〇私の大好きな豊田漁港の見える風景
私が生まれ育ったのは下灘という小さな漁村です。今では海を埋め立てて漁民団地や運動公園などが出来て、昔のうらぶれた漁村の姿はどこにもありませんが、30歳まで過ごした漁村での思い出は、私の基底に深く焼きついて、年を経れば経るほど愛郷の思いは強くなる一方です。私は漁家の長男ゆえ、普通であれば同級生が辿ったと同じように漁師として、下灘で暮らす予定でしたが、水産高校で学んだこと、青年団活動を経験したこと、病魔に襲われたことが複合的に絡み合い、漁師を断念して26歳で転職し役場職員として、定年まで35年間勤めました。その間仕事の都合で住み慣れた下灘を離れ、今の場所に居を構えましたが、同じ町内移動だし下灘へも毎日のように出かけているので、普通は下灘のことなどことさらに考えることもないのです。
私は定年を期して人間牧場を下灘池久保の地に造り、この10年、訪れる年間千人もの人と人間牧場で様々な活動をしていますが、この地を選んだ最も大きな理由は、忘れてはならない私の原点である下灘の豊田漁港が見えることです。訪れる他の人には何の意味もないことですが、かつて母が存命中耕作していた、人間牧場から一望できる原風景は、私のとっておきのロケーションなのです。ウッドデッキから見える瀬戸内海・伊予灘の海も自慢の一つですが、ロケ風呂の押し上げ窓を開けて見える漁港は、何ともいえない味があるのです。みかん畑だった頃の名残の杉の木は、母の思い出につながっているため極力残していますが、杉の木を2本切って視界を広げ、両袖の杉の木で要らない部分を緑陰で隠すようにしたお陰で、いいアングルが保たれています。
豊田漁港には約100隻の漁船がいますが、普段は漁に出ているため殺風景です。下灘の漁師は火曜日と土曜日が休漁日なので、漁船が行儀よく係留している姿が見れるのは火曜日と土曜日、それに海が時化て漁に出られない日のみですが、私は漁船の係留している豊田漁港を見るのが大好きです。私が役場勤務時代に水産行政を担当して、漁業構造改善事業で造った水産物荷捌き所のウエーブの効いた屋根も、漁村の道具立てとして綺麗に見えるのです。自分の生活設計だとあと15年で自らの人生は終る予定ですが、せめてこれから毎年毎月この風景が見れたらと、ささやかながら淡い夢を抱いています。さあもう一分張り健康寿命を延ばす努力をしましょうか。
「ロケ風呂の 押し上げ窓を 押し上げて 豊田漁港の 見える風景」
「この風景 私の原点 ゆえにして これから先も 見続けたいと」
「素っ裸 時には風呂に 入りながら 過ぎ越し日々を 思いながらも」
「休漁の 日には漁船が 勢揃い 今日来た客に 自慢して見せ」