人間牧場

〇人間の目に見えない世界

 今日は8月15日お盆です。お盆になると日本中で民族の大移動とでもいうべき珍現象が起こります。多くの人がふるさとを求めて西に東に北に南に動くのです。時にはそのことで道は大渋滞を起こしますが、これも一年に二度ある(お盆とお正月)想定内の出来事と納得しているようで、ある部分同情もしますが、先祖のお墓参り等はせず国外の観光に出かけて、バカンスを楽しんでいる人も多く、時代の変化を強く感じる今日この頃です。

 わが家は昨日の朝家族が玄関先へみんな出て、妻の用意した麻殻をへし折って迎え火を焚き、先祖の霊を迎えました。この風習は長年続いてきたわが家の伝統行事で、長男の嫁である妻は朝早く起きてお料具膳を作り、茶果とともに仏壇に供えていました。今朝も2日目のお料具膳を朝早くから作っていたようですが、今夕には送り火を焚いてご先祖様ご一行をお見送りするのです。たった一泊二日の出来事ですが、亡くなって久しい今は、亡き祖母や母の思い出に浸るのも、正直な話1年に一度になってしまいました。

 順番から行くと私たち夫婦が亡くなったら、この風習は当然長男の嫁である若嫁に引き継がれる予定ですが、傍でじっと見ている若嫁にもうそろそろ伝授しなければならない日も近いようです。息子たち夫婦のダイニングに仏壇も神様棚も備え付けています。ゆえに若嫁は毎日お茶とを欠かさず、仏様のシキビや神棚のサカキが枯れそうになると、「お父さん、シキビとサカキをお願いします」と頼まれます。私はその都度人間牧場や菜園に出て、シキビとヒサカキを切って来て若嫁に渡すのです。

 仏壇も神棚も目に見えますが、「何のために」と言われれば、それは精神的なもので目には見えない世界です。ゆえに言葉での説明は中々できにくいものです。でも私たちは目に見えない何かで先祖とつながり、先祖の庇護の基に生きています。祖母や母が存命中何かにつけ言っていた生き方言葉は、何かに躓いた時蘇り、私たち夫婦を誡めています。私たち夫婦はまだ未熟でそんな言葉も持ち合わせていませんが、何年か先鬼門に入れば、折に触れ息子たち夫婦の他愛のない話を、笑い話の中で思い出してくれるのかも知れません。毎年お盆が来る度に「人生とは何ぞや」「人間とは何ぞや」と考えさせられます。

  「今年も お盆が来たと 迎え火を 焚いて先祖の 霊を迎える」

  「目に見えぬ 先祖の霊に 手を合わせ ご加護を祈る 弱き人間」

  「長男の 嫁は何かと 忙しい お料具膳を 炊いて歓迎」

  「人生や 人間何ぞや 考える お盆の度に 毎年毎年」

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