〇港の見える風景
昨年末妻の妹が六十七歳で急逝し、今年も先日若嫁の父親が六十四歳で急逝して、身内の身近な人を相次いで他界へ見送りました。また妻の友人二人の義母や、実懇にしていただいていたギノー味噌の田中義一会長も亡くなり、通夜や葬儀、お別れ会と心が沈むことばかりが続いているので、昨日は好天に恵まれた暖かい日だったので急に思いつき、妻の実家のお墓参りに妻と二人で出かけました。少し荷物があったので修理を終えた軽四トラックに乗り海岸線を走りましたが、沿線には閏住の黄色い菜の花や、早咲きの河津桜がピンク色の花を咲かせ、春が来たことを告げているようでした。
佐田岬半島の付け根を貫通しているゴゼヶ峠の長いトンネルを越えて瀬戸内海側から宇和海側に入ると、黒潮の恵みでしょうか、どこか違った生暖かい明るさのようなものを感じました。妻の実家のお墓は臨済宗大宝寺の裏手高台にありますが、私はこの墓地から見える八幡浜湾や港の風景が大好きで、昨日は運よく九州からフェリーが入港する様子を見ることができました。耕して天に至ると形容される向灘の段々畑も絵になる光景です。妻に言わせれば妻が子どもの頃の八幡浜は、佐田岬半島の要に位置して、半島や離島を結ぶ船が足繁く発着し、紡績工場などもある、トロール船の基地として活気ある街だったようです。
戦火に焼かれることも殆どなかったため、逆にそれが禍したかのように少し開発が遅れていますが、それはそれとして古い町並みが残っているので、どこか懐かしいノスタルジックな感じがするのです。縁あって妻と結婚してから、44年があっという間に過ぎましたが、約半世紀近くもこの街に通いながら見続けているゆえ、大好きな街の一つなのです。ただ保内からトンネルが開通し、そのトンネルの向うに更なる松蔭トンネルが三年後に出来れば、また人の流れが変わることも予想され、今からその備えをしておかなければ、通過する街になりかねないだけに、知恵の出しどころといったところです。
帰りには山回りを通り大洲臥龍の湯、オズメッセで買い物や食事を楽しみ、久しぶりに夫婦水入らずのひと時を楽しみました。
「春浅き 八幡の浜へ 墓参り 坂を登りつ 遠望楽しむ」
「40年 越えてこの街 行き来する 妻の生まれし 昔そこここ」
「九州と 四国を結ぶ 西玄関 フェリー到着 人・物乗せて」
「今は亡き 両親の墓 掃除して シキビ取替え 線香向け」