人間牧場

〇わが家の家庭菜園でジャガイモ植え

 わが家の家庭菜園で、このところの寒波襲来で延び延びとなっていた、毎年恒例となっているジャガイモの種芋植えを行ないました。2週間前にホームセンターで男爵3kg、北あかり5kg、出島2kgの種芋を買って帰りましたが、この2週間東京に大雪を降らせた大寒波の影響で、本尊山や牛の峰山周辺は毎朝雪で真っ白になるほど冷え込み、畑にも白い霜が降りるなどしたため、躊躇をしていたのです。その間畑に生えたハコベ草などの雑草や残菜を取り除き、石灰や牛糞などを畑にばら撒き、耕運機を入れて中耕したり黒いマルチをかけて準備をしていました。

家庭菜園のジャガイモ植え終える
家庭菜園のジャガイモ植え終える

 農作業の遅れを心配する、はやる気持ちをおさえていましたが、この2日間天気が安定したようだし、土も乾いたようなので寒波の心配はあるものの、思い切って農作業をやることにしました。自分の頭の中で立てた作付け計画に沿って、男爵、北あかり、出島の順に植えましたが、昨年の秋北海道佐呂間町のパンプキン武田温友さんから、送ってもらった男爵芋の一部を食べずに段ボール箱に入れ、ローカの隅で保存していたものも植えました。ジャガイモを植えた上に保温と在りかを示す籾殻を撒き、ジャガイモ専用の肥料を周りに撒いて作付け完了です。

 今年は仕事の都合で一昨日と昨日の二日間にわたって作業を行いましたが、何とか終えることができホッとしています。去年はジャガイモが大豊作で、近所にお裾分けをして「美味しい」と喜ばれました。毎日の食卓に頻繁にジャガイモを使う妻の反応も上々で、少し得意になっていたので、今年もせめて妻の鼻を明かしてやろうと虎視眈々です。
 季節を感じるように種芋には早くも芽が動いていて、北海道の武田さんから食用に頂いた芋は、芽がまるでモヤシのように延びていました。

 天気予報によると、先週と先々週東京や関東以北に大雪を降らせている、南岸低気圧が次々と発生して、日本列島すれすれを幾つも通過していて、その影響でしょうか昨晩から雨が降っているようで、ジャガイモ作付け後のお湿りは恵みの雨と受け止めています。もう1ヶ月もすれば植えたジャガイモが芽吹き始め、芽欠きや土寄せ、施肥や除草等を繰り返して、ジャガイモに白や紫の花が咲き終わる5月末か6月始めに収穫するのです。
 今年もジャガイモが大豊作であるよう祈っています。

  「春先に 作付け予定 ジャガイモを 少し遅れて 今年も植える」

  「中腰で 植えたお陰で 少しだけ 腰が痛くて 歳を感じる」

  「種芋に 三千円も 投資する 投資効果は 食卓にあり」

  「植えた芋 雨のお湿り 頂いて 順調育て 祈るばかりに」

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人間牧場

〇ポン菓子作りの研修

 先日上灘漁協女性部の松本洋子部長さんからお声がかかり、「2月15日の午後シーサイド公園の加工場で、ポン菓子作りの研修をするので参加して欲しい」と言われました。土曜日は人間牧場で子ども体験塾のジャガイモ植えが予定されているので、それが終ったら参加する旨伝えていました。ところがその日は講師の先生は、東京が大雪で飛行機が飛ばなくなったため、明くる日に延期する旨の連絡が入りました。私はあいにく明くる日は、午前と午後人間牧場へ来訪者があるので、その合間を縫っての飛び飛び参加となってしまいました。

購入したポン菓子製造機
購入したポン菓子製造機

 今回漁業女性部がどこかの助成事業を受けて購入するポン菓子製造機は、結構高価で優れもののようで、色々な素材を使って一枚一枚加工できる特徴を持っているようです。指導に東京から見えられた吉村文明さんという人は、ポン菓子機販売会社の社長さんでした。ポン菓子とはお米などの素材を熱と圧縮気圧で膨らませて作るもので、今回の機械は素材を選ばず何でもありのようでした。研修には顔馴染みの20人ほどの人が集まって、熱心に受講や実演、それに試食をしていました。第一印象は中々面白い機械のようでした。

試作したポン菓子の数々
試作したポン菓子の数々

 私が熱を込めてシーサイド公園を造って以来、もう20年近くが経過しました。その間じゃこ天や夕やけソフトなど、取り組んだ特産品開発のお陰で、すっかり有名になったものもありますが、それらに続く第二・第三の特産品作りを目指してこれまでにも今も、様々な取り組みが行われています。しかし次なる物は中々生まれにくいのです。こうした特産品開発はプロセスだけでは駄目で、結果が求められるのです。結果を出すためには新しい発想とひた向きな情熱に加え、消費者が興味を示し、食べて美味しいものでないと、儲けにはつながらないのです。試行錯誤をしていますが何とか製品でなく商品にしたいものです。

  「ポン菓子を 作る機械を 購入し 特産開発 思いを込めて」

  「じゃこ天や 夕やけソフトに 続こうと みんな熱心 嬉しいことだ」

  「リーダーは 次の次なる アイディアを 持っていないと 引っ張れないと」

  「作る次 どうして売るか 商売は 山また山を 越えるが如く」

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人間牧場

〇雪の九重町脱出劇(その4)

 福元屋で朝食と支払いを済ませ、玄関先や谷底の様子をデジカメで撮ったりしながら待っていると、役場の佐藤さんという若い素敵な女性職員が、午前7時きっかリ宿まで迎えに来てくれました。宿の女将さんに別れを告げて雪の坂道を上がると、雪かきに余念のないご主人に出会いました。今度の雪は余り記憶にないほど近年にない大雪のようだと話をしていました。
 役場の公用車は小回りの効く軽四箱バンタイプでした。後ろの席に座り早速5時間後の11時に到着するよう時間的余裕を持って佐賀関へ向け出発しました。

大雪が積った福元屋の玄関先
大雪が積った福元屋の玄関先

 雪道に行く手を阻まれ、立ち往生した何台もの車に行く手を阻まれ、またノロノロ運転の車に行く手を阻まれ苛立ちを感じながら、運転する佐藤さんに身を委ね色々な世間話に花を咲かせながら、国道210号線を走りました。高速道路は全て雪による通行止めが続いていたので、早く走る手立てもなく、いつか来た見覚えのある風景を思い出しながら車窓を眺めていましたが、竹薮の竹は春先特有の重い雪に頭を下げ、並行して走る線路沿いに覆い被さるように垂れ下がっていました。大分市内に近づくにつれ道の雪も少なくなって車のスピードが上がり、このままだと何とか船に間に合うようだと、少し安心して午後開かれる研修会の打ち合わせを携帯で行ないました。

 ところがその後思わぬ落とし穴が待っていて、国道10号線に入ると一転、雪装備していない車で渋滞しまったく動かなくなってしまいました。佐藤さんは自分のスマートフォンを使って友人のナビを受けながら、この難局をどうしたら脱出して時間通り目的地に着けるか、気を揉みながら国道を逆走して進み、やっとの思い出佐賀関に到着しましたが、10分ばかり前に船は時既に遅しで出航した後でした。佐藤さんに「遅れてすみません」と謝られましたがとんでもない話で、佐藤さんにはどれ程の心配や苦労をかけたことでしょう。一人で来た道を引き返さなければならない佐藤さんの身を案じながら、佐賀関港でお別れしました。

雪を掻き分けて
雪を掻き分けて

 佐賀関には私の親友渡邊又計さんがいます。佐賀関のフェリー乗り場から電話をかけてましたが、運よく自宅にいたため早速出会い、渡邊さんの車で近くの道の駅へ出かけ、美味しい関アジ、関ブリの定食を食べながら積もる話をしました。渡邊さんは再雇用も終えて、今は私と同じサンデー毎日の日々を奥さんと二人で、畑仕事に精を出しているようでした。渡邊さんは趣味でカメラやパソコンをやっています。私のブログも毎日のように読んでいて、何度か私のブログ1年分をCDにダビングして送ってくれたりするほどの技術を持っているのです。積もる話は山ほどあって、あっという間に時間が過ぎ、フェリーの時間が近づいたので港まで送ってもらい分かれました。私にとっては午後の会議に間に合わなかったものの、むしろ人間性を回復するいいカルチャーショックだったようです。佐藤さん、そして渡邊さんありがとうございました。

 

  「雪深い 山坂越えて 辿り着く 港辺りは 大風吹いて」

  「船に乗る 時間に遅れ 午後会議 欠席連絡 むしろ良かった」

  「雪道を 難儀をしつつ 港まで 送ってくれた 女性見送る」

  「ハプニング 出会いのお陰 親友と 久々積もる 話ができた」

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人間牧場

〇九重町野上公民館でのまちづくり講演会(その2)

 九重町は平成の大合併をせず単独で残っている町です。そのため人口は1万人余りの熊本県と県境を接する小さな山あいの町ですが、高速道路が入っていて大分や別府は勿論のこと博多や佐賀、熊本にも近くすこぶる便利な町なのです。聞き及べば一時流行った公民館から公民館職員を引き上げる方法が取られていましたが、最近になって再び公民館職員が配置されたそうで、公民館がコミュニティセンターに衣替えする風潮に逆行する流れの中で、嬉しい朗報を聞きました。あいにく公民館職員は東京へ出張していましたが、役場職員OBがまちづくり協議会のお世話をしていて、何か始まりそうないい予感を感じました。

 この日の講演会は田舎らしく平日の夜に開かれました。しかし田舎の夜の、しかも雪が20cm以上も積もる悪天候では、危なくて来たくても来れない人が多いのです。私が控室で会長さんや事務局長さんと話をしている最中も、ひっきりなしに欠席の電話がかかって来ました。急遽会場の椅子を講義方式から座談方式に席を並べ替えたりして準備をしましたが、集まったのは20人弱でした。主催した会長さんも事務局長さんも盛んに人数の少なさに恐縮していましたが、私は10人もあれば地域づくりはできるので、気にすることなく時間通り講演を始めました。用意したマイクを使わず、意識して地声で約2時間意見交換も含めて喋り続けましたが、皆さん熱心に聞きながらメモを取る姿がとても印象的でした。

 地域づくりにとって人数は余り問題ではなく、やる気の人たちがどうアクションを起こすかが重要なのです。質問に答えて運動と活動の違い、すなわち戦略と戦術の違いについて話をしました。町を美しくするというのは戦略です。掃除をしたり看板を立てたり、花を植えるのは戦術です。地域づくりの大切さは論を待ちませんが、「なぜ、どうして」の理論体系がしっかりしていないと、地域住民を正しい方向に誘導することはできないのです。
 今田舎では高齢化と過疎化、それに少子化が同時に進行し、縮む社会へと突き進んでいます。こんな地域は諦めると完全にゴーストタウンになる危険性があります。行政は地域の自立や共同と参画の必要性を声高に言っていますが、やるのは地域住民だと、財政難や人手不足を理由に何の手立てもせず放置しています。遠のく行政サービスの中で住民は不安を隠せず、細々と生きています。行政の無策を批判しても何の解決もできません。要は私たちが田舎暮らしに自信を持って楽しみながら生きることなのです。

  「雪のため 来たくて来れない 人ありて 次から次へ 電話が入る」

  「人数は 少ないけれど やる気の人が 多く集まる」

  「熱心に メモをしながら 講演に 聞き入る姿 いやはや嬉し」

  「田舎では 色々問題 あるけれど 楽しく生きる それが第一」

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人間牧場

〇出張先の大分県九重町から無事帰って来ました

 昨日と今日の二日間は、出張先の大分県で、思わぬ大雪にたたられ、午後予定されていた私のスケジュールも船に乗り遅れたためキャンセルとなってしまいました。一度自宅に戻ってから急いで松山へ出かけて交流会に形だけ参加して顔を見せ、只今疲労困憊の面持ちで自宅へ帰って来ました。何はともあれ多くの方々のお骨折りで無事大雪の中から無事生還したため、妻も喜んで迎えてくれました。ゆえに今夜は短文のブログ文章で終わり、これから風呂に入っていつもより早目に床に就きたいと思います。旅の報告は明日にでも・・・・。お休みなさい。
 追伸
 東京へ出張中と聞き及んでいた大分の縄田さんから、心配のメールが届いていました。

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人間牧場

〇久しぶりの史談会出席

冨田さんがFace bookにアップした写真
冨田さんがFace bookにアップした写真

中々日程が合わず、二ヶ月に1回行なわれる双海史談会の定例会に出席できず、前回も叔父と叔母の法事と重なり、一旦は申し込みをしてたのにキャンセルしてしまい、心苦しく思っていますが、昨日の夜は別の呑み会の誘いを断わり出席しました。例会には寒い時期なのに、松尾の竹田さんも毎回出席していて、頭の下がる思いがしています。昨日は新会員として日本常民文化研究所特別研究員の萬井良大先生も参加していて、自己紹介がてらスピーチを聞きましたが、萬井先生が愛媛新聞カルチャースクールで開講している、「ほんとうは面白い伊予の中世」は、聞いて見たいようなお話でした。

新しく入会した萬井先生
新しく入会した萬井先生

 昨日は長年取り組んできた祠堂調査の完結に向けて、木曽会長さんのお骨折りで印刷が進んで、このほど出版ができるようだと報告を受けました。人の上に立つ人はこうでなければならないと、あらためて敬意を表した次第です。
 昨日は双海町の土地台帳に記載されている小字について、コピーして配布してもらった資料を元に、多いに話が弾みました。萬井先生や双海町の土地調査に長年携わってこられた岩岡さんや大森さんの解説も興味深い話が沢山ありました。

 私が教育長をしていた現職の頃、2年間で双海町誌の改定版を編集した時の担当が、派遣社会教育主事だった現事務局長の中尾先生でした。職責上編纂委員長を私が務めましたが、史談会の主力メンバーとして活躍した方々が、中心になって立ち上げた史談会ですが、初代会長として指導を受けた中嶋都貞さんも既に亡くなられ、少し淋しい感じもします。でも史談会は知らないことを沢山学ばせていただいているのです。知的集団だけに私などのような者は門外の気もしますが、枯れ木も山の賑わいです。これからもしっかり参加してカルチャーショックを受けたいと思っています。

  「日程が いつも重なる 史談会 呑み会誘い 断わり参加」

  「人の上 立って頑張る 会長の 真摯な姿 見習いたいと」

  「新会員 一人入って 厚み増す 中世歴史 プロの先生」

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人間牧場

〇白い割烹着の女性

 ある女性の科学者がトレードマークのような白衣を着ずに、白い割烹着を着て実験した様子が人気を呼び、最近巷では白い割烹着がえらい人気のようです。割烹着の元は日本女性の和服に合わせて作ったエプロンだそうですが、和服の上にさりげなく見につけている白い割烹着はとても清楚で、亡き母や祖母も愛用していた古い時代を知っているゆえに、どこか懐かしく郷愁を誘うのです。

 私が酒を愛していたころは、ホームグランドだった松山市内には、行きつけの居酒屋が何軒かあって、一次会が終れば親しい仲間を誘って、必ず二次会に繰り出しその居酒屋へ順番に立ち寄って、他愛のない話に花を咲かせたものです。その居酒屋に白い割烹着の似合う女将さんがいる店が3軒ありました。「美杉」「いよじ」「六五呂」というお店です。いずれも間口の狭いカウンターと、奥まった所に四畳半が一部屋あるだけの小さな居酒屋でしたが、金の持ち合わせがなくても付けで飲ませてくれる安い店でした。

 「美杉」は二番町、「六五呂」は北京町、「いよじ」は市駅前にあったため、一次会の流れで立ち寄りましたが、この三軒の店で、白い割烹着を着た女将を相手に、どれ程の夢や愚痴を語ったことでしょう、私が体の都合で酒を止めたため自然にそのお店から遠ざかりましたが、「美杉」と「いよじ」は女将さんの高齢と経営難でお店をたたみましたが、「六五呂」はまだ続けているようなので、近々に一度覘いてみようと思っています。

 先日妻が、白い割烹着をつけて料理をしていました。鼻歌交じりの楽しそうな妻の白い割烹着姿に、忘れて久しい居酒屋の女将の白い割烹着姿を、妻には失礼ながら重ねてしまいましたが、妻の割烹着姿も絵になり、少しだけ惚れ直しました。日本人の暮らしが洋風化し、和服を着る機会も白い割烹着をつけた姿を見る機会も、どんどん減って来ましたが、やはり日本の食文化や着物文化には白い割烹着がよく似合うようです。

  「居酒屋の 女将の白い 割烹着 目に焼きついて 思い出しつつ」

  「酒に酔い 夢・愚痴何度 語ったか 白い割烹着 女将相手に」

  「割烹着 妻の姿に 惚れ直す 居酒屋遠く 思い出彼方」

  「白割烹 清潔感が 漂いて 作る料理も 美味しく感じ」

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人間牧場

〇二つのことで感心な息子

 わが息子を誉めるのは一の馬鹿かも知れませんが、いつも感心していることが2つあります。まず一つはわが家のトイレの掃除です。わが家には1階に1ヵ所、2階に1ヵ所、隠居に1ヵ所、私設公民館煙会所に1ヶ所と合計と4ヶ所もトイレがありますが、1階と2階のトイレは大体1週間に1回程度息子がピカピカに掃除をしてくれているのです。同居を始めるため家を設計士をしている息子の設計で大改造した折、「トイレは文化だ!!」という息子の言葉に諭されて、わが家には似つかわしくないような立派な全自動のトイレを設置しました。金を出すのは親、使うのは自分たちという少し身勝手な息子の発案による大改造に、思わぬ出費がかさんでしまい気を揉んだ妻の財布心配を他所に、トイレに入れば自動的に蓋が開き、用を済ませるとウオッシュレットで洗ってくれ、自動的に流れるトイレは息子が言う「トイレは文化だ」通りの快適さです。

 大改造を終えて息子たちと同居を始めて3年になりますが、その間息子は自分の発案した1階と2階のトイレ掃除を自ら買って出て、掃除をしてくれているお陰で未だにまるで新品のようなトイレを保持しているのです。最近はトイレの掃除も随分様変わりしていて、拭き掃除の後はゼリーのような香料洗剤を便器に貼り付け、水が流れる度にゼリーが溶けるようになっているのです。「そこまで凝らなくても」とトイレのグレードアップに難色を示していた妻も最近はすっかり気に入って、友人たちに「トイレは文化ですよ!!」などと説得しているのですから世の中は分からないものです。1階のトイレは孫たちも朝夕私たちと共用で使っていますが、幼児ながら汚すこともなく使ってくれています。

 もう一つの感心は、私が採集した蜂蜜を、使っていない畳半畳ほどの小さな自家用サウナを利用して、精製しているのです。昨年私が採集した蜂蜜は20升余りでした。これをパレットに移してサウナに入れ、花粉を取り除いて純度を上げ、水分を飛ばして糖度を85パーセントまで上げるのです。気の遠くなるような作業ですが、息子はインターネットで様々なことを勉強しこの方法に辿り着いたようです。精製した蜂蜜は大小の小瓶に入れて、自家用にしたりお裾分けするのです。これも妻から言わせれば「そこまでしなくても!!」なのですが、「人間牧場産蜂蜜」などと書いたラベルまで作って貼る懲りようです。
 もう間もなく蜜蜂が動き出す春が来るというのに、去年採集した蜂蜜はまだ精製過程なのですが、出来るほど色々な人に差し上げているので、在庫は余りないようで、目下蜂蜜の精製を楽しむといった感じですが、私がミツバチに何度も刺されて孤軍奮闘して採集した蜂蜜なので、いやはやありがたいことで、息子を誉めてやりたい心境です。

  「わが息子 この三年間 一・二階 トイレ掃除を 怠りなしに」

  「妻さえも 今では人に 言い触らす トイレは文化 心が変わる」

  「採取した 蜂蜜せっせ 精製す 瓶詰めラベル 相当凝って」

  「わが息子 誉める親父は 一の馬鹿 それでも誉める 価値ある二つ」

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人間牧場

〇孫たちの氷の実験

 私が講演などで話す内容の中に、最近好んで使うのが「氷の実験」という話です。冷蔵庫から取り出した小さな氷を水を入れたコップに入れると、氷は浮き沈みします。「さて皆さんこの氷の浮いた部分と沈んだ部分の不文律は何対何ぼでしょう?」と聞くのですが、聴講者の中には何人か知識人がいて、手を挙げて答えてくれますが、まず殆どの人は奥ゆかしいのか手が挙がらないのです。広辞苑に「氷山の一角とはおおよそ七分の一の浮いた部分をいう」と書かれてます。この数値で計算したアバウトな数字だと浮いた部分は1、沈んだ部分は9なのです。じゃあ「南極や北極に浮かぶ大きな氷山は何対何ぼ?」と聞くと、見たこともなから分からないと答えるのですが、広辞苑に書いてることが正しければ、氷は小さくても大きくても9対1なのです。

孫2人が氷の実験で作った氷
孫2人が氷の実験で作った氷

 これを人間に例えて話します。人間は本能的に生まれながら、生きているシグナルを発するオギャーオギャーと泣く言葉、お乳をあてがうと飲む食欲、糞と小便をひる排泄という三つの健在能力を持っていますが、その後読む、聞く、見るという三つの学習能力が加わり、大きな氷へと知識を膨らませて行くのです。この備わった知識を書く・喋る・実践することによって、知恵に変えれば人間は七分の六の潜在能力を浮上させて、顕在化することができるという話です。
 一緒に入る風呂の中で2人の孫たちにこの話をしてやりますが、4歳と6歳の孫にはまだチンプンカンといったところです。ところが「氷の実験」ということだけは覚えていたのか、この数日外で何やらゴソゴソ始めていたようでした。

 外庭でバケツや遊び道具に水を張り、このところの寒さで自然氷を作ろうという算段のようでした。昨日の朝は戸外は放射冷却現象の影響で一面に真っ白い霜が降りました。孫たちの目論見どおり昨日の朝は、薄い氷ながら見事に実験は成功して氷ができ、孫たちは大喜びでした。残念ながら4歳の孫奏心はインフルエンザにかかって熱があるので、氷に触ることはできませんでしたが、いやはや孫たちもやるもので、「見て見て、氷ができた!!」と誰彼となく見せて大喜びの朝でした。子どもは好奇心旺盛です。好奇心の中から新しい発見をして成長して行くのです。

  「寒いのに バケツの中に 手を入れて 氷取り出す キャーキャー言いつ」

  「風呂の中 氷の実験 話したら 孫は早速 実験開始」

  「何故水が 氷になるの? 不思議がる 当たり前ゆえ 答え戸惑う」

  「孫一人 インフルエンザ 熱を出し 折角氷 できたというに」

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人間牧場

〇わが家にもインフルエンザが・・・・

 今年わが家で一番最初にインフルエンザの風邪を引いたのは、意外や意外日赤松山病院に看護師として謹めている次男の一生でした。「医者の不養生」という言葉がありますが、医療機関に勤めているのに何故と思うのは無理からぬことです。でも本当は病院が一番病気の元なのです。「病院へ行く時は必ずマスクをしなさい」といわれる所以はそこにあって、息子は救急専門の部署なので、病人が様々な病気をダイレクトに持ち込んで来るので頷くところです。

 健康な時は「風邪くらい」と軽々しく思いますが、熱が出たり時には上げ下げするような重症になると、自分の体でないような錯覚にうなされます。風邪は万病の元と言われるように、特にインフルエンザは抵抗力のない高齢者や子どもたちは肺炎を引き起こすため、用心をしなければなりません。わが家にも孫2人と95歳の親父がいるので、インフルエンザの予防注射をしたり、外出から帰るとうがいや手洗いに余念がないようです。

 3日前、6歳の孫希心がおたふく風邪にかかりました。耳の辺りが痛いというのでかかりつけの小児科で診てもらい検査したところ、おたふく風邪と診断されました。おたふく風邪はうつるので保育園はお休みです。ところかその明くる日今度は4歳の孫奏心が風邪気味で熱が39度まで上がり診てもらったところ、インフルエンザと分りました。聞くところによると保育園ではインフルエンザが流行り始めているようです。息子の勤めている病院も病原菌の巣ですが、保育園もまた色々な病気の巣のようなもので、友だちから友だちへと伝播して行くのです。

 昨日孫たちは自室に寝かされ隔離状態でした。私たち夫婦といっしょに毎日入るお風呂も、昨夜は熱があるようなので、自重させました。目下のところ少し風邪気味だった妻は回復して私と親父、それに息子夫婦だけが、「馬鹿は風邪を引かない」の例えどおり元気に過ごしています。冬の寒さはまだまだこれから当分は続きます。風邪を引かぬようにするには、風邪菌をもらうような場所にはできる限り近づかないようにしなければなりませんが、仕事柄今日も講演に出かけなければなりません。毎日欠かさずやっている風邪を引きにくい体力づくりと規則正しい生活に心がけたいものです。

  「わが家でも 息子や孫が 次々と 風邪にかかって 危険信号」

  「風邪くらい 怖い病気は ありません 空気感染 あっという間に」

  「私馬鹿? 鈍感なのか 風邪引かず そろそろ危ない 予感ありあり」

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