人間牧場

〇格差があって格差のない社会

 昔の田舎は貧富の差が大きく、わが家のような貧乏人もいれば、下男やお手伝いさんを雇うような裕福な家もありまりました。しかし周りはツギハギだらけの衣服を着て、青鼻をたらしていた私たちのような子どもが普通でしたから、少し綺麗な身だしなみのよい友だちを見ても臆することなく、伸び伸びと貧乏人の子どもを謳歌していました。

 しかしいつの間にか世の中が変り、貧富の差はあるのでしょうが、みんな中流家庭化して、家並みも身だしなみも、乗っている車もそんなに極端な差を感じなくなって、いい時代になったとしみじみ思うのです。わが家は先代の親父までは代々漁師でしたが、私が子どものころは舵子と呼ばれていた若い漁師修業の人がいました。船頭である親父の元へ中学校を卒業したばかりの舵子さんが雇われて来て、一人前の漁師になるため7年ばかり修業していましたが、昔の船頭は何かにつけて指導が厳しく、下男ではなかったものの、傍で見ていてもハラハラするほどでした。

 その人は7年後暖簾分けのような形で独立し、その後立派な漁師さんになりましたが、私は親父がガンで倒れ、進学を諦めて地元に戻り親の漁船若吉丸の船長船頭として、その人の手助けを受けて漁師を7年間やりましたが、修業の甘さを露呈して残念ながらその後体調を崩したこともあって役場に転職してしまいました。しかし「船頭の息子と竹の身竿は役に立たない」、つまり竹の身竿は節の間に空気が入って浮くので役に立たないの諺どおりだと、自分の過去を恥じています。

 退職してサンデー毎日となりました。妻が近所の歯科医院に勤めているので、少しでも役に立ちたいと、自分では色々な手助けをしているつもりですが、前述のような私ゆえ、何かにつけて思い違いをしています。今朝も私が「わしはこの家のしもべのようだ」と妻にいえば、「あなたは手を出してくれるけれど口も出し過ぎる」と言われました。「あれもしといて、これもしといて」と妻から言われると必ず、一文句を言うらしいのです。拳拳服膺深く反省し、今朝も一輪車でさっそうと近くの県道までゴミを出しに行きました。小さな親切大きなお世話」かも・・・・・。

  「下男とは 今じゃ差別の 用語です 昔はそんな こともちらほら」

  「格差ある だけど格差の ない社会 貧乏人に 生まれよかった」

  「わが家では 私と親父 今無職 ゆえに片身の 狭い思いを」

  「古いゆえ 未だに亭主 関白と 胸張り生きる 私は馬鹿だ」 

 

 

 

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