人間牧場

〇「貸した金は覚えているが借りた金は忘れる」と言うけれど・・・

 昨日顔見知りの人が突然わが家へやって来て、チャイムを鳴らしました。家族は全員出払っていて私一人だったので、「は~い」と返事をして玄関先へ出ました。その人は「失礼します」とかなりきちんと礼をして、「5年前あなたに借りたお金を返しに来ました。その節はありがとうございました。お陰様で何とかやっています」と裸で1万円札を私に手渡そうとしました。とっさの出来事なので「5年前」という言葉を頼りに、傷みかけた私のカンユーターが動き始め、「そういえばお金を貸したような記憶がある」ことに辿り着きました。

戻ってきた福沢諭吉
戻ってきた福沢諭吉

 私は役場に勤めていたこともあって、これまでにも何度か色々な人からお金の無心を頼まれました。その都度相手のことを思えば貸してあげたいのは山々でしたが、あいにく貧乏ゆえ貸すこともできず、加えて印かずぎで難儀をしたわが家や妻の実家の教えとして、「お金を貸す時は戻らないと思え」と家訓のように言われていたので、最大1万円以上は貸さないことにしてしていたのです。人間はお金を借りる時は天国で神や仏にあったように借りる人を恩人と思いますが、借りた金の督促をされるとまるで地獄で閻魔大王に会ったように貸してくれた人を恨むものです。

 「貸した金はいつまで経っても覚えているが借りた金は忘れる」とはけだし名言でしょうが、5年も前のことだし1万円の小額なので、その人にはこの5年間何度も会っているのに思い出すこともなくすっかり忘れていたのです。その人は深々と何度も頭を下げ、「助かりました」とお礼を言って帰って行きました。私はこのことをなかったことにするため、手持ちの貯金箱へ4つ折にして投函しました。わずかばかりのお礼だと持って来てくれた、袋に入ったナスとキウリを快く受け取りました。
 人は困った時藁をもすがる気持ちになるものです。貧乏ゆえ大した手助けや人助けもできず今を生きていますが、借金だけはしたくないというのが正直なところです。

 私たちは子どものころから「貯めてから使う」ことを教えられました。ゆえに借金をすることの罪悪感があります。家を建てる時銀行でローンを組みました。その返済計画を見て、返済金の元本と利子の関係に驚き、繰り上げ償還をして苦悩から開放された記憶は、今も夫婦ともども忘れることのできない思い出です。現代はカード決済が主流となり、「使ってから返す」時代となりました。ポイント稼ぎのためにカードを作り、隠された手数料を払うシステム等どこ吹く風です。知らず知らずのうちに携帯電話も日々の暮らしで使っていて、支払いは後払いです。気を引き締めないと・・・。

  「あの時の 借りた金だと 言われたが すっかり忘れ 福沢諭吉」

  「その人に すれば私の 顔見れば 苦痛だったに 違いないはず」

  「貯めてから 使えと親父 教えたり その甲斐あって 借金もなく」

  「金借りる 時は神様 仏様 返せ言われりゃ 鬼に思える」

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人間牧場

〇美しい笑いは家の中の太陽である

 イギリスの小説家サッカレーという人が、「美しい笑いは家の中の太陽である」と言っています。何げなく日々の暮らしをしていると、中々気付かないことですが、流石にこの歳になる「お金持ちになりたい」などというさしたる欲望もないため、笑って暮らせる幸せを時々思うのです。わが家には妻と若嫁の二人の女性がいます。いわゆる嫁と姑ですが、世に言う嫁と姑の確執も今のところはなく、二人とも笑顔の絶えない暮らしをしてくれています。

 言葉も穏やかで、特に95歳の親父の世話を長男を含め家族ぐるみでしてくれています。昨日土曜日は台風接近ながら、親父がデイサービスに行く日で、ほぼ定刻どおり午前9時、特老夕なぎ荘から迎えの車が来ました。妻は仕事に出かけた後でしたが、若嫁が妻の用意した着替え等の入ったバッグを持ち、玄関先から雨の中を傘を差して車まで連れて行き、笑顔で手を振って「行ってらっしゃい」と見送ってくれました。いやはや絵になる光景に思わず心が熱くなりました。

 昨日は台風接近ということもあって特老から午後1時頃電話が入り、「昼ごはんを食べたら連れて帰ります」とのことでした。若嫁は帰宅時も見送りと同じように笑顔で「お帰りなさい」と迎えてくれました。一事が万事若嫁と妻の笑顔は、まさにわが家にとっては2つの太陽のようです。笑顔に思いやりの言葉が添えられると、太陽は一層輝きを増します。二人の内孫の泣き笑い声も加わり、まあそれ程豊かでもありませんがそれなりに幸せな家庭を築いています。

 わが家で一番問題児は私だと自覚しています。わがままで亭主関白で、時々怒鳴って妻から教育的指導も受けています。今のところ「亭主元気で留守がいい」とばかりに、外に出る仕事がそれなりにあるし、妻もそろそろリタイアといいながら、近所の歯医者さんに勤めていて、ニアミスの機会が少ないのがいいのかも知れません。私は間もなく本物のシルバー70歳を迎えます。これからの生き方こそ大事だと自分に言い聞かせて、老後の暮らしの準備を始めていますが、これからも二つの太陽に照らされて、穏やかな暮らしをしたいと思っています。それは私次第かも・・・・。

  「気がつけば わが家に太陽 二つある 笑顔マークで これまた結構」

  「気付かぬが 二つの太陽 幸せと 感謝をせねば 大罰当たる」

  「貧乏な 暮らししてるが 太陽が 心ほのぼの 温めてくれ」

  「高齢の 親父時々 幸せと 言葉に出して 感謝してくれ」

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人間牧場

〇徳島県から視察研修にやって来ました(その2)

 昨日私の元へ研修にやって来たのは、徳島大学地域システム領域3年の女学生でした。「地域イベントの活用に関する研究」のために夕焼けプットホームコンサートを事例にしたようで、研究のフローを①はじめに、②研究対象の概要、③イベントの企画・計画、④イベントの実施状況、⑤イベントの評価、⑥考察と分析、⑦地域活性化イベントの活用、⑧他イベントへの提案の8段階に分けていました。

下灘駅にて
下灘駅にて

 見れば既に私の自著本「昇る夕日でまちづくり」を携帯していて、おおよその内容は事前研究していました。実は夕日によるまちづくり物語はこの煙会所から始まっているのです。青年のたまり場・カタリバとしてわが家の敷地内に造った煙会所に、青年たちを集め町の活性化について大いに語り合いました。今で言うワークショップのようなもので、酒を飲みながら板間にチョークで幾つもの夢を描きました。

P1120304 勿論夕焼けコンサートもその一つでしたが、どこにでもありふれた夕日をことさら地域資源にするという私の着眼発想は、反感反目反対され最初から前途多難でした。幸い長年青年の指導をやっていたこともあって、青年と大いに意気投合し、夕焼けプラットホームコンサートは実施に向けて第一歩を記したのです。約千人の参加を得て成功したコンサートは、町のその後のまちづくりに深く関わり、紆余曲折を経て今に至っています。

 聴きたいことを約一時間ばかり話したつもりで、その後下灘駅を見に行きました。あいにくの天気で夕日を見たいという彼女の願は叶いませんでしたが、もう30年近くも前に初めて下灘駅のプラットホームで行なった、過去のコンサートの様子を思い出しました。東京から来たという若い男性が駅舎の中で雨宿りをしていて、会話をしたり雑記帳「ウフフ」に目を通したりしていると、偶然にもマッチ箱のような一両立ての下りのワンマン列車が印象的に入ってきました。

 その後シーサイド公園まで戻り、じゃこ天のおばちゃんからラブじゃこ天、UFじゃこ天、じゃこカツなどをいただきながら雑談をした後、私は次の予定があるので午後4時頃、彼女と再会を約束して分かれました。夕焼けコンサートにも是非来たいと言っていたので、人間牧場へは次の機会にしようと思っています。これからは彼女とメールをやり取りしながら研究の成果が得られるようサポートしようと思っています。

  「徳島の 大学生が やって来た イベント研究 まず煙会所」

  「座布団を 敷いて囲炉裏を 取り囲み 聞きたい話 一人しゃべくる」

  「雨風情 下灘駅も おつなもの 東京青年 一人寂しく」

  「またおいで 再会約し 分かれたが その後無事だか 少し心配」

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〇マムシ発見

 田舎に住んでいるとムカデやクモやヘビに時々出くわします。ムカデやクモはそれ程恐ろしくありませんが、ヘビだけは気持ちが悪く、いきなりヘビに出くわすと心臓が止まりそな衝動に駆られます。普通のヘビは人間に出くわすと、そそくさ草むらに逃げて行きますが、マムシは人に危害を加える恐れがあるので、殺さなければならないのです。

怖かったマムシ騒動
怖かったマムシ騒動

 3日前の昼、散歩をしていて中学校近くのコンクリート舗装道路の上で、マムシを見つけました。周囲を見渡したものの手助けしてくれる人も見当たらず、そこら辺にあった竹棒で残酷ながら叩き殺しました。さてその死骸をどうするか思案していたところへ、畑の持ち主の人が田圃の水を見にやって来ました。竹棒を持って血走った私の姿を見てその人は、「よくぞ見つけて殺してくれた。危ないところだった」と感謝し、軽四トラックの荷台に積んでいた空の肥料袋の中に入れ、処分するといって持ち帰ってくれました。

 普通のヘビとマムシさえ区別をつけにくい私ですが、今回の大捕り物でマムシがどんなものかよく分ったような気がしました。マムシは生け捕りにして一升瓶の中へ入れてから泥を吐かせ、焼酎につけると精力剤になると聞いていますが、おっかなびっくりの私にはとてもそんな余裕はなく、竹棒で撲殺するしか方法はなかったのです。マムシを殺したこともあってこの日はどこか気持ちが悪く、夕食の食欲もわきませんでした。人に話すこともできず、こうしてそっとブログに出来事の顛末を書いて記録に留めました。

 今台風が通過している奄美大島の瀬戸内町へ講演で招かれた折、有害鳥獣として買い上げたハブを、役場裏のブロックで作ったタンク内に保管している様子を見せてもらったことがあります。1匹数千円で買い上げたハブは、漢方業者に高値で売買されると聞きましたが、今思い出しただけでも背筋が凍るような体験でした。私が撲殺したマムシはその後どんな末路を辿ったのでしょうか。思い出したくないのに思い出す顛末でした。

  「何げなく 散歩の途中 うずくまる マムシに出会い 心臓パクパク」

  「そこいらに あった竹棒 振りかざし マムシ叩いて 撲殺無残」

  「道横の 畑持ち主 感謝して 肥料袋に 死骸ポイ入れ」

  「何年か 前に訪ねた 奄美島 タンクの中で ハブがうようよ」

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人間牧場

○注射嫌い

 私は子どもの頃から注射が大の苦手で、小学校で予防注射がある日は「腹が痛い」と嘘をついて学校を休んだりしましたが、結局は一人で診療所へ行かされ、注射をされました。 今日は県立中央病院へ診察に来て、いきなり検査のための採血注射をされてしまいました。顔を歪めて採血する私の顔を見て、看護師さんは「その顔で」と言わんばかりに笑っていました。

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○世界一幸せな男

 今朝西予市宇和町明間に住む佐藤正治さんから電話が入りま した。通称マーちゃんとは無自の親友で、これまでにも色々な交流をしてきました。佐藤さんはホンネ共和国の大統領で、由利島共和国の大統領である私と同列のパロディ人間で、近々ツチノコ探しをすると意気込んでいました。 佐藤さんは観音水を名水百選にしたり、観音水でアマゴの養殖を成功させていますが、私が塾長を務めたフロンティア塾にも参加して、多くの人と今も交流を続けています。 佐藤さんは長男家族と同居して穏やかな暮らしをしていますが、息子や孫と暮らせるささやかな喜びを「世界一幸せな男」だと言っています。佐藤さんが世界一ならさしずめ私は「世界一」ならぬ「世界二」かも知れません。

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〇孫たちも一緒に黙祷しました

 昨日は69年前広島に原爆が投下され多くの犠牲者を出した日です。私は昭和19年、妻は昭和20年生まれですから、私たちの年齢と戦後が同じ年数であるため、毎年この日は特別な日として迎えています。昨日は市役所が有線放送で原爆が投下された午前8時15分に、サイレンを鳴らして黙祷を促したため、わが家でも玄関先で全員が立ったまま黙祷をしました。丁度この時間は孫希心が学堂クラブへ、孫奏心が保育園に出かける時間だったので、孫二人にも黙祷をさせました。

 孫たちはこの奇妙な大人の姿に驚いたのか、黙祷が終ると「どうして眼をつぶるの」と色々聞き返して来ました。私と妻が戦争のことや原爆のことについて話をしてやりましたが、孫たちの「何故?、どうして?」の質問にたじたじでした。私たち夫婦は戦後の貧しい暮らしはおぼろげながら覚えているものの、「戦争を知らずに育った世代」なので、戦争を語り継ぐことさえできなくなっているのです。被爆体験を語れる人も高齢化し、少なくなってきました。わが家でも戦争経験者は95歳の親父だけで、その親父も年老いて忌まわしい戦争の記憶を語ろうとはしないのです。

 孫たちに戦争を語ってやることは平和教育です。このような平和な暮らしができるのも戦争で犠牲になった人のお陰だと、思う気持ちをどう孫たちに伝えればいいのか、正直言って心もとない限りです。イスラエルやアフガニスタンでは未だに流血が続いて多くの犠牲者が出ています。日本では福島原発事故や集団的自衛権の閣議決定以来、国内を二分する議論が続いています。昨日の平和宣言で広島市長が「戦後69年間戦争をしなかった事実」と述べた平和の重みをもう一度、しっかりと考えなければなりません。
 黙祷を一緒にした孫の頭や心にどんな想いが浮かび、私たち大人はどんな想いを浮かばせてやったのでしょうか。反省しきりでした。

  「サイレンを 合図に黙祷 孫たちと 何で?どうして? 孫矢継ぎ早」

  「妻の歳 私の歳も 早六十九 戦争知らず 育った世代」

  「孫たちに 先争話す 義務がある 平和教育 どうすりゃいいか」

  「言うことは どちらも正しい 思うけど どちらも不安 どうすりゃいいの」

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〇親子カルチャースクールの打ち合わせ

 昨日は8月24日に近づいた、親子カルチャースクールの打ち合わせ会を自宅でやりました。打ち合わせ会といっても私と浜田さんとたった二人だけの会なのです。一昨日相談していたとおり浜田さんは松山から午前9時に自宅へ来てくれました。早速①プログラムの練り直し、②当日の運営、③準備スケジュールなどについて話し合いました。浜田さんはこの日のために原案を作成していて、愛媛新聞から送られてきている資料と付け合せしながら、どうすれば親子が楽しい思い出を作れるか知恵を絞りました。

 候補に上ったメニューは、ツリーハウスの中へ蚊帳を吊り、カブト虫を放して親子で捕まえてもらってはどうかという話で盛り上がりました。この時期この時間にクヌギ林でカブト虫を採集することはできないので、苦肉の策です。このアイディアは親友松本さんのアイディアで是非やるつもりです。また折角蜜蜂を飼っているので、蜜蜂の巣箱を見せてやることも考えました。今年の蜂蜜は既に収穫しているのでこの日までに瓶詰めして、親子でラベルを作る作業もしたいと思っています。まさに世界で一つだけのマイ蜂蜜なのです。これ以外にも足湯、木登り、薪割り等を体験してもらい、お昼はピザづくり体験とかまどご飯・味噌汁を作ろうと思っています。

 当日の運営スタッフは私と浜田さんと松本さん、それに息子にお願いしようと思っています。スケジュールの中には私の話も組み込まれているので、私の作戦も練らなければなりませんが、前日の準備などそれなりの話を確認した後、二人で現場を見るため人間牧場へ出かけました。何百回と出かけて分っているつもりでも、出かけなければ分らないことがあるものです。特に衛生管理に気をつけようという話も、先日衛生管理責任者の資格を得るため講習会に出かけた経験から話が出て、熱中症を含めた対応にも大いに納得しました。

 帰宅途中下灘コミセンで開かれている読み聞かせ隊の紙芝居作り会場を訪れ、楽しいひと時を過ごしました。またシーサイド公園のじゃこ天のお店で、漁協女性部のおばちゃんたちと雑談し、しらす丼をご馳走になり満腹の手合いでした。気になっていた親子カルチャースクールのプログラムもどうにか動き始めました。このプログラムは今年の夏を締めくくる大事なものです。くれぐれも事故のないよう、そして感動を与えられるよう頑張りたいと思っています。

  「間もなくに 迫った親子 カルチャーの 打ち合わせ会 たった二人で」

  「何百回 知ったつもりも 現場見りゃ 気付かぬことに 気付く愚かさ」

  「この夏も 小さい感動 積み重ね おらが人生 笑い飛ばして」

  「あれやこれ 相槌打てる 友がいる 大事にせなば 罰が当たるぞ」

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人間牧場

〇降り過ぎる雨(実況)

 動きの遅かった台風12号が朝鮮半島に去り、温帯低気圧になりました。台風に向かって吹き込んだ温かくて湿った空気の影響で、四国の太平洋側では降り始めてから僅か4日間で、1000mmもの雨が降り、各地に大きな被害をもたらしましたが、幸い私たちの町は瀬戸内海に面しているので、大した被害もなく雨の峠を越えたようです。

雨風受けて威勢よく回る車庫上の風車
雨風受けて威勢よく回る車庫上の風車

 ところが今朝4時過ぎ、雨音で目が覚めるようなかなり激しい雨がわが家周辺では降りました。短時間でしたが「バケツをひっくり返すような」と表現したくなるような雨でした。わが家はこれまで2度裏山の土砂崩れ被害に遭っているので、妻は気が気ではないようで、安眠を貪る時間でしたが起きて、裏のトタン屋根を叩く雨音を聞きながら、心配な様子でした。

 雨は時として強風を伴い、裏の外に干していた発泡スチロールのトロ箱が音を立てて飛び交っていました。このところ開店休業状態だった息子の風力発電用風車も、バクつくような南西の風を受け、音を立てて回っています。この1週間四国地方は台風12号に翻弄されましたが、追い討ちをかけるように台風11号が本土を伺っていて、不安定な天気は今週いっぱい続くものと思われます。

 ただ幸せなことに、そろそろみかんの木に潅水をしなければと準備をしていた農家にとっては、値千金の恵みの雨だったようで、「ええ大涙だった」と会う人会う人喜びの声を掛け合っていました。適当なお湿りは恵みをもたらしますが、限界を超えた雨は厄介ものです。実況中継をしたくなるようなかなり激しい雨がまた降り出しました。夏の雨は馬の背を分けるといわれるように局地的に降ります。人間は勝手なもので、今は「もう雨は沢山」と降り出した雨を少し憎らしく思う朝でした。

  「降り過ぎた 雨に翻弄 された日々 累積雨量 千ミリ越えて」

  「5日前 一雨欲しいと 雨乞いを していた私 今はうんざり」

  「トタン屋根 叩く雨音 目覚ましに なったようだと 妻は心配」

  「蜜蜂も 飛びたいけれど 飛べないと 軒先借りて 雨宿りする」 

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人間牧場

〇節倹は大いなる収入である

 私のように第一線を退いて年金で生計を立てている高齢者にとって収入は、余程のことがない限り2ヶ月に一度自動的に振り込まれる年金以外には望むべきもないのです。わが家は妻が近所の歯科医院へパートに出かけて少しばかり家計を補ってくれているので大助かりですが、それも間もなく妻の退職でなくなると、いよいよ本当の老後の生活が始まるのです。妻はこれまで安月給だったわが家の家計を切り盛りし、家を建てたり、四人の子どもを教育して自立させてくれました。今こうして借金もなく、加えて私が地域づくり活動をのんびりとできるのも妻のお陰と、面と向かって口では言いませんが、やはり感謝しなければならないのです。

10%消費税貯金箱
10%消費税貯金箱

 出費を控えめにして質素にすることを「節倹」といいます。さりとて車も携帯電話もなければ困る現代生活ですから、いくら節倹を心がけようと思っても税金を含め、毎月決まったような出費がかさみ、消費税増税や物価高も追い討ちをかけ、家計は苦しくなるばかりです。
 今朝書斎の板壁に吊るしている日めぐりカレンダーを一枚めくると、今日8月4日の言葉は「節倹は大いなる収入である」と書かれていて、30年を越えて金融広報委員会から委嘱を受け、金融広報アドバイザーをしていたり、年輪塾で二宮金次郎の「質素倹約」について2年間学んだことのある私は大いに同感し、意を強くしました。

 折りしも3日前、孫希心の夏休みの宿題で貯金箱作りを手伝い、また先月金融広報委員会の依頼でウィークリーえひめというタウン情報誌に、「貯金箱の思い出」と書いた記事を出稿したこともあり、加えて先日八幡浜市川上地区公民館で子どもや大人を対象に、金銭教育の指導をした矢先でもあるので多いに納得しました。
 私は今年の正月、郵便局から貰ったポスト型の貯金箱に、「10%消費税貯金箱(1日10円)と書いた小さな貼り紙をして、貯金箱目的貯金を始めました。1日10円だと1ヶ月30日で300円、1年365日だと3650円ですが、買い物をしたお釣の小銭もできるだけ入れるようにしているので、まだ7ヶ月しか経っていないのに、振ってみると中の小銭がジャラジャラと音を立てて、結構貯まっているようです。

 私が今一番欲しいのは一眼レフのデジカメです。古いのを含めるとデジカメは3台持っていますが、これらはブログ用で簡易なため深度が浅く、腕の未熟さも手伝って思ったようないい写真が撮れないのです。そこで考え付いたのが消費税貯金箱のアイディアでした。多分一眼レフのデジカメを買うのには3年~5年くらいかかりそうですが、別に急ぐ訳でもないのでこれくらいのスローな生き方がいいのかも知れません。「買ってから支払う」のが現代の世相ですが、私はあくまで「貯めてから買う」という主張を貫こうと思っています。倹約が生む収入は私の人生を「買えないのではなく買わない」という意志の強い人間に育てています。これからも節倹を旨として生きて行こうと思っています。

  「日めぐりの 今日の言葉に 節倹と 書いてある見て なるほど納得」

  「節倹は 小さいけれど 私には 大きな収入 年金暮らし」

  「買えないと 思えば惨め 買わないと 心決めれば 清々しくて」

  「消費税 10%の 貯金箱 知恵さえあれば 貯めてから買う」

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