデパ地下では調理した惣菜が売られていて、車が普及しているので外食だって簡単に食べられる便利さです。しかし外食をした後いつも感じる喉の乾きや胸つかえの原因が、塩分・脂肪分・糖分を大量に使った濃い味付けであることに気がつくのです。最近やたらと多い糖尿病や肥満等の成人病が子どもにまで広がっている現実を直視して対応しないと、今に国民一億総病人になりかねないのです。

 昔はお金持ちの病気だと思われた糖尿病も、すっかり国民病に定着しています。勿論病気の全ての原因が食生活にある訳ではなく、運動やストレスを貯めない日常生活をしていても病気にはなりますが、自分の健康は自分で守る気概をしっかり持ちたいものです。先日妻が天草を使ってゼリーを作ってくれました。ゼリーの材料である天草は私が海から採集し天日晒ししたものです。1回150グラムを鍋で沸かして酢を入れ白布で漉し、ミカン100%ジュースと砂糖を入れて再び沸かし、フルーツ缶詰のフルーツを敷いたパレットに流し込んで固めると、孫の大好きな「おばあちゃんのスイーツ」が出来上がります。孫4人も勿論息子や娘、それに私も大好物で、お通じも良い健康食品なのです。今日も食生活や運動に注意して健康な一日となりますように・・・。

  「遠い国 北海道から アスパラが 宅配便で 届く幸せ」

  「市内から そら豆届き 皮を剝く 中から可愛い まるで赤ちゃん」

  「佐田岬 釣れたハマチの 刺身食べ 元気モリモリ 今日も健康」

  「外食を する度何故か 喉乾く 塩分濃度 赤信号かも」

 

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人間牧場

〇一眼レフデジカメが届きました

 手持ちのデジカメが故障して使えなくなり、今はもっぱら古い壊れかかったデジカメと、タブレットを使ってブログとfacebookにアップしていますが、少々不安を持ちながらの撮影なので、踏み込んだ写真が取れていません。それでもタブレットを手に入れ使えるようになったお蔭で、随分バリエーションが広がったような気がしています。

 そんな中前から欲しがっていた一眼レフデジカメを、息子の肝入りでついに買うことにしました。息子と相談してネットで色々なモデルを調べましたが結局はよく分らず、手持ちの貯金箱貯金と今年の父の日を当て込んで、子どもたち4人がプレゼントしてくれる手はずが整い、総額8万円余りのニコンのカメラを、息子は通販大手のジャパネットタカタを通して注文してくれました。

 昨日の朝その宅配便が届きました。言われたとおり故障して動かなくなっているデジカメを、荷物と引き換えに宅配業者に渡しました。これが下取り1万円の値引き特典となるそうなで、これも消費者の心をつかむ巧みな商売戦略と思いながら対応しました。早く中を開けて見たい心境でしたが、注文してくれたのは息子なので、息子が仕事から帰るまで待とうとそのままにしています。

 息子が仕事から帰ったのは私が床に就いてからだったので、まだその全容は明らかになっていませんが、今日は息子の手助けを得て使えるようにしたいものです。妻曰く「お父さんもそんなに道具類が増えて大変じゃねえ」と、少し皮肉めいた言葉をかけられました。確かに私にはカメラやタブレット、パソコンなどなど、歳相応以上の持ち物が手元にあります。時々置き場所を忘れることさえある私には、もうこれ以上の道具類は必要ないと思っていますが、まあこれも私の遊び心だと思って、せいぜい楽しんで使いたいと思っています。昭和生まれの古い人間には何とも魅力的な世の中になったものです。

  「デジカメが 故障したので 買い換える 一眼レフを 息子注文」

  「故障した 古いデジカメ 下取りを 一万円とは これまた魅力」

  「父の日が 近づき子ども プレゼント 有難いです 冥利に尽きる」

  「これ以上 道具を持つと 大変だ そろそろ終わり いえいえまだまだ」

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人間牧場

〇旧温泉郡川内町へ出かけました

 現役の頃から今日まで、県内外をくまなく歩き回っている私ですが、70市町村が平成の大合併で20市町に再編された10年前からは、出歩く度に地域の元気が失われつつあることを実感しています。合併して本庁機能を維持している所ではそれほど感じませんが、特に旧市町村名さえ残っていない、支所化した旧市町村では合併の影響は著しく、中にはまるでゴーストタウンではないかと思えるほどの凋落ぶりが目に付く所もあるようです。

 昨日愛媛県金融広報委員会の依頼で、東温市川内の公民館で開かれた高齢者生きがい大学へ講演に出かけました。国道56号線から国道11号線を走り、川内インターチェンジ付近で旧道に入りましたが、やはり活気という点では今一だと直感しました。川内公民館は落ち着いた立派な建物で、かつては何度も研修会等でお邪魔をしているし、和田さん、東さん、松末さん、小倉さんなど公民館で知り合った人々の懐かしい顔々を思い出しながら、案内された応接間で講演が始まるのを待ちました。

 昨日は第1回の学習会だったようで、始めに教育長さんが開講あいさつをされましたが、名刺の交換もプロフィールの紹介もなく、いきなりの講演となり多少戸惑いながらも、シルバー世代の生き方について、笑いを誘いながら90分持論を展開しました。それでも元気な高齢者の反応に助けられて、無事役目を終えることができました。帰りの車の中で否応なしに行政が進め実行した、合併のもたらした様々な変化は一体何だったのか?考えてみましたが、私の町の実態も重ね合わせ、行政にいささかなりとも関わった身であるがゆえに、やり切れない思いでした。

 あれから10年、合併は効果効率を優先して一定の効果をあげているように見えますが、住民の幸福感はむしろ不幸感の方に傾いているようです。多分これから10年も右肩は上がることなく、右肩も左肩も下がりっぱなしなるような危惧さえ持つのです。それを救うのはやはり職員のレベルアップとやる気、それに行政に関わる首長や議員、住民の自立意識が必要なようです。
 「いい時代は来ないがいい時代にする」。そんな気概をせめて私だけでも持って生きようと心に言い聞かせた帰りの道でした。

  「平成の 合併終わり 早10年 右肩下がり 閉塞感も」

  「このままじゃ 10年先は 危ないと 実感しつつ 旧町走る」

  「必ずや 合併したら よくなると 言った人たち 責任取らず」

  「いい時代 来ないけれども いい時代 することできる 気概があれば」

 

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