人間牧場

〇昔懐かしいサワラの大漁写真

 桜が咲き終わり本格的な春がやって来ると、海に面した双海町の下・上灘漁港は昔から、「下灘の鯛と上灘のサワラ」と言われるほど、今のようなハイテク漁船でもないのに、漁業資源が豊富だったこともあり、豊後水道を産卵のため北上してくる鯛やサワラが沢山水揚げされて、港は活気付いていました。この一枚の写真を見ればいかに沢山の魚が獲れていたか一目瞭然分るのです。

サワラが大漁だった昭和40年頃の市場の風景
サワラが大漁だった昭和40年頃の市場の風景

 下灘の鯛は昼間ローラ五智網という漁法で、主に佐田岬半島沖を漁場として漁獲されますが、上灘のサワラは夜間サワラ流し網という漁法で、青島周辺の比較的近海で漁獲されます。夕方港を出港した漁船は日没ころ漁場に到着して、浮き刺し網である流し網を仕掛けて仮眠し、朝を待つように網を引き上げます。魚遍に春と書いて鰆と読みますが、中には1本10キロもあるような丸々と太ったサワラが、時には船が沈むのではないかと思うほど、大漁する船がありました。

 陸と交信する無線も携帯電話もない時代の唯一の大漁の知らせは、船の舳先に立てた大漁幟のようでした。満船帰港で港は活気付き、水揚げされたサワラは大きな斤量で計量され、魚市場のコンクリートの上に行儀よく並べられて、仲買人によってセリにかけられ、買い取られて行きました。サワラは身の柔らかい魚なので、木製のトロ箱に氷詰めされましたが、保温の良い発泡スチロールのトロ箱などなかった時代ゆえ、輸送には苦労したようです。

 毎年この時期になると丸々太った、銀鱗輝くサワラが漁師さんから丸々一本届きますが、サワラのトロといわれる腹身の刺身は脂も乗って、冷凍マグロ等比べ物にならない抜群の味で、アラは煮付けやサワラ飯、汁物にしてサワラ三昧の料理を堪能しています。昨日の夕方「もうそろそろサワラが獲れる頃だねえ」と、夕食を食べながら妻が話しかけてきました。今日辺りシーサイド公園の鮮魚店の店先を覗いてみようかと思っています。

  「その昔 サワラが市場 埋めたころ 写真見ながら 思い起こして」

  「魚遍 春をつければ 鰆なり 誰が考え 書いたのだろう」

  「サワラトロ マグロに引けを とらないと 昨年食べた 舌が覚えて」

  「今日辺り サワラ求めて 鮮魚店 覗いてみようか 春真っ盛り」 

 

 

 

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