人間牧場

〇イノシシの悪態嘆き節

 人間牧場に通じる農道周辺は、イノシシの格好の散歩コースや運動場となっているため、畦畔は何度も何度も壊され、その都度「×××・・・・」という滅入った気持ちで一人後片付けに追われています。この農道は人間牧場下の墓地に通じているため、彼岸になるとお墓参りに来る人もいるので、少し掃除をしようとスコップと熊手を持ち出して始めました。土と落ち葉と雑草の入り混じった土砂をスコップで、畦畔の上目がけてほおり投げるのですが、この作業はかなりの重労働で、大汗をかいてしまいました。

大汗かいてイノシシ悪態後始末の大掃除
大汗かいてイノシシ悪態後始末の大掃除

 まあこれも天が私に与えた修業だと割り切って、坂の頂上付近から下に向って作業を進めていると、山里にスコップの鈍い音が響き続けたため、近所の畑で作業をしていた地元のお百姓さんが「何事か?」と覗きに来て、「いつもご苦労なことじゃなあ」と慰労の言葉をかけてくれました。しばらくの間立ち話で色々な世間話をしましたが、ここらの地区もご多聞に漏れず高齢化が進み、自然災害や野獣災害は為すすべもなく、手間のかかる端々の農地は、手が行き届かずに放置せざるを得ないと、相変わらず嘆き節を聞きました。

 自分の造ったこの人間牧場も、やがてはこのお百姓さんの嘆き節のようになるのでは?とふと不安が過ぎりました。六十歳から始まる第二の人生を楽しく過ごそうと思い、あらん限りの知恵と汗を出して造ってこの10年、目論みどおり使って楽しんでいますが、私が人間牧場へ通えるのは、車に乗れる年数10年ほどで、つまりこれまでの10年と同じ年数なのです。勿論それ以降はこの施設を設計してくれた息子に委ねることになりますが、草刈とて満足に出来ない息子のことを思うと、多少不安になります。でもお百姓さんのような「嘆き節」は吐くまいと意気込んではいますが、やはり心配の種は尽きぬようです。

  「イノシシに 畦畔壊され ただ一人 黙々掃除 大汗かいて」

  「スコップの 音を聞きつけ やって来た お百姓さん 嘆き節言う」

  「あと十年 これまで十年 同じだと 思えば少し 寂しい気もする」

  「嘆き節 言うの止めよう 前向きに 生きてやるぞと 腕をまくりて」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇人事異動の季節

 春は人事異動の季節です。私も26歳から60歳まで35年間、地元の役場に勤めていたので、内示の出るこの頃になると職場でもそのことが話題になり、何となくソワソワしたものでした。私は自分で変わりたいと思ったことは一度もなく、自己申告書に「今のまま」と書くことを貫きました。それでも社会教育から13年目に産業課へ、4年目に企画調整室へ、9年目に地域振興課へ異動して10年間勤めて退職し、最後2年間は特別職の教育長で、合併を機に35年間の地方公務員生活を終えました。

 特別職を除けば私の人事異動は僅か3回で、4つの職場しか経験したことがないのですから驚きです。まあ田舎の役場は異動で外に出ることも殆どないので、1階から2階とか、隣の部屋への異動だし、他課といっても気心の知れた人ばかりなので、異動しても直ぐに職場に馴れて、昔からいるような顔つきで仕事をこなしていたようです。
 しかし職員の中には1年とか2年で頻繁に異動させられる人もいて、やれ栄転だの左遷だのとありもしない噂話をあれやこれやと言い合っていたようです。ほんの少しの間人事異動の原案を作る課にいて、原案を作ったことがありますが、田舎の役場は首長が変わると人事にまでそのことが色濃く反映されるのですから、あおりで異動させられた職員はたまったものではありません。

 異動は一人の人間の人生まで変えてしまうほど重要なものです。いくら優秀な人材でも、異動は昨日まで大工さんだった人が明くる日から、左官さんをしなければならなくなるほどの大きな変化です。その仕事が肌に合わずこなせないと、駄目職員のレッテルを貼られてしまうのですから可哀想で、そのしがらみに耐えられなくなり、思い悩んで心の病にかかる人も少なくないのです。
 人事は短期異動と中期異動、それに長期異動がありますが、最近では概ね3年位での異動が多いようです。私は4年間の産業課を除けば社会教育13年、企画調整9年、まちづくり10年とかなり長く同じ仕事をさせてもらったことで、能力以上の成果を挙げることができました。適材適所だったかどうかは今も不明ですが、異動を新たなチャレンジへのチャンスだと思えば、意味のあることです。首長に雇われているのではなく、市民や県民に雇われていることをしっかり肝に、頑張って欲しいものです。

  「昨日今日 あちらこちらの 職場では 内示出たよと そっと連絡」

  「栄転や 左遷は人が 決めること 異動したなら 思い直して」

  「楽しみに していた異動 空振りで 栄転もなく 沈む人あり」

  「新聞の 人事異動の 末尾見る ひっそり退職 名前見つけて」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇春は霧の出る季節です

霧のかかった本尊山周辺
霧のかかった本尊山周辺

 このところ春の訪れを予感させるように好天が長続きせず、足繁く雨が降っています。今朝もいつものようにブログ記事を一本書き終え、すっかり暖かくなったため、薄着でジョギングに出発しました。保育園~憩いの家~川向こうの道~双海中学と順調に走っていると、団地付近で急に大粒の雨が降り出し、ジョギングからウォーキングに変える途中の道でジョギングを断念し、急いで自宅へ走り帰りました。僅かな時間の僅かの距離ながらすっかり濡れてしまい、かいた汗とともにシャツを脱いで洗濯機へ入れましたが、今日はこのままだと一日一万歩の目標を達成することが難しいようなので、小ぶりになったら傘を差して出かけようと思っています。

海の資料館に展示されている珍しいフォグフォーン
海の資料館に展示されている珍しいフォグフォーン

 このところ雨とともに、春特有の霧が出始めています。陸地は霧の影響で瀬戸大橋や瀬戸内海に面した四国の高速道路が通行止めになったり、また視界が悪いため飛行機も欠航するなど交通機関に影響が出ていますが、一番怖いのは海上の霧のようです。私は若い頃船乗りだったので霧の怖さはよく知っています。小さな船でさえ船尾と船首の見分けがつかないほど視界が悪くなることがあります。こんな場合は航行禁止令が出るのですが、先を急ぐ船乗りの心がはやるのか、禁止令を無視しレーダーに頼って航行するのです。これまでにも霧の中で海難事故が幾度となく繰り返されてきました。ご存知多くの修学旅行生が亡くなった紫雲丸事故も霧が原因でした。

 わが家の敷地内にある海の資料館「海舟館」の展示物に、「フォグフォーン」という、一風変わった展示品が置かれています。「霧警笛」と訳せるこの道具は、霧の中で自分の船の位置を相手の船に知らせる道具で、ふいごのような格好をしています。両手で空気袋を広げて強く押すと、鈍い「ブォーン」という音が出る仕組みになっていますが、昔の人はよく考えてこんな道具を作ったものだと感心しきりです。
 今はレーダーの普及によって、霧の中でも相手の船の位置が分り、ある程度の航行は可能になりましたが、レーダーを過信するととんでもない重大事故を引き起こすのです。「五里霧中」という言葉があります。人間も心や頭に霧が垂れ込めたような時がたまにはあるものです。そんな時は自分の思い込みを過信せず、じっくり身構えて心の霧の晴れるのを待つのも大事な生き方です。

  「春の霧 思い出すのは 紫雲丸 尊い命 霧に奪われ」

  「資料館 展示の品の その中に 何故かフォグフォーン 警鐘のよう」

  「レーダーを 過信し過ぎちゃ 事故起こる 船は道なき 航路を走る」

  「五里霧中 時には心 霧垂れる そんな時こそ じっくり構え」 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇今年度最後のまちづくり学校双海人

蚊取り線香
蚊取り線香

 「一年の過ぎる早さに驚くのは歳をとった証拠」だと、それを蚊取り線香に例えて説明をします。未使用の蚊取り線香は円周が長いため、燃えるのにかなりの時間がかかりますが、最後になると円周は短く一週回るのがあっという間だからです。さしずめ私などはもう残り火すら追々細りといった感じさえするのです。私は行き掛かり上、双海町内の有志が集まり、毎月第3火曜日に開催される例会は余程のことがない限り参加して楽しく学習をしています。

 昨日の夜は今年度最後の例会なので、役員改選やこれからの進め方を話し合った後、食べ物や飲み物を持ち寄った謝恩会が開かれました。役員は留年、定例会日もこれまでどおりでシャンシャンでした。謝恩会は会費500円ワンコインでしたが、皆さんの持ち寄り食べ物が豊富で、私は自宅で夕食を済ませて参加したことを後悔してしまいました。それでも浜田校長先生が用意してくれていたノンアルコールの缶ビールを、1本も飲んで、ノンアルコールと言えど少し酔った気分になり大いに話し込みました。

いただいた皆勤賞の賞状
いただいた皆勤賞の賞状
可愛らしいお雛様寿司
可愛らしいお雛様寿司

 途中皆勤賞の発表があり、6人の人が一日も休まなかったそうで、何と何と私もその皆勤賞を頂きました。皆勤賞といえば誰でも貰えそうですが、私のように何が忙しいのか分らないけど、一年中忙しくしている人間にとっはこれが案外難しいのです。参加は最大の貢献であるなら、私の貢献度は凄いものです。これからも初心に帰ってメンバーの足手まといにならないよう参加したいと思っていますが、そろそろお払い箱かも知れません。

 昨日メンバーで私の横の席に座って毎回馬鹿話をしている小西千鶴子さんがひな祭り寿司の作り方を披露していました。バラ寿司で参画おむすびを作り、十二一重は錦糸卵、顔は鶉の卵を使い起用にも可愛らしく作っていて驚きました。食べるのが勿体ないので、私はバラ寿司のおにぎりを創ってもらい食べました。昨晩は皆さん一品を持ち寄ってパーティだったので、珍しい食べ物を堪能することができました。

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇私はただ今元気です

 数日前、久しぶりに中学校時代の同級生に、こともあろうか松山のとある温浴施設の風呂の中で会いました。彼との出会いは一昨年末に開かれた古希祝の同級会以来ですから、1年半ぶりですが、その変貌ぶりにはすっかり驚いてしまいました。同級会の時はかなりの人数が集まっていたので、彼とそんなに深くは話しもせず、彼の体のことまで覚えていませんでしたが、彼の話によると同級会が終って間もなく、脳卒中を患い入院したそうです。重度でもなく軽度でもない中程度の病状だったようで、左半身の麻痺と言語障害が後遺症として残り、今はそのリハビリ途中とのことでしたが、お互いタオルで下半身を隠す程度の、あらわもない姿で風呂のかまちに腰をかけ、汗をかきながら色々な話をしました。

 彼は若い頃から少し小太り気味で、お酒が大好き、賭け事が大好き人間で、65歳で会社を退職後も酒とパチンコに明け暮れる日々を過ごしていたようですが、もう一度元気になったら酒とパチンコをしてみたいと、性懲りもなく話していました。彼は私の裸の姿を見て、「お前が羨ましい」と言いました。確かに彼と私は人から見れば、「この二人本当に同級生?」と見紛うほどで、彼は頭が禿て老眼を掛け、加えて半身不随で杖が必要、言語障害もあります。一方私の体は中肉中背で、白髪が少しあるもののまだ髪の毛は沢山あって、老眼も必要でなく裸眼で新聞が読め、加えて言語障害どころか弁舌爽やかに人前で話すことができるのです。

 彼と私の差は一体どこにあるのだろう?と、彼の話を聞きながら考えてみました。私の一日は朝4時起床から始まり、就寝は12時頃です。彼の朝起床は午前9時、床に就くのは夜10時だそうです。つまり彼と私に与えられた時間は等しい1日24時間なのに、私は彼に比べ朝5時間+夜2時間=7時間も起きている時間が長いのです。問題はその起きている時間の使い方で、朝の5時間はアバウトな数字ですが2時間はブログ書き、1時間はジョギング・ウォーキングなどの運動、2時間は食事や新聞読み等の自由時間です。夜の2時間はテレビを見たり読書やパソコンいじりなどの自由時間ですが、まあ根本的に違うのは酒も呑まず余り賭け事遊びもせず、少し知的コンテンツを持って日々を生きていることでしょうか。

 彼も私も年金暮らしです。彼の年金がいかほどで、どう使っているのかは知る由もありませんが、そんなに大差はないものと思われます。「お前が羨ましい」といういう言葉の後に、「お前は毎日やることがあっていい」と「講演で儲けているから」を付け加えられましたが、彼が羨ましいがるようにまあ「やること」「行くこと」は毎日いっぱいあるものの、彼が羨ましがるほどの儲けはなく「小遣い稼ぎ程度」だと言うと、「そんなことはない」と否定されました。人の暮らしは良く見えるものです。これからも彼のように病にかからないよう健康に注意し、これからも楽しく人生を生きて行きたいものです。

  「温泉で 半身不随の 同級生 裸でばったり 出会って話す」

  「同い年? 思えぬほどの 風貌を 見ながら私 少し自信が」

  「酒が好き 賭け事好きな 同級生 今はそれさえ できぬ体に」

  「健康が 何より一番 大事だと 思う私も それなり相応」

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇長崎県佐々町に招かれました

 2年前、長崎県長崎市で開かれた九州地区社会教育研究大会の記念講演に招かれてから、私の元へ九州の各県から沢山の講演依頼が入るようになりました。講演依頼の殆どは、「あの時の話をもう一度」ですが、2年前の講演でどんな話をしたのか、毎回アドリブで話す私は、「覚えていない」というのが正直なところです。多分かくいう私の話を聞いたであろう相手も、2年前の私の話の全てを覚えていないだろうと、鷹を食って「はいはい」と臆目もなく引き受けてしまうのです。

マリンバ演奏コンサート
マリンバ演奏コンサート
講演会週炉油後ステージにて角銅さん、日比さん、教育長さんとともに・・・
講演会週炉油後ステージにて角銅さん、日比さん、教育長さんとともに・・・

 今回は佐世保から約40分ほどの所にある人口1万3千500人ほどの佐々町でした。12時に到着しないと午後の研修に間に合わないので、前日出発して前泊し、佐世保から松浦鉄道に乗って佐々町を目指しました。松浦鉄道も私たちの町と同じようなローカル線で、マッチ箱のような一両編成のジーゼル列車が長閑に走っていました。沿線に咲く菜の花などの花々を見ると、海沿いのため私たちの町と同じような季節の移ろいでしたが、佐々に入ると佐々川の堤防に植えられた、早咲きで知られる河津桜が帯をなして咲いていて、散歩花見を楽しむ人の姿が幾つも見えました。

 11時37分に到着するとメールで知らせていたので、井手係長さん池田社会教育委員長さんのお二人が、駅まで出迎えてくれました。出迎えの公用車の屋根には看板が取り付けられ、「あいさつ日本一」の文字が見えました。聞けばこの町の中学校では生徒が学校に到着すると一礼し、学校を帰る時にも一礼して帰るという、長い間の伝統が息づいているのだそうです。土手の桜を見ただけでも、この美談を聞いただけでも、来た甲斐があったと納得の手合いでした。この日のプログラムは佐々町出身のマリンバ奏者角銅さんの演奏会と私の講演のジョイントでした。2時に開演し、マリンバの演奏が約40分、私の「まちづくりの新しい風」という演題での講演がその後90分でした。

 文化会館の大ホールは800人収容でしたが、ほぼ満席に近い状態でした。角銅さんと日比さん二人の演奏も素晴らしく、私の講演も演奏に吊られたのか反応もすこぶる良く、満足の手合いでした。講演は聞きなれた人といった感じで、ステージで話す私の元に楽しい笑い声が帰って来て、私もマリンバ演奏に吊られてハーモニカまで吹いてしまいました。私の吹いた井沢八郎の「ああ上の駅」も、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」も、沢山の参加者が合唱してくれたことには大いに驚きました。その後近くの居酒屋へ繰り出し、少人数でやった食談会は大いに盛り上がり、嬉しいご縁を沢山いただくことができました。

  「学校に 行きも帰りも 一礼を する中学校 凄いものです」

  「佐々川の 土手咲く桜 見る人が 汽車の窓から 長閑に見えて」

  「コンサート 講演ジョイント 日ごろとは 少々違い 腕まくりして」

  「今回も 深いご縁を いただいて 心ウキウキ 来た道帰る」

[ この記事をシェアする ]

shin−1さんの

町内の道の駅で、つわぶきが販売されているのを見つけたので、一昨日人間牧場へ農作業に出かけたついでに、畑の隅の親株の根本に生えていた産毛のついた新芽を50本ばかり引き抜いて持ち帰りました。早速ナイロン薄手の使い捨て手袋をはめて皮を剥き始めました。つわぶきは灰汁が手に着くと黒くなり見苦しいので、妻も食べるのは好きですが嫌がります。今日は遠方出張でしたが、つわぶきの煮付けが楽しみです。

image

[ この記事をシェアする ]

shin−1さんの

○ハウステンボスに立ち寄る
 佐世保駅のコンビニで、560円の使い捨てビニール傘を買い求めて、朝佐世保駅を出発しました。雨は濡れる程でもありませんでしたが、降り立ったハウステンボス駅から大きくて広い歩道専用の橋を渡り、入場券を買い求めてました。入場料は少しお高い3800円でした。

image

[ この記事をシェアする ]

shin1さんの日記

○今夜は佐世保泊です
長崎県佐々町での講演を午後こなし、夜の会食懇親会を終えて午後9時頃、予約していた東横インへチェックインしました。今夜は佐世保泊りです。明日は折角の機会なので少し寄り道をしようと思っていますが、天気が気がかりです。今日は心地よい疲れなので、読書をしながらゆっくり休もうと思います。
おやすみなさい。

image

image

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇地域を消滅させてたまるか

 平成13年の市町村合併で、市町村の数は3200から1700に減少しました。1500もの自治体が人為的に地図上から消されてから10年が経ちましたが、最近になってようやく合併の検証があちことで行なわれているものの、住民がこれほど「NO」と言っている検証結果を生かすすべもなく、責任の所在も説明責任も果たさぬまま時は流れています。

 人口統計によると20代から30代の女性が少なくなることによって、約900の市町村がなくなるという研究会の話も、農山漁村の過疎化や少子高齢化による集落消滅の話も、政治家や自治体それに学者の戯言のように聞こえ、どの話を信じていいのか戸惑っているのが正直なところです。今東京では「地方創生」という言葉が飛び交い、国をあげて悩めるこの国を何とかしようとしているように見えますが、国民は度重なる二枚舌を信じようとはしないのも事実です。

 人口減少、財政破綻、犯罪多発、地方疲弊、自然災害、人間不信、高齢化、どれ一つとっても厄介な問題だらけのこの国は一体どこへ向おうとしているのか、私のような田舎に住む一凡人には、語る言葉も妙案も浮かびませんが、ただひとつ大事なことは人はどうであれ、自分が日本人らしく自分らしく自立して、隣人と寄り添いながらしかも楽しく生きがいを持って日々を生きることが大切だと思っています。

 そのように心のチャンネルを切り替えて辺りを見返すと、四季に富んだ日本という国の素晴らしさや、そこに逞しく暮らす隣人愛に満ちた人の多くいることに気付きます。地域に思いを寄せる人がいるわが地域は消滅することもなく、これからも生き続けることでしょう。私も及ばずながら残された力を思う存分使って、地域に貢献しようと思っています。それが生ていることの証でもあるのです。

  「1500 自治体消えた この国は どこへ行こうと してるのだろう」

  「東京で 地方創生 声高に 政治家・学者 空々しくも」

  「大丈夫 田舎ちょっとじゃ へこたれぬ 都会の方が もっと危ない」

  「江戸屋敷 住んでる田舎 出身の 政治家いつしか 東京弁で」 

 

[ この記事をシェアする ]