〇先月の五行歌
「行く春を 惜しむが如く 咲く花に 誘われあちこち 妻と二人で」。こんな駄作歌をつくるほど、今年の春は天候不順も何のそのといった感じで、近場ながら双海の桜、肱川丸山のシャクナゲやヤマブキ、大洲祇園の牡丹桜、松前晴光院の牡丹と一週間おきに花見を存分に楽しみました。「花づくり 花見る人は 別の人」といわれるように、それぞれの花はそれぞれの人が、それぞれの思いを込めて世話をしているので、特に私は長年花づくりにかかわり、花を育てる側にいたこともあって、その思いや苦労を知っているつもりなので、違った見方をすることができるのです。
先日松山五行歌会の見山さんから届いていた先月の歌会報告を、足の怪我などもあって深く読むことをすっかり怠っていました。見山さんから4月歌会の締め切りを知らせるメールが入り、今月も慌てて締切日に即興で歌をつくり、メール便で送るという体たらくでした。そんな手間暇をかけずにつくった歌など、誰も読んでくれないはずなのに、見山さんは相変わらず丁寧に、欠席歌の末尾に私信を沿えて結果を送ってくれるのです。今月の私の歌は次の一首でした。
植えたらいかん
言われたが
ポケット穴開け
種落す
双海菜の花今じゃ名物
講評は次のことが書かれていました。
☆愛媛新聞紙上でも紹介されておりましたね。双海町の菜の花、見事でした。実際にポケットに穴をあけて植えられたとしたら、先見の明があったのかも?、信念を貫いて植えられた花は、自然の脅威をものともせず、毎年花を咲かせていくことでしょう。
私にとって双海の菜の花も水仙も、海岸沿いに植えられた桜の花も、また朝真っ白、昼ピンク、夕方赤色に変化する酔芙蓉の花やアジサイも、全てが手塩にかけて育てた愛おしい花々なのです。
家の周りにつつじの花が咲き始めました。最初エプロン会議の人たちが5万本の挿し木をしてものの見事に大失敗して、4万9千9百9十5本枯れた同じ時期、わが家で挿し木をして育てたつつじが畑の隅に植えられ、親父と私の世話で今では沢山の花を咲かかせるようになりました。「播かない種は生えないし植えない木は育たない」は、私の心に決めた花づくりの基本ですが、今もあいも変わらず着々、あちらこちらに種を播き花木を植え込んでいます。
「五行歌の 歌に詠んでる 菜の花は おとぎ噺の ようで可笑しい」
「播かぬ種 植えない木々は 育たない そんな気持ちで 今も時々」
「五万本 枯らした頃に わが庭で 挿し木した苗 今は立派に」
「五行歌の 会員ぶって いるものの 劣等性の そしり拭えず」