人間牧場

〇先月の五行歌

 「行く春を 惜しむが如く 咲く花に 誘われあちこち 妻と二人で」。こんな駄作歌をつくるほど、今年の春は天候不順も何のそのといった感じで、近場ながら双海の桜、肱川丸山のシャクナゲやヤマブキ、大洲祇園の牡丹桜、松前晴光院の牡丹と一週間おきに花見を存分に楽しみました。「花づくり 花見る人は 別の人」といわれるように、それぞれの花はそれぞれの人が、それぞれの思いを込めて世話をしているので、特に私は長年花づくりにかかわり、花を育てる側にいたこともあって、その思いや苦労を知っているつもりなので、違った見方をすることができるのです。

 先日松山五行歌会の見山さんから届いていた先月の歌会報告を、足の怪我などもあって深く読むことをすっかり怠っていました。見山さんから4月歌会の締め切りを知らせるメールが入り、今月も慌てて締切日に即興で歌をつくり、メール便で送るという体たらくでした。そんな手間暇をかけずにつくった歌など、誰も読んでくれないはずなのに、見山さんは相変わらず丁寧に、欠席歌の末尾に私信を沿えて結果を送ってくれるのです。今月の私の歌は次の一首でした。

  植えたらいかん
  言われたが
  ポケット穴開け
  種落す
  双海菜の花今じゃ名物

 講評は次のことが書かれていました。
 ☆愛媛新聞紙上でも紹介されておりましたね。双海町の菜の花、見事でした。実際にポケットに穴をあけて植えられたとしたら、先見の明があったのかも?、信念を貫いて植えられた花は、自然の脅威をものともせず、毎年花を咲かせていくことでしょう。
 私にとって双海の菜の花も水仙も、海岸沿いに植えられた桜の花も、また朝真っ白、昼ピンク、夕方赤色に変化する酔芙蓉の花やアジサイも、全てが手塩にかけて育てた愛おしい花々なのです。

 家の周りにつつじの花が咲き始めました。最初エプロン会議の人たちが5万本の挿し木をしてものの見事に大失敗して、4万9千9百9十5本枯れた同じ時期、わが家で挿し木をして育てたつつじが畑の隅に植えられ、親父と私の世話で今では沢山の花を咲かかせるようになりました。「播かない種は生えないし植えない木は育たない」は、私の心に決めた花づくりの基本ですが、今もあいも変わらず着々、あちらこちらに種を播き花木を植え込んでいます。

  「五行歌の 歌に詠んでる 菜の花は おとぎ噺の ようで可笑しい」

  「播かぬ種 植えない木々は 育たない そんな気持ちで 今も時々」  

  「五万本 枯らした頃に わが庭で 挿し木した苗 今は立派に」

  「五行歌の 会員ぶって いるものの 劣等性の そしり拭えず」

 

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人間牧場

〇山折哲雄さんの教え

 先日友人の浜田さんから一通のメールが届きました。詳細はさて置いて、元日本国際文化センター所長だった夕焼け京都塾塾頭の、宗教哲学者山折哲雄さんの言った言葉のようでした。山折さんとはかつてわが町の夕日のミュージアムに来られた折、二人だけで対談したこともあるし、新聞や雑誌、著書等を読んで少なからず影響を受けている偉い先生です。加えて「夕焼け京都塾」という名前に引かれ浜田さんのメールを何度も読み返し、使い古しの封筒をくずかごから取り出して裏の余白にメモしました。

 メールには二つのことが書かれていました。ひとつは①出前の精神、②手づくりの気分、③身銭を切る覚悟について、もう一つは①自由に語り合える空間・広場をつくる、②若い世代に既得権益を譲る心構えについてでした。これらの教えを自分のこれまでの人生の生き方に当てはめて振り返れば、いちいち最もなことばかりで、すっかり納得してしまいました。私は自由に語り合える空間として「私設公民館・煙会所」を、青年の船で建国二百年のアメリカに行った昭和51年の明くる年、自宅の庭に手造りしました。僅か4畳半の囲炉裏を切った小さくて粗末な施設ですが、煙会所は沢山の人を全国から引き寄せたばかりでなく、双海町の夕日によるまちづくりの拠点ともなったのです。また訪れた青年たちに大きな影響を与えたのか、すでに青森県三戸郡倉石村の八心堂から鹿児島県奄美大島瀬戸内町の縁開所まで、実に17ヶ所も分家が出来ているのですから驚きです。

 約1千万円の身銭を切って10年前、瀬戸内海を一望できる標高130mの山に「私的研修施設・人間牧場」を造りました。もし私が人間牧場を造っていなかったら、退職後の10年はこうもリアルに、こうも充実してはいなかったのではないかと、しみじみ思うこの頃です。出前の精神であちらこちらに出かけては人の和みをつくり、恩返しのつもりで様々なまちづくりにボランティア参加していることも、山折さんの教えに近い感じがしています。若い世代に既得権益を譲ることも既に行なっていて、ただ今身辺整理といったところです。浜田さんからの一通のメールは、私のこれまでとこれからの生き方を説明するには十分過ぎるほどの教えです。「これまでの生き方がこれからの人生を決めるのでではなく、これからの生き方がこれまでの人生を決める」気概で、これからも報徳・恩返しを肝に銘じたいと思っています。

  「一通の メール友より 私宛 納得しつつ メモ紙書いて」

  「世の中にゃ 達人多く いるものと 自分未熟さ 振り返りつつ」

  「身銭切る 覚悟なければ 何事も 前に進まぬ これから先も」

  「欲捨てて 既得権益 譲ろうと あれやこれやと 画策最中」 

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人間牧場

〇長~い一日

 昨日は3ヶ月に一度の健康診断の日でした。週末金曜日ということもあって病院はかなり混んでいました。午前7時過ぎに自宅を出て、病院へ8時に着きましたが、既に機械受付の機械の前には大勢の受診者が列をなしていました。私も慣れた手つきで診察券を受信機に入れ、最初の尿検査と血液検査に望みましたが、既にここにも大勢の受診者が詰め掛けていて、私の受付番号は縁起よく55番です。病院での診察は何かにつけてしぶといはずの私でも、「病気が見つかったらどうしよう」と、多少不安になるものです。55番を引き当て「いい予感」がし始めました。

 私はこの顔で注射が大嫌いです。でも昨日は血液検査の女性の技師さんの腕がよいのか、何の痛みもなく採血することができました。さあ次はいよいよエコー検査です。受付で少し待たされましたが、知人がいて話し込みました。検査室で上半身裸になりベルトを緩めて検査ベットの上に、仰向けになって寝るよう指示されました。やがてエコー技師さんが現れ、部屋のカーテンを全部閉めて薄暗くして、胸部から腹部にかけてゼリーのようなものを塗って滑りやすくし、その上を診察器具で何度もなぞって行くのです。その度に「はい大きく息を吸って、はい止めて」と指示がありますが、同じところを何度もなぞられると、「何か異常が発見されたのでは?」と入らぬ詮索をしてしまいました。

 やがて男性の技師がやって来て、同じ診察を先にやった女性の技師と話しながらやるのです。「もしや、もしや」の緊迫した言葉のやり取りを傍耳を立てて聞きながら、とても長く感じるエコー検査をやっと終え、「異常はないようです」とホッとするような言葉を掛けられ、暖かいタオルでゼリーをふき取ってもらい、検査室を出ました。次は診察受付で待たされ、内診診察で待たされて受診、次の診察受付で待たされ内診診察を終えたのは昼をとっくに回っていました。少し疲れたので駐車場に戻り自家用車の中で背もたれ椅子を倒して、少しの時間休憩をして車を走らせ、松山駅の近くにあるえひめ地域政策研究センターへ向かいました。午後2時から講演を頼まれていたので、昼食を食べるのを忘れていました。

 午後2時から40人ほど行政職員の前で、「地域づくり入門」というテーマで90分ばかり立って思いつくまま、アドリブで話をしました。講演終了後駅前の北斗というレストランで懇親交流会が持たれ参加しましたが、ここでやっと食事にありつけ、出された釜飯や料理を美味しく頂きながらセンター職員さんと、ノンアルコールビールを飲みながら大いに話し込みました。その後松山の喫茶店で会う約束をしていた人と出会い、10時頃やっと自宅に戻りました。
 帰るなり、「病院の診察結果はどうだった?」と、心配していた妻の矢継ぎ早の質問に、「何事もなかった。次の健康診断まで3ヶ月は賞味期限があるようだ」と笑わせました。こうして長~い一日は何事もなく終わり、記憶の彼方へと去ってしまいました。

  「病院で エコー検査や 診察を 何事もなく まずは安心」

  「昼ごはん 食べるの忘れ 夕方に 我に返って 腹減る覚え」

  「空腹で 90分も 立ったまま アドリブ話す おろかな私」

  「一日が こんな調子で 過ぎて行く 記録しなけりゃ 忘れてしまう」

 

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人間牧場

〇お待たせしました蜜蜂の分蜂です

 昨日の午後3時過ぎ、人間牧場の草刈を終えて自宅に帰ってみると、庭の裏の蜜蜂の巣箱の一つの周辺が、何やら騒がしく感じました。とっさにこれは蜜蜂の分蜂だと思い近づいて見ると、案の定蜜蜂の中群が巣箱の前で、まるで戦争のように飛び交っていました。今年は人間牧場の巣箱も家の裏山の巣箱も、越冬した種蜂がゼロからのスタートなので、インターネットで養蜂家の分蜂ニュースを聞く度に気を揉んでいましたが、これでやっとお目覚めといった感じです。

昨日分蜂が確認された巣箱
昨日分蜂が確認された巣箱

 偶然にも昨日の夜、私の蜜蜂飼いのお師匠である西予市野村町山奥組の井上登さんからメールが入っていて、分蜂の様子やキンリョウヘンの咲き具合を尋ねてくれていました。私は井上さんから4年前に貰った一鉢のキンリョウヘンを、欲を出して昨年8鉢に分株しているので、今年の春は花をみることはありませんが、そんなこともあろうかと井上さんは昨年の秋、花芽の確認できた2鉢のキンリョウヘンを私に託しました。私も井上さんの指示通り冬の間室内に取り込んで育てましたが、まだ咲かないようです。

 井上さんからは来週にもキンリョウヘンの切り花を持参してくれるようなので、ひとまず一安心といったところですが、今年も師匠の手を煩わさなければならないようで、未だに独り立ちできない自分を恥じています。昨日裏山を散歩していると、近所の人も既にキンリョウヘンの鉢植えを置いて蜜蜂を誘っているような巣箱が目に留まりました。どちらに先に入居するのか、蜂のみぞ知る競争です。
 何はともあれ今年もいよいよ私にとっても、蜜蜂養蜂のシーズンが始まりました。今年の目標は蜜蜂に刺されないよう安全第一で望み、10升以上を目指します。蜂さん今年も目いっぱい働いて下さい。宜しくお願いします。

  「裏山の 蜜蜂巣箱 蜂たちが 群がり分蜂 嬉しい確認」

  「蜂たちは キンリョウヘンの フェロモンを 何故に求める 未だ分らぬ?」

  「今年は 越冬蜂も ゼロゆえに いつもの年より 気を揉み始む」

  「刺されない まず第一の 目標を 安全置いて 昨日浮き浮き」 

 

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人間牧場

〇日本語の混乱

 「私は日本人だから極力日本語を話す」と格好良く振る舞っていますが、何のことはなく単に英語や外来語に弱いだけのことなのです。それでも大学も出ていない私が、大学の非常勤講師や客員教授になると若者との付き合いもあって、知ったかぶりもできず、随分苦労をしました。しかしそれらの窮屈な役目を終えた今では、英語や外来語に振り回されることもなく、むしろオンリーシャパニーズで楽しく過ごしています。
 先日元砥部町長の中村さんから世相談義という高信太郎の文章コピーが送られてきて、納得しながら読みました。

 日本は江戸300年の鎖国が明治になって終ると、外国から入ってくる西洋語をかたっぱしから翻訳して、和製漢語にしてしまいました。今では日常的に使われている「現代・社会・生活・政府・行政・選挙・銀行・保険・金融・経理・企画・鉄道・汽車・自動車・道路・飛行機・郵便・電報・電話・運動・体育・陸上・競争」という言葉も全て明治になってから造られた造語なのです。愛媛の人なら誰もが知っている俳人正岡子規は、自分の名前を捩ってベースボールを「野球」(ノーボール)としていますし、福沢諭吉はマネーオーダーを「為替」と訳しました。これらの言葉を使う度に明治の人の偉さを垣間見るのです。

 しかし明治人に比べ現代人の不味さは、何の工夫もなく意味も調べようともせず、外来語をそのままカタカナ標記して使うだけだと、高信太郎はイライラしながら言っています。コピーに載っていた「アーカイブ・インセンティブ・グローバリゼーション・ケーススタディ・コラボレーション・ノーマライゼーション・ポテンシャル・メセナ・モニタリング・モラルハザート・ユビキタス」などはすっかり日本語となったような錯覚さえ覚える外来語です。私も時々日常的にこれらの言葉は使いますが、「意味を言いなさい」と開き直られると、頭をかいて「すみません」と誤るしかないようです。

 アーカイブ=古新聞、インセンティブ=欲の皮、エンフォースメント=無理強、グローバリゼーション=地球大、コラボレーション=藤子不二雄S、ポテンシャル=火事場力、モニタリング=覗穴、モラルハザード=支離滅裂、ユビキタス=自由時空が本当の意味だそうですが、いやはや知らないのに知ったかぶりをして使っていたもんだと、少々汗顔でした。と同時に今からでも遅くないから、カタカナ標記されている言葉の本当の意味を勉強してみたくなりました。

  「リベラルの 本当の意味も 分らずに 使っていたが 『胡散くさい』だと」

  「カタカナの 言葉使うと 格好良く 見えるようだが 止めるべきだな」

  「アーカイブ アーカイブスと どう違う みんな知ってて 俺だけ知らず」

  「アメニティ 飴をなめつつ お茶を飲む 正岡子規と 同じレベルで」

 

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人間牧場

〇冨田さんの送別会

 この4年間、地域おこし協力隊員として、任地双海町で頑張ってくれた冨田さんが、惜しまれながらこの3月でその任務を目出度く終えました。昨日の夜灘町5丁目の公民館に、冨田さんの人徳を偲ばせる気心知れた仲間30人ほどが集まり、遅ればせながら送別会を開きました。送別会と言っても会費はたった千円の質素な送別会でしたが、冨田さんの大好きなお酒さえあればということのようでした。

冨田送別1冨田送別2 小西さん、高村さん、弘田さん、川口さん、本多さんたちが今が旬の山菜を調達して調理場で、熱々の天ぷらを作ってくれたり、皆さんが思い思いの食べ物を持ち寄ってくれたお蔭で、大いに盛り上がりました。また遠く東京で頑張っている前神さんも美味しいワインを3本も贈ってくれ、冨田さんの顔はいつになくほころんでいました。私は今朝早く山口県柳井市へ出張を予定しているので、失礼ながら9時前に引き上げましたが、冨田さんに相応しいとてもいい送別会となりました。

 冨田さんはこの4月から4年間住み慣れた、下灘奥西の教員住宅を出て、日喰の民家を借りてこの地に留まって貰えるようなので、まずは一安心と言ったところです。この4年間冨田さんの八面六臂の大活躍で、合併後の双海町は息を吹き返しました。下灘駅フィールドミュージアムや、下灘軽トラ市などよそ者目線で彼が編み出したセンスのいい活動は次々とヒットし、今もまちづくり学校双海人が中心になって受け継いでいますが、これからその真価が問われそうです。幸い冨田さんも一市民になっても、私たちと一緒に双海町のまちづくりに関わってもらえるようなので、みんなで盛り立てて行きたいものです。

 冨田さんの凄さは私たちにないセンスのよさです。前歴を深く詮索するつもりはありませんが、彼の前歴で培った様々な知識と知恵は、これまで4年間の地域おこし協力隊経験をさらに上積みして、大成してくれるものと大いに期待しています。昨日は残念ながら愛妻と愛娘の参加は叶いませんでしたが、何はともあれ冨田家3人の定住が実現し、また空き家だった民家に暖かい家庭の明かりが再び灯りました。冨田さんを見つけて来た松本さんありがとう。頑張れ富田さん。

  「四年前 双海に赴任 協力隊 どんな思いで 来たのだろうか」

  「この四年 町に新風 吹き込んで 様々やった 双海最高(再興)」

  「送別会 酒で紛らす 照れ屋にて 多く語らず ゆえに重みが」

  「とりあえず 定住決意 嬉しいな 空き家に明かり 灯るも嬉し」

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人間牧場

〇絶対付き合ってはいけない人間

 私たちは子どものころから、人と仲良くするよう教えられて育ちました。親も学校の先生も言うことですから間違いないと、信じて疑うことなく仲良く付き合ってきましたが、時にはその教えが間違いではないか?と思うような人にも出くわしました。相手を信じて貸した金が戻らなかったり、自分の誤った噂を振り撒かれたこともありましたが、自分の身代が傾くほどの騙され方をしなかったのは、心の奥に「全ての人を信じてはいけない」という、長年の人生で培った懐疑的な気持ちが育っていたことも事実のようです。

 数日前パソコンを見ていると、「絶対付き合っていけない性格・気質を持った人間20項目」という記事が目に付きました。全てを説明することは出来ませんが、納得しつつ読んだそれぞれの項目を、自戒の念を込めてメモしました。
 ①何かあればすぐに金をねだる人
 ②強いものに弱く、弱いものに強く当たる人
 ③嘘でも何でも言え、真実をねじ曲げる人
 ④自分を棚にあげ、他人を執拗に責める人
 ⑤自分より状況が悪い人を見下す人
 ⑥負けそうになると急に友情を強調する人
 ⑦自分の快楽のために他人を犠牲にする人
 ⑧人のものを何でも自分が考えたと主張する人
 ⑨悪いことは何でも他人のせいにする人
 ⑩裏で他人の悪口、中傷を言っている人
 ⑪法律や決ったことなどをまったく守らない人
 ⑫自分が一番になった部分だけを宣伝する人
 ⑬大声で叫び自分の都合だけを押し付ける人
 ⑭相手が弱ったところで叩きつける人
 ⑮徒党を組んで弱者をいじめる人
 ⑯勝手に他人のものを使い盗む人
 ⑰身近な人に感謝を見せることもない人
 ⑱外見ばかり気にして外見だけを飾る人
 ⑲すぐに怒り、いつまでも怒りが消えない人
 ⑳本質とはズレたところで相手を大批判する人

 昨日比較的若い友人と話しをしていて、最近職場で②の「強いものに弱く弱いものに強く当たる人がいる」という中間管理職の話を聞きました。職場には次長や課長、課長補佐といった中間管理職と呼ばれる人が沢山いますが、自分の出世や昇進に意欲を燃やす人は得てして上にペコペコして、下の意見など聞かずもみ消してしまうものです。職場はヘッドハンティングできる一部の人を除けば、上も下も自分が選べない一期一会ですから、下の意見をボトムアップし、上の意見をトップダウンすることなく咀嚼して伝えなければなりません。中間管理職の存在はまさに職場の要といったところで、上下の強い信頼がいい仕事を生むのです。人事異動も終わり組織が動き出し始めて2週間が経ちました。さて友人の職場はどんな希望に満ち溢れて仕事をしているのでしょうか。付き合いたくないけど付き合わなければならない職場の人間関係も中々のもののようです。

  「誰とでも 仲よくせよと 教えられ やってきたけど 上手くも行かず」

  「こんな人 仲よくするな 書いていた 20項目 なるほど頷く」

  「嫌だけど 逃げられないのが 職場です どうすりゃいいか 二週間経ち」

  「結局は コミュニケーション しっかりと とる術覚え やるっきゃないな」

 

 

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人間牧場

〇大洲祇園公園の牡丹桜

 肱川の丸山公園で美しいシャクナゲの花見を楽しんだ私たち夫婦は、オズメッセに立ち寄り昼食や買い物をしました。何度か食事をしたことのある和風レストランに入りましたが、日曜日の昼時とあって超満員で、玄関先で20分も待たされましたが、何とか席を確保しました。この店では料理を頼めば野菜サラダとコーヒーがタダなので、料理が出てくるまでサラダを自分でさらに盛り、ドレッシングをかけて美味しく食べました。私は野菜とエビの天ぷら定食、妻は海鮮丼とうどんのハーフ定食を注文しましたが、いつものように二人で分け合って食べるので、何か豪華なような気がしました。

祇園公園の満開の桜
祇園公園の満開の桜
牡丹桜
牡丹桜

 買い物をしたあと来た道を引き返しましたが、大洲市八多喜の祇園公園に差し掛かったところで、吊り提げられたボンボリに誘われ、急な思いつきで近くの駐車場に車を止めて、遅咲きの牡丹桜を見ることにしました。今年の桜は相次ぐ菜種梅雨や突風の影響で満足に花見をすることが出来ず、少し不満足の春でしたが、祇園公園の桜は桜の王道吉野桜ではないものの、気品は吉野桜に勝るとも劣らず、参道沿いの桜を見下ろしたり、見上げたりしながら裏も表も存分に楽しむことができ、公園入口で偶然にも知人に出会い、お菓子までいただくサプライズで、「今日はいい骨休め、目の正月が出来た」と、妻も大満足の手合いでした。

 私たち夫婦は結婚以来、私が地域づくりに深く関わって、休みもろくに取れなかったこともあって(実は今も同じように)、国内外への旅行といえば私の退職記念でカナダ?アメリカへ行ったり、私の講演に同行した程度で、それほど旅行らしい旅行をしたこともなくこの歳を迎えています。加えて今は年老いた親父の介護も必要なので、遠出することは殆どありません。「退職したら旅行を楽しもう」と言っている、妻との約束も果たさぬままです。でも少し暇を見て昨日のように、近場でもいいから気晴らしに連れて行ってやりたいと、殊勝にも思った一日でした。今朝はまた雨が降っています。食事をしながら妻が、「お父さん昨日は天気と花に恵まれいい一日だったね。楽しかった。また連れて行ってね」とねぎらいの言葉を貰いました。何かいいことをしたようなそんな朝でした。

  「シャクナゲを 見ての帰りに 桜まで 祇園公園 花見洒落込む」

  「雨風に たたられ今年 満足な 桜見られず 最後に最高」

  「旅行にも 行かずに夫婦 歳をとる 近場散策 お茶を濁して」

  「さて次は どこへ行こうか とりあえず 来週牡丹 案内ありて」

美しい花をバックに
美しい花をバックに
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人間牧場

〇家庭菜園の中耕

 新聞には毎日沢山の折り込み広告が入りますが、主婦である妻は買い物の参考にするのか、スーパーなどのチラシを見ていますが、買い物等殆どしない私には猫に小判といったところで、余り見ることはありませんが、その中にホームセンターの広告も入っていて、この時期苗物が頻繁に紹介されるようになり、「ああ、もうその時期か!!」と思いながら、時々家庭菜園の参考にすべく見ています。

家庭菜園春の中耕
家庭菜園春の中耕

 私たちの地方では、遅霜の心配がなくなる氏神様の春祭りを目安に、夏野菜の植え付けを始める人が多いようで、私も祖母から聞いていたそのことを目安にしています。いつとはなしに5年前頃から家庭菜園の世話は、親父から私に経営移譲されているので、春先が来ると菜の花の咲いた大根、小松菜、チンゲンサイ、カブ、ブロッコリーを引き抜いて果樹の根元に処分し、雑草を粗方取って耕運機で中耕をするのです。

 今年はどうやら菜種梅雨の様相らしく、足繁く雨が降るので、残菜の処分が遅れ、中耕もできぬままになって気を揉んでいましたが、先日2日間だけ晴れ間が見えたので、少しじゅるい(土が水を含んでいいる有様)とは思いましたが、思い切って中耕をしました。中耕をした夕方雨が降り、間一髪の離れ業に安堵しました。雨で土が落ち着けば畑に出て畝立てをして、夏野菜の植え付け準備をしようと思っています。

 もう間もなく伊予市内で苗屋を営む親友の水口マリ子さんから、「苗物を取りにおいで」とお誘いの電話が入るものと思われます。そのために今年の春先30袋もの完熟牛糞を取り寄せ、行糞を満遍なく振り撒いて耕運機で中耕しました。有機肥料のお蔭でこの5年一度も農薬を使わず、安心安全を基本に作った野菜を食べて、家族みんなが健康を保持してきました。近所や友人に沢山の野菜をお裾分けして慶ばれもしました。サンデー毎日の私のささやかな、身の丈サイズの挑戦はこれからも続きます。「遊びの農業は楽しい!!」この一言に尽きます。

  「牛糞を 撒いて菜園 耕運機 音も軽やか 野山に響く」

  「この5年 農薬使う こともなく 安心安全 野菜を作る」

  「足繁く 降る菜種 梅雨の中 見極めよくて 中耕終る」

  「毎日が サンデーながら なにやかや 忙し過ぎて のめり込めずに」

 

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人間牧場

〇子ども教室実行委員会の会長になりました

 教育長をしていた現職の頃から会長をしていますから、子ども教室との関わりはもうかれこれ12年を越えました。その間人間牧場を自費で造ったこともあって、毎年春と秋の2回は必ず子どもたちが、人間牧場にやって来るプログラムを組んでいるので、止めるに止められずといった感じですが、まあ止める理由も勇気もないので今年度も会長を引き受けることにしました。

子ども教室実行委員会
子ども教室実行委員会

 子ども教室のプログラムは、始める活動・続ける活動・高める活動・止める活動という4つの視点で毎年検討を加えてマンネリにならないよう気をつけていますが、お蔭さまにてかなり高いレベルの活動を維持し続けています。子ども教室は年間8回行なう子ども体験塾と、1週間の通学合宿夕焼け村、それにおもしろ大作戦の3つで構成されています。子ども体験塾は約40人、夕焼け村は町内小学校の4~6年生、おもしろ大作戦は単品プログラムといったところです。

 一昨日の実行委員会で決定したことを元に、それぞれの事業がスタートしますが、今年はスタードームキャンプは防災キャンプ、史跡めぐりふるさと再発見は黒磯海岸を伊予市まで歩くコースが提案了承されているので、それぞれの担当委員のアイディアで今年はどんなドラマが待っていることでしょう。とても楽しみです。また数年前から力を入れているジュニアリーダーの育成や、ふたみのこども什の約束の普及も図りたいと思っています。

 最近特に気になっていることは、非日常のプログラムゆえ、安全な冒険に気をつけることです。私はこれまで21世紀えひめニューフロンティアグループが主宰する、無人島キャンプや大野ヶ原モウーモウー塾などを手掛けて来ましたが、幸い大事に至らずこれまでは安全に乗り切ってきましたが、多分これからもその精神はしっかりと心に刻んで行かなければならない大事なテーマなのです。裁判沙汰にならないこともさることながら、未来のあるかけがえのない子どもたちを預かるのですから、今年も気を引き締めようと、みんなで確認をしました。「子どもは動く危険物」なのです。

  「今回も 会長職を 引き受けた 断わる理由 勇気もなしに」

  「今年度 防災キャンプ しようかと 話まとまり 早速準備」

  「安全が 第一だよと 言い聞かす 非日常ゆえ 怠りなしに」

  「長いねえ 気がつきゃ俺も 七十歳 これまで以上 これから大事」

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