人間牧場

〇今月今日の私の自画像

 「自分で自分の写真を撮る」ことは多少恥じらいがあります。ましてやそんなに二枚目でもなく(いや、もっとない)、顔に自信のないコンプレックスを持っているとなればことさらで、写真に写る機会があればいつも、目立たないような隅位置に陣取って来ましたが、2~3年前からその考えを改め、せめて月に1度程度は自画像を撮ろうと心に決めて、折に触れてデジカメの自動シャッターを使って自画像を撮り、記録のつもりでブログにアップしています。

これからの人生で一番若い今朝の自画像
これからの人生で一番若い今朝の自画像

 今朝も何を思ったのか自画像を撮ろうと急に思いつきました。カメラを木になるカバンから取り出し、机の横に置いているプリンターの上に置き早速撮ろうとすると、パジャマのままであることに気がつき、慌てて普段着に着替えました。3日前に1ヶ月に一度の散髪を終えていますが、今朝は髭も剃っていないので不精な顔つきです。こうして思いつくまま不定期ながら1ヶ月に1枚程度顔写真を撮ると、先月と今月の差は余りないように見えるのに、3年前とは明らかに顔相が少し違って見えるのです。

 私が自画像を撮っていることを妻は知っているので、冗談交じりに「お父さんはいつ死んでも遺影には困らない」と言われていますが、季節の変わり目とでもいうのでしょうか、一昨日も昨日も近所にご不幸があって、仕事の都合で葬儀には参列できず、不義理ながら友人に香典を預けなければならなくなりましたが、争議に参列する度に遺影について考えさせられるのです。その話をすると「縁起でもない」と妻は時々言いますが、さて私もそろそろ遺影に使う自画像を撮っておきた気がしています。

 今朝の自画像は自分の書斎でブログを書いている「在りし日」の若松進一です。「在りし日」と書いたのは、写真を撮った時間がたとえ数10分前であれ、その時はもう過去のものになっているからです。自分のこれまでの人生はさておいて、これからの人生では今が一番若いという事実もあるのです。老いの下り坂をブレーキをかけながら生きている自分をどう見つめながら生きるのか、これまで働いていた遠心的視点が、求心的視点に変わってきたことを実感した朝でした。

  「自画像を 臆目もなしに 月一で 撮ってはブログ 記録に残す」

  「ご近所で 葬儀続いて 少しだけ 自分行く末 思って暮らす」

  「遺影用 そろそろ準備 しておこう 縁起でもない 妻に怒られ」

  「遠心が 求心変わり 始めたと 実感しつつ 日々を生きてる」

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